4 章 残された繋がり

第23話 4月バカ

「この時期に風邪なんかひくかよ」


 布団に横になる七瀬の姿を見ながら僕は呆れて言った。


 昨日は1日暴れるほど元気だった人間が今日は朝からゲホゲホ熱を出している。


「昨日僕がいない間に氷水でも被ったか?」


 冗談混じりに言ってみたがそれが冗談にならないのがこいつのやばいところだ。シャワーを水のまま浴びて平気な顔をして出てくるのがこいつだ。まぁ、前はちゃんとお湯で浴びてはいたが。


 あっ!まさか!

 髪か?あの長い髪を乾かさずに寝たのでは?

 そうだ、うちにはドライヤーはあるものの、場所をこいつに言ってない。だとしたら風邪をひいてもおかしくはなかった。


「ドライヤーの場所は洗面台の左横の戸棚だぞ」


 相変わらずヤツはぼうっとしたままだった。


 さあ、果たしてどうしたものやら。

 こいつは大事な研究対象だ、うっかり死んでもらっても困る。

 窓の外は相変わらずどんよりとした雲で覆われていた。雨はまだ降っていない。


 再び七瀬の顔を覗き込み尋ねてみた。


「苦しいか?」


 ヤツは相変わらず何も言わない。

 目は天井を見ていた。焦点は合っていないようだった。

 天井には何もない。中心に一つ照明があるのみで、ただ白い空間が広がる。

 つまらない、この空虚な天井をひたすら見つめ楽しいのだろうか。


 違う。こいつには何も見えてない。

 ここではないどこかに意識が飛んでいったのだ。

 たとえば、ほら、授業中に意識がどんどん窓の外に飛んで行くような。それが近い。

 風邪で熱が出た時ってそんなものだろ?と言っても、熱が出たのなんてもう随分と前だけど。


 たしか最後に熱で寝込んだのが小学校6年の頃だった。その頃のことを思い出す。その日一日学校を休んで、僕は何をしてたっけ。

 ずっと何もせずに寝てたのか?いいや、僕はそんなすぐに寝れるタイプじゃない。だからと言って病人が活動的なのは変な話だから、じっとはしていた。まず何より体が怠くて動けない。そうか、居間で横になってテレビを見ていたような気がする。テレビなら頭も使わずぼぉーっとできる。


 そうだ、こいつも動けなくて暇だろうしテレビでも点けておくか。

 そう思って僕はテレビの電源を点けた。

 だが、一向に画面が変わらない。黒い画面のままだ。

 ?ビデオか何かに出力切替してたのか?

 しかし右上に表示された文字はちゃんと地上波のテレビ出力ままであった。

 チャンネルをいくら変えても変わらない、どれも真っ暗だった。


「何だよ、こんな時に限って故障か?」


 僕は苛立っていた。普段テレビなど見ないが、あいつがいる今は点いてもらわないと困るのだ。


 ……この間がもたない……

 この宇宙人もどきと静かな部屋で二人きり、最初の頃のような静寂。聞こえるのはテレビの微かなノイズ音と一定のリズムで聞こえる洗濯機の音。テレビからは耳を刺すような高く鋭い音が小さくも響いてくる。

 映像も流せないのにキンキンするノイズを出すだけのテレビは不快なので電源を切った。


 まるでこいつが来たばかりの日みたいだ。洗濯機の音だけが救いだった。

 僕はこの空間が嫌で嫌で仕方なかった。

 何か話した方がいいんじゃないかって、見られてるんだって、勝手に不安になってくる。

 第一、こいつに話なんて通用しないのに、なぜかそうやって不安になるのだ。

 早くこの部屋を抜け出したい。一人になりたい。でも外はもっとやだ。

 ただ、このデカい生命体が同じ空間にいると認識できてしまうと急に僕の存在が圧迫されるのだ。

 いつもならこいつは勝手に喋り出して僕のことなんか存在を消してくれるのに、今日は全く喋らない上に僕に保護責任が生まれている。

 僕が自発的にこいつにアクションを起こさなければいけない。


 はぁ、いつもは鬱陶しいこいつの行動も今では懐かしくも感じる。

 兎にも角にも、風邪ごときで死んだら困る。しかし風邪だと断言できるとも言えないが。

 研究対象として、まだ生きててもらわないと困るのだ。


 さて、看病ってどうするんだっけ?

 僕が風邪ひいた時、両親は一日仕事で母が朝に作ってくれたおかゆとリンゴを食べた。昼飯はその残りで足りた。僕はそこまでひどい風邪じゃなかったから、親が帰るまで自分で色々動いてやれたが、こいつはどうだろう。僕よりもずっと病状はひどい気がする。


 定番はお粥だけど、まず米が家にない。というか、あっても作れない。焦がすのがオチだ。

 だが、うちの近くにはスーパーだけではなくドラックストアもある。少しスーパーより遠いが徒歩圏内だ。今は便利な既製品がなんでもある。ここで薬も買えば問題ない。宇宙人には薬が効くのかって話だが、大丈夫、猿にもきっと効く。


 善は急げだな、昼になる前にさっそく行こう。部屋の鍵と財布を持って玄関へ行く。

 ふと、あいつをあのまま部屋に一人残すのはどうか不安になった。

 たぶん大丈夫だろう、僕は自分にそう言い聞かせて部屋を出た。


 買い物袋を片手に持ち、トボトボと道の端を歩く。狭い道なのにも関わらず車がひっきりなしに僕のすぐ横を通り抜けていって怖い。僕があいつよりまず死にそうだ。

 持っている買い物袋のせいでさらに道が狭くなってそれも車に当たりそうだ。

 本当はもって少なく抑えるはずだったんだが……こう、ついついあれもこれも必要なんじゃないかって買い込んでしまうのだ。挙げ句の果てには店員に勧められて断れず、高いかぜ薬と栄養ドリンクを抱き合わせで買わされてしまい、今更自己嫌悪する。かぜ薬なんて一番安いので良かったのになぁ。

 でも薬剤師の人が勧めるんだからいいものに違いない、と無理やり思い込ませる。でも高かったなぁ……


 空は昼前というのに灰色の雲が占拠していて薄暗い。きっとこれは昼には雨が降るな。僕は急ぎ足で部屋に戻る。


 運良く雨には降られずに部屋に着いた。

 恐る恐る部屋に入り、あいつのいる布団を見た。どうやら寝ているようだった。寝息とともに目を閉じた顔が見えた。

 少し安心したが、今買ってきた冷えピタ貼ったら起きてしまうだろうか。まあいい、どうせ飯で起きるだろ。開き直って冷えピタをデコに貼り付けた。相変わらず寝息が聞こえてほっとする。


 時刻は午前11時を回っている。

 僕は買ってきたレトルトパウチされたお粥を取り出し温めて時間を確認した。


「電子レンジ温め2分?こっちが早いな」


 別容器に入れ替えなくてもいいという最新技術に甘え、そのまま袋を電子レンジの中に入れてスタートボタンを押した。


 チン、という決まり文句とも言える音が鳴ったのでどうやら温め終わったらしい。

 さっそくレンジから取り出すと、冷たい。

 あれ?

 時間が短かったか?でもパッケージの表示通りに設定したはずだが……

 仕方なく今度は倍の時間に設定して温める。だが、またも冷たいままだった。


「あぁ!?」


 ついに腹が立って僕は結局熱湯で温めることにした。

 一体何なんだ!?今まで壊れることなんてなかったのに、ついに電子レンジまで!


 片手鍋のお湯がグツグツと音を立てている。

 コンロの火は何も言わない。

 火って怖いな、と唐突に思った。

 対象物を平然と燃やしておいてこいつ自体は何ひとつ喋らない。突然現れて後に何も残さない。

 まるでどこかの宇宙人みたいだ。

 消える時もきっと突然だ。朝起きたらいつの間にかいなくなってもおかしくない。それは今日かもしれないし、明日かもしれない。

 無責任なやつだよな、体調管理もできてないし。僕は一人暮らしで一度も風邪もひいたこともない。それはつまり頼る相手がいなかったからとも言えるけど。


 お湯から出すとお粥はちゃんと温まっていた。やはりテレビや電子レンジ温めは調子が悪かっただけらしい。

 茶碗にお粥を入れ、スプーンをその中に刺した。

 さて、起こさなきゃか。

 あいつは僕が台所でガチャガチャしたにも関わらずすやすやと寝ていた。

 人を起こすのは相手が気の毒に感じて嫌いだ。起こされるのが僕だったら相手が嫌いになるほど嫌な気分になるからだ。

 でもお粥が冷める前に一応確認しなくてはならない。

 僕らは黙って七瀬の肩あたりを布団越しにゆさゆさと軽く揺すった。


「うん……?」

 瞳をうっすら開いてすぐに起きた。


「お粥食べるか?」

「うん……」

 七瀬はむっくりと身体を上半身だけ起こした。


「大丈夫か?」


 無理をしてるのではないかと少し不安になる。


「大丈夫」


 いつもよりも元気がないが少しだけ微笑む七瀬。

 ……むしろ風邪ひいてる時の方が会話成立してるしまともになってるのでは?

 平時では見せないしおらしい顔をする七瀬に変にドギマギしてしまう。


「そうか、無理すんなよ」


 そう言って、僕はお粥が入った茶碗を台所に取りに行った。

 お粥を見るや否や、


「あっ!」


 と小さな歓声を上げやがったので、うっかりお粥に刺さっていたスプーンを落としかける。


「お粥だ!」


 そうだよ。持ってくるって言っただろ……

 僕は七瀬の横に座る。


「自分で食べられるか?」

「うん!」


 食べさせる手間が省けて結構だが、やけに嬉しそうに返事をするので、そんなに僕に食べさせられたくなかったのかと一瞬モヤッとした。

 七瀬はもしゃもしゃといつも通りの食欲みたいで心配はいらなそうだ。

 僕が薬の準備をしに台所に向かって、両手に薬と水の入ったコップを持って帰ってくる頃には、お粥を完食していた。


「これ風邪薬。一回2錠」


 七瀬に水の入ったコップと薬を差し出す。

 するといかにも嫌そうな顔をしていた。


「粉薬……?飲みたくな〜い……」

「ばっか!この薬はカプセルだ!」


 それに一番高い薬なんだぞ!飲んでもらわなきゃ困る!


「本当?」

「見ろ!どう見てもカプセルだ!」

 ついに幻覚まで見え始めたか……


「あっこれカプセルかぁ〜」


 どうやら理解してくれたらしい。七瀬はコップと薬を受け取った。


 七瀬が薬を飲み終わったあと、僕はコップと茶碗を回収し、台所へ向かおうとすると、


「お母さん、ちょっと待って!」


 ……お母さんって……たぶん僕のことだ。

 やっぱり僕のことをお母さんと思ってるらしい。確かにやってることはお母さんだが……

 今までこいつが会話していたのはお母さんであって僕ではないとわかると、なんだか今までうまくいっていた会話が急に空虚なものに感じる。

 はぁ……肩を落とし振り返ると、泣きそうな顔で僕の方を見つめる七瀬の姿があった。


「!?……どうした?」

「……昼からでも学校行けないかな……?ほら、もう結構平気だし」


 そう強がっている姿は全く平気そうにない。


「だめだ。それに学校なんてないだろ」

「今日、友達と約束があって……学校行かなきゃ約束破っちゃうんだ……」

「……約束?」


 というか友達いたんだ……なんだ僕より学校生活充実してるな。……設定上なら。


「だめだ。大体、その友達に風邪移しちゃいかんだろ」

 僕の言葉が通じたのか、七瀬は一気にシュンとして目を伏せた。

「うん、わかった……今日は休む……」

「……ちなみにその約束ってのは何なんだ?」


 しかしその質問には何も返さず、七瀬は再び黙って布団の上に横になっていた。


 洗い物をしながらさっきの七瀬の「約束」について考えていた。

「約束」とは何だろう?そもそも友達なんていたのか……というかその友達についてもっと聞いてみるべきだったのでは?

 新たな謎が増えただけで、昨日から研究は一向に進んでいなかった。


 洗い物が終わると部屋に静寂が訪れた。

 何だろう、さっきの時と何か音が足りないような……

 あっ!洗濯物洗い終わったのか!

 洗濯機の音がないということは洗い終わったってことだ。

 洗濯機から洗い終わった衣類を取り出してカゴに入れる。

 ヤツが寝ている部屋を突っ切ってベランダに出る。あいつは既に寝ていたようだった。

 窓を開けると、少し湿っぽい風が部屋に入ってきた。

 空は今にも降り出しそうな雲が立ち込めている。

 このベランダには屋根があるため、雨の日でも洗濯物が濡れることは少ないが、やはり雨の強い日は濡れるし、乾きが悪くなるのでなるべくなら干したくない。

 だがもう洗ったものは仕方ない。このまま放置したって臭くなるだけだ。

 僕は黙々と洗濯物を干し始めた。


 まるで専業主婦だ。

 この一年、学校に行かず引きこもっていた僕はこんな毎日を淡々と過ごしている。必要最低限の家事をするだけ。さっきお母さんと呼ばれたことを思い出してまさにその通りだと思った。何のために?まるで生かされてるみたいに僕は無意味な生活を続けている。


 でも、今日は他人のためにちょっとだけ生きられたという優越感で気分が満ち足りていた。

 生き物を飼う人はこういう優越感がたまらなくて手放せないんだろか。


 全ての洗濯物を干し終わり、僕は部屋へと戻った。

 窓を閉めると、一気に静寂が押し寄せてくる。あいつは寝ている。寝息が聞こえた。

 僕が話す必要がないとわかると、この静寂も心地いいものに様変わりする。

 時計を見るともう昼過ぎだった。僕もお腹が空いたので昼飯を食べることにした。


 昼飯を済ませ、何もない午後の時間が過ぎる。七瀬は死んだように眠り続け、起きることはない。僕もベッドに仰向けに倒れ、天井をぼーっと見つめる。

 いつもいじってる携帯のwi-fiの電波が悪く、インターネットが使えないので、何もすることが無かった。


 時間というものは何もする事がないとこんなにも長く感じる。僕はいつもこんなにも長い時間を湯水の様に下らないことに浪費していたのだと実感した。

 しかし、下らなくない有意義な時間の過ごし方とは何だろう。僕の一生自体下らないものだろうに。


 外で雨が降り始める音がした。

 とうとう降り出したか。

 雨の音が部屋に流れ空気も変わった気がした。雨が降るだけで陰鬱な空気を醸し出すのは不思議だ。僕は雨の日はなんとなく好きなはずなのに勝手に気持ちが落ち込むようにしてくる。低気圧の仕業か?


 少しセンチメンタルな気分になった僕は雨の音に紛れてひとりでに言葉を発していた。


「お前の友達って誰だ?」


 ヤツは寝ている。寝息が横から聞こえる。


「約束って何だ?」


 返答はない。雨音が強まってきた。


「お前にとって僕は必要か?」


 雨はさらに激しさを増す。


「何で僕の前に現れたんだ?」


 ピカッと一瞬部屋が眩しい光に包まれると刹那、地響きがするような雷が鳴った。

 僕はビクリと身体を震わせ、その眩しさに目を瞑った。

 かなり近くに雷が落ちたみたいだ。

 ゆっくり瞳を開くと、いつも通りの天井が広がっていた。だが、一つだけ違和感があった。……横からの寝息が聞こえない。

 僕はゆっくりヤツの方に首を動かした。


 そこには、僕を見下ろして立つ七瀬の姿があった。


「うわっ!」


 あまりに突然な出来事に僕は思わず飛び起きていた。


「寝てなかったのか……」


 しかし、七瀬はどこか遠いところを見ているようだ。


「あなたを観察するために来ました。これは事実です。私はステアグマ星から人間の生態について調査のため地球に派遣されたエージェントです。」


 急にどうしたんだ……?

 ベラベラと電波なセリフを淡々と話す七瀬。熱で頭がおかしくなったのか?


 七瀬は構わず続ける。


「最初に言ったように私は宇宙人です。そして、あなた達地球人の敵になるでしょう」

「なんだって!?」


 敵だと!?観察するだけが目的じゃないのか!


「この街はステアグマ星の攻撃によって直に侵略されるでしょう……人間もみんな殺されるでしょう……そして、あなたも……」


「ふ……ふざけるな!!何だその物騒な作り話は!もう寝ろって!」


 たとえ作り話だとわかっていてもこいつが話すと妙にリアリティがあって嫌になる。


「もういい加減宇宙人のフリなんかするの止めろよ!!お前はただの一般人なのが一番似合ってる!!」


 雨の音が響く。

 七瀬の目に涙が溜まっていた。今にも泣きそうな顔で僕の後ろの壁を見つめている。


「私、沢山の人殺してきた……でも、あなたは……あなただけは……」


 それっきり七瀬は黙ってしまった。


「こ……殺したって、まさか……最近この街で起きてる不審死って、お前がやったのか!?」


 七瀬は答えない。


「おい……答えろよ……冗談だとしても笑えない冗談だ」


 顔を逸らし俯く。


「ほ……本当なのか……?」


「……ごめん……ストップ」

「え……」

「次のセリフ飛んじゃったー!!」

「……は?」


 七瀬はさっきまでの表情が嘘みたいにケラケラと笑い出していた。


「ごめんごめん!もう一回台本見直すね!見直してから次やろう!」

「はぁ!?だ……台本って!今までの全部セリフかよ!?じゃあ人殺したとか全部嘘!?」


 開いた口が塞がらない。今までのは全部演技で作り物のセリフだったのだ。それにまんまと僕は騙されて……

 ヤツは台本とやらを僕の山積みの本から探している。

 いつの間に僕との演劇が始まったんだ、聞いてないぞ。


「もう黙って寝ろよ、熱あるんだから」


 諦めて僕が言うとヤツは素直に従って再び布団に横になった。


 あーあ、風邪引いたやつに四月バカくらった。

 ...というか今日はエイプリールフールでもなんでもないんだが。


 でもステアグマ星ってどこかで聞いたことあるんだよなぁ。何だっけ?

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