最終話 星降る夜の天引き

「いや、天引きっていうのは税金やらなんやら保険料やらをあらかじめ給料から引かれることを言うんだよ」


 そう真虎さんに指摘され僕は少し不機嫌な気分になった。

「なんだそりゃ、つまらない意味なんだな」

「それが本来の意味なんだもの」

「夢もロマンもない、事務的で面白くも何ともない。せっかく天から引かれるっていう甘美な響きを持っているのに、どうしてそんなつまらない意味を当てはめるんだろう」

 真虎さんはやはりいつもの面白いものを見るような目で僕を見つめていた。

「なら君はどんな意味を当てはめる?」


「僕なら……」



 ふと半年ほど前に真虎さんと話したことを唐突に思い出していた。

 どうして急に何てことない記憶を思い出しているんだろう。


 辺りを見渡しても誰もいない。僕の隣に座る彼女を除いて。

 ガランとした電車の車内は淡々と走行音を響かせていた。窓の外は日が沈み暗闇が地平線の先から迫っていた。


 あ、そうか今日はたしか流星群が降る日だったからだ。テレビのニュースで今朝たまたま報道されていたのを聞いて、ずっと頭に残っていたのだ。たしか今夜7時頃から見頃だと言っていた。ちょうどスペースランドに着いた頃だろうか。


「なあ、七瀬。流星群って言うのは実際に星が流れてくるんじゃなくて宇宙の塵が燃えてるだけらしい。つまんないよな」

 七瀬は変わらず一直線に向かいの窓の外を見ていた。

 もうずっとこんな感じだ。今更僕は何も期待していない。


「本当に星が降ってくれば面白いのにな」

 僕はぽつりと言った。

 すると、先ほどまで身動き一つせずにいた七瀬がぴくりと体と揺らした。

「七瀬……?聞こえてるのか?」

 七瀬は僕の方にゆっくりと顔を向けた。

 その目は今にも泣きそうで悲しい目で僕を見ていた。

「面白いかな……」

 彼女がそう喋った。


 ずっとあの夜から話すことがなかった彼女が喋った。

 僕は驚きと感動が混じり言葉が詰まった。

「……面白いよ」

 弱々しく僕はそう言った。

「そっか……なら良かった……じゃあこれからどこに行く?」

 彼女は安心したように答えた。


「どこってそりゃスペースランドに行くんだよ。そのために電車に乗ったんじゃないか」

 彼女は答えない。再び窓の外を見ていた。

「本当は行きたくないのか?……そりゃ僕が君に聞かずに勝手に言い出して連れてきたけどさ、返事くらいしてくれたらいいじゃないか」

 やはり反応はなかった。

 わかってる。今の会話だってたまたま僕の発したワードに反応して記憶を再生しただけだ。だけど今となってはそんな些細な反応でさえも嬉しかった。

 あれほど虚しく感じていた電車の走行音も心地よく感じた。まるで心臓が動く鼓動のような暖かさがあるように思えた。


「スペースランドに行ったら何しようか。やっぱり入ってすぐの回転ブランコに乗るのか?この時間だと観覧車からの夜景がまた見れるな」

 ぼんやりと僕も七瀬の目線の先を追って窓の外を眺めながら言った。

 外はすでに日が暮れて暗闇が広がっていた。

 七瀬と観覧車に乗ったあの時、僕は七瀬にすごく恥ずかしいことを言ったことを覚えている。

 思えば自分の弱い部分をあそこまで他人に話したことは初めてだったかもしれない。


 今の僕はあの時より少しでも強くなれただろうか。


 窓の外を見ていると妙な違和感に気付いた。

 夜空の星が異常なまでに輝きを放っていた。極大な光が空に点在している。


 これがなぜ違和感があるのかというと、今走っている電車の路線は市街地の真ん中である。

 本来ならば星の光など見えるはずもない。街灯が少ない田舎でもなければこんなにもはっきり見えることはない。


 ならば今見えている夜空の光は星ではないのか?


 僕が留まる空の光に注目しているとその光は突如として動き始めた。


 真っ逆さまに光は地面に落ちていった。流れるように尾を引いて落ちる姿はまさに流星群のようであった。

 と、同時に凄まじい轟音と地響きが起こった。

 僕は揺れに耐えられず座席から体が離れ、床に前から倒れ込んだ。


「なんだ!?」


 僕は体を起こし、向かいの窓を再び覗くと外は光に包まれていた。

 遠くの空から星が一斉にそのすぐ下の街へと落ちていた。数はいくつだろう、数え切れないほどの星が次から次へと落ちていく。その度に街は光の膜に包まれていた。外からは遠くの音であるが凄まじい怒号が聞こえてくる。


「これが……流星群……?ははは……そんなバカな……」

 僕はふと振り返り七瀬の方を見た。

 あれほどの揺れが起こったというのに席から微動たりともしていない。

「なぁ、七瀬。あれが流星群だって言うのか?宇宙の塵があんなでかいなんて聞いてないぞ」

 七瀬は相変わらず表情一つ変えない。


 窓の外は星が絶えず遠くの街に降り注いでいた。あの街は織奥市の方角だ。僕が住む街、織奥。その街がただ無情にも破壊尽くされていた。


 僕は力なくふらふらと元の座席に座った。

 何が起きているのかまったく理解していなかったが、ただ今起きている現象に対して自分は何も干渉できないことだけは理解した。


 外であんなことが起きているのにもかかわらず電車は依然として走り続けていた。

 横に座る七瀬も全く動じることなく座席に座り続けている。

 車内にいると窓の外で起きている出来事の方が嘘のように感じる。本当にあんな惨状が実際に起きているのだろうか。理解する方が難しかった。まるで白昼夢のような、そんな感覚だった。


 茫然と僕は七瀬の横で窓の外を眺めていた。星と思われる光は変わらず遠くの街へと降り注いでいた。

 電車は降り注いでいる街から離れていくものの、見える星の大きさは変わっていないため、おそらく降り注ぐ範囲が広がっているのかもしれない。

 時刻を確認すると夜7時を過ぎていた。流星群の時間だ。やはり今見えている光景は流星群によるものだったのだろうか。

 しかしどうもおかしいことが別に起きている。

 もう電車は止まる気はないのだろうか。さっきから停車駅を素通りしている。快速でもないのに。

 そして時間を考えるともうスペースランドの駅についている時間であるのに、止まる気配がない。


 まさか、

 急いで窓の外を見ると遠くにスペースランドの姿が見えた。

 とっくに通り過ぎていたのだ。

 そしてそのスペースランドも空から降り注ぐ光によって光の膜に包まれていく。


 この電車は一体どこへ向かっているのだろうか。


 だがそんなこと今更僕にはどうでもよかった。

 僕にもう帰る場所はない。向かう場所だって。

 この地球そのものがあの光によって壊されていく気がした。

 世界終焉の日だ。


 不思議と悲しみや恐怖などは感じなかった。あまりにも唐突で淡々と行われる破壊には一切の憂いがなかった。

 むしろ美しくも見えた。


 そうだ、「天引き」っていうのはこういう光景を言うんだ。


 僕が憧れた理想の「天引き」はここにあったのだ。僕を天へと導いてくれる光は今空から降り注いでいるあの光だったのだ。

「天」に「引ひかれて」いく。まさにぴったりの言葉だった。


「なぁ、七瀬。ごめん、スペースランド行けなくなった」

 僕は七瀬に詫びた。僕のせいじゃないけど。

 七瀬は遠くを見ている。


「代わりにさ、宇宙に連れてってくれよ。宇宙人なんだろ君は」

 僕がそう言うと七瀬は僕の方を振り返った。

 僕は思いがけない反応に戸惑う。

 彼女と目が合う。


「うん、どこまででも行こう。連れてってあげる、宇宙の果てまで」


 そう言って彼女は微笑んだ。


 長く探し求めていた彼女の笑顔がそこにはあった。


 電車は速度を変えず走り続けていた。

 車内は星が降り注いでいる衝撃によるものなのか、途切れ途切れに点滅していた照明がいつの間にか消えていた。

 暗く静かな車内は七瀬と二人ぼっちの空間で、永遠の空間にも感じた。


「ずっと、不思議に思っていたことがあったんだ」

 僕は呟いた。

「どうして僕の前に現れたんだ?」

 彼女に問いかける。

「宇宙人たちの実験のため?なら……」

「それはね……」

 僕の言葉を遮るように彼女は言った。




「あなたのことが好きだから。好きだよ、UMAくん」



 僕たちの周りが一瞬、光に包まれた。

 その光は星が落ちたものなのかわからない。

 白い光の中で彼女の笑顔だけが見えた。

 ふわふわと空に浮かぶような感覚が全身を覆った。


 僕の体が今まで感じたことがない衝撃だった。


 やっとはっきり証明できる。

 そうだ、僕は君を


 一粒の流れ星が、海の底のような電車の床に落ちて、瞬く間もなく弾け消えた。


 引き返すこともできない電車は狂ったように線路を走り、あてもなく突き進む。

 きっと、線路が途切れても電車は走り続けるだろう。


 でもいつかこの電車は止まる。

 その停車駅はどこなんだろう。


 静寂な空間だ。外は凄まじい怒号とけたましい輝光で溢れているというのに、この車両の中だけは別世界に隔離されたかのようである。しかし、暖かさはなかった。

 冷たい鉄の箱に閉じこもった2人は寄せ合うこともなくただそこに座っているだけだった。


「好きだよ」

 壊れたラジカセのように同じ言葉だけを繰り返す彼女。

 その光景は実に空虚なものであったが、彼女の言葉は紛れもなく真実の思いであった。


 ただ、言葉を媒介する器が壊れたにすぎず、彼女の感情はそこにあった。器が壊れる前までは。

 テープの同じ部分を擦り切れる程に繰り返し再生した。

 まるでかつてあった感情の存在を反芻するかのように。


 そして僕も彼女に答えるようにこう言った。


「七瀬、君が好きだ」



 永遠は終わりを告げた。

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