第17話 17時のニュース

 朝だ。刺さるような日差しが僕の瞼を容赦なく照らしてくる。


 朝は憂鬱だった。人々が動き出す忙しない時間だからだ。

 僕を急かすバイクのエンジン音が窓の外から聞こえてくると、お前は動かないのかと言われているようで癪に触った。

 毎日規則正しく音が流れてるので、恐らくバイクの運転手は仕事に行っているのだろう。


 今日もまた早起きしてしまった。本来ならまだ寝ている時間ではあったが、昨日、一昨日からはこの朝早い時間に起きてしまっている。


 その原因である奴はまた規則正しく「登校」の準備をしていた。どうやら奴の学校生活は染み付いているようだった。


「お母さんまた制服クリーニング出しちゃった?」


 いくら探しても見つかるはずもない制服をガサガサと僕の服を漁りながら捜索している。

 やはりどこかの西高の生徒?なのだろうか。


 テレビを点けると朝のニュースが流れていた。やっていたのはエンタメコーナーのようだった。何やら新人ミュージシャンらしい4人組の男が新曲のCDの宣伝をしている。よりにもよって特に僕が興味ない話題だ。

 こんなのを流す間に報道するべきニュースがあるはずだろうに、報道されないニュースはこの曲以下なのだ。世も末である。


 発売するらしいCDの曲がテレビから流れていた。そこで気づく、この曲は昨日聞いた曲だった。昨日の歌番組に出ていたバンドだ。そして、宣伝していたCDは新曲ではなく、アルバムだったのだ。

「そして僕たちの代表曲の『花鳥』ですが……」

 ボーカルと思わしき人物がそう言うと、流れていた曲が変わり、聞いたことがあるような曲になった。

 あぁ、この曲は知っている。何年か前に若者の間でアホみたいに流行って、否が応にも耳にしたからだ。普段音楽に興味ない僕でもわかる有名曲であった。


 するとさっきまで黙々とクローゼットの中を探していた七瀬がいつのまにか僕の後ろに立ち、呆然とテレビに映る映像を見ていた。

「どうした……?」

 昨日は一切反応しなかったというのに、今朝に限って反応を示した。

 もしかしてこの曲が有名曲だったからだろうか。

 すると、

「私この曲好きなんだよねー」

 とテレビを見つめたまま嬉しそうに話し始めた。

 ……そうか……好き、か……。

 昨日の「好き」とは違ってその言葉には偽りがないようだった。これがこいつの「好きなもの」なのか。

 そういえば初めてこいつの趣味嗜好を直接聞いた気がする。


「歌詞がすごくよくて、聞くたびに泣いちゃうんだよ〜」

「ふーん、歌詞ねぇ」

 僕は一度たりともこの曲に感動したことはなかったが。たしかこの曲も僕が毛嫌いする恋愛ソングだったっけか。詳しくどんな歌詞だったか覚えていないので、流れている音の中からどうにか歌詞を聞き取ろうとしたが、突然映像は終わり、また別のニュースに切り替わっていた。


「あぁ……」

 僕がなぜか悔しい気分に浸っていると、七瀬はいつのまにかまたクローゼットの所に戻っていた。飽きっぽい奴だなぁ。

 と、あきれているとじわじわ先ほどの曲の歌詞が気になりだした。携帯で歌詞を調べると、歌詞ページを発見した。


 作詞作曲共々、さっきのボーカルが担当していたようだ。だからなんだって話だが、あの見た目の割には器用だと感心したのだった。

 ただ、思い出すと、その姿は自分を見ているようで気持ち悪くなる。前髪が長く、不潔そうなボサボサの髪。その髪に隠された顔は見るに耐えない覇気のない貧相な顔つきだった。そんなやつが作った曲があんな世間にウケるとは世の中何が起こるかわからない。さぞかしその歌詞がすばらしいんだろう。


 曲名はたしか……課長?……いや花鳥か。

 花鳥風月という曲は他にたくさんあったが、花鳥という曲はこの1曲だけらしい、すぐにそれらしき曲の歌詞が見つかった。なぜ風月を抜いたのか甚だ疑問だが、他の曲と差別化を図るために、というのが一番妥当だろうか。


 一通り読んだ。

 しかし数分後には忘れていた。それ程の内容だった。結局のところ、飽きるほど耳にしたありふれた歌詞の一つでしかなかった。

 たしか遠距離恋愛の話だった様な気がする。離れていても君をずっと想っている。とまぁ、ありえない話だが。どうせ他所で女つくってやってんだよこいつも。その想ってる女も新しく男つくって楽しくやってんだよ。それでこの話はおしまい。


 きっとこのバンドマンもそんな風に生きてきたのだ。僕には全く関係のない世界の話だがね。


 さて、だが七瀬はこの話に共感したらしい。この歌詞は遠距離恋愛を歌っていたが過去にそんな経験でもしたのだろうか。今は僕と同じ屋根に住んでいるのだから今の話ではないだろう。


「君に届かない声で叫んでいる、ずっと愛していると……」

 耳元で何かが囁いた。


「ひっ!?」

 僕は思わずびくりと体を跳ねあげてしまった。


 振り返ると七瀬がいつのまにか僕の後ろから携帯を覗き込んでいた。

 ヤツはもう歌詞があるページを開いていないのにも関わらず、携帯の画面をじっと何かを読む様に見ていた。

 囁いた言葉はさっきの歌詞だった。なんとなく覚えている。


 なぜかヤツは泣きそうな目をしていた。歌詞に感動でもしたのだろうか。

 ほんの5センチ程しか離れていなかったその顔は僕の顔に熱を与えた。

 そして、ヤツの目は僕の淀んだ瞳とはかけ離れ、とても澄んでいたのだった。


「シンガポールで昨日未明、日本人男性の遺体が発見された事件で……」

 耳に入ってきたニュースの音声で僕はふと我に返った。

 先ほどまであった微睡むような時間に終わりが告げられ、急に冷ややかな現実世界に引き戻された気分だった。

 何で海外の事件をわざわざ……

 と思ったら日本人男性が殺されたらしい。

 なるほど、でも僕には関係ない。


 昔はニュースを見て一喜一憂していたものだが、最近ニュースを見ても大して興味を持てなくなってしまった。

 全部ちっぽけな僕には関係なくて、どうしようもない出来事だと気づいたからだ。どんな悲惨な事が起きようと、悲しいという感情すら湧かなくなっていた。あるのはひたすらの無関心。対岸の火事というべきか、ただの事象を眺めている気分だった。

 真虎さんのように事件のトリックやら動機なんかを嬉々として調べ上げる気力すらなくなっていた。第一、あの人が異常だが。


 僕と世間の間には膜があって、僕はその膜の向こう側を茫然と見ている。そこには感情がなくて、僕が人間じゃなくなっているような気すらしてくる。離れていっているのかもしれない、人間ではないものに。


「殺人事件だってー怖いね」

 とヤツがポツリと言った。不安そうな顔をしてテレビを見ていた。

 むしろ宇宙人であるこいつの方が感情があるかもしれない。


「最近は近所でも行方不明の事件が多発してるらしいし、物騒だよね」

「えっ!?そうなの!?」

 びっくりしてヤツの方を振り返る。

 初耳なんだがそれは……

 しかしよく考えればそれも仕方ない、何ゆえ僕は外の人間とほとんど関わっていないのだから。

「今近所の事件やってたけど次殺されるのは身近な人や自分かもしれないんだよ?早く犯人見つかって欲しいよね」

 どうやらニュースがいつのまにか近所のニュースに変わっていたらしい。急いでテレビの方を見ると既にまた次のニュースに変わっていた。

 僕が世間と関わっていないうちに、周りで恐ろしいことが起きていたのか……

 もしかしたら隣の部屋の住人が殺されても僕は気づかないかもしれない。というか、今現在生きているのだろうか。それすらわからない。なんせ隣の住人の顔だって知らないのだから。


「本当にそんなこと起きてるのか?」

「本当だって、さっきニュースで流れてたじゃん」

「外から聞こえてたサイレンは交通事故のじゃなかったのか……」

「最近うるさかったもんね」

「あぁ……」

 珍しく、恐ろしい程に会話が噛み合っていることに気づかないまま、僕は会話を続けていた。とにかく言いも知れない恐怖と不安が感情を覆っていた。

 そしてふと冷静になり、その異変に気付いた。


「……本当か?」

 一度目とは違った意味での疑問符だった。自分に問いかけるように、そしてヤツに諭すように僕は声に出していた。

 ヤツは何も答えない。

「また支離滅裂な話なんだろう?あのなぁ……こういう人を不安にさせる嘘は……」


「本当だよ。犯人は宇宙人だよ」


「え……?」

 ヤツの声は震えていた。

 目は真っ直ぐに僕の目を見ていた。


「大丈夫、私が証明してみせるから」


 また訳の分からないことを言っているようにも見えた。しかしその言葉には今までにない力強い信念を感じたのだった。

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