3章 目の前の君
第16話 今夜ウチに泊まってく?
まさか本当にこいつが宇宙人だというのか?
確かに出会った時は少しそんな気がした。それからこいつをずっと観察してきたが、結局のところ何一つ掴めなかった。
というのも、奴からほとんど情報を聞き出せていないのだ。そう、名前すらも聞いていない。
すぐに出て行くだろうとか、正体がわかるとか、楽観的に考えていたのが間違いであった。
人というのは、自ら聞いてみなければ自分の情報を話さないのだ。
まあ、こいつの場合人という枠組みで捉えていいかは怪しいが。
普段他人と話さない癖が仇になった気がする。最近話した人など、既に気心知れた人ばかりだったからだ。
そうだ、こいつの正体を突き止めよう。初めて会った時から決めていたはずだ。名前だ、まず名前を聞いてみようじゃないか。ちゃんと返事をするかはわからないが、試すだけやるさ、奴が相手なら僕に精神的ダメージはない。
「お……おい、お前なんて名前なんだ?」
奴は丁度僕のジーパンを部屋の隅のタンスから引き出していたところだった。その手が一瞬止まる。
奴は僕の方を振り返り、当然のように言った。
「七瀬麻里です」
なぜ敬語なのか甚だ疑問だが、名前はわかった。奴が嘘をついていなければ、奴の名前は七瀬麻里だ。ちゃんと女性の名前っぽい名前だったので、真っ当な返事をしたのだと確信が持てる。これがもし、「マゼラン・スーツ橋村」みたいに売れない芸人のような名前であったら、新たな謎が生まれていたはずだ。
七瀬……麻里か。
当たり前だが記憶にない名前だった。しかし、これだけでも大きな手がかりになるだろう。この顔の七瀬麻里という人間はこの世に存在するのか、証明できなければ偽名となる。すぐさまネットで検索してみる。想像通り関係ない項目ばかり引っかかっているが、それども何か手がかりはないかと一通り目を通してみた。だがこいつ自身に直接関係するものはないようだった。最近だとSNSなんかに本名をそのまま登録して個人の情報を漏らしていることもあるが、七瀬麻里のアカウントは存在しなかった。こいつ情報リテラシーが高いのか?
ともかくさすがに名前とネットだけで情報を得るには無理がある。ほかにもこいつが通っているつもりの高校名や家の住所なんかがわかればいいのだが。
そうだ、名前で呼べば返事が返って来る確率が上がるのではないか?今までは名前を知らなかったから、こいつとかお前としか呼べなかったが、名前を呼ばれたらさすがに自分に聞いているとわかるだろう。
「なぁ、七瀬はどこの高校に通っているんだ?」
七瀬の奴は再び僕のタンスから服を取り出し始めていた。
そしてまた手を止めて言った。
「西高」
に……西高って……
「どこのだよ!」
思わずそんなツッコミが出てしまった。西高なんぞ、全国各地山ほどあるし、ドラマや漫画なんかにも出てくるし、そんなんだったら、僕の母校だって略したら西高だ。正式な名前を言って欲しいんだよ!できれば公立とか私立とか!
だが、虚しくもその返事は返ってこなかった。奴は制服の捜索活動を再開している。
「あのさ、何県の何立の西高かわかる?それが聞きたいんだけどさ……」
再度質問しだがやはりだめだった。どうやらこいつは西高としか認識していないらしい。
はぁ、こいつの発言は当てにならないとしても、もう少し学校の名前を知りたかった。
ならば次は何を聞くか?
「いつ帰る?」
奴は一瞬振り返り、またタンスの方に向くと
「5時くらいかな」
僕はすかさずベッドの枕元にある目覚まし時計を見た。
20時34分。
時刻はとうに17時を過ぎている。となると、明日の朝の5時か……
「暗くなる前に帰ってこいって言われたからそんぐらいかな」
過ぎていた。
「はぁ……」
ため息が出ていた。
バカらしい、やっぱりダメだコイツは。
これ以上質問する意味はない、質問しようと考えた僕が愚かだった。
この調子だとさっきの名前もこいつの本名でもなかったかな。
まあ、たとえ違ったとしても仮の呼び名として使えるか。他に呼び名は無いんだし。
僕はやけになってテレビを点け見始めた。
普段はテレビなど見ない。どうせくだらない番組しかない。
しかし、部屋に二人の物音しか流れないのはなんとなくきまずかった。それに、テレビを点けていると奴が……七瀬が、時折反応する事がある。そのため、今朝は七瀬が出かけるまでは点けていた。だが、帰宅してからの夕飯時にはテレビを点けていなかった。
丁度音楽番組がやっていて、バンドらしき男4人組が演奏している。
部屋にはそのミュージシャンの曲が騒がしげに響いていた。
またこの曲も恋愛を歌っているのだろうと、歌詞ですぐわかった。
なぜ巷で流れる歌というのは恋愛ばかり歌うのだろう。いい加減辟易する。
愛してるだの、好きだの、会いたいだの、こいつらは言うが、勝手にしろと思う。
他にネタがないのだろうか?恋愛だけで人生が成立するのなら僕もぜひ味わってみたいものだが。
特にテレビ番組は恋愛が好きだ。吐き気がする程に。よく喋る芸能人は、自分は誰に口説かれただの、こんな奴と付き合っただの、くだらない話題しか出さない。
挙げ句の果てには、一般人に恋愛をさせ観察するという悪趣味な番組すらある。
テレビが求めるのは輝かしく、美しい「愛」なのだろう。
頭が痛くなってくる。
部屋にはテレビから流れる4人組バンドの曲だけが響いていた。
好きだ好きだ……
繰り返すフレーズ。
そして、この女、七瀬は僕のことが好きなのだ。僕に好かれるために媚びを売る典型的な恋愛脳女だった。そんなやつにお似合いな曲だと思った。だがあいつは、テレビがあるこっちの方には背を向けたまま、夢中でタンスを漁っている。
こいつは僕が好きだからここにいるのだろうか。わざわざ宇宙人を利用してまでこの部屋にこだわる理由は何だろう。再び宇宙人だの賜っていた姿を思い出し、薄ら寒さを感じる。
辺りを見渡すと、床に奴が着けていたカチューシャが落ちていた。針金の先で黄色い球体がふわふわ揺れている。
恋愛を大義分にすれば何でもしていいのか?愛さえあれば他はいらないのか?
そんなもの、盲目に過ぎない。
人が大事にしているものまで穢すのは許せない。恋愛という陳腐なもので。
『君も僕のことが好きだとそう思い込んで』
と、テレビから流れたフレーズに思わずギクリとする。
…….七瀬が僕のことが好きだといつ言った?
一言も好きだなんて言っていない。
ただ僕が勝手に惚れられていると勘違いしているとしたら……
死ぬほど恥ずかしいじゃないか!!
ならばあの怒りはなんだったのか!勝手に思い込んで相手を責め立てた!?恋愛脳は僕の方じゃないか!
僕の中でそうであって欲しい気持ちとそうであって欲しくない気持ちが拮抗していた。
しかし、この際はっきりさせておいた方がいい。そしてわずかながら勘違いでないことを願っていた。やはり自分のプライドが一番大事だった。
「なぁ、七瀬。君は僕のことが好きかい?」
なるべく自分を落ち着かせようと、無理に抑えた声でゆっくりと問いかける。
再び奴の手先は止まっていた。一度の静寂。テレビから流れるバンドの音だけが部屋に響いている。
七瀬麻里は振り返った。
その目は僕の方を向いていたが、正確には僕の向こう側を見ているように見えた。
「うん、もちろん!好きだよ」
微笑んでそう言った。
好きだと、僕のことを好きだと言った。正確にはっきりと。聞き間違えなどではない。
そうはっきりとわかったはずなのに、なぜだろうか。
安心するどころか不安になるような言い方だった。むしろ今までで一番真実に遠いように感じた。
おかしい。僕は安心するために聞いたのに、どうしてこんなにも危うい言葉に聞こえたんだろう。
僕は愛されているはずだ、この宇宙人に。ちゃんと証明されたじゃないか。
七瀬は相変わらずタンスをいじっている。
今までこいつが話してきたことは支離滅裂であったが、とても正直に感じた。好きと一言なくたって、僕のことが好きなんだと、アピールしていることがなんとなくわかったんだ。
「好き」という言葉ほど正直な言葉はないはずなのに、今までのこいつが反してきたどの言葉にも到底及ばない、陳腐な言葉に成り下がっていた。
いつの間にか僕はプライドどうこうよりも、こいつの好きという感情について熟考していた。
僕自身、恋愛感情など湧いた経験もない上に信用すらしていないのだが、僕が経験上読んだり見て知った恋愛パターンに当てはめてどうにか推定してきたこいつの「好き」という感情だが、果たして当てはまっていたのだろうか。今更ながら疑問が出た。
こいつがもし、僕のこと「好き」ではなかったら、なぜ宇宙人のフリなどするのだろう。やはり本物の宇宙人?
あいつの方に目をやると、タンスからお目当てのジャージを見つけたようで、それを引っ張り出して風呂場の方へと持っていった。
もちろんあれも僕が高校の頃着ていたジャージだ。
あいつは明日も明後日も、その次も、ここに居続けるのだろう。
僕が大嫌いだと言ってもこの部屋にいるんだ。
嫌にならないのか?嫌いだと言われて、カップ麺投げつけられて、それでも「好き」でい続けられるか?これが恋愛感情というやつの凄さなのか?
僕には恋愛感情はわからないが、普通嫌いだと言われた奴の家に居たいとは到底思えない。そりゃ普通の人間じゃない、それこそ、
宇宙人だと思う。
でも今は僕のプライドを傷つけないために、「七瀬麻里は僕のことが好き」だということにしよう。言質は取れたからな。
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