第15話 賑やかな晩餐

 その日の晩飯はやけにうるさかった。

 ヤツは何度も「いただきます」と言い続けていっこうに食べようとしなかった。


 だがそうさせた原因は僕だったが。

 不本意にも楽しくなってしまったので、ついつい繰り返してしまう赤ん坊の脳みそで眺めていた。

 僕の脳みそは自分で思っている以上に単純な構造のようだ。


 今晩はたかを外して笑っていたかった。

 そんな日だった。


 そしてあいつは僕の正面でうまいのかうまくないのかよくわからない顔で飯を口に突っ込んでいる。

 せっかく奮発してやった幕内、うまいとかなんとか言え!

 しかし、決して目が合うことはない、ヤツは僕の熱い視線などおかまいなしだ。

 まったく、うらやましい奴だ。


 そういえば、こいつと顔を合わせて食事をするのは初めてだっけ。

 周りをくるっと見回して懐かしい気分すら感じた。こいつが来る前まではいつもここで食べていたんだ。

 最近はいつも僕が勝手にシンクによけて食べていたが、元々ここは僕の部屋だし、この小さいテーブルは僕のだし、わざわざ僕が譲る義理なんてないはずだ。

 だというのに、ずっとこんなやつに気遣いしてきた自分が馬鹿みたいだ。こいつはいていないようなもんだし、気遣いもクソもない。むしろ、多少のイラつきを与える厄介者じゃないか。しかも決して追い出すことができない疫病神。


 そんな疫病神と仲良く夕食を食べている僕。

 床に座り、ぽつんと部屋の真ん中で食べる2人の姿を客観的に眺めると、不思議な感覚に陥る。

 まるで空間が歪んでいくような奇妙な感覚が現れる。

 部屋の壁がねじ曲がり、僕たちの体は軟体動物の如くふにゃふにゃに揺れ、魚眼レンズで覗いたかのような。


 僕が元の水晶体を取り戻した頃には、ヤツが弁当を食べ終えていた。

 ヤツは座り込んでいたカーペットからはいなくなり、洗面所へ向かっていた。

 健康的なことに、僕が口を出さなくても勝手に食後の歯磨きをしに行くのだ。きっと家庭での教育がなっているのだろう。

 宇宙と日本の文化がこんなにも噛み合うのは不思議な話だが。

 ちなみに僕はそんな律儀なことはしないので、最初から口に出すつもりもなかった。

 ただし、毎回使われる歯ブラシは僕のものなので、その件については後でどうにか調整しよう。


 空になったテーブルの上の弁当殼を茫然と眺めて、ふと残酷な考えが浮かんだ。


 こいつに飯を与えなかったらどうなるんだろうか。


 単なる動物実験のように淡々と思い浮かんだ考えだったが、やはりこいつは人間なのだから倫理に触れてしまうだろうかと、咄嗟に自分を嗜める。

 第一、ここで死んでもらっては困る、疑われるのは僕だ。でも突然部屋に押し入った女に食料を要求され、それで与えずに死なせてしまったら押入られた人のせいになるのはおかしい。むしろ被害者の側ではないか。

 しかし、それがおかしくならないのが今の日本司法の限界だ。一番に犯人に仕立てられ、僕は悲惨な運命を辿るだろう。


 普通の人間なら食料を得るために部屋の外に出るだろうが、こいつはまずこの部屋から出ることはないだろう。僕が誘導しない限り。

 はたしてこいつは生きることができるだろうか、僕の助けなしに。


 普通の人間なら一週間ほどで餓死するだろう。そう、「普通の人間」なら。


 奴は頭がおかしい精神異常者とかそういうんじゃなくて「それ以上の何か」なのではないかと思い始めている。


 あの朝に見た底知れぬ存在に僕は未だに恐怖を感じていた。感情の読み取れぬ人でなきもの。あいつが人間らしい行動を起こし、人に近づく度にその存在とのギャップが広がり、気味の悪さが増してくる。


 矛盾しているように思えるかもしれないが、奴の根底にあるのは人でない何かだ。

 上部だけが人間に近づいていこうが根底にあるものは変わらない。

 それは恋愛と謳っていたくそったれに感じる不快感とは通じるようでまた違った気持ち悪さがあった。


 そして、さっきみたいにあいさつなんかがかわせたりすると、なんでできてしまうのだろうと、心の隅でふと不安に思うのであった。

 それが普通のことなのに、まるで理想と乖離していくような、漠然とした不安。

 先程まではその不安を感じないよう、隅へ隅へと追いやっていたが、あいつがいなくなり冷静になって、一斉に湧き出してきてしまった。

 せっかく今日は心地よい夜にしたかったのに。


 あいつは本当は宇宙人じゃないのかという僕の馬鹿げた不安が離れなかった。

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