第36話 連絡と現実とおとめ座と

瀬理は自分の部屋に戻って折り紙の裏に書いた文字を眺めて紗織のことを考えていた。


「こんなの、良彦くんに手渡せないよ。紗織、ずるいよ。自分だけ。佳奈だって私よりも先に……。でも、私が弱くて手渡せなかったんだから。一緒に住んでるのに」


僕の誕生日から一週間が過ぎた。11月も明日でおしまいだ。紗織が僕たちの前から姿を消して1ヶ月になる。僕が東大に合格してあの場所に行けば紗織に会えるのだろうか。でもみんな一緒に会えなければ意味がない。きっと紗織もそう思ってる。

12月が差し迫ると春にはあんなに綺麗に咲いていた桜の葉も枯れて落ちている。花びらは風に乗って教室に挨拶をしに来ることもあったけど、枯れ葉は別れも告げずにいつの間にか居なくなっている。日が沈むのも早くなるから天文台での観測もしやすくなる。旅行じゃないけど星空を見ることは出来るんだ。


「え……そんな……だって……」


「なんだ早乙女。授業中に最前列でケータイ触ってるなんていい度胸じゃねぇか。後で職員室に来い」


「はい……すみません」


授業が終わって昼休み。早乙女が紗織の腕を掴んで僕の席にやってきた。


「良彦くん!これ!」


瀬理が見せてきたのはスマホの画面。


『紗織の祖母です。皆さんにはお話したいことがあります。申し訳ございませんが、紗織に会いに来てあげてくれませんか』


紗織の名前でグループLINEに書き込みがあった。

午後の授業は全く耳に入らなかった。時間が経つのが遅くて1時間が何時間にも感じた。最後の授業終了のベルが響くと同時に僕たちは一斉に教室を飛び出して駅へ向かう。


「紗織になにかあったのかな……。どうしよう……紗織……」


「佳奈。紗織になにかあったって決まったわけじゃない」


「じゃあ、なんで本人からのメッセージじゃないの!?なんでおばあちゃんからのメッセージなの……」


「佳奈……」


瀬理は泣き崩れる佳奈の隣に一緒にしゃがんで頭を優しくなでている。


湯島駅に到着してタクシーに分乗して東大病院へ急ぐ。受付で東金紗織の病室はどこか確認すると、担当医師を呼んでくれて、紗織のおばあちゃんと一緒に受付までやってきた。


「お待ちしておりました。さ、こちらです」


僕たちは紗織の病室に案内されるのかと思ったが、向かったのは入院病棟ではなく別の方面に向かっていた。エレベーターを降りて地下へ向かう。病院の冷たい空気が肌を刺す。


「あの……」


担当医は僕たちの方を一瞥した後にこの先です、と指し示した先には紗織が居た。ベッドに横たわって動かない紗織。沢山の機械が繋がれている。あれは人工呼吸器だろうか。ガラス越しに見る紗織は、いつも元気だった紗織の面影はなく、ただただ静かに目を閉じて横たわっていた。


「紗織は……」


最初、おばあちゃんが説明しようとしたのを担当医が遮って私から説明すると言われて、皆固唾を飲んでその言葉を待つ。


「みなさん。ありがとうございます。間に合いました。紗織さんは今、自分と戦っております。懸命に戦っております。私達は最善の努力を尽くしました。後は紗織さん次第です。恐らく今夜が山場になります。みなさんは紗織さんの大事なご友学と紗織さんからお聞きしております。出来ることなら彼女と一緒に居てあげてください。お願いします」


担当医はそう言うと深く頭を下げて、紗織のおばあちゃんに挨拶した後、仕事に戻っていった。


「ありがとう。紗織を応援しに来てくれて。きっと紗織も喜んでると思います。私も信じてますので、ぜひ皆さんも紗織を応援してあげてください」


僕たちはICUをガラス越しに見ることしかできなかった。本当は紗織の手を握って応援したかった。ぬくもりを感じたかった。僕たちは一晩中紗織を応援し続けて、明け方だろうか、眠りに落ちてしまった。



「紗織……紗織は!佳奈!瀬理!」


僕たちが見たものは紗織の静かな顔だった。とても綺麗な顔だった。美しい髪はまとめられて見えなかったけど、整った顔だけははっきり見えた。


「紗織!紗織!!」


僕はICUのガラスに手をついて必死に紗織を呼ぶ。返事をしろ紗織。お願いだから返事をしてくれ!こっちを向いてくれ!!紗織!!


「交換日記、返事を書いて持ってきたんだぞ?読んでくれよ……約束、果たさせてくれよ……」


担当医が僕たちのところへやってきた。


「紗織さん。とても頑張りましたよ。とてもとても。きっと君たちの応援もあって紗織さん、頑張れたんだと思います」


担当医は後ろ手を組んだまま顔だけを紗織に向けてめを細めた後に、こちらに向き直ってこう言った。


「紗織さんは今、眠っています。山場を見事超えてみせました。まだ、安静が必要ですが2~3日後にはICUから出て一般病棟へ移れるはずです。出来ることなら毎日紗織さんに会いに来てあげてください。目を覚ましたとき、あなた達がそばにいれば、紗織さんはとても喜ぶでしょう。医師として患者の笑顔はなにものにも代えがたいものなのです。お願いします」


僕はノートを握りしめて担当医にお礼を繰り返した。紗織は生きている。生きているのだ。


その後は毎日紗織に会いに行った。担当の医師が行った通り、3日後には一般病室に移ることができた。最初は相部屋だったが、瀬里がどうしてもと譲らず個室へ移ることになった。


「瀬里、これはやりすぎなんじゃないか?」


「いいの!僕達が毎日来るんだし、狭いと紗織が息苦しいでしょ!」


「コレが早乙女家の財力か。まるでマンションの一室じゃないか。ソファーまであるぞ」


肝心の紗織はまだ眠っている。かなりの大手術だったので眠らせて体力の回復を図っているそうだ。放課後は毎日ここに来ている。いつ紗織が目覚めても良いように。出来る限り長い時間、僕はここに居た。予備校組は毎日は来れなかったけど、瀬里と僕は毎日来た。今日は12月10日。12月6日にICUを出て今日で4日目。明日12月11日は開校記念日でお休みだ。僕は泊まりで紗織が目覚めるのを待つことにした。


交換日記のノートを見ながら、こんな縁起の悪いことはしないで欲しかったと何度も思った。この病室からは星空は見えるのかな。都心ではあるが木々に囲まれたこの病棟は夜になると結構暗い。今まで来にしていなかったけど、もしかしたら見えるのかもしれない。


「紗織も気持ちよさそうに眠ってるし、星を見に行こう。目が覚めたら一緒に見に行こう」


僕は病棟の屋上を目指して歩く。途中担当医に出会って軽く話をした。僕からは心からのお礼を伝え、先生からもその言葉が私達を励ますんだ、ありがとう。とお礼を言われた。

病棟の屋上で僕の身体を冷たい風が吹き抜けてゆく。もう12月だ。冬はもうそこまで来ている。空を見上げるとオリオン座が東南の空から登り始めている。乙女座を見るにはまだ早いけど、この時期に見えるすばるはとてもきれいだ。紗織にも見せてあげたい。身体も冷えてきたので病室に戻ることにした。


「温かいスープでも飲みたいな」


ロビーに降りて自動販売機でコーンスープを買う。握りしめると冷えた手を温めてくれた。夜の病院は静かだ。聞こえるのは僕の呼吸、たまに歩いてゆく看護婦さんの歩く音。


「ただいま紗織。星空を見てきたよ。東京の空はオリオン座と冬の大三角なら見えるんだよ。ベテルギウスにシリウスにプロキオン。僕は夏の大三角よりもこっちのほうが好きだ」


病室に戻った僕はコーンスープを片手に窓の外を眺めながら、そう紗織に話しかけた。


「そう。私のおとめ座は見えないの?」

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