第43話 やつらの計画
その後、七瀬を風呂に入らせ、僕も風呂に入ったが血の臭いは互いに消えなかった。
七瀬は風呂に入った後すぐに寝たが、僕はとてもそんな気になれなかった。
もし、七瀬の犯行が誰かに見られていたら……僕たちが逃げる姿が見られていたら……考えるだけで恐ろしかった。
住宅街のあんな広い道ならすぐに誰かにあの死体は見つかるだろう。しかも留置所の隣だ、職員が犯行現場まで見ていてもおかしくない。
警察が明日にでも犯人探しを始めるはずだ。
捕まりたくない。いや、捕まるなら七瀬か?でも七瀬が捕まったら僕も共犯者として疑われる。でも僕はやってない、殺したのは七瀬……の中の何かなんだ。彼女は悪くない。……本当に?いつその何かが僕を殺すかもしれないのに?
僕が本当に恐れているのは捕まることじゃなく、彼女の方かもしれない。
正確に言うと彼女の中に潜む凶悪な何かが怖かった。
今は安らかに寝息をたてているけど、いつ殺された男みたいに僕の腸を引きずり出すかわからない。
真虎さんが話していた事件を思い出す。事件で殺された男も内臓のを引きずり出されて、殺されたんだ。僕もそうなるのか?嫌だ!そんな死に方!
僕はただ平和な日常を望んでいるだけなのに…….
電気が消えた暗い部屋のベッドの上で一人僕は震えていた。
こんなにも一人が怖いことはなかった。孤独であることがこんなにも苦しいとは。
誰でもいいから助けて欲しかった。
警察はダメだ。僕も捕まってしまう。
誰でもってのはなしだ、安全に助けてくれる人限定だ。
携帯の連絡先を見てみると、案の定、親と秋良と真虎さんの連絡先しかなかった。
親と秋良は何県も離れた僕の地元にいるので物理的に無理だ。そうなると強制的に真虎さんしかいない。
真虎さんとはほんの2時間程前に一方的に僕から電話を切ったせいでとてもかけづらかったが、背に腹は変えられない。そもそも僕が悪かったんだ。
秋良さんの忠告通り、七瀬は危険な存在だったんだ。
僕は藁をすがる思いで真虎さんに電話をかけた。7コール目で真虎さんは電話に出た。
「もしもし?」
「あの、真虎さん……ごめん急に……」
「どうしたの?さっきは急に電話が切れたし、心配したんだよ」
真虎さんの声はさっき聞いたばかりなのにとても懐かしく感じ、安心感を与えてくれた。
「違うんだ、さっきのは僕が嫌になって勝手に切っちゃったんだ……ごめん……」
「そんなのどうだっていいさ。それより大丈夫なのかい?急に電話してきたってことは何かあったんじゃあ……」
真虎さんはさっきの件を気にも留めてない様子で、僕のことを第一に心配してくれていた。そのことに僕は一瞬言葉を失い、ひたすら感謝するとともに、申し訳なくなった。
「真虎さんが言っていたことは間違ってなかったよ……あいつは本当に宇宙人だったんだ……」
「まさか……人体実験に協力されそうになっているとか?」
「……わからない。でも僕はあいつが……宇宙人が、ひ、人を殺していたところを見たんだ……」
「……なっ……!君は無事だったのかい!?」
「僕は今は大丈夫だ。でもいつ殺されるか分からない……た、助けて欲しいんだ……」
声が震えながらもどうにか言えた言葉。人に助けを乞うなんていつぶりだろう。
「そうか、なら助太刀に向かおう!」
「いやあのそういうんじゃなくて」
「そ、そうか自ら相手の牙城に突入するのは無謀ではあるな」
「ただ今すぐ会いたいんだ……誰でもいいから……怖くて仕方なくて……」
「……自分で脱出はできるのか?」
「今は寝てるから大丈夫」
「そうか……じゃあ落ち合う場所はいつもの『彷徨い』でいいか?」
「わかった。真虎さんは今家?」
「ああ。あそこには毎日のように入り浸っているけど、今日は用事があってね。家で作業してたんだ」
「わざわざ申し訳ない……」
「いいんだよ。友人の危機なら助けるのが当然さ」
友人か……
僕と真虎さんは友人と言える関係なんだろうか。そうなると秋良も友人という存在なんだろうか。でも秋良はともかく、真虎さんとは歳も5歳くらい離れているし、立場も全然違う。どうなっても対等と言える立場じゃない。僕が一方的に頼っているだけだ。
「僕は友人なんだろうか……」
「俺は少なくとも君を友人だと思っているよ。君はどう思ってる?俺のこと」
「正直、また頼ってしまって迷惑なんじゃないかって……」
「そんなことない。第一迷惑していたら君と関わらないだろ。君と関わる義務などないし。俺は今さっき君から助けを求められて嬉しかったよ、必要とされてるんだとわかってさ」
そうだな、僕と関わって損することはあっても得する事など何一つない。
それでも僕と関わろうとしてくれるのは、必要とされるのが嬉しいからってことなのか。秋良もそうなんだろうか。人ってみんなそういうものなのかも知れない。
「真虎さん……本当にありがとう。今から向かうよ」
「あっ、ゆっくりでいいからね。ウチから『彷徨い』まで20分くらいかかるから」
「まぁ早く着いても僕も待つの嫌いじゃないから平気だよ」
「じゃあまた、『彷徨い』で」
「また」
僕たちは互いに電話を切った。
真虎さんと話したお陰で恐怖はかなり無くなっていた。でも、いずれまた恐怖は蘇る。
この空間から逃れるように僕は家を飛び出し、「彷徨い」へと向かった。
「彷徨い」は相変わらず僅かな人で賑わっていた。店内を見渡して真虎さんの姿がないことを確認すると、僕はいつもの席に座った。
バスの便を逃してタクシーを拾ったため、予定よりも遅くなっていそうで焦ったが、まだ真虎さんは来ていないようだった。
本当に、会いたいから来てくれって言ったら来てくれるなんて人が良すぎるんじゃないか?友人ってそんなものなんだろうか。
秋良だったら来てくれるか怪しい。いや、でも何だかんだ来てくれそうだな。
逆に僕が真虎さんや秋良から会いたいって言われたら行くかだろうか。
……相手が本当に困っているようだったら行くかもしれない。
なら、七瀬なら……
……今は彼女のことを考えるのはよそう。
店内に人が入ってくるのが見えた。真虎さんだ。
真虎さんは店内を一度見渡した後、僕を見つけたらしく、座っている席に歩いてきた。
「無事かい?」
「なんとか……」
真虎さんは僕の向かいの席に座ると神妙な面持ちで聞いてきた。
「宇宙人が人を殺したのを見たっていうのはどういうこと?」
「……僕が知らない間に七瀬が家を出てどこかに行ったから、近所を探していたんだ。そしたら……街頭の下で宇宙人がち、血だらけの姿で死体の側に立っているのを見つけたんだ」
あの光景を脳内で思い浮かべるだけで身震いがした。口にするのも憚る光景だった。
「それは……つまり……彼女がやったってことかい?」
「……違う、やったのは宇宙人なんだ……」
「え?でも君が宇宙人って呼んでいるのは七瀬麻里っていう子じゃないのかい?」
「ち、違うんだ、彼女は人間なんだ。そ、そう!別の宇宙人が彼女にくっついていたんだ」
「くっついていた?小さい宇宙人がかい?例えばノミとか、そのサイズ?」
「いや、その……彼女は宇宙人に乗っ取られただけで、唆されただけで、べ、別に彼女は悪くないんだ……!」
僕はしどろもどろになりながら必死に言葉を探していた。
「……彼女を……庇ってるのかい?」
すぐに真虎さんに見透かされた。
「……別にそういう訳じゃ……」
心とは裏腹に口ではまた言い訳を語り出そうとしている。なぜも心と体はうまく繋がらないんだろう。
「俺はね、もう彼女は人間じゃないと思う」
「え?」
「既に彼女には感情がないんだ。それはもはや宇宙人と言っても過言じゃないだろう」
冷静に真虎さんは言い放った。かなり断定的に。
「そ、そんな……」
感情がなくなる?どうしてそんな事が言えるんだ?人を殺したから?
だが僕には心当たりがあった。彼女はいつも過去の記憶の中で生きていた。いや、生きているというよりも、現在の出来事に対して過去の記憶を再生していたようだった。そう、ただ一度として彼女は『今』の感情で反応することなど無かったのかもしれない。過去にあったとしても、今は……
「……そんなはずないだろう……もしあったとしても、彼女はきっと鬱か何かの病気で感情を出さないだけで、いつか治るんじゃないか?」
「いつかは、ね。でもそれまでに君の命があればいいがね」
真虎さんは深刻な顔で僕を鋭い瞳で刺す。
首筋にナイフを突きつけられるような恐怖。
「それはつまり……事件で殺された男やさっきの死体みたいになるってこと?」
「分かってるから助けを呼んだんだろ?」
……そうだ。僕は信じたくないが七瀬が怖いんだ。怖くて仕方ないから真虎さんに助けを読んだんだ。僕は彼女を信じれなくなったんだ。
「……どっちが本当の彼女なのか分からない…….あいつだって笑うし泣くんだ。でも急に感情を失って、何考えてるのか分からない時があるんだ……まるで本当の宇宙人みたいに……」
気がつくと僕は真虎さんの顔を見れずに俯いてポツリポツリと話していた。
「……同じこと、事件の被害者達が言っていた」
「え?」
思わず顔を上げる。
真虎さんは淡々と話を続けた。
「最近織奥市中心街で起きている猟奇事件は、多くが男女の死体だった。前話したように、殺された男性は元恋人とされる女性が突然現れその後殺されている。これは他の男女も共通している。女性の方は皆身元不明。生前彼女らの不審な行動は近隣住民や男性の友人から証言されている。不法侵入、話しかけても反応が噛み合わない、徘徊癖。しかし、殺された男性達は総じてこう言った。彼女はまともな人間だ、たまに感情が分からない時があるだけだ、と」
「……また事件と僕が共通点があると言いたいのかい?」
「これらの情報を元に俺はある仮説を提唱する」
「仮説?」
急な話の飛躍に僕は戸惑う。
「事件を起こした女性達は皆宇宙人に拐われて感情を失い宇宙人になったのだと!!」
真虎さんは高らかに言い放った。
「拐われ……」
七瀬があの日UFOに拐われたのと一緒だと言うのか?
「宇宙人達は感情がないのではないかとかつて君は言っていたよね」
「ああ」
七瀬がうちに現れた日より前にそんなことを真虎さんに話した気がする。
「だとすれば宇宙人の彼らは人間の感情についての研究資料として彼女達を拐ったと考えられる」
「研究資料か」
「そして、実験対象として弄っているうちにいつしか実験対象の彼女達は感情の機能を失った」
「なるほど」
僕は不本意にもワクワクしていた。しばらく的さんと話していなかった宇宙人考察、トンデモ理論の与太話。この時だけはつまらない現実から忘れられる気がした。
「宇宙人達は感情の研究の中でも一際強い恋愛感情に興味が湧いた。それを調べるべく地球での新たな実験を行ったんだ」
「恋愛感情、ねぇ」
このような与太話に恋愛要素を入れるのは気に入らなかったが、今は気にしないことにした。
「実験内容は彼女達が愛した相手に彼女達を合わせ、相手側からどのような反応があるかを調べる」
「ちょっと待て、彼女達は感情を実験で失ったんじゃないのか。それで相手からまともな反応を得られるのか?」
「おそらく、彼女達には外界からの刺激で自動的に過去の記憶を再生する機能でもつけたんじゃないかな」
「なんだって!?」
僕の頭を見透かされたような気がした。真虎さんはエスパーか?
「亡くなった女性の中には実年齢が40近くなのに、自分を女子高生だと信じてやまない女性がいたそうだ」
それってただの痛い人じゃあ……
「それに、相手側もかつての恋人が昔と同じように接してくれたら嬉しいんじゃないかな。実際殺された男性はみんな直前まで幸せそうだったようだし」
昔と同じようにか……七瀬もそうだったから僕は嬉しかったのだろうか。
「いわば宇宙人による過去の恋愛の再現だね。でも彼らは結局殺された。記憶の再生の残量が無くなり、実験がある程度終わったら用済みってことだったんだろうね。彼女達も対して使えない壊れた実験台だから自殺させた。頭に爆弾でも着けていたのか」
「ひどい話だな」
僕がそう答えると真虎さんはキョトンとした顔で僕を見ると、再び深刻な表情で話した。
「君も終わりが近いんだ」
「終わり?終わりってどういうことなんだ?」
「彼女……七瀬麻里の記憶の残量がなくなれば、実験を継続する必要は無くなり終了する。君は実験相手だし、厄介な存在たから彼女に消される。そう既に彼女にインプットされているんだ。君は実験に参加した以上、殺される運命なんだ」
僕が……殺される?何で?
僕がいつ悪いことをしたんだ。僕は何もしていない。ただ彼女に会ってしまったから?なぜそれが罪なのか?
理不尽だ。
こんな理不尽な事が今の現代社会で通じる訳がない。
ありえない。
「全部いつもの真虎さんの与太話じゃないか。きっと叶わないよそんな話」
僕は鼻で笑いながら呟く。
「比嘉くん……俺は本気で忠告してるんだ。彼女に近づくな。警察に通報して引き取ってもらおう。君はまったく事件に関係ないことにできる」
「無理だよ。真虎さん、そんなバカげたホラ話警察が信じると思ってるのかい?」
「でも、実際に彼女は殺人をしたんだろう?その証拠を示せば……」
「証拠なんてないよ。だってそんな事実最初から無かった。全部僕の冗談だよ、真虎さん騙されたんだよ」
真虎さんの目が見開かれる。
「どうしたんだよ比嘉くん!だって君はあんなに怖がっていたじゃないか!助けを求めていたじゃないか!」
「滑稽だな、ははは……今までもずっと僕は嘘の妄想話していたんだよ。宇宙人は感情がないとか、根拠のないことをつらつらと。僕たちは嘘をずっと話してたじゃないか、机上の空論ばかりの理想を並べて喜んでいたじゃないか」
「でもずっと俺は本気で信じていた!今まで、君からの話も俺は一度たりとも嘘だと馬鹿にしたことはない!!」
「僕は嘘だと思っていた。今までずっと」
僕がそう断言すると、真虎さんは驚いたように目を見開き絶句した。
「嘘は楽しいものであるべきなんだよ。人を不幸にする嘘はつくべきじゃない。今まで真虎さんと話してきた与太話は楽しい嘘だった。でも今日のは違う。僕を怖がらそうとしてつまらない話をしている。もうやめようよ楽しい話をしようよ」
そう僕が言い終えた後、今まで意気消沈したように俯き黙っていた真虎さんが口を開いた。
「今まで君と話してきた話は確かに俺自身の願望でもあったのは認めるよ。でも、君はいい加減現実を認めるべきだ。君にとっての宇宙人は現実逃避するためじゃなくて現実に向き合うための媒介者であって欲しいんだ」
真虎さんが言っていることがよく分からない。現実に向き合う?真虎さんだって、事故物件だの変死死体だの、現実逃避して楽しんでいるじゃないか。僕と同じ穴の狢だと思っていたのに。
「つまりあの人殺し宇宙人が現実だって言うのか、とち狂った実験をしている奴らが?」
「俺はずっと本気だって言ってるじゃないか。むしろ今まで以上に本気だ。君が心配なんだ!」
真虎さんは真っ直ぐに僕を見つめて言った。ここまで必死な真虎さんの姿は初めて見たかもしれない。
「彼女を警察に預かってもらおう。それが彼女のためにもなるし、君だって助かる。殺人の事は話しても話さなくてもとりあえず保護してもらえばいい。彼女は最初から俺たちには手に負えない存在だったんだ。もう十分研究できたじゃないか、これで手を引こう」
諭すように真虎さんは僕に話した。
これで彼女の研究は終わり、って僕自身が今日言ったばかりなのに今は逆に真虎さんが僕に言っている。
「真虎さん。研究の終了ってのは仮説を実験で確かめて結論が出せてやっと終わりなんだよな」
「そうだね、でも結果はもう分かったじゃないか」
「まだ彼女も僕も死んでない。結果は出てないんだ」
「……俺の仮説は証明できてないって言うのかい?」
「宇宙人の奴らもまだ僕を使った実験途中なんだろうし、最後まで見届ける気満々なんだろう。僕も最後まで彼女を見届けるよ」
「……本気なんだね?」
「これで僕も彼女も無事だったらさ、真虎さんの仮説は嘘だったって謝ってくれよ」
「……その時は謝るよ。でも最後までっていつまでだい?」
「僕か彼女が死ぬまで」
真虎さんは何か言いたげだったが、それを飲み込んでいる様子だった。そして再び口を開いた。
「君が夢の世界に行こうとしても俺は一緒には行けないなぁ。でもちゃんと帰って来るんだよ、俺が寂しいから」
そう笑って言う真虎さんの唇は震えていた。
「さぁ、分からないや」
僕はわざとぶっきらぼうに答えた。
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