第8話 パンと望遠鏡と忘れた約束と
「あれが天の川だ。僕たちの太陽系がある天の川銀河の中心方面の光景だ。無数の恒星や星間ガスの天体の集合体で直径は8万~10万光年と言われている。真横から見た形は凸レンズみたいになっていて、星の数は正確には分からないけど、1,500億~2,500億個。有名な銀河のアンドロメダ銀河はもっと大きくて1兆個って言われてる」
宇宙のスケールは僕たちの時間と規模とは比べものにならない。あの星の光だって見ているのは数千年、数万年前のもので、もしかしたらもう超新星爆発を起こして存在していないかも知れない。これ以上の説明は星空を見上げるみんなの様子を見て不要だな、と思って僕もその仲間に加わった。
「すっごい!渦巻き!」
「星が密集してる!」
持ち込んだ反射式望遠鏡を覗くと初めておもちゃを触った子供の様に皆はしゃいでいて、用意してくれた執事さんには感謝だな。
「ねぇ、良彦くん。小学校の頃、私と話したこと、覚えてる?」
「ん?」
東金以外は反射式望遠鏡を取り合って騒いでいたが、東金はそれを見ていた自分のところへやってきてそう言った。
「小学校の頃?」
「そう。覚えてない?」
「すまん。小学校の時の記憶はあまり良い思い出がなくて。思い出さないようにしてたらどこかに消えてしまったような感覚なんだ」
「私も。あなたと何か話した……というか約束?みたいなものをしたような気がしてて気になっていたのだけれど、良彦くんも忘れてるんじゃ仕方ないわよね」
東金はそう言って望遠鏡の奪い合いに参加に行った。
時計を見ると深夜2時近い。身体も冷えてきたし、星空観測会は解散した方が良さそうだ。執事さんもそれを察したようで、暖かいココアを用意してくれていた。
ココアを飲みながらリビングのソファーで輪になって星空観測の話で盛り上がる。早乙女はもう眠そうでうつらうつらし始めていた。そろそろお開きにした方がいいかな。
各自部屋に入って布団の中で冷えた身体を暖める。早乙女さんはすぐに眠ってしまったようだけれど、佳奈と麻里はまだ起きてるみたいだった。
「東金さん、起きてる?」
「うん」
佳奈のほうから話しかけてきた。なんだろう。
「さっき、望遠鏡を覗いてるとき、良彦となにか話してたよね?どんな話してたの?」
「小学校の頃の話。私、良彦くんとなにか約束のようなものをした記憶があるのだけれど、うまく思い出せなくて良彦くんはなにか覚えてないかなって聞いてみたの」
「良彦は?」
「覚えてないって。なんだったんだろうなぁ」
「ねぇ、東金さん。もう一つ、いい?どうしてこの時期に転校してきたの?」
「お母さんとの約束を果たすため、かな」
佳奈はどんな約束なのか気になったが、亡くなったお母さんとの約束を聞くのは……と思っていたところに東金さんの方から約束の内容を教えてくれた。
「私ね、お母さんと同じ高校に行くって約束してたの。それで中学校の頃に、この高校、受験したんだけど落ちちゃって。でも転入試験があるって聞いて受けたの」
「そう、なんだ。良彦は偶然?」
「ん?なんで?」
「いや、小学校の同級生が同じ高校に居るなんてすごい偶然だなぁって」
「うん。最初はすごくビックリした。でも向こうは私の事なんて覚えてないかもって思って話しかけられなかったの」
二人の話を布団の中で聞いていた麻里は佳奈の気持ちを察して複雑な思いだった。東金さんは間違いなく良彦を気にしている。佳奈はどうするのかな。
「そろそろ寝ましょうか」
「そうね。おやすみなさい」
星空は綺麗だ。僕は一人でバルコニーからの星空を眺めていた。一人で眺める星空は格別だ。なんの音もしない。周囲には暗闇。別荘の電気も消えて本当に暗闇だ。リビングにダウンコートが出しっぱなしになっていたのは執事さんが察してくれていたのだろうか。天体望遠鏡も夜露がかからないようにしてバルコニーに置いたままにしてくれている。
「小学校の頃の約束、か。東金紗織との約束……」
その約束は空に瞬く星のように手が届きそうで、届くはずもないものの様な気がした。
「おはようございます。朝食の準備は整ってございます」
朝の9時に執事さんが起こしに来るまでぐっすりと眠っていた。顔を洗ってダイニングに行くと佳奈だけ何かを待ちわびるようにソワソワしていた。
「佳奈、どうしたんだ?トイレに行きたいなら行ってきたらどうだ?」
「……。」
これぞ軽蔑の目線、というような視線を貰ったが、慣れたもので僕はなにくわぬ顔で席に着く。ダイニングにはパンを焼く良い匂いが漂ってきていて、佳奈の待っているものがなんなのかすぐに理解できた。
ほかのメンバーも起きてきたのだが、早乙女だけ居ない。執事さんを見ると、お嬢様はなにをしても起きないときがございまして……と苦笑しながら答えてくれた。
早乙女には悪いが、先に食べさせて貰うぞ。この匂いのせいでお腹はペコペコになっている。テーブルに運ばれてきたパンは焼きたて特有の甘い匂いを放って、どれも魅力的に見えた。
「そこは素朴な味を先に食べるべきだろう」
菓子パンを皿に盛る健司を見ながら僕は塩パン、バターロール、クロワッサンを皿に盛った。それを見た佳奈もベーコンエピを戻して同じ様にシンプルなものを取っていった。東金さん、は……。やっぱり最後に手を伸ばしてバターロールを一つだけ皿に取っていた。昨晩も東金さんの料理だけ少なかった気がするけど、少食なのかな。
「おはようごあいますぅ~」
早乙女だ。ひどい寝癖でダイニングにやってきて大あくびをしている。とてもお嬢様には見えない仕草と風貌だ。執事さんは相変わらず苦笑している。いつもこうなのだろうか。
「ちょっと早乙女さん……。一応、女の子なんだから……」
麻里は早乙女の手を引いてダイニングから連れ出していった。早乙女には「働いたら負け」と書いたTシャツが似合いそうだったな。
麻里と一緒に戻ってきた早乙女は散々だった寝癖も直っていつものショートヘアに戻っていた。食欲も旺盛。なのになんであちこち小さいんだ。可愛いにもほどがあるだろ。
「それで、今日はどんな感じにするんだ?バスと電車の時間があるから、そんなに時間はないと思うけど」
「はい!清泉寮のソフトクリームは絶対に食べたい!」
佳奈は絶対に譲れない、といった表情で真っ先に主張する。ソフトクリームか。八ヶ岳に来たんだからそれは確かに外せないな。
「よし、それ採用。僕は星のこと以外はよく分からないから他に何かあったら教えてくれない?」
「私は廃墟が見れたから満足」
東金さん、やっぱり廃墟マニアだったのか。あれは昨日見ておいて良かった。帰り際に見ていたら何とも言えない気持ちで旅行を終えるところだった。
「ねぇ、帰りも電車乗りたい?」
早乙女が不意にそう言いだしたのでなんのことかと思っていたが、昨日のことを思い出して、車で送ってくれるのか?と聞いたらその通りと帰ってきた。特急のチケット、今から払い戻しって出来るのかな……。
「ソフトクリームー!」
佳奈は念願のソフトクリームにありついて興奮気味で見ていてこちらまで嬉しくなりそうだ。今日は天気も良くて気温も気持ちの良い感じだ。さっきからバイカーが次々に訪れてきてアイスクリームを売っている小屋にはちょっとした行列が出来ている。
それにしても車はすごいな。電車とバスじゃ絶対に見れない場所に行くことが出来る。ソフトクリームを食べた後はビーナスラインに行って南アルプスの山々を楽しんで下界に下ってからお昼となった。甲州に来たのだからほうとう!という佳奈の要望でほうとうを食べに来たのだが……。
なんだここはアトラクションか。すごい行列だ。流石ゴールデンウイーク。大型連休。皆考えることは一緒なのだろうか。列に並んでる間は昨日の星空の話やらこれからどこに行くのかとか6人でいるのは退屈しなかった。本当に小学校の頃とは別世界だ。仲間といるというものはこんなにも楽しいものなんだな。
熱々のほうとうを堪能したのもつかの間、佳奈は食後のおやつに水信玄餅を食べに行こうと言い出した。
「おまえ、本当に食い物ばかりだな」
「だってここまで来たら普段は食べれないものを食べたいじゃん!」
「佳奈は昔からそうよねぇ。今ここでしか食べれないって。でもどうしてその栄養はそっちに行かないのかねぇ」
僕も大概だが、麻里も大概だ。事ある毎に佳奈の胸の話をしている。透明な水信玄餅を目の前にしても、これ、佳奈くらい?とか言っている。
「これが、佳奈の……」
「うっさい!もっとあるわ!」
「え!?」
「健司くん、そうですよ。佳奈さん、もっとありましたよ。僕は……とうてい敵わないですけど」
なんか照れながらそう言う早乙女の発言の方がエロティックだ。しかも今日はスカートを履いている。本当に女の子なんだろうか。今でも信じられないくらいだ。
「しかし。もう16時だな。渋滞もあるだろうし、東京に帰るのは夜遅くなりそうだ」
運転している執事さん、大変だろうなぁ、って思っていたら、その執事さんから提案があった。
「みなさん。このまま東京に向かっても大渋滞に巻き込まれるだけです。そんなつまらない旅行の締めくくりは私としても残念です。そこで……私のとっておきの場所に皆さんをご案内致しましょう」
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