第9話 給湯室

 ドアを締めると部屋は静寂に満ちていた。


 やっと社会から隔絶された安心感で僕はスーパーの袋をおろしながら息を吐き出していた。

 しばらくは外に出る心配はないと袋の中を漁ると飲み物がない。すっかり忘れていた、冷蔵庫の麦茶がなくなりそうだったのだ。

 だがしかし、もう外に出る気力はなかった。


 まだあの2人はいるのだろうか、まぁ、もう僕には関係ない話だが。

 そう思いながらドアの方を見る。


 外へ続くドアは重く冷たく、そして静寂だ。

 目線を外そうとしたその時、静寂を破る音が部屋に響いた。



 ガチャガチャ、ガチャ、ドン、ドン、




 唐突な音に僕は思わず肩をビクリと揺らし、ドアノブを見ると何者かがドアを開けようとしているのがわかった。しかし今は鍵を閉めているため外から開けることはできない。


 まさかあの男が逆上して僕を殴りにきたのではないか。僕があいつにカップ麺を投げつけてしまったもんだから、それに怒って僕を追いかけてきたのだ。


 このまま出てしまえば僕はきっとタダでは済まない、ほとぼりが冷めるまで待つしかない。早く帰ってくれ!と願いながら僕はその場に立ち尽くすことしかできなかった。




 音はしばらく続いていたが唐突に止んだ。


 ドアは再び静寂を取り戻した。

 もう男は帰っただろうか、恐る恐るドアの前に行く。


 今度は音でなく声だった。


「お腹すいた」


 まさか、


 咄嗟に鍵を開けドアを開けると、そこに立っていたのはあいつだった。

 大事そうに両手でカップ麺を持ち、僕に驚きもせずに悲しい顔でそれをじっと見ている。


「お前、なんで……」


 ふと顔を上げたあいつはドアが開いていることに気づいたようで、僕に見向きもせずに横をすり抜けて、ずかずかと部屋へ入っていった。

 僕は呆然と見ていたが、


「土足!!」


 奴が靴のまま侵入していたのに気づきすかさず一喝する。


「あれ?ごめん」


 そう返事をして、奴は素直に靴を脱ぎ玄関に靴を戻しに来た。

 まったく、僕のことが見えているのか見えていないのかよくわからない。

 そして奴が一直線に向かったのは台所のコンロだった。

 なんとなく察していた通り、手際よくヤカンに水を入れ火にかける。


 そう、あいつはカップ麺にお湯を入れに来た、ただそれだけだった。




 あいつが部屋のテーブルの横に座りカッブ麺を1人啜っている。僕はそれを台所の方から遠巻きで眺めている。

 なぜこのような状況になったのか、全く分からない。僕はせっかく縁を切ることができた相手を自ら部屋に再び招き入れたのだから。

 かわいそうだと思う哀れみの心情が僕をこうさせたのだろうか。それとも、以前感じたこいつの底知れない恐怖からだろうか。


 いや、どれとも違う感情だ。何かモヤモヤした胸のつっかえが邪魔で掴めない。

 たしかに、僕の部屋のドアの前でずっと立たれていてもそれは困るし、誰かがそれに気づくと僕も関係があるかと問いただされ、面倒事に巻き込まれてしまう。


 ならば一旦部屋に入れて再び追い出すきっかけを考えた方が良い。




 カップ麺の豚骨の匂いが部屋に充満している。

 まさか関係を断つ区切りとして暴力的に投げつけたカップ麺が、再び関係を繋ぐきっかけになるとは皮肉なことだ。


 結局、僕の根拠のない勘は当たってしまった。



 そういえば外にいた男はどうしたのだろう。もう帰ったのだろうか。

 となると、あいつは「お腹すいたからご飯食べてくるね」とか言って別れてきたのだろうか。こういうのは二人で食事に行くものじゃないのか。

 いや、まだ外で待っている可能性もある、食べ終わった後に再び出かけるのだ。

 そうすれば今度こそこいつの顔を拝む必要はない。


 正真正銘、僕は一人になれるのだ。


 ラーメンを啜る音だけが部屋に響く。


 あいつの姿をぼーっと見ているとお腹が空いてきたので、台所の床に置いていた袋からカップ麺を取り出した。そしてヤカンに残っていたお湯を注ぎ3分。


 たぬきそばが出来上がると、やっぱりシンクの上で僕はそばを啜っていた。


 カップを持ちながらテーブルの方を見ると、あいつは食べるのが遅いのかまだラーメンを啜っていた。そういえば先ほどまで、猫舌なのか度々麺に息を吹きかけていた。それでは麺も伸びてしまうだろうに。

 それでも、ラーメンの残りは僅かになっていた。




 よくもまぁ、塩分の多い食べ物を飲み物なしで食べるもんだなぁ、と冷蔵庫から麦茶を取り出してコップに注ぎながら思う。


 茶色に染まっていく透明なコップをぼんやり眺めていると、残りの麦茶がこのコップ一杯に入れてしまえそうであることに気づき、慌てて麦茶が入ったペットボトルの口をコップから離した。ペットボトルに残っているのはコップ半分にも満たない程の量だけだったが、こんな量でも全部飲んでしまうのは気が悪い。




 コップに注いだ麦茶を一気飲みすると、口と喉がすっきりと洗い流される感覚がしていつもよりもおいしかった。


 すでに食べ終わっっていたカップ麺の空をゴミ箱に捨て、キャップを閉めたペットボトルをテーブルの上に置きに行った。


 あいつもすでに食べてしまっていたようでカップ麺は空になっていた。スープまで全部飲むとはなかなかやる奴だ。


 ついでなので空のカップ麺と箸を回収すると、


「ありがとう」


 と一言笑みを添えてあいつは僕の方を向きながら言った。



 まただ。

 あいつは卑怯だ、そうやって僕に隙を作ろうとする。

 今の行動の根元もきっと「レンアイカンジョウ」というものだ。


 なぜそこまでして僕に好かれようとする?なぜ僕なんだ?嘘をついてまで興味のないことに手を出して何のメリットがある?


 理解しがたい。


 何が宇宙人だ、ラーメンをスープまで飲むただの人間ではないか。

 本当に僕に気に入られたいなら、本物の宇宙人になってみろって話だ。

 収まっていた怒りがムクムクと湧き上がる。

 箸と空のゴミをシンクまで持って歩きながら僕は一人イライラしていた。



 すると後ろからごちそうさま、という声が聞こえ、振り返るとあいつは立ち上がってこちらの方、玄関がある方に向かって歩き始めた。

 どうやらやっと出て行ってくれるらしい。


 と思ったら、空のペットボトルを僕の前に差し出し、



「お茶全部飲んでしまっちゃったから買ってきてね」


 とまた僕に笑って言ったのだった。

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