第31話 アクアガーデン

 必死に思い出そうとしている僕のことを気にせず、七瀬はベンチから離れ、また別のアトラクションへと向かっていた。

 僕はズボンのポケットにボールペンを差し込むと、無理に引き留めようとせず、やはりまだ思い出せないまま七瀬を追いかけゆっくり歩き出した。


 空は数日前の雷雨が嘘のように晴れ渡った青空だった。

 遊園地は開けた土地を広々と使っているため、空が大きく見える。


 だが、ここまでいい天気な上、今日は土曜日と言うのに遊園地の客はまだらだった。

 駅に降りてから不思議に感じたのはその人の少なさだった。

 いつもの土日ならうんざりするほどの人の多さなのに、今日はアトラクションで何十分も待つ必要はなさそうだ。午前中だからか?と思ったが、これから増えていくようにも感じなかった。


 まるでこの場所だけ時が止まったような、奇妙な感覚。夢の世界のように感覚が鈍っているのだろうか。


 と、周りを見渡していて、ふと我に返った。何をボーッとしているんだ僕は。急いで七瀬の姿を探す。

 すると50m程先のアトラクションの前にいる七瀬の姿を見つけた。

 急いで追いつくと、僕は七瀬の手を掴みその場に引き留めた。


「これ、乗るのか?」

「これ乗り物に乗って水に突っ込むんだって!楽しそうじゃない?」

「ああ……あれか……」


 七瀬が指差すアトラクションの名前は「アクアガーデン」

 2人乗りの小さいコースターで水の張ったプールに突っ込む非常にシンプルなアトラクションだ。某夢の国の「スプラッシュなんとか」にそっくりな乗り物だが、あちらよりは何もかもちゃっちい。

 だが一応このアトラクションにもバックストーリーみたいなものがあり、この遊園地を作った宇宙人が水の惑星「アクアガーデン」に不時着した時の体験を再現しているという。

 ちなみに全然怖くないアトラクションなので僕も小さい子供も平気に乗れる。親御さんも安心だ。


「乗る?全身びしょ濡れになるけど」


 そう、このアトラクション事前に透明な雨合羽を配布されるとは言え、それだけて守れるはずもなく、全身ずぶ濡れになる覚悟が必要だ。そこら辺のサポートの脇の甘さがこの遊園地のB級感を助長しているのかもしれない。

 僕は一応そう言って七瀬に聞いてみたところ、全く問いかけには興味を示さず、さっそくアトラクションの入口に向かっていた。


「おうおう、お構いなしか」

 

仕方なく僕も後に続いた。


 アトラクションの入口からコースターの乗り場までは微妙に距離がある。そこまでは歩いて向かわなければいけない。

 僕はさっき繋いだ手をまた繋ごうかどうするか一人悩んでいた。どうせコースターに乗る時に離すのに、なぜ今繋ぐ必要があるのだろう。

 もしかしたら少し怖いのかもしれない、このアトラクションに乗るのが。怖くないと何度も乗ってわかっているはずなのに、いつも乗る直前になると不安になる。本当に自分で情けなくて気持ち悪い男だと思った。秋良の「お前きめ〜」という言葉が聞こえてきそうだ。

 僕が一人葛藤していると、さっきまで黙々と歩いていた七瀬が突然立ち止まった。


「お、おい。どうした?」

「うわ〜並んでるね〜」

「へ?」


 な、何言っているんだ?目の前には並んでいる人なんていない。ひたすら長い通路が続いているだけだ。このアトラクションに行列なんてない。今日は行列なんて遊園地の入場ゲートくらいしかなかったぞ。

 しかし、七瀬は通路の途中で立ち止まったままだ。


「何分くらいかかるかな」


 まるで行列に並んでいるかの様な口ぶり。せっかく今日は空いていてアトラクション乗り放題だというのに、もっと効率よく周れるだろ!


「何言ってるんだよ!早く行くぞ!」


 僕はいても立っていられなくなり、七瀬の手を強引に引っ張って通路を進んで行った。


「行列なんてないだろ!スタッフを待たせちゃ悪いし、変な冗談を言うな!」


 僕は苛立ってついつい声が荒っぽくなっていた。つかつか早歩きで進みながら不安になって後ろの七瀬を見ると、されるがままに連れられ、呆然とした顔で僕の方を見ていた。


 やっぱり、こいつが考えていることが理解できなかった。わざと僕を困らせるために冗談を言ってる訳でもなく、ただ本当にそう思ったから言ったという感じで、話すのは実に正直な言葉なのだ。


 なら本当に行列があいつには見えて、その通りに従ったというのだろうか。周りには聞こえていない声が聞こえてそれに話していたのだろうか。だとしたら、果たして七瀬はこの現実世界に生きている人間と言えるだろうか。

 僕は不安を紛らわすように七瀬の手を強く握った。それは暖かく、生きている証拠であった。


 コースター乗り場に着いた僕たちはスタッフに促されるまま、ロッカーに荷物を入れ、簡素な雨合羽を受け取った。

 いつもこんなビニールに期待などしていないが、一応毎回体はこれで防御しようとしている。

 コースターに乗り込んだのは僕たち二人しか居らず、僕たちを乗せるとすぐにコースターは動き出した。

 コースターは縦長の2人乗りだが、前後に仕切るような背もたれなどはないので、七瀬は僕のすぐ後ろに密着するように座っている。

 七瀬の体がすぐ後ろにあるの感じ、妙に意識してしまう。緊張して後ろを振り返れないのでどういう顔をしているのか分からないが、時折「どうしよう〜怖くなってきた〜」と声が聞こえてくるので、不安ながら楽しんでいるようだった。僕も3回目くらいだが1人以外で乗るのは初めてで、新鮮な気持ちで楽しんでいる。とは言いつつ、ものすごくドキマギしているのがバレないないようにしないと。


 コースターは流れるプールの上をひたすら上に上っていく。上に行くほど高さが増す周りの岩山を模したセットは年季が入っていてしょぼいのでじっくり見るには向いていない。要は心の持ちようである。僕たちは山々を越え、水の惑星「ウォーターガーデン」の海にへと不時着するのだ。


 上るということは後は下るしかないということだ。つまり上り終えた後は下っておしまいだ。こんな滑り台と理屈が同じ単純なアトラクションだが、1番の醍醐味が上り終わるまでのドキドキ感だ。ここでどれだけ気持ちを不安に持っていくかが肝だ。


 僕が想像の世界に浸っていると、突然僕の肩が後ろから両手で掴まれた。現実に急に戻され、後ろにいた存在を思い出す。


「こ……怖いから掴ませて……」


 震える七瀬の声が耳元で聞こえた。さっきよりも体の距離が近くなったような気がする。

 僕はアトラクションのドキドキというよりは完全に別のドキドキへと変わっていた。

 違う……!僕は単純にアトラクションを楽しみたいだけなのに!


 その時、ドカーンという爆発音とともに僕たちのコースターは一気に加速!後ろから強く抱きつく七瀬!柔らかい感触を背中に一身に受け波立つプールへと突っ込んだ!


「ああああああああああ!!!!!」


 情けない声を上げて僕は大量の水しぶきを浴びた。

 まるでバケツの水を頭にひっくり返されたかのような水の量。雨合羽は下る勢いで脱げ、もはや意味を成していなかった。

 そして後ろには七瀬の柔らかい身体がぴったりとくっついていた。

 七瀬は顔を僕の背中に押しつけて唸るように言った。


「めっ……ちゃ怖かった!!」

「わ、わかったから……その……」


 びっしょり濡れた身体を早く離してくれ!

 すると、何かに気づいたように七瀬は身体を慌てて離した。


「あっ……ごめん!」

「いや……」


 ……やっぱり離さないでとは言えない。


 乗り場に戻って来ると、スタッフは僕たちが降りるのを促した後、濡れたコースターを必死に拭いていた。そして、コースターから降りた僕は七瀬と自分の姿を見比べてそのびしょ濡れ具合に笑ってしまった。


「濡れすぎだろ!」


 二人とも頭から水を被りシャツからポタポタと水滴が落ちていた。

 水も滴るいい男、と言うが、僕はいい男でもないので不衛生極まりない不審者に違いない。ちなみに下までは濡れてないのでセーフ。


「すごい濡れたんだけど!やばいね!」


 七瀬はやけに嬉しそうだ。辛うじで透けてないが黒い服じゃなかったらどうなっていたことやら……


 ロッカーから荷物を取ったあと、僕たちはアトラクションの出口へと向かった。すると、出口のスタッフから写真を買うかどうか聞かれた。

 このアトラクションはコースターが水に突っ込む瞬間の客の写真を撮影して印刷するサービスがある。毎回乗るたびに僕も買うか聞かれていたがいつも断っていた。写真を買うのを断ると、予め撮られた僕の写真は目の前で捨てられるため、若干悲しい気持ちになる。勝手に写真を撮っておいて後からいるか聞くんじゃなくて、乗る前に写真を買うかどうか聞いて撮ればいいと思うのに。


 僕がいつも通り断ろうとすると、


「あっ、いります!」


 と七瀬が突然スタッフに言い出した。


「えっと……フレーム付きの500円のにする?」


 僕に当たり前のように問いかける。


「えっ……?あの……」


 スタッフが不思議そうに僕の方を見つめる。


「……買います……500円の……1枚……」

「ありがとうございまーす!」


 スタッフは嬉しそうにすぐさま写真を準備し始め、あっと言う間に簡易なアルバムを渡された。


「1枚でよろしかったですか?あの、お連れの方の分は……」

「えっ……あの、大丈夫です。ふたっ……二人で一つなんで……」


 何を言ってるんだ僕は。パニックで頭がおかしくなっている。


「一枚だと500円ですね」


 僕はお金を支払うと、七瀬に写真を渡した。


「ありがとうございましたー!」


 スタッフに見送られながら僕たちはアトラクションを後にした。


「見て見て!顔やばいよ私!」


 自分の写った顔がそんなに面白いのか、僕にさっき買った写真を見せてきた。

 写真には僕と七瀬の二人が乗っていたコースターが水しぶきを上げて下る瞬間が映されていた。

 七瀬の顔は目をつぶって口が少し開いているようだったが、そんなに変な顔ではない。それより、すぐ前の目をかっ開いた僕の顔の方がもっと酷い。口は叫ぶように開かれており、さながらモンスターのようだ。

 ……というか、七瀬が僕に思いっきり抱きついてる事実が写されていることの方が問題だ!くそっ!あの写真屋僕たちのこと恋人同士だなんて勘違いしてるんじゃないか!?


「やばいよ!なんだこの写真!」


 僕はあまりの気恥ずかしさに写真から顔を背けていた。


 こんな恐ろしい事実を突きつける、写真というものは実に強力な存在だ。

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