第22話 醒めない
またあいつがドアの前にいた。そして、今にも外に飛び出そうとしていたので僕は急いで走り出す。
砂利道が足を滑らそうと音を立てて僕の邪魔をする。ヤツには届きそうで届かない距離で気持ちだけが先走る。
待て、ここは僕の部屋ではないのか?
だが今はヤツを止めなければ。
七瀬の両肩まで手を伸ばし、必死に引っ張る。だがヤツの力は強く動こうとしない。前へ、ドアノブへと手を伸ばそうとする。
その手を剥ぎ取ろうとしても、掴んで離さない。
「行くな!待てって!どこに行くんだよ!」
声をかけても無駄だとわかっていてもなぜか声が出てしまう。
「私が証明しなきゃ」
「何を証明するんだよ!」
「宇宙人」
「え?」
「離して!」
ヤツは腕を振り回して手を振り解こうとする。腕は僕の頭や腕に当たる。
あぁ、これは昨日の記憶なのか。昨日一日中こいつを止めようとしたときの。
でも、だとしたらあの時ヤツの声をこんなにはっきり聞けていたか?
あいつが必死に証明したかったのは宇宙人の存在だって?なぜ?どうして?
僕の腕から力が抜けていた。
そうかこれは夢だ。ならばこいつを止める必要はない。
ヤツもまた振り回していた腕を下ろした。
そして振り返り僕の顔を見ていた。
なぜだかその顔は、誇らしげに見えてどこか泣きそうで、痛々しかった。
「宇宙人は本当に存在するんだよ」
そう言ってドアの方へ振り返り、ドアノブへ手を伸ばす。いや違う、その手は眩しい光の中に吸い込まれていく。その瞬間、僕はヤツを引き止めなければいけないという強い切迫感に襲われた。今止めなければ、本当にどこか遠い場所に行ってしまいそうで、夢から覚めてもその事実は変わらないような気がして。
しかし、もう遅かった。
激しい光の中、やっと何か見えるようになった時、視界にあったのは部屋の天井であった。
紛れもなく僕の部屋の天井であって、いつも目覚めた時の視界であった。
やっぱり夢であったか、と安心したとともに、すぐにヤツの姿を探した。
七瀬はベットの横にいつも通りの姿で寝ていた。なんだ、消えてないじゃないか。
あの夢で感じた不安はなんだったのだろうか。呆れて笑う。
昨日の夜、いや正確に言うと今日だが、帰宅すると部屋の電気は消えていて、七瀬のヤツは布団に入りすでに寝ていた。ヤツのルーティンを考えれば確かに寝ている時間なのだが、なんとなく期待していた自分がいた。「おかえり」の一言が懐かしい。
僕もその後シャワーだけ浴びてすぐ寝たのだが、寝たら寝たでさっきの悪夢だ。すっかり昨日の真虎さんの話に引っ張られている。
だが忘れられる訳がない。まさか不審死が相次いでるだなんて。真虎さんも、他の人も、そしてこの七瀬という宇宙人もずっと知っていたんだ。当の本人は毎日すやすやだが、果たして不安にならないのだろうか。
……まさか怖いからここに?
……面識もない男の家の方がよっぽど怖いと思うが……
いかにも気持ち良さそうに寝ているこいつの寝顔を見ていると、なんだか不安になっているのがバカらしくなってくる。
こいつは何か知っているんだろうか。この街で起きていることについて。
起こして問いただそうとしたが勝手に起きた後でもいいかとやめた。
時計を見ると朝9時。珍しく早起きしてしまった。そうえばこいつより早く起きたのって初めてじゃないか?というか、いつもなら学校学校ってせわしく部屋をウロウロしている時間じゃないか。どうしたんだ?今日は平日だぞ?
ヤツは起きそうもない。寝息がはっきり聞こえる。
……起こした方がいいんだろうか……
しかし昨日のことを思い出す。暴れて言うことを聞かず、一日中ヤツを抑えるだけであの疲れ。いっそのことずっと寝ていてもらった方がこちらとて楽なのだ。
そうだ、無干渉。こいつの行動に最初から意味など存在しない。それをただ観察していればいい。真虎さんはヤツの行動原理、すなわちヤツの考えていることを理解するのが研究の終着点と言っていたが、今は到底理解できそうにもないな。黙ってこいつの寝顔でも見ていよう。
じっとこいつの顔をはっきり見ることって今考えるとなかったな。夜暗い中見たことはあるが、明るい所でしっかり見ると顔の美しさが際立つ。今日はあいにくの曇りだが、青空の下こいつと日当たりのいいベンチに座ってみろ。きっととんでもない格差カップルだと周りから思われるだろう。
そう、今日は残念ながら曇り。カーテンを開けても朝日は差してこないまま、どんよりとした空が続く。と言いつつも僕は案外嫌いじゃない。青空は外に出なきゃいけないと言われているようで鬱陶しく思う。その反面曇りは沈黙を表すようにクールで、なぜか安心感すら感じるのだった。荒廃した土地が似合うようなこの曇り空が。
「ただネックなのが雨が降りそうで洗濯物を回すか悩むんだよなー」
洗濯物ってなんであんなすぐ増えるんだろう。本当にいつの間にか気づかないうちに増えているのだ。しかも今は2人分。あいつは毎日違う服を着させているので増えていく一方だ。七瀬には必要最低限の人間の生活能力は身についているが家事まではノータッチだ。どうにかやれるよう誘導できないものか……
うまくやらせる方法を考えながら洗濯機のスタートボタンを押すと、ゴウンゴウンと音を鳴らし、洗濯物は回り始めた。さすがにこの音には起きるんじゃないかとちらりと七瀬の方を見ると、さっきとは打って変わって険しい表情になっていた。
起きそうなのかもしれない、そう思って近くと、ヤツの体はもぞもぞと布団の中で蠢いていた。もう起きたか?
目を開けたときびっくりさせようと顔をヤツの目の前に近づけたその時だった。
「ゲホッケホッ!!」
ヤツの咳が僕の顔面に直撃し、顔中にヤツの唾が見事に当たった。
「うわあっ!!」
僕は思わずのけ反り、後ろのベッドに仰向けで倒れ込んだ。
「うえっ、ゲホゲホッ!!」
ヤツはまだ咳が止まらないみたいで
まだ苦しそうに咳き込んでいる。
僕は顔の唾を腕で拭いながら身体を起こしてヤツの様子を見た。体を丸くし、手を口に当てて咳き込む姿に少しだけ気の毒に思った。
咳が止むとぼうっとした様子で涙目になった瞳を虚ろに天井に向けていた。
僕は黙ってそのおでこに手を当てた。
熱い。
「宇宙人って風邪ひくんだな」
「やばい学校遅刻だよね……どうしよう」
「そんなもの無いだろバカ」
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