第3話 部屋

 部屋に入ると同時に、鼻にすっと冷めた金具のような匂いが入ってきた。


 ジャングルの奥地に潜むベッドに僕は流れるように倒れこむ。

 仰向けになって携帯のディスプレイを確認した。

 着信ゼロ。


 いつも通りだが、今日ばっかりはそうであると困る。

 なぜなら未だに秋良からの連絡がないのだ。おかしい、なぜだ?なぜあいつらは秋良を解放しない?


 やはり、僕があちらからのメッセージを読み取れなかったのがいけないのか。そうだろうなぁ、でもわかるもんじゃないだろう、あんなの。


 考える。何を今するべきなのか。

 こちらもメッセージを送り返答をするべきなのではないか?真虎さんはこちらから動くべきではないと言っていたが、これより酷い状況になるというのか。秋良が殺される?何のために?


 ……そもそも犯人は宇宙人なのか?

 早とちりだ、宇宙人がさらうなんて。

 脳裏にさきほどの中年女性の姿が浮かぶ。

 もちろん、事件でも何でもなく、ただあいつのミスの可能性だって十分ありえる。


 なぁ、もう一回連絡くれよ。

 もう信じられなくなるだろう。僕は君の存在を信じたいだけなんだ。


 枕元の目覚まし時計の針が夜12時を指していた。外で赤や白の光がぼんやりと通り過ぎていくのが見えた。


 僕は夢中で聞いていたラジオの電源を切った。随分前に作った自作のラジオは雑音ばかりが聞こえる。


宇宙人からの連絡は何一つなかった。

 あの時聞いたノイズから、ラジオで電波を捉えることができるかもしれないと期待していたが、いい情報は得られなかった。

 今日もエリス準惑星の近くで遭難したグロン星人の話とか、火星で地上の工事を終わらせた話とか、面白い話は聞けたのだが。


 カーテンを閉め忘れていた。

 僕はのそのそとベッドから這い降りて窓に歩いていった。

 白い砂埃が外側表面を一面薄く覆っているのが見えた。相変わらず汚い窓だ。


 不意に、眩しいライトが僕の目を指す。

 車のライトか?いや、ここは2階だ。

 え?じゃあ何だ?


 強烈な眩しさに堪えながらゆっくりと目を凝らすと、そこには人影が見えた。

 人?

 普通の人でない、と僕は確信した。




 僕が目を見開いた時には、ガラスの向こう側、ベランダに彼女がいた。


 そう、そいつは人間の女に見えた。見た限りだと。そして、どこか懐かしいような姿をしていた。


 驚いたような顔をしたまま彼女は僕の顔を黙って見つめていた。驚くのはこちらの方だ。急に現れてなんでそっちが驚いているのだ。


 まず、その姿は何だ?全身アルミホイルのようなテカテカした服を着て、頭には二本の触覚のようなものが生えたカチューシャ?をつけている。まるで……


「誰だよ」

 思わずこんな事を口に出していた。


「宇宙人だよ」


 と彼女は即答した。


 そうだ、まるでその姿は典型的な宇宙人のようだった。だが、違うだろ、お前はなり損ないだ。あまりにもお粗末過ぎるだろ。


 僕は久しぶりに怒りという感情が湧いているのを感じた。


 しかし、彼女の登場の仕方はどうだっただろう。あまりにもよくできている。確かに、人間離れの技ではある。

 いや、2階だしな、できなくはないか。


 格好はともかく、登場シーンだけはよくできていた。

 じゃあ一応宇宙人かな?


「宇宙人がうちに何の用だ?」

「会いに来たよ」

 彼女はそう言って僕にはにかんだ。

 どういうわけか、彼女の声、笑い方、仕草、言葉、全てが僕の気に障った。


「僕はお前を知らない」

「私は知ってるよ」

「帰ってくれないか、警察呼ぶよ」

「ずっと前から知ってる」

「呼ぶよ?」

「私会えて嬉しいよ」


 やばい奴だ、新手のストーカーか?いや、それどころか精神疾患の疑いがある。


 早く警察に通報した方が良さそうだ。


 僕が携帯を取り出そうとしたとき、急に

 フォンフォンフォン……

 と妙な音が流れた。


 そうだ、携帯の着信音だ。

 僕はすぐさま携帯のディスプレイを見ると、思わず自分の目を疑った。


 秋良からだった。


 僕はすぐさま電話に出た。

「もしもし」


 まさか、この前電話をかけた宇宙人なのか?



「来月の29日空いてる?」

 紛れもなく秋良の声だった。何事もなかったようにケロっとした話し方で、僕は拍子抜けしてしまった。


「お、おい、お前大丈夫なのか!?」

「何が」

「何がって、今日こっちに来るって言いながら連絡がずっと無かったじゃないか、お前が乗った飛行機はどうした?まだ着いてないだろ?」

「はぁ?そんなこと言ってないって、お前こそ大丈夫か?」

「え?」

「今日織奥に行くなんていつ言った?ていうか、今から来月そっち行く話をしようとしてたんだけど」

「3日前にメールで言ってたんじゃんか」

「俺普段メールなんて送らねーよ」

「あっ……」

「相変わらずキメェな」


 じゃあ、メールの相手は誰なんだ?秋良だったものの正体は?


「で、来月の10日なんだけどいける?」

「……え?いや、今はまだわかんないわ」

「嘘つけ、毎日暇だろ、ずっと学校休んでんだから」

「来月には行ってるし……」

「今から行っても間に合わんと思うけどな、単位全落ち確定だな」

「……なぁ、本当に秋良か?」

「そうだって、だからどうした?俺がおかしいのか?」

「いや、お前は全然おかしくない……おかしくない……おかしいのは僕だ」

「はぁ、じゃあもう切るわ、10日予定空けとけよ……学校行けよ」

「わかってるよ……」


 秋良からの電話が切れて僕は携帯のディスプレイを見つめた。

 画面には秋良という文字が映し出されていた。


 紛れもなく秋良の声だった。やはりおかしいのは僕の方だ。

 僕にメール送り飛行機に乗ったはずの秋良はいなかった。別人だった。

 僕はメールの受信箱をすぐさま確認した。

 例のメールを探す。


 ない。

 ……ない。

 まさか自分で消したのか?なぜない?

 これじゃまるで僕がおかしな幻覚を見たみたいじゃないか。いや、夢を見たのか?


 たまに自分の記憶が夢なんじゃないかと不安になる時があるが、ここまでくると本当に夢に思えてくる。


「開けて」


 声が聞こえたを方を見るとなんと窓の向こうに変質者がいた。


「なんだこいつ!」


 秋良のお陰で現実に引き戻されて冷静になった僕は、今いる状況の異常さに気づいた。なんだこの女、なんで警察が来てないんだ、早く呼ばないと。

 手にある携帯で110番を打つ。

 軽快なテンポで発信、したはずが繋がらない。


「警察、ダメ、ゼッタイ」

 女が険しい顔をしてこちらを睨みつけながら言った。


 ダメなのはお前の方だろ。

 僕は無視して発信ボタンを押し続ける。

 しかし焦る気持ちとは裏腹に一向に繋がらない。


「ねぇ、早く部屋に入れてよ、寒いよー」

 女が手をガラスに貼り付けながら言う。

 勝手に凍え死んどけ。


 そう思いながら通報に夢中になってる間だった。

 ガチャっと音がした。


 手元を見ると僕の左手が勝手に窓の鍵を開けていた。

 おいおい、どういうことだよ、とうとうおかしくなったか僕の体。

 すぐさま鍵が開いたことに気づいた女は嬉嬉として窓を開き部屋の中に入ろうとしていた。


 僕は急いで窓を閉めるため、腕に力を込めたが、またも、体が言うことを聞かない。

 僕が力を入れた両腕はスカッと空を切っていった。

 しまった。


 1枚のガラスの壁は突破され、女はとうとう僕の部屋まで侵攻してきたのだ。


「へー狭いね」


 勝手に入ってきて開口一番失礼な女だ。

 もはや僕にはこいつを追い返す気力すらなくなっていた。それどころか、体に力すら入らない。


 僕はいつの間にかベッドに倒れて天井を眺めていた。頭がぐるぐるして気持ち悪い。

 時々あるのだが、唐突に現れるこの症状はなんだろう。


 早く寝たい。

 瞳を閉じて今日のことを忘れよう。

 意識が遠のく過程を心地よく感じながら眠りについていた。


 部屋に変な女を放置したままであったが。

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