第6話 夜の続きは朝

 ガサガサという物音で僕は目覚めた。

 枕元の目覚まし時計を見るとまだ朝の6時だ。

 まだ寝させてくれよ……なんでこんな早起きしないといかんのだ……

 どこからか声がする。


「制服がない……ない……」


 制服?誰だ?人?家族?否、一人暮らし……昨日……あっ!

 そうだまだあいついるんだ!


 寝ぼけて頭が混乱していたが、これは夢でもなく現実であり、宇宙人は存在する。

 そしてこの声の主は宇宙人ではない。


 僕が寝てるあいだに何かしているのではないか!?

 勢いよく起き上がり、周囲を確認する。


 昨日とさほど変わっていない。

 ヤツは?


「おかーさーん、またクリーニングだしたの?」


 声がする方を向くと、クローゼットの中に頭を突っ込んで物色している女の後ろ姿が見えた。


「なんでまだ返ってきてないの?おかしくない?」

 おかしいのはお前だよ、と言いたくなる。


「仕方ないからジャージ着ていこ」


 と、ヤツがクローゼットから取り出したのは僕のスエットだった。

 まさかそれを着るつもりなのか……?


 ヤツの格好は昨日から変わっていないというよりも、一昨日……いやそれより前から変わっていない可能性が!?


「お前!風呂は!?」

 咄嗟に叫んでいた。


「あ、入ってない」

「入れ!入れ!今すぐ入れ!!」

「はーい」

 ちゃんと返事をして彼女は迷わすバスルームがある脱衣所へ入っていった。

「風呂沸いてないよー」

「シャワーでいいから!!」


 僕がそう言い終わると脱衣所のドアを閉める音がした。


 はぁ、風呂入ってなかったのか……

 確かにずっと同じ服を着ていたし、髪も濡らしていたこともなかった。


 ……盲点だった……

 しかし、風呂入っていなかった割には臭いが全くしなかった。

 それどころか、少しいい匂いがした気が……いやこれは童貞の妄想か……


 シャワーの音が聞こえてきた。

 ちゃんとあの妙にびっちりした銀の服を脱いでいるのか少し心配だ。


 そうだ、バスタオルを持って行ってあげておこうか。


 足元がもたつくなか、棚からバスタオルを取り出す。


 先程は完全に会話できていたよな……偶然ではなく、ちゃんと僕の言葉に合わせた返答を返してきた。


 賢くなっているのか……?


 適当なバスタオルを選びバスルームへ向かう。ドアからは白い湯気がうっすら立ち込めていた。


 僕は、あくまで、ヤツがちゃんと服を脱いで入っているか確認するついでにバスタオルを……いや逆だ!違くはないが!!脱いでないかは本当に心配だし、あいつなら本当にやりかねない。


 ……ダメだ……昨日の夜から調子が狂う。


 昨日の夜、ふりかけそうめんを食べた後、僕は風呂に入りベッドの上に戻った。


 いつものようにあてもなく携帯電話でネットを徘徊していると、妙に悶々としてきた。

 ネットのエロ広告がいつも以上にも目につき、そのままアダルトサイトで

 無料動画を漁っていて、ふと隣が気になった。


 僕のベッドのすぐ横には女がいる。

 いつもより悶々とするのはこれのせいかと気づいた。

 そのことに気づくと、ヤツを意識せずにはいられなかった。


 ベッドから身を乗り出して、携帯電話の光を使って隣で寝る女の顔を照らす。


 よく見ると綺麗な顔をしている。


 昨日はその格好と出現の仕方のインパクトが強すぎて、顔がどうとか、人の基本的な情報が入ってこなかったが、なかなかの美人だこの女。


 深夜の童貞フィルターがかかっているとは言え、世間的に上の分類に入ると断言できる。


 透き通る白い肌、幻想的に光る銀色の髪、澄んだ緑の目、と本当に人間なのか?と言わんばかりの羅列は挙げて行くとキリがない。


 ゆっくり携帯電話を移動させ身体の方を見る。

 上に薄いブランケットがかかっているものの、そのしなやかな身体のラインは魅力的であった。


 ああ、僕の語彙力じゃこんなものだ。

 下半身に血が集中している時は頭が働かないんだ。


 しかし、いつの間にこんな女に飢えたハイエナのようになってしまったんだ僕は。


 もっと前は聡明で達観した人間だったはずだ。


 生身の女を目の前にすると男は皆バカになるのか。テレビやネットで、芸能人やらスポーツ選手やらが女性関係のスキャンダルを報道される度に心底軽蔑していたが、所詮僕も同じなのか。


 気がつくとスマホの時計は深夜2時を表示していた。小一時間程自分の醜悪さと葛藤していた訳だ。


 しかし、僕はまだ聡明だった。

 横の女には目をつぶり、動画で我慢した。

 まぁ、致したのかという話は聡明だから考えないし話さない。

 そもそも僕に勇気なんかある訳ないって話だ。


 振り返り、昨日は落ち着かない夜だったとしみじみ思う。本来は静かで落ち着いていて好きな時間のはずなのだが。


 バスルームのドアを開ける音が聞こえた。どうやらシャワーを浴び終わったらしい。


 と、しまった!結局脱いだかどうか確認……じゃなくてバスタオル置きに行ってないじゃないか!

 慌てて脱衣所のドアノブに手をかけるやいなや、勢いよく押し出される力に体が持っていかれた。

 あっ……


「バスタオルどこー?」


 開かれたドアから現れた女は……紛れもなく…………

 ……裸だった。

 尻もちをついたままその姿を確認し、安堵とともに、猛烈な羞恥心が湧いてくる。


 そりゃトイレとか自分で勝手にできてたし、風呂入る時服くらいちゃんと脱ぐよな!そりゃそうだ!ハハッ!……はぁ……


 ……なぜ相手の方が裸なのに服を着ている僕が恥ずかしがる必要があるんだ。


 はっ!僕の本来の目的は!


「あ、バスタオル……あるよ……」

「ありがとう〜お母さん」


 バタン


 バスタオルを渡すと女はドアを閉めた。


「お母さんかよ……」


 こっちはこんなに理性をかき乱されたというのに僕の存在は認識されていないのか、それとも母親の姿に見えているのか。

 どちらかならば母親に見えている方がいいな……


 まさか女の裸をこんな早朝から生で拝めるとは誰が想像しただろうか。


 湯気が立ち込める中、バスルームの薄オレンジの淡い光が白い裸を染め、輪郭を曖昧にする。そして銀髪も黄金色に輝き、濡れた髪からしたたる雫、そしてその雫がしなやかなボディラインをとろりとなぞりながらと床にぽつぽつ落ちて行く。


 息を呑むようなひとときの間、僕の時間は止まっていただろう。

 昨夜あれ程の女の裸を見たというのに、勝るものはひとつも無かった。生の裸と比べるのはナンセンスかもしれないが、あまりにも完成されていたのだ。


 そう言えば着替えは持って行ってたか?

 クローゼットを確認すると僕のスエット上下が消えていたので問題なさそうだ。

 あとは下着だが……


 問題だらけじゃないか


 おいおいおいおい、まさかまさか……

 タンスケース前の衣類タワーをどかし、急いで引き出しを開け、自分の下着を確認する。

 よしよし全部あるな……


 よくない


 慌ててバスルームの方を振り向く。

 すると、丁度女が脱衣所から出てきたところだった。灰色の僕のスエットに身を包んだ姿が見えた。

 あ、あの下は……まさか何も着ていない……

 いや、もう考えるな、だからどうした、僕には関係ないだろう。

 そう自分に言い聞かせながら目線をゆっくり離す。


「お母さん下着まだ乾いてない?」


 下着を探しているということは……

 なぜ追い打ちをかけるようなことを……!

 せっかく心を落ち着かそうとしていたというのに……!


「そっか、じゃあ今日の下着明日までに乾くかな?」


 そうか、着ていた下着は洗濯しなきゃな……

 ……本当にお母さんみたいになってきたぞ。


 結局女は今日一日ノーパンノーブラで過ごすらしい。


 すぐに慣れる、そう自分に暗示をかけ湧き上がる欲情をごまかす。


 すると女は僕のすぐ隣にポンと腰を下ろした。


 そうかここはヤツの定位置の布団の上!

 これは予測可能だったはずだ。

 距離が近いといやおうに女の存在を感じ、ごまかした感情が再び湧き上がり始めてしまう。


 気を少しでも紛らわせるために僕はあたりをキョロキョロ見渡す。


 ちょうど目についたのが昨日ヤツが一日中読みふけっていた本だった。


「宇宙旅行のすすめ」


「なあこれ面白かったか?」


 意味もないことだと思うが僕の中では気に入っている本の一つなので一応感想を聞いてみる。


「うん!夢があってすっごくワクワクした!」

 嬉しそうに語るやつの姿を見て固まってしまう。

 またも会話が成立してしまった、いいのかこれで?


 正直、面白かったと言ってもらえてとても嬉しかった。

 この本を面白いと言ってくれたのはこいつが初めてだったから……


 ………………..?


 妙な違和感を感じた。


「ありがとうね」

「へ?」

 急に感謝をされ、困惑する。

 感謝されるようなことは山ほど身に覚えがあるが、なぜここで感謝を述べたのか。


 この話の流れだと、面白い本を読ませてくれてありがとうってことか?

 あちらが懇願した訳でもなく、こっちが読むことを提案した形だったが、それでもお礼を言うのか。

 ……やっぱりコイツはズレている。


 謎のお礼を言うとヤツは立ち上がり風呂場の方へ歩き出した。

 そして、脱衣所の方へ入る。


 忘れ物か?また風呂入るのか?

 と考えていると、風呂場の方から何やら騒がしい声が聞こえてきた。


 !?何だ何だ?

 気になった僕は僅かな不安を抱えながら風呂場に向かった。


 脱衣場の前までくるとヤツが何か言っているのが聞こえた。


「やったやったー!ちゃんと話せたよー!」

 その声は歓喜に満ち溢れていた。

 どうやら何か危険な目にあっていない様なので少し安心したが、話せたとはどういうことか?

 いつもの訳分からない独り言では聞いた事のない喜びようだったので不審に思う。

 僕はドアの前で黙って耳を澄ますことにした。


「うん、本返してきて、感想言ってきた!面白かったって言ったら、ちょっと嬉しそうだった!」


 さっきの本の話か?嬉しそうって僕のことか?顔に出ていたのか、恥ずかしい。


「そうだね、確かに話しかけづらいけど、宇宙のことだとすごく興味もってくれるし、やっぱり趣味合わせてよかった」


 ……趣味を合わせた?


「でも普通の話題だと何話せばいいか分かんないよ、こっちが合わせに行かないと」


 お前が人に合わせることなんてあったか?


「宇宙なんて全然興味なかったんだけどね」


 その声が聞こえた瞬間、衝動的にドアを開き、僕は叫んでいた。


「その為に嘘をついたのか!!」


 ヤツは脱衣所で鏡をただ一心に見ていた。僕の方を一切振り返らず、何も反応していない。まだ何やら勝手に1人で話している。

 それが余計僕の感情を逆撫でした。


「面白くなかったんだろ!あの本は!興味ないなら嘘なんてつくなよ!何が宇宙人だ!バカにするな!」


 あいつはまだ何か話しているようだが聞こえなかった。


「お前がどんなに好かれようと媚びへつらってもな!僕はお前が大っ嫌いだよ!!」


 そう言うとドアを勢いよく閉め、部屋に戻った。


 腹の底で重くドロドロしたものが渦巻いて気持ちが悪い。さっきまで喉の方までせり上がっていたそれは、腹の底に戻った後も留まり続けていた。

 この感覚はいつ以来だろうか。


 怒りに身を任せ我を忘れていた。ただ感情をぶつけた言葉に知性の欠けらも無い。

 吐き出したところでまだ怒りは収まらなかった。


 たぶらかされていた。この事実がただただ悔しく情けない。あいつは最初から僕に好かれたいがために全て行動していたのだ、恐らく恋愛感情というものに突き動かされて。

 そして僕はその策略にまんまとはまり、下心の赴くままにヤツに対して僅かながら好意を抱いてしまっていた。


 だがヤツは宇宙人に微塵も興味がなく、ただの利用材料として選んだに過ぎない。それは初めて会った時に感じた嫌悪感で気づいていたはずたった。

 少し油断していたのだろうか。


 足元を見るとさっきヤツが返したという本が落ちていた。

 一見馬鹿らしい本だが、楽しく読んでいたあの思い出もすべて、あいつのせいで汚された。


 あいつが勝手に敷いた布団の上にあったその本を拾いあげると、ビリビリに引き裂いてやりたい気分だったが、思いとどまり部屋の隅に投げ捨てた。

 あいつの居場所を消すために意味もないが布団を片付けることにした。畳んでいると布団の上からはあいつの匂いが僅かに漂ってきて僕の感情を乱させる。

 同時に昨日の夜のことを思い出し、羞恥心が湧き出す。昨夜眺めた姿も今朝見たあの身体もすべて醜い偶像だったのだ。


 嫌なものを見たな。


 昨日の夜から続いていた痴情がやっと覚めた気がした。


 長い夜がやっと終わりを告げた。

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