第18話 証明

 今日は一日七瀬が部屋から出ようとするのを必死に止めるだけで終わった。

 その時のあいつの目はとにかく異常だった。どうにかしてでも行くという強い意志がヤツを引き動かしていたようだった。


 このまま外に出したら何しでかすか分からない、そう確信した僕はドアに向かって歩き続けるヤツの肩を掴み、引っ張り続けた。

 何やら、証明するんだ……とブツブツと呟いていたが、何を証明するつもりだったのやら。

 とにかく止めることに必死で何を言っていたのかは定かではない。途中で暴れ出した時には腕をバタバタを振り回し、それが僕の顔や肩に当たって痛かった。


 なんとか引き止めた時にはヤツは魂を抜かれたように思考が一時停止し、再起動した時にはいつも通りのとんちんかんに戻っていた。

 そして時刻は17時を回っていて、すっかり外は薄暗くなっていた。


 僕は完全に疲れ果て、ヤツの姿にはうんざりしていた。

 ちょっとヤバい。

 いやちょっとどころではない、かなりヤバい奴だコイツ。

 昨日あたりまで少しまともだと思い始めていた僕を殴りたい。急に発作を起こした患者の相手をするようなものだった。

 いや、本物の病気持ってるぞコイツ。

 テレビや映画なんかで見たことある精神疾患者や障害者があんな感じだった。

 画面越しでも感じる異常さの恐怖は、直接目の当たりにすることで倍増していた。同じ空間に存在するという恐怖は想像以上だった。

 畜生な僕には一生関わることがない相手だと思っていたのに、なんで僕はコイツを看護してるんだ?


 やはり発作だったのなら、急いで病院に送りつけた方がいいんじゃないか。もしや逆に病院が危ないか?

 なんと考えていると、ヤツはいつのまにかテーブルに腰をかけ、カップ麺を嬉しそうにすすっていた。

 恐怖だった。


 台所のコンロにはお湯が入ったヤカンがあった。僕が疲労のあまり座り込んでいる間に、お湯を沸かしていたらしい。それに全く気づかないほどに疲れていた。


 あいつが麺を啜っているのを遠巻きでぼうっと眺めていた。

 汗だくになる程動いたはずなのに、食欲が全くと言っていいほどなかった。

 ただ、眠りたかった。




 目を覚ますと部屋は真っ暗だった。どうやら壁に寄りかかって座ったまま寝ていたようだ。手元にあった携帯で時刻を見ると、まだ夜の8時だった。あいつはもう寝たらしい。僕が寝たから?

 もうこのまま朝まで寝てやろうと思い目を閉じたが、目が冴えて眠れなかった。


 どうも今は眠れそうにない。

 このまま暗い部屋にいてもつまらないので、僕は外に出て散歩に行くことにした。

 そしてその足は不思議と「彷徨い」に向かっていた。


「いらっしゃい」

 いつもの主人が気だるそうに声をかける。

 客は今日もまだらで、僕に安心感を与えた。

 店の端、隅にひっそりと座る真虎さんの姿もいつも通りだった。

 しかし、その姿だけは僕に安心感を与えなかった。


「あっ、比嘉くん」

 僕に気がついた真虎さんがわざとらしく声をかけてきた。

 僕は黙って真虎さんの方へ歩いて行った。


「……その、ごめん……」

 僕が真虎さんの前に座った時、彼は口を開いた。

「ただ、悪気があった訳じゃないんだ。本当にたまたまで……」

「もういいですよ、どうでもいいことです」

 話を遮るように僕はきっぱり言った。なぜか普段使わない敬語で喋っていた。


「そうかどうでもいいことか……そうだよな〜ごめんごめん、つまらない話だったよな」

 と、笑って言う真虎さんは動揺をまだ隠しきれないようで、よその方を向きながら、目が右往左往していた。


「そういえば、君の友人は見つかったかい?ほら、飛行機が戻らないっていう……」

「どうでもいいことじゃないですか」

「えっ……」

 また僕は敬語で喋っていた。

「自分の話しないんですか」

「いや、だから……今は君の話を……」

「いつもするじゃないですか、事故物件の話。聞かせてくださいよ」

「今はいいじゃないか、僕の話なんて」

「どうでもいいんですよね、僕の話なんて」


 真虎さんは目を丸めて僕の目を見ていた。それが不快で僕は真虎さんから目をそらす。

「信じてなかったんですよね?僕が話していたこと全部。頭のおかしい精神疾患だと思ってあの男を呼んだんですよね?」

「ち、違う!断じて違う!君の話を馬鹿にするつもりなんて毛頭ない!!」

 やや声を荒げながら、まっすぐ僕の目を見てくる真虎さんに僕は目を合わせられないでいた。


「あの人は決して悪い人じゃないんだ……君を馬鹿にしようなんて……たぶん君を思ってのことだと思う……」

 真虎さんは悲しげにやや俯きながら言った。お陰で僕は真虎さんの顔を今日初めて、正面から見ることができた。


 僕は初めからわかっていたのだ。彼が僕のことを心配してあの大学教授を呼んだこと、それは彼なりの善意だったこと、そして彼が僕の話を心から楽しんで聞いていたこと。

 だがずっと不安だった。

 人の感情など確信を得ることができない。常に不安に苛まれながら、自分自身で解釈するしかない。

 目に見えたらどれだけいいのだろうと、ずっと思っていた。


 それが、今目の前にあった。


「ごめん、真虎さん。疑ったりなんかして。昨日のことはなしで、楽しい話をしよう」


 真虎さんはゆっくりと顔を上げ、丸い目で僕の目を見つめる。今度は目を逸らさなかった。


「宇宙人の話だ」

 僕がそう言うと真虎さんは、

「聞かせてくれよ」

 ニヤリと笑って答えた。


 いつも通りの会話だった。

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