6章 宇宙との境界線

第35話 宇宙に一番近いところ

 ひとしきり涙が流れ出た後、僕はメリーゴーランドの前で茫然と立ち尽くしていた。

 そうだ、このメリーゴーランドに乗っていたのも七瀬麻里だった。

 僕が高校の修学旅行で偶然見かけたのがメリーゴーランドに友人と乗る彼女の姿だった。

 しかし、本当に偶然見かけただけだったのだろうか。

 僕は少し意識して目で追いかけていたんじゃないか?彼女のことをほんのちょっぴり。


 しかし今となってはどうでもいいことだった。

 彼女は壊れてしまっていた。理由は不明だが会話ができないほどの精神疾患に陥っている。

 繰り返すのは過去の記憶のみだ。だから反応するのも過去に経験したものしか反応しない。

 だから今までどうにか会話できていたと思っていたことも、本当に会話できていたか怪しいところだ。


 でもなんで僕は彼女のことを今まですっかり忘れていたんだろう……とても大事なことのはずなのに。

 いくら僕が他人に無関心だったとは言え、彼女は他の人よりは交友関係があったじゃないか。


「なぁ、なんで僕の前に突然現れたんだ。卒業して一年以上会ってもないだろう?」


 僕は彼女の方を見ずに言った。

彼女は答えなかった。それもそうだ、こんな質問された経験なんてないだろう。

 僕はため息をついた後、ふと新たな疑問が浮かんだ。

『彼女は僕と一緒に高校を卒業したんだろうか?』

彼女は同じクラスだった、それは覚えている。しかし、卒業アルバムには彼女の名前はなかった。そして他のクラスメイトの記憶にも。


 彼女のことをすべて思い出したつもりでいたが、まだ記憶が曖昧な部分がある。

『彼女と最後に会ったのはいつだったのか』

 ここに僕の彼女に関する記憶がない理由がありそうな気がした。


 彼女はまたふらふらと勝手に動き始めていた。

 きっとこの動きも過去の行動をなぞっているだけなんだろうか。

 人ってここまで狂うことができるんだろうか。これではまるで予め行動を入力されたロボットじゃないか。


 僕は未だにこの現実を受け入れられないでいた。

 高校の時の七瀬麻里はいたってまともな人間だったんだ。僕と違って、クラスに友達はいたし、先生に怒られるようなこともしない優等生でもあった。

 ……何で……こんなことに……


 彼女が遠くなっていく。今度はどこに行こうって言うんだ。

 僕は再び彼女を追いかけた。


 彼女が向かっていたのは観覧車だった。

 まったく、さっきのメリーゴーランドといい、どれだけ回るのが好きなんだよ……


 この観覧車は園内唯一の観覧車で、その高さはどのアトラクションよりも高く、園内を見下ろす絶景スポットとしては一番であろう。

 下から見上げるとその大きさに圧倒される。


「ここから見える景色は絶景なんだって!時間的にもいい時間じゃない?」

「ああ、そうだね」


 確かに今の時間帯はちょうど夕焼けが映えて綺麗な景色が見れそうだ。西日に目を刺される眩しさに険しい顔になりながらも僕は答えた。


「あの、二人で乗りまーす」


 彼女はそう陽気にスタッフへと告げて僕の手を引っ張った。

 一瞬どきりとしながらも、この行為もまた僕ではない誰かに向けての行為だと思うと空しい気分になる。


 だって、僕は彼女と遊園地デートどころか、数え切れるほどしか話したことしかないんだから。

 でも、別にそれでいいんだ、僕は彼女のことを好きだったとかそういうわけじゃないから。

 ただ話したことのある唯一の女子生徒だったという、それだけだ。

 彼女にとってもそうに違いない。ただのクラスメイト、それ以上でのそれ以下でもない。

 きっと今まで僕に対してやっていたと思っていたトンチキな言動も僕に対してではなく、また別の人物に対してのものに違いない。


 ただ、僕の記憶と一致しているいくつかの出来事は事実僕との間で起こったことだ。

 ボールペンを借りたことや本を貸したこと……よく考えると本当に僅かなことだな……

 ボールペンに関してはクラスで埋めたタイムカプセルに証拠が残っている。はっきりとは覚えていないが、あれは僕が入れた物だ。

 本当は本人に返さなければならないのに、なぜ入れていたのかのは不明だ。


 観覧車の空きのゴンドラが来たらしく、僕たちはスタッフに促された。

 ゴンドラは極めて一般的な観覧車のものと違いなく、大人二人が乗ってちょうど良い広さだ。ちなみに僕は誰かと観覧車に乗った経験がないため、いつも余裕たっぷりの広さだ。最初に乗った高校の修学旅行の時もそうだった。時間帯もちょうど今日みたいに夕方頃で当時を思い出させる。


 七瀬が先に中に乗り込み、僕も緊張しながら後に続いた。

 中は思った以上に狭く感じた。

 七瀬が座った反対側に僕が座るとゴンドラのドアが閉められ、中は完全に密室になってしまった。


「……」


 面と向かって何を話せばいいのかわからない。いや、話が通じないとわかった以上、話す必要もないのだが、やはり狭い室内に人がいると落ち着かず息苦しい。

 七瀬はしばらく窓から景色を黙って眺めていた。僕も彼女に倣って外の方を見ることにした。多少気は楽になった。


 まだゴンドラは低い位置にあるため景色はいいとは言えなかった。だが、絶えず動くゴンドラは着実に高さを増していく。

 すると、彼女がぽつりと言い放った。


「私ね、やっぱり好きなんだ。UMAくんのこと」


 僕は驚愕の発言に思わず彼女を二度見してしまった。


「は?」


 はっきりと言った、僕が好きだと。

 前僕に言った「好き」という言葉よりもずっと自然でさり気なく、嘘偽りない言い方だった。

 あまりにも当然のように言ったので、うっかりしていれば聞き逃していたかもしれない。


「何言ってるんだよ、嘘だろ」


 口が勝手に動いていることに気づき慌てて口を手で塞いだ。

 僕が何を言ったって無駄だ。だってこの言葉だって、昔彼女が他の誰かに話した言葉を繰り返し言っているだけだ。


 だがしかし、僕はどうしてもその言葉の真意を知りたかった。

 もし、彼女が今までしてきた行動が僕に対して好意を持ってやってきた行動であったなら、僕はそれに対してどう答えればいいのか、答えを用意できていない。


 自分を宇宙人と名乗ったのも、宇宙に興味あると僕に近づいたのも、これらの高校の時僕に対してやってきたことが全て「恋愛感情」よるものだとわかった所で、僕はその気持ちを受け止めることはできない。


 僕は「恋愛」というものが理解できないのだよ。僕には存在するかさえわからない。


「君が言う好きってどういうことだ?僕を独占したいってこと?生殖行為を行いたいという、生理的欲求?……いや、これは気持ち悪い言い方だと思うけど、ちゃんとはっきりさせたいんだ」


 自分でも何を話しているのかわからなくなる。こんなこと彼女に話しても返ってくる答えなどないとわかってはいるが、声に出さなければどうかしてしまいそうだった。


「恋愛って気持ち悪いものだよ、相手のことを一方的に支配してさ、挙句人の趣味嗜好を蹂躙してお咎めなしなんて、悪の所業だよ。それをさ、どうしてそんなに清々しい顔でできるんだ?あぁ……本当に嫌いだ!」


 つらつらと反吐を吐くように流れ出た言葉を言い終わると、さそかし楽になるだろうと思ったが、余計に胸の苦しさは増すばかりだった。


「なんでさ!なんで僕がこんな思いしなきゃならないんだ!僕は君に好かれて苦しいんだ!辛いんだ!君が楽しい思いをしてなんで僕が苦しまなくちゃいけないんだ!実に一方的だ!」


 彼女はまだ窓の外を見ていた。

 一方的なのはどっちだろう。

 僕はまくし立てるように一気にしゃべったため、若干息切れを起こしていた。

そのままがっくりと背中の硬いプラスチックの背もたれに倒れ込む。

そして、力なく僕は呟いた。


「……なんで、僕なんだ……」


 ゴンドラ内は静寂だった。

 外の景色は広がりを見せ始め、高さは隣のジェットコースターのてっぺん程まで迫っていた。陽を遮るものがなくなり、西日は容赦なく僕たちを照らし出した。


「……多分……人違いだよ……僕は君の思っているようないい奴じゃない」


 僕は窓の外の景色を眺めながら言った。


「だから、その、人違いだから言うんだけどさ、なんでその……『UMAくん』ってやつのことが好きなんだ?」


 不思議なことに返事は返ってきた。


「え?だって面白い人でしょ?単純に人として興味があって、観察しているうちに、そこから気になっちゃって……それからいつの間にか好きになっちゃって」


 相変わらず外を見ながら彼女は話した。

 彼女からの答えは、本人の前だというのにどこか他人行儀で、恐らくこの言葉も昔友人か何かに答えた言葉なんだろう。


「いったいどこが面白いんだよ……ただの空気が読めないズレたガイジだろ」


 僕はぶっきらぼうに話す。


「みんなそうやってバカにしてるけどね、私は別にバカにするつもりなんて全然ないんだよ!すごく尊敬する部分だってあるんだから!」

「ないだろ……そんな所……」

「優しいんだよ」


 意外な言葉だった。

 僕は彼女にただの一度だって、優しくしたことはないはずだ。食事や住まいを与えたのも死なれては困るからで……ってこいつには高校時代のまともだった時しか記憶がないんだろうな…….だとしても、高校の時だって彼女に特段優しくした覚えはない。僕は人として当然の対応をしたまでだ。


「……優しくない人間なんていないだろ……なんなら僕よりずっと優しい人は山ほどいる。……君みたいな人なら優しくしてくれる人くらい他にいるだろう?」


 優しいの基準などわからない。ただ、僕よりも彼女に好意をもって親切にしてくれる人はいたはずだ。


「あぁ見えてすごく人の事気にしてる。気にし過ぎっていうくらい。人が傷ついてることを知ってる。そして誰よりも『人間が孤独』だって知ってる……えっと……あとそれに!みんなが知らない所で荷物運んでたりとかしてるんだよ!」

「ハハハ……ストーカーみたいに知ってるんだな」


 そう言って自嘲する。

 たしかに、誰も運ぼうとしないまま放置された荷物を一人片付けたことはある。

 だがどうして、そんなことまで知っているんだ?なぜ僕のことを考える?

 人間が孤独?

 君には僕がどう見えてるんだ?

 君にはどうにも不釣り合いだろ?


「ただのそれだけで好きだと言えるんなら大したものだよ、羨ましいよ僕は君が……」


 ため息を漏らし、僕は呟いていた。

 しかし彼女は続ける。

「好きになったら、どうしようもないもの。私、ちゃんとUMAくんに伝えなきゃって思うんだけど、勇気が出なくて……」


 ……もうとっくに伝わってるんだが……


「私、今度告白する!文化祭が終わった次の日!決めたの!」

「ええ!?」


 思わず前のめりで驚きの声を出してしまった。

 僕……彼女から告白された記憶ないぞ……?

 この彼女の発言が修学旅行の時のものなら、文化祭の数ヶ月前だから、筋は通ってることになる。

 となると、彼女の決断は一時の気の迷いとなったのか……


 ……ふん、そりゃそうさ。きっと僕よりももっと素敵な男と出会い好きになったのさ。当然の結果さ、彼女は僕のことが好きじゃなくなった。これが自然の摂理だよ。


「……ちょっと待て

 ずっと疑問だったことがあった。


「君は何で僕の前に現れたんだ?僕に告白しなかったってことは別に気持ちを伝える必要がなくなったんだろ?もう好きでもない男に何の用があるんだよ」


 まあ、質問したところで彼女が答えるはずもない。それはわかっている。自問自答のようなものだ。


「僕の前に現れたのは間違いじゃなかったのか?」


 ……僅かながらに期待している自分の心が憎かった。彼女は僕に告白しなかったんじゃなくて、『できなかった』……

 だから、僕のことが好きだという事実は変わらない、という自己主義な考えだ。

 この期に及んでまだ僕は彼女に好かれたいと願っている。

 そんな醜い期待を心の隅に置いてどうする?

 実は彼女は告白したが僕が覚えていないだけだとでも言うのか?

 確かに僕は先ほどまで彼女と高校での記憶を忘れていたから告白されたことも忘れていたっておかしくはない。


 だが、もし高校の時僕が彼女に告白された経験があるのなら、今僕がこんなに苦しむはずがないんだ。

 こんな苦しみを今まで感じたことがない、忘れるはずがない。この苦しみを過去に乗り越えたというのか?ありえない。もし乗り越えたというなら、過去の自分よ、解決法を教えてくれよ。


「そう、UMAくんってみんなにちょっと弄られてるよね。ちょっとバカにされてるっていうか、浮いてるとも言われるけど……」


 突然彼女が喋り出したと思ったら、怒涛の罵倒で僕は思わず反論したくなった、が……我慢して黙った。

 残念ながらどれも事実だったからだ。


「UMAってあだ名も比嘉悠真のゆうまって名前が未確認生物のUMAと一緒だってなって、勝手につけられたみたい」


 うん、それも事実だ……僕は案外気に入ってるけど……


「うん、だから私みんなにいつか証明してやろうと思ってる!いないってバカにするみんなに宇宙人の存在を認めさせて、ギャフンと言わせてやるんだ!」


 そう自信満々に答える彼女の言葉にあることを思い出した。

 証明って、しきりに前彼女が言っていた言葉だ。

 この前、僕の家のドアの前で一日中暴れていた時も何度も言っていた。

「証明する」と。

 証明するって、まさか宇宙人の存在を証明することだったのか?


 そうだ、過去にもこの言葉を彼女から聞いたじゃないか、高校の時だ。

僕が宇宙人を信じていることをバカにしてきた奴らに向かって言ったんだ。

宇宙人が存在することを証明するんだって、クラスメイトの前で宣言して、その後彼女はどうした?


 ……頭が痛い。

 痛みが思い出すのを邪魔するように立ち塞がる。彼女が「証明」を宣言した後の記憶を思い出そうとしても、現れるのは眩しい光だけだった。まるでこの光が記憶を隠蔽しているみたいに不自然に存在する。


 その先が大事なんだ、だってこれ以降の記憶に彼女は存在しないんだ。「証明」を宣言した時の彼女の記憶が、彼女が存在していた最後の記憶になるのだ。


 そう、あの後彼女は消えたのだ。

 存在も記憶の中でも。


 ……なんで……よりによって大事な記憶を思い出せないんだ……

 彼女との記憶も全部忘れてばっかりじゃないか。彼女は僕のことを覚えているのに、僕にとってはその程度のことだったのか?


「はは……僕らしい」


 薄情で他人に無関心なのが本当の僕だ。唯一関心があるのは宇宙人のこと。

 そんな僕のちっぽけなプライドを守ろうとした彼女のことすら忘れてしまうのが僕だ。

 呆れてものが言えない。

 なんなら僕自身が宇宙人になれば良かったんだ、このまま宇宙に吸い込まれて、感情すら失ってしまえば楽なのにな……


「ここが頂上じゃない?」


 沈黙を破ったのは彼女の声だった。

 彼女は相変わらず遠くを眺めていた。陽は傾き園内は輝きに照らされている。地平線が緩やかにカーブを描き、地球が丸いことを再確認させる。

 ここが観覧車頂上だ。スペースランドで一番高い所。


 宇宙に一番近いところ。

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