第3話 彼氏と天文台と観察と
「どっちが彼女なの?」
「え?」
「そう。違うのならそれで良いわ。お時間をありがとう。それじゃ、失礼するわ」
ストレートすぎて言葉が出てこなかったが、どちらに対して誰の彼女なのか聞いてきているのかも分からず仕舞いで二人は言葉もなく見つめ合うしかなかった。
「なんの話してたんだ?」
東金さんが座っていた席の持ち主、健司が帰ってきた。手が濡れている。トイレの帰りか。ハンカチくらい持ってきなさいよ……と思いながらも麻里はハンカチを差し出した。健司はサンキューと手を拭きながら同じ質問を、私たち2人の顔を交互に見ながら繰り返す。
「なんか、どっちが彼女なの?って言われただけ」
「なんだそれ。俺の彼女は麻里になったのか?佳奈になったのか?」
「知らないし断じてそんなことはないから。それに私たちもなんのことなのか分からないのよ」
廊下からそんなやりとりを見ていた良彦は、席に座る東金さんを見ながら、何食わぬ顔で席に着く。
「なぁなぁ、良彦。さっき佳奈と麻里のところに東金さんが来てさ、どっちが彼女なのぉ?って聞きに来たらしいぞ。今までの状況からして、良彦の彼女はどっちなのかを聞きに来たって感じじゃないのか?」
「そんなの僕にも分からないな」
「それじゃ、良彦、聞いてきてくれよ」
残念ながら、英語の教師が教室に入ってきて実行に移すことは出来なかったが、実際問題
なんて聞けばよいのか分からなかったし、安心したわけで。
しかし、現実はそんなのお構いなしに僕に試練を与えてくる。すべての授業が終わった後に、東金さんは再び僕たちのところにやってきて、同じ質問をしてきた。
「さっきも聞いたけど、分かりにくかったと思うから、もう一度聞かせて。良彦の彼女はどっちなの?」
「どっちでもないし、初対面でそういうのを聞いてくるのはどうかと思うけど」
「ちょっ……」
佳奈は机に肘を突いたまま、はっきりとそう言った。
「ごめんなさい。それじゃ、初対面じゃない良彦に聞くわ。良彦の彼女はどっちなの?」
僕はこの状況に少し腹立たしく思って素直に答える気がせず、逆に東金さんを試してみることにした。
「東金さんはどっちだと思う?」
「そうね。どっち、ということはどっちかが彼女、ということかしら?それが分かれば私はもう良いわ。ありがとう」
誤解させてしまった。これはマズい。恐る恐る二人の顔を見ると、そんなことはなく逆に盛り上がっていた。
「ねぇねぇ、やっぱり東金さんは良彦の事が好きなんじゃない?じゃなかったらあんなこと言わないわよね!?」
「なんでよ。なんでそうなるのよ。単純に気になっただけかも知れないじゃない。私たちいつも一緒だし」
「なんだ佳奈、東金さんに良彦を取られるのがイヤなのか?」
それを麻里がニヤニヤしながら眺めている。前から何となくは感じていたが、そういうことなのか?やっぱり。正直、悪い気はしないが、この前、健司にふざけながらではあるが佳奈のことが気になるとか、さっき麻里は親友であるとか、そんなことを言っていたからややこしくなる……。
「で?良彦はどうなのよ」
「なにが?」
「なにがって、東金さんのこと。好きなの?」
好きとかどうか以前に、正直、どういう人なのか詳しくは知らない。小学校時代も話をする事なんてほとんどなかったし、中学校時代も挨拶すらしていなかった。唯一知っているのは、小学校時代、僕も彼女もクラスでは浮いていた、というだけだ。
理由は恐らく、僕は成績がほかの人より飛び抜けていたから、彼女は容姿が飛び抜けていたから。妬みとかいうくだらない理由だと思う。僕も彼女もそんなことは我関せずというように気にしていなかった、
「僕が?東金さんを?なんで?正直よく知らないし。美人だとは思うけど」
「んー……、じゃ、佳奈と東金さん、どっちが好みなの?」
「お。それ、俺も聞きたい」
参ったな。この質問は来るとは思っていたが、答えを考える前だった。こういう場合の角の立たない答えは……と思ったときだった。
「やめなよもう二人とも」
助け船を出してくれたのは佳奈だった。まぁ、自分と比べられて答えを聞くのはイヤだ、とは思うし。僕も助かった。
「それじゃ、今日も部活に行きますか」
僕たちは天文学部に所属している。特段、試合があるわけでもないので、高校3年生になったからといって、なんの追い込みもない。そもそも、新入部員が居ないのだ。星を見るロマンが分からないなんて勿体ない。
「よおし。良彦!俺たちに星空を見せてくれ!18時から予備校だ。それまでに太陽を沈めてくれ。頼んだぞ」
そうなのだ。高校3年生になって、僕以外は皆、予備校に通っている。冬の時期までは日没が早いので夜空を眺める時間もあったのだが、春から夏に移りゆくこの季節は到底無理な状況だ。
「健司。無理を言うな。それに、その問題、ここが間違えてるぞ」
「うっそ。どこ?会心の解答だと思ってたんだが」
僕たちはろくに活動が出来ないので部室で健司たちの受験勉強に付き合っていた。
「それにしても良彦はなんで予備校も行かずに、そんなに成績がいいの?」
麻里がずるい、という視線を向けて聞いてくる。学校の授業をこなして、足りない部分は参考書を買って勉強しているだけだ、と毎回回答するが、それが出来てればみんな苦労しない!と言われるのがお約束だった。
「お。時間だ。俺たちは予備校に行くけど、良彦は今日も星を眺めるのか?」
「ああ。顧問には了解取ってる」
健司たちは予備校に行くが、僕はその後も天文学部の部屋に残って日が沈むのを待つ。星を見るのも好きだが、本当のところは独りになる時間が欲しかったのだ。僕の母は専業主婦だから家に帰れば誰かしら居ることになる。来年高校受験をする弟も同じ部屋で独りになれる場所が家にはない。
星を見るようになったのは小学校の頃からだった。僕の小学校では自宅にランドセルをおく前にそのまま友人宅に遊びに行くのが一般的で、友達のいなかった僕はまっすぐに家に帰ることになっていた。それを母は心配していたので、放課後、学校の屋上で時間を潰す事が多かったのだ。
小学生で日が沈むまで家に帰らないのはアレだし、そもそも小学校がそんな時間まで開いてない。でも夕方でも東の空には星が見え始めるのを眺めていた。
「自宅の方は田舎だからもっと星が見えるんだけどな」
「そうね。こっちは都会だから星がよく見えないわ」
後ろから声をかけられてビックリしたが、振り向く前に東金紗織であることが分かった。あの朝、「挨拶できるんじゃない」と言われた声が耳から離れていなかったから。
「どうしたんだ?こんな時間に」
自分でもビックリするくらいに普通に言葉が出た。それに東金さんもごく普通に答えを返してきた。
「先生に聞いたから」
「そうか」
先生に「僕が」どこにいるのかを聞いた、という事だろうか。「僕たち」がどこにいるのか聞いたのだろうか。
「目的の人には会えたのか?」
「うん」
どうやら「僕」だったらしい。
「何か用事か?」
「ちょっとだけ。ねぇ、良彦くんはなんでこの高校に進学したの?」
ちょっと予想外な質問だった。また佳奈と麻里、どっちが彼女なのか、って聞かれるかと思っていたのに。
「天文台があったから、だな。あと、地元を離れたかった」
僕は中学受験をしてこの付属校に入った。理由は偏差値的なモノもあったけど、決め手は天文台だった。
「星、眺めるの好きだったもんね」
東金さんが自分の趣味を知っているのに驚いた。ふと、東金さんの趣味はなんなのか気になって聞いてみた。
「東金さんの趣味はなに?」
「私の趣味は観察。話しかける必要もないし、独りで出来るから」
東金さんも、小学校時代は独りだったからそういうのが趣味になったのだろうか。
星を見るためには夜目にする必要がある。天文台準備室の薄暗い豆電球の明かりの中で二人の会話だけが時間を進めている。
「星の観察もして行くかい?」
「遠慮するわ。今日の用事はこれで済んだから」
東金さんはそう言って準備室のドアを開けて帰って行った。
「ウミヘビ座のM83を見て帰るか……」
東京のそらでは天文台の望遠鏡で見ても銀河団というより一つの星にしか見えないが、なんとなく大きな恒星ではなくザワザワした銀河団が見たくなったのだ。
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