第36話 光に消えた彼女へ
世界は静寂に包まれていた。
地上から引き離されたこのゴンドラはまるで宇宙空間に放り出された宇宙船のようだった。
二人ぼっちというのはこういう状況を言うのだろうか。いつも部屋にいる時とは違う空気と違う時間が流れていた。
夕焼けはなぜもこうセンチメンタリズムを刺激するのだろうか。
「綺麗だな」
不思議とこんな月並みな言葉が口から出ていた。
「うん綺麗」
彼女の気の無い返事が返ってきた。
ふと思い返すと、今までこんな風に会話が成立した時も結局彼女に僕の言葉は聞こえていなかったんだ。反応したのは僕の言った中の「綺麗」という単語だ。昔この観覧車に友人と一緒に乗った時に相手が「綺麗だね」なんて言ったことにこう返したんだろう。
そして今は僕の言ったワードに反応して反射的にその記憶を再生しただけなんだ。
仕組みが分かると、いかに今までの自分が独りよがりだったのかを実感する。
これからも七瀬とは「会話」をすることはできないんだろうか。この精神疾患は治すことができるのか?
僕は少しだけ期待しているのかもしれない。いつか分かり合える時がくるんじゃないかって。
ありもしない希望にすがって生きる。僕の人生そのままじゃないか。
宇宙人の存在だって……でもそれを必死に証明しようとした人物がいたんじゃないか。
彼女の行動をなかったものにしてはいけないのだ。
僕は何もしないで独りよがりの言葉で閉じこもっていただけだった。
でも彼女は僕と違ってそれを真実に変えようと行動を起こした。
そんな彼女の行動をなかったものにしてはいけない。今度は僕が彼女やってきたことを証明しなければいけないんだ。
「宇宙人はいるって証明はできたのか?」
ダメ元で聞いてみる。
「宇宙人を証明するってみんなに宣言してたよな」
自分にも再確認するように言う。
あの後彼女はどのような方法で証明しようとしたんだろうか。いや、聞いたはずなんだ。
「どうやって証明するんだよ」
挑発するように言う。
彼女は一瞬間があったが丁寧にこう答えた。
「UFOを呼ぶの。うちの街にUFOがよく目撃される公園があったよね、坂の上の。そこに行って、私UFOをみんなの前で見せてあげる!」
……坂の上の公園……そこは……
「明日の夜、みんな坂の上の公園に来なよ!UFOを見せてあげる!夜8時、公園に集合!」
彼女は立ち上がり僕の方を見渡すようにこう宣言した。
……夜8時……公園に集合……!
頭が再びズキズキと痛み始めた。
僕は、その時、いた、その公園に……
結局、その時UFOは現れたのか?宇宙人は現れたのか?
結果は……
いつか、夢に彼女が現れた。
彼女は「宇宙人は本当に存在するんだよ」そう言って光の中へ消えて行った。
その光は彼女を奪い去った。そう、彼女自身をすべて。
光はどこからやってきた?
僕の記憶さえも奪って行った憎き光はどこから来た?
宙だ。
僕たちを嘲笑うように夜空に現れたあの光は、
紛れもなく、
UFOだったのだ。
あれは夢ではなかった。僕はこの目で見たのだ。
あの日、彼女がUFOの光に連れ去られる、その瞬間を。
頭の中に蔓延んでいた禍々しい光が消え去っていくのを感じた。
彼女は宇宙人の存在を証明したのだ。
自らの身体を以て。
では、今目の前の彼女は存在しているのだろうか。
夕暮れ時のせいか、不安定なオレンジの逆光で向かいの席に佇む彼女の輪郭がぼやけて見える。
僕は不安になって思わず彼女に手を伸ばしていた。
しかし、伸ばした手をすぐに僕は引っ込めた。
今触ってしまえば本当に消えてしまうくらいに儚かった。
僕が今度すがるのは彼女の存在なのか。
情けない、実に情けない。
彼女がUFOに拐われた時も彼女を掴むことができなかったじゃないか。
修学旅行の数ヶ月後、高校3年の秋。
文化祭が明日に迫る金曜の夜、僕たちは坂の上の公園に集まっていた。
僕と僕をバカにしていたクラスメイトの男子数人と、そして七瀬麻里。
時間通り夜8時、僕らは集合しUFOを呼ぶ儀式が始まった。
僕と七瀬は事前に調べていたUFO呼ぶ方法を実施し、それをクラスメイトの数名が眺めている異常な光景だった。
僕は電波を送受信するための自作の機械、ラジオとAM送信機(トランスミッター)の調整を任されていて、彼女はUFOを呼び出す呪文を唱えていた。
かれこれ20分くらい試していたと思う。見ていたクラスメイトたちが飽きて携帯をいじり始めていた頃、突然僕のラジオに変化が現れた。
今まで聞いたことのない電波を観測、メッセージは解読不可能。
それと同時に星が瞬く夜空に一際輝く強い光が現れた。
クラスメイトたちも気づき、夜空に現れた強い光を見て驚いている様子だった。
僕も彼女もあれはUFOだと確信した。
そう、この時既に宇宙人の証明は実証できていたようなものだったのだ。
だが彼女は証明を確かなものにすると、儀式を続けた。
夜空に浮かぶ光は瞬く間に大きくなり、僕らの周りが昼のように明るくなるほど大きくなっていた。
彼ら……宇宙人たちはすぐそこまで近づいてきていたのだ。
僕もクラスメイト数名も上空の強い光に恐れ慄いていた。
姿も形も光で分からないが、きっとそれがUFOなのだと確信した。
あまりにも巨大で絶大なそれはもはや人類の手に負える存在ではないと本能が感じた。
だがただ一人、彼女だけは宙を見ていた。
その光に向かって一歩、また一歩と引き寄せられるように歩んでいく。
僕らはその場から動けず、恐る恐る彼女の様子を見ているしかなかった。
そして立ち止まったと思うと、彼女は僕の方を振り返り、こう誇らしげに言った。
「宇宙人は本当に存在するんだよ」
と。
その刹那、目が眩むほどの強い光が辺りを覆った。
全てが真っ白になり、瞼の裏にその光が焼き付き残った。
そして、光が収まり再び僕が目を開くと……彼女の姿はなかった。
それと同時に僕の中で何かが失われたことに気づく。
「なぜ、この場所に僕がいるのか」
この場所に来た記憶がまるっきりなくなっていたのだ。
……今考えてみると、あの時失ったのはそんなちっぽけな記憶だけじゃなかったのだ。
僕が失ったのは『彼女に関する記憶の全て』だったのだ。
あの後、彼女の姿を見ることも、彼女の記憶を思い出すことは一度もなかった。再び彼女が僕の前に現れたあの日までずっと。
それと不思議なことに、あの後誰一人彼女のことに触れなかった。人が一人いなくなったというのに。
まるで最初から存在していなかったかのように。
どう考えてもおかしいじゃないか、なんで気づかなかったんだ。
でも、僕自身も記憶がなくなっていたんだ。つまり僕以外の人間も記憶を失っていたというのか。
……あの光によって……?
頭はもう痛くない。僕の頭を侵略していた奴らはもうどこかに飛んで行ったらしい。
宇宙人が自分たちに関する記憶を消すという話はよく聞く話だ。UFOに連れ去られた地球人が記憶を消され地上に帰ってくるというのはもはや鉄板だろう。
でも一人の人間が存在した記憶をすべて消すというのは聞いたことがない。
彼女は宇宙人に連れ去られたから、不自然にならないよう存在を抹消されたということなのだろうか。
こんな結末、彼女は望んだのだろうか。
そして彼女は今頃になって、捨てられるように壊れた状態で地上に返されたのだ。
こんなのって、こんなのって、あんまりにも、あんまりじゃないか……!
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