第7話 すべすべとバスローブと密偵と

「おいおいおいおい。早乙女くん?なんでそっちに行くの?」


早乙女は男湯をスルーして女湯に足を向けていた。いくらオーナーの特権とはいえ、それはマズいだろう。


「ん?だって僕、女の子だもん。だからこっち。それともそっちに一緒に入ったほうがい??」


「あ、いや?それは、遠慮しておこう。な?健司」


「あ、ああ。そうだな。早乙女、ゆっくりして来いよ」


あの可愛いさは偽物ではなく、本物だったのか。


「なぁ、信じられるか。あの早乙女が女だったなんて」


「信じられるかよ。だってあいつ、学校では男子の制服着てるだろ。体育だって男子振り分けじゃないか」


「まぁ、悲鳴が聞こえないところを見ると、本当に女の子だった、って言うことだろうな」


「それにしてもこの会話は聞いてていいのか?」


露天風呂で足を延ばしていた僕たちは、隣の女湯から聞こえてくる声で湯船から上がれなくなっていた。


「わ、やっぱりおっきぃ~。それに引き替え……」


「なによ。なんか文句あるの」


「いや、佳奈さんも結構あると思いますよ。僕なんか」


「やー!でもすっべすべ!」


このやりとり、わざとやってるんじゃなかと思えるほどに魅力的な内容だった。高校生男子には刺激が強い。


「なぁ良彦、これから俺たちはどうしたらいいと思う?」


「そうだな。まずは楽しもう。その後が問題だ。僕はそういうのは見たくないし見せたくない」


「よし。それじゃ良彦が先に上がれ。俺はまだこの場にとどまって密偵を継続する。成果は後ほど報告する。オーバー?」


ちょっとは興味があったが、のぼせる方が先な気がしたので健司にすべてを任せて先に上がることにした。


「バ、バスローブ。これはどうやって使うモノなんだ?コレを来て暖炉の前でブランデーでも転がすのか?」


なんにしてもこの姿で脱衣所を出る勇気はないが、着てみたい欲望に負けてバスローブに腕を通す。


「お?お?おお?」


それは予想外だった。考えてみれば当たり前なのだが、全部タオルで出来てるバスローブを着て身体を動かしたり触ったりしたらタオルで拭かなくても全身の水分が吸収されてゆく。それにフワフワで気持ちいい。


「コレがバスローブ……」


バスローブをひとしきり楽しんでドライヤーで髪の毛を乾かした後に火照った身体をバルコニーで風にあてる。


「綺麗だなぁ」


空には既に星空が広がっていた。真夏の空より星は少ないが、この季節の方が空気が澄んでいて明るく見える気がする。


「そうね。とても綺麗。地元でも東京よりは星が見えたけど、ここまで綺麗な星空を見たいのは初めてだわ」


いつの間にかバルコニーに出てきていた東金が後ろから声をかけてきた。二人でバルコニーの欄干に腕を乗せて星空を見上げる。普段なら星座を確認したり、望遠鏡で銀河を覗き込んだりしているはずが、一人ではないだけで違うものを感じて見ることが出来たような気がする。


「風邪引くな、これ。中に入るか」


「ええ」


もう少し、星空を見ていたかったが、東金の黒髪が完全に乾いていない事に気が付いて部屋に戻る選択をした。


「暖炉」


「ああ。暖かいな。しばらく当たるか」


揺らめく炎は星空のそれとは違った魅力を放っていた。二度と同じ形にならない一瞬の光景。崩れ去る薪。星空は長い時間単位で言えば変化を続けるが、僕たちの生きる時間ではその変化には気が付くことは出来ない。そんなことを考えているととても良い香りに気が付いた。


「リンスか?」


「そう。このお屋敷に備え付けのものを使ってみたの。正確に言うとトリートメントかな」


女の子の湯上がりがこんなに魅力的だとは、正直思ってもみなかった。それに東金はロングTシャツを着ていたがその下は……。

生唾を飲み込む音を聞かれてしまっただろうか、などと考えていたら頭頂部にチョップを受けて我に返った。


「良彦くん。今、なにを考えていたか、あてて差し上げましょうか?」


「遠慮しておく。ちなみに今は別のことを考えているが、教えて差し上げた方が宜しいかしら?」


「ほんっと失礼ね!」


今度は足を蹴られた。


「いってーな。佳奈はどうしてそんなに暴力的なんだ。早乙女の方がよっぽど女の子らしいぞ」


「あんたねぇ……」


「でもま、嫌いじゃないけどな」


「あ、ありがと……」


ちょっと言い過ぎたかなと思ってフォローを入れたが、思ったよりも恥ずかしい事を言ってしまったと思ったが、佳奈の反応を見て更に恥ずかしくなってしまった。


「ふふ。二人ともいつも仲がいいのね。そういうの、羨ましくて」


東金さんは僕たちのやりとりを見て笑っていたが、どこか引っかかるようなものがあった。


「あれ?健司は?」


麻里と早乙女がリビングに帰ってきたが、健司が帰ってこない。


「ちょっと見てくるわ」


僕が男湯の脱衣所で見たものは最悪の光景だった。股間にタオルを乗せただけの大の字に寝る健司の姿だったのだ。


「のぼせたのか。密偵は失敗に終わったのか?」


「い、いや、大成功だ。しかし、激戦の末に大ダメージを受けてしまってな。この有様だ」


「いいから早く服を着ろ」


のぼせて真っ赤になった健司をバルコニーに放り出して、他の面々は暖炉の前で今夜の星空観測について話をしていた。


「ねぇ、天の川ってスマホでも撮影出来るのかな」


「うーん……なんとなく、ってのは分かる程度かも知れない。カメラで撮影するときもバルブ撮影するくらいだし」


「バルブ撮影?」


「ああカメラのシャッターって一瞬でパシャってなるだろ?バルブ撮影っていうのはそのシャッターを数秒間開きっぱなしにするんだ。うまく設定すると、こう……星が回転する写真も撮影できる」


僕は手を半円を描くように動かしながら説明をする。


「そういえば、あの望遠鏡の下に付いてる装置はなんなの?」


「ああ、東金さんは初めて見るのか。あれは赤道儀って言って地球の自転で星が動くのを追従する装置だ。さっきは動く星を線にして撮影することもって説明したけど、アレは点で撮影出来るから、より鮮明な写真が撮影出来るんだ」


「瀬戸様。あちら、宜しいのですか?」


すっかり忘れていた。健司をバルコニーに放り出して鍵を閉めてやったのだ。窓の外で震えてる健司がすがるような目でこちらを見ている。


「わりぃ……すっかり忘れてた」


「もうおまえには密偵の成果は報告してやらん」


くしゃみをしながら暖炉に張り付く健司。密偵の言葉に反応する麻里。軽蔑するような目で見る佳奈。なんのこと?というように首を傾げる早乙女。それを遠巻きに眺めて笑いを堪えている東金。


最近、東金の笑顔を見ることが増えてきた。氷のような性格なんて言われていたが、そんなことないじゃないか。とても暖かい笑顔じゃないか。


そんな僕の反応を見て「また見てる!」と背中を佳奈が叩いてきた。今見ていたのは胸じゃなくて顔なんだが……。


そしてお待ちかねの天体観測の時間が近づいてきた。今の夜空に見えている星々の名前、星座、そして星の動きをひとしきりみんなに説明する。結構まじめに聞いてくれるものだ。


「それじゃ、このあとバルコニーに出て天体観測を始めるから、各自風邪を引かない服装に着替えて……」


その時、リビングに何かを転がす音が聞こえてきた。執事さんが何かを運んできた様だ。


「お嬢様。ご依頼のものをご用意致しました。それと、バルコニーの準備も完了してございます。


執事さんが用意してくれたのはロングダウンコート。バルコニーには炭火のたき火台。炎で夜目が開けないように炭は静かに赤い揺らめきだけを放っていた。最後に用意されていたのはリクライニングシートと毛布。


「心行くまで楽しめそうだな……」


健司は早乙女の肩に手を置きながらそう言ったが、早乙女が女の子って言うのを忘れているのではないか。そう思ったのは東金も一緒だったらしく、健司の反対の肩をつつきながら早乙女を指さしていた。

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