第37話 万有引力
気がつくと観覧車のゴンドラは地上に近づいていた。
僕は噛み締めるようにあの日のことを思い返していた。その間彼女も何か話していたが、興味のないことだったと思う。
きっとその言葉も僕に対して言ったものでもないし。
もうこの空間は終わる。宙ぶらりんで不確かな世界は終わる。
なんだか僕は今いるこの時間が愛おしくも感じた。
でも、このままここにいると本当に彼女が消えてしまうのではないかと不安にも襲われていた。
あの時のように。
人の存在も実は曖昧なものではないのだろうか。
彼女がUFOに拐われたあの日から一年ちょっとの間、彼女の存在はないようなものだった。
しかし、その間も確かに彼女は生きていて、(どのような生活をしていたかは不明だが)僕の目の前に今再び存在できている。
でも、もし僕がいなくなったら……
誰が七瀬麻里が生きていたと証明するのだろうか。
……いやまさか、大丈夫だ、きっと他の誰かが思い出してくれるはずだ。
……思い出す前に彼女が死んでしまったら……?
……彼女が存在するのは僕がいるから……?
……僕が彼女の命運を握っている……?
……僕がいなければ彼女は存在しない……?
「降りよう」
ゴンドラは地上に到着していた。スタッフが僕たちが降りるのを待っている。
僕は立ち上がって座っている彼女を促した。
「先に降りていいよ」
そう言って彼女はゴンドラから動こうとせず、俯いたままだった。
「ちょっと待てよ!そんな訳にはいけないだろ!あっ、もう一周していいですか?」
僕はドアから顔だけ出して明らかに困惑している外のスタッフにそう告げる。
ドアが閉められた。
……まさか観覧車の2週目を体験することになるとは……
外はすっかり薄暗くなっていた。園内も所々街頭の光が灯っている。
確かこの遊園地は夜も運営していて、夜は夜でイルミネーションがあったり、ライトアップされた園内を楽しむことができる。
もちろん夜の観覧車も人気スポットで、夜景を見るために乗るカップルも多いらしい。
……こういうのをロマンチックと言うのだろうか。
「UMAくん、今きっと反対側のゴンドラに乗っているよね」
と、突然彼女は言った。誰にも話している様子はなかった。
ここにいるぞ。と言っても意味はないんだろうが。
「これは運命ってやつかな。でもきっと交わることはないんだよね」
彼女の今の言動が高校の時の修学旅行の再現なら、僕があの時一人で観覧車に乗っていた間、まさか彼女は同じ観覧車の反対側のゴンドラに乗っていたというのか?僕が乗っていることを知っていてあえて?
そんなバカな。
彼女はどうやら独り言を話し出したらしい。
今までも独り言のようなものだったが、これは本当に返事を求めないただの吐露だった。
「私はね、誰かを特別にできないの。怖いの。誰かを特別に贔屓すると誰かのことを疎かにしてしまう。そんなのできない。私はみんな好きなのに、誰かだけを選ぶなんてできない。そうだよ、私は恋愛に向いていない人間なんだよ。友達だって、仲良くしてる人はみんな平等にするためにって、深く関わることができないのに、恋人だなんてもっての外。友達だって同じくらい大事なんだから、疎かにできない。誰かを悲しませたくない。
でも、相手が宇宙人ならそれは同じ人間ではないから贔屓じゃないよね。UMAくんは特別になったって問題ないよね」
何、言ってるんだ。
勝手に特別になられたって僕が困る。それじゃあまるで、僕が相手ならどこまでも深く関わっていいみたいじゃないか。
深く、深く、底無しの沼のような無限の欲求。僕はこんな欲求に耐えられる気がしないんだ。この欲求に応えられるのは同じく無限の欲求しかないのだ。
またもや彼女は話し続ける。
「引力に引き寄せられるように私はUMAくんに惹かれてしまった。きっと彼が引力を必要としない自由な存在だったから。彼は頑なに特別な存在を持っている。彼自身の心に。それは誰にも決して壊すことのできない存在。だから、彼は孤独でも電波を発信しないんだ。彼は孤独な宇宙人。この宇宙を漂う自由な存在。でも私はただの地球人。地上を離れて生きられない。ただふわふわと空間に漂っているのでは不安で、何かに掴まりたくて、必死に電波を飛ばしてる。そして見つけたのがあなただった」
彼女は僕の方を見ず、俯いたままだった。
「違う。僕はそんなに強い存在じゃない。本当は孤独が怖くて仕方ないんだ。必死にもがいてもがいて、誰かを見つけようとしている。でも周りには誰もいない。だから必死に宇宙人のフリをして平気な顔を繕っているんだ。僕はただの宇宙人にも地球人にもなりきれない、ただのなり損ないだ」
自分に言い聞かせるように語った。
彼女には聞こえていない。これも僕の吐露だ。
そして、再び僕の口は勝手に喋り出していた。
「……でも、君だけは手を伸ばしてくれた。僕の秘密の暗号を解いて受信してくれた。僕は、その手を怖くて掴めなかった。……掴んだら、掴んだら、どうなるか分からない……その先が見えない……僕には恋愛というものがわからないんだ……」
恋愛をあんなに軽蔑していた僕がまさかこんなことを言うとは思わなかった。
「君ははっきり好きだと言えるみたいだけど、僕は自信がないんだよ。これが君と同じ『好き』だとどうしてわかるんだよ。何をもって自分が恋をしたってわかるんだよ。はっきり数値で示されるのか?証明できるのか?」
自分で言っていて、はっと気づく。
証明……彼女は証明したじゃないか。
あの日、UFOが僕らの前に現れた時、彼女は身を呈して存在を証明したじゃないか。
……あれこそが、何よりの証拠だったんだ。
では、僕は?
彼女のように証明できるのか?自分の心を証明できるのか?
全てを、投げ打ってまで。
彼女が再び口を開いた。
「自分勝手で一方的な押し付けでごめんなさい……でも勝手に思ってるだけならいいよね。見返りはいらないから、ずっと好きなだけなら、ずっと……」
「それは嘘だ!見返りがいらないなんてありえない!」
思わず僕は激しく叫んでいた。
「……そんなはず……ない……僕だって欲しい。君からの反応も、君の全ても……」
「えっ……」
自分が気づかずに言っていたことに恐怖する。
「はは、何言ってるんだ僕……何でそんなこと……」
途端に訪れる激しい自己嫌悪。あまりにも強欲な自分の醜悪さ。底のない欲望が溢れそうなほどにいっぱいになっていた。
これは僕?いや、これが僕。
きっと今に始まったものじゃないんだ。ずっと僕の中にあったもの。
それに僕は目を逸らして過ごしてきたんだ。
わかっていたんだ。自分が真に醜いことを。
やっと向き合うことができたんだ。
「僕は怖いんだ。自分が狂ってしまえば、君を今からここで首を絞めて殺すことだってできる。君は抵抗しないだろうから、きっと反応すらないから、いとも簡単にできる。そして僕は君の亡骸を抱えて一生過ごすんだ。恐ろしくて仕方ない、こんなことを起こすほど狂わせる感情というのは何だ?これはもはや怪物と言っても相違ない!誰がこれを恋と言った!誰が素晴らしいものだと!恋に狂うとは、悪魔の所存ということだったのだ!」
僕は道化の模倣をしてこう叫んだ。演劇風に言って、自分に酔いしれながら、心は冷めていた。
「僕は最悪な人間だよ……」
ぐったりと腰をイスに下ろした。
「幻滅してくれよ……僕はこんな最低なことを考える人間なんだ……だから人を好きになる資格なんてない。やっぱり僕にとって恋愛とは遠く手に届かない存在なんだ」
俯き、前を見れなかった。
だが、彼女は言った。
「……やっぱり私UMAくんが欲しい」
「え?」
顔を上げて彼女の顔を見る。彼女もまた、まっすぐに僕の方を見ていた。
「UMAくんの全部が欲しい!私だけを見ていて欲しい!私の全てをあげてもいい!この街も他の人も全部いらない!私だけに話して欲しい!私のことだけを考えて欲しい!……見返りはいらないなんて、嘘!本当は……欲しいものばっかりだ……!」
一気に喋りきった後、彼女はボロボロに泣き出してしまった。
「自分は他の人から求められても困るのに、自分はUMAくんに求めてる……最初は見てるだけでよかったのに、いつの間にか全てを差し出してでも欲しいんだ……自分の方を見て欲しいんだ……わがままで、身勝手な私のことなんか嫌に決まってる……ごめん……ごめんなさい……」
「謝るな!!」
立ち上がり叫んでいた。
彼女は肩を震わせ俯いている。
「嫌な訳あるか!僕だって君が欲しいんだ!気持ち悪いさ!……でもそれが好きってことなんだろう?なら僕が証明してやる!君に僕の激情を伝えてやる!君に負けないくらい僕の欲が深いってことを証明してやるさ!」
こう高らかに宣言していた。
言い切った後、頭が真っ白になって、ふと我に帰ると、
「今はまだ自信ないないけど……」
こう最後に付け足した。
いざとなったら僕は怖気付いてしまうかもしれない。目の前の深い闇を見て逃げ出してしまうかもしれない。
それでも、向き合わなければいけない。自分自身が何をもって存在するのかを見つけなければ僕は消えてしまうから。
ふと気がつくと、さっきまでさめざめと涙を流していた七瀬が泣き止んで窓の外を見ていた。
窓の外を見るとそこには、灯りに彩られたスペースランドの夜景が広がっていた。たぶんここはちょうど観覧車の頂上だ。
さっき見たはずなのに先ほどとは全く別の世界がそこには広がっていた。
そして、窓の外を見つめる彼女の横顔はこれまでで一番美しく、愛おしかった。
「UMAくんと一緒に見たかったな……」
彼女は寂しげに呟く。
「今、一緒に見てるだろ」
「一緒に遊園地も周れなかったな……」
「今日一日かけて周っただろ」
「ほとんど話せなかった……」
「今話してる」
「結局、私にはまだ全部手放すほどの勇気がないんだ……」
それは僕もそうだ。でも、いつか全てを手放す時が来るだろう。彼女があの日全てを手放したように。そして、その時は案外近い未来かもしれない。
夜空と地上の夜景を見ながら、僕は柄にもなく彼女の手を掴んで握った。
彼女は握り返すことはなかったが、確かな暖かみがその手にはあった。
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