第3話御伽世界の神様1-1

 俺は夢を見ていた。

 それはとても幸せな夢だった。

 窓から柔らかな日差しが差し込み、小鳥のさえずりと一定間隔で刻まれるトントントンっという軽快な音が、心地良く俺の耳を震わせていた。

 そんな中で俺は目を覚ました。体を起こして大きく伸びをした後に、一つ欠伸をする。

 ……あれ、俺、カーテンを開けっ放しにしたまま寝てたのか。部屋の中、結構散らかってるから見られてたら恥ずかしいな、と呑気なことを考えつつ、布団のぬくもりから這うように出てフローリングに足を着く。

 まだ周りの明るさに慣れていないのか、視界には軽くモヤがかかっており、視線が微妙に定まらない。


”あら、お目覚めになりましたか? ”


 転ぶことを懸念して壁伝いに部屋から出ると、台所の方から声が聞こえてきた。なるほど、さっきのトントンって音は包丁とまな板の音だったのか。


「うん、おはよう」


 寝起きでぼやっとする頭を働かせて、台所へ向かって挨拶を返す。


”はい、おはようございます。朝ごはん、もうすぐ出来ますので、まずはお顔を洗ってきてください”

「ん。ありがとう」


 聴き慣れない美声に頷いて、言われるがままふらふらと洗面所へ向かう。くそ、やっぱり3時まで起きているんじゃなかった。朝が辛すぎて仕方がない。

 なんとか洗面台まで近づいて、蛇口を捻る。キュッという高い音を立てた後、勢いよく水が出てくる。傍らに置いてあるタオルを手元へ手繰り寄せ、手をおわん型にして水を掬って、顔へかける。よく冷えた水は、鈍感になっていた感覚を研ぎ澄ましてくれて、俺の目を覚ましてくれた。

 一通り洗い終えて、タオルで顔を拭って息を吐く。さてそれじゃ、サクッと朝飯食べて、大学へ────


「誰だお前!?」


 リビングに続くドアを勢いよく開け、台所にいる謎の人物を問いただす。謎の人物は、一度はおかしなものを見る目でこちらを見ていたが、だんだんと肩を震わせ、ついには我慢出来ないとばかりにお腹を抑えて笑い出した。


”ア、アハハっ! す、すみません。寝ぼけていたようなので、少々からかってしまいました”

「お前、馬鹿にして……」


 そこまで言いかけて、思わず息を呑んだ。

 笑い涙に濡れた目じりを拭う彼女を見て、凄い美人だなと、そう思った。馬鹿にされて腹が立っていたのも忘れるくらいの。

 少しつり目気味だが、顔は綺麗に整っている。それに加えて、見る者の視線を吸い寄せるような魅力を持った豊満な胸部、優美な曲線を描くほっそりとしたくびれを持っており、腰まで惜しみなく伸ばされた銀色の髪は、彼女の動きに合わせて優雅に踊っている。

 そんな彼女は、一通り笑った後に大きく息を吐くと、打って変わって真面目な顔で話し出した。


"自己紹介が遅れましたね”


 彼女が、”申し訳ありません”と腰を曲げて丁寧に謝る。その際、胸部の布が重力に従って垂れ落ち、中身が見えそうになるのに気づき、すんでのところで顔を逸らす。ここで鼻の下を伸ばして豊満な果実を堪能しても、フウカと会った時に罪悪感しかないからな。俺はフウカ一筋だ! 

 数瞬の後、彼女が腰を上げる。その動きに同調するように彼女へと視線を戻すと、まるでわが子を見るように優しい眼差しをこちらへと向けていた。


”初めまして。私は《グラステイル》を管理するメルヘン。……お待ちしておりました。《失われた御伽噺》を倒せし者よ”

「……メル……ヘン?」


 なんかえらく可愛らしい名前だな……。


 ”フフッ、よく言われます”

「うおっ!? 心読まれた!?」


 驚いて彼女から数歩後退る。しかし彼女は俺の反応に満足したのか、可愛らしく微笑みながら、


”はい、読ませていただきました。『本当に神なのか? 実はただ単に痛いやつなんじゃ?』って思われるのが嫌でしたので、先にこうして力の一部を見せつけるのも良いかと判断しました”


 と、言ってそのまま出来た数歩を同じ分だけ歩み寄ってきた。


”どうですか? 私がそういう存在だって信じてもらえましたか? ”

「……うん、まぁ一旦は信じるよ」


 そう答えると、彼女は微笑みを崩さないまま"ありがとうございます"と言った。

 次いで彼女は俺から顔を背けると、鼻歌交じりに台所へと向き直った。何をするのかと後ろから覗き込んでみると、先程から傍らに置いてあったボウルに入っていた溶き卵をフライパンへと注ぎ込んでいるのが見えた。

 ……そういえば包丁の音がしていたし、俺が問いただす前もきっと料理をしていたのだろう。


「ごめん、朝飯の支度途中だったのに。邪魔しちゃったな」

”いえ、私が独断で勝手に連れてきてしまったんですもの。あぁいう風に問いただされるのも想定していましたし、これくらい問題ありませんよ”


 油が跳ねる音と共に菜箸を細かく移動させながら、彼女が言う。バターが溶けて、塩胡椒と絡み合う良い匂いが俺の鼻腔をくすぐり、それに反応するかのように腹の虫が鳴った。

 その音が聞こえたのか、メルヘンがクスッと可愛らしく笑う。

 フライパンの上でバラバラになっていた卵を奥側にかき集めて、綺麗な楕円形を作る。ある程度卵が固まったタイミングを見計らってフライ返しを卵とフライパンの間にスッと入れると、そのまま持ち上げて、大皿へと移し替えた。……オムレツの完成だ。

 彼女はその出来に満足げにウンっと頷くと、着けていたエプロンを外して近くのハンガーに掛ける。彼女の身長では少し高い場所にあったので、少しだけ背伸びをしている姿が微笑ましかった。

 ある程度料理の片付けが終わらせた彼女は、俺の方に体を向けると、ポンっと手を叩いて、”さて!”と話を切り出した。


”エイジ様。積もる話もありますし、朝ごはんを食べながらお話しませんか?"


 綺麗に盛り付けられた大皿を顔の前に持ってきて、彼女はニコッと微笑んだ。













 ☆     ☆     ☆












”さぁ、食べましょうか”


 向かいに座ったメルヘンが、”いただきます”と手を合わせてから箸を手に取る。

 いつの間に準備されていたのか、テーブルの上には先ほどのオムレツの他にも、湯気の立った米や味噌汁、焼き魚にきんぴらごぼう、極め付けには納豆と、日本の一般的な朝食が綺麗に並べられていた。その美味しそうな光景に、空きっ腹だった俺は我慢出来ず「いただきます」と挨拶をするのももどかしく、味噌汁のお椀に手を掛け、口を付ける。


「……美味い」


 具材が豆腐とワカメ、ネギのみという至って普通なもののはずなのに、出汁が良いのか、味噌が良いのか……その美味さはウチの母親が作るものと同等────いや、それ以上かもしれない。


"さて。食べながらでよろしいので、今から質疑応答の時間を設けます。何か疑問に思っていることはありませんか? ちなみに、これから先のお話で、【読心】は使いませんのでご安心を"


 夢中で頬張る俺に微笑みかけながら、彼女が言う。顔は柔らかく破顔しているものの、その反面俺を見る目はかなり真剣だった。質問次第では彼女を怒らせてしまう気がしたので、まずは当り障りのない話題から始めるとしよう。


「メルヘンって、普段から和食を食べてるのか?」

”……え?”


 彼女は、問われた真意が理解できなかったのか、きょとんとした顔でパチパチと目を瞬かせていた。


"なぜ、そのような質問を?"

「いや、箸の扱いに慣れているといい、この味噌汁の美味しさといい……普段から作って食べてるのかなって思ってさ」


 メルヘンという名前の時点で、日本の神様でないのは明らか。しかし、彼女が作ったものは日本の一般的な朝食の数々だった。俺はそれに違和感を覚えたのだ。

 俺がそう言うと、彼女は仄かに頬を赤くして、俺から目を逸らす。


”いえ、別にそういうわけではありません。できる限りあなたの食べ慣れているものが良いと思いまして、あなたの記憶を頼りに、今日初めて作らせていただきました"

「えっ、この美味さで初めて作ったの!?」

”は、はい……僭越ながら……”


 そう迫ると、すでに赤かった頬をさらに真っ赤にして俯いてしまうメルヘン。そのしおらしさといい、料理のセンスといい、メルヘンは、きっと将来良いお嫁さんになるだろうなぁ、と心の中で思った。


”エイジさん、あなたって変わってますね”

「いや、なんでだよ!」


 メルヘンからの唐突な罵倒を素で返事をしてしまい、慌てて謝る。しまった、フウカ以外の女性と話す機会なんてなかったから、つい……。

 俺の謝罪に、彼女は”大丈夫ですよ”と笑顔で手を振ると、話を続けた。


”普通の方なら、もっとこの世界のこととか、自分がなぜここにいるのか等を真っ先に聞かれると思っていましたので……。まぁ、お褒めいただき、ありがとうございました”


 コホンっと咳払いをした後に、先ほどより幾分か優しげになった目付きで次の質問を急かしてくる。


”それでは、次の質問をお聞きしましょうか”

「じゃあ、メルヘンが聞かれたがっていたので、それを質問させてもらうね」


 ”別に、そういうわけではなかったのですが……”と、ぶつくさと拗ねたように弁解する彼女に苦笑いしながら言う。


「……ここは《Grass Tale Online》の世界ってことでいいのか?」


 今度は動揺もせずに首を横に振った。


"いえ、その解釈は間違いです”

「じゃあ、ここはどこなんだ?」


 問われた彼女は動かしていた箸を止め、晴れやかな雰囲気を残したまま真剣な声で言った。


”正確には、あなた方の言うゲーム《Grass Tale Online》に似て異なる《グラステイル》という世界です”


 俺は、現実でもなく、ゲームの中でもない、第三の世界に来てしまっている、というわけか。……まったくそんな感じしないけど。


"あなた方が倒してくださったあのモンスタ────―《The Lost Tale》は、元々は私の世界に存在していた"災厄"の二つ名を持つ、人々を脅かす魔獣だったのです"


 余程あのモンスターに恨みがあったのか、凍てつくような視線と苛立たしげに腕を組んだその態度が印象的だった。


"あんなメタボ狼如きが、私の愛しい民を殺戮するなんて、何たる侮辱……! 神という立場でさえなければ、私自身あの犬っころまで赴いて捻り潰してやったのに……"

「おーい、キャラ変わってきてるぞー」


 指摘すると、メルヘンは誤魔化すための咳払いをした後に、何事も無かったかのように話を続けた。


”しかし私の可愛い民たちは、かのメタボ犬っころを倒すべくに立ち上がる決心をしてくださいました”


 相当あの大狼のことが嫌いだったんだな、メルヘン。


”人族最強の英雄ヴェルド亜人賢者アイリス聖女メルナを筆頭に、選りすぐりの精鋭たちが討伐パーティを組んだのです。彼らは数々の犠牲を出しながら、何とかあのブタを瀕死の状態まで追い込みました”


 ついに狼から豚に変身しちゃったよ。っていうか、剥ぎ取りの時、あんなに肉ばかり出てきたのって、あいつがメタボだったせいなのか……。


”あの豚は、最後まで無様な抵抗を続けました。そしてあろう事か、残った力を使って異世界へと転移して逃げ延びてしまったのです。私の民達は、消滅させたと勘違いして勝鬨を上げて喜んでいましたが……正直、私は絶望していました。かの大狼は、異世界で先の戦で傷ついた体をゆっくりと休めて、ある程度治ったらまた《グラステイル》を襲うつもりだったのです"


 ……なるほど。やっと話が見えてきた。


「そいつの転移先の世界が《Grass Tale Online》で、そいつを倒したのが俺達……というか俺達のゲームキャラだったわけか」


 俺が横槍を入れると、彼女がコクンっと頷いた。


"はい、その通りです。理解が早くて助かります"

「どおりで何の予告も無しに突然出現したと思ったよ」


 あの様なユニークモンスターは、運営側が出現日時を提示してからあれやこれやと対策を練ってレイドを、というのが普通だ。それなのに、《The Lost Tale》はその提示無しに俺達の前に突然出現した。戦ってる時は興奮していたし、「運営の遊び心かな?」程度にしか思っていなかったけれど……こういう事情ならば、突如として出現した理由としてちゃんと筋が通っている。


 彼女のまとめると……

 メルヘンは《Grass Tale Online》の神、つまり運営様という訳ではなく、実在している《グラステイル》という世界の神様で、その世界で生きている人達の生活を脅かしていたのが、俺とフウカが倒した《The Lost Tale》だった……ってところか。


「ある程度の事情は分かった」


 ティッシュで口元を拭きながら頷く。テーブルの上には空になったお皿やお椀が綺麗に並べられていた。


「ご馳走様……と言う前に、次の質問いいか?」

"はい、構いませんよ"


 今までの質問は全て情報を集めるためのものだった。

 いきなり現れた美女、ここが何処なのか、何があったのか────。そんなの、割りとどうだっていい。俺が本当に質問したいことは……。


「何故、はこの世界に連れて来られた?」


 聞いた瞬間、彼女の纏う雰囲気と目付きが変わったような気がした。

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