第13話 池袋

予想外だった。学生は夏休みでも、会社勤めの人たちは出勤だ。結構な混雑である。


「千景、大丈夫か」


「つぶれる……」


なすがままになっている千景を手繰り寄せて窓際に押しやる。こっちのドアは池袋まで開かない。僕が適当に耐えれば潰れることはないだろう。


「圭吾、大丈夫?」


「問題ない」


横にいたサラリーマンからこのクソカップルが爆発しろ!みたいな視線を感じたけど、それにひるむことなく千景を圧力から守ってあげた。


「早く到着しすぎたな」


何も考えずに8時に家をでたので、池袋に8時半に到着してしまったのだ。何もやっていない。当たり前のように10時からである。さて、90分どうするか。


「スタバでも行くか。千景、行ったことあるか?」


首をフリフリしている。実は僕もない。スマホで「池袋 喫茶店」って検索したら出てきたのだ。いざスタバへ。


「キャラメルフラペチーノのホワイトモカシロップ変更、アーモンドシロップ追加にインホイップクリームで」


この人たちは何語を喋っているんだ……。なんか特殊オーダーをする人たちが行列を成している。


「何が何だかわからんな……千景、どんなのがいい?」


「これ」


指さされたのは抹茶のなにかっぽい。季節のフラペチーノって書いてある。


「ご注文は?この抹茶っぽいのと、この桃っぽいのでお願いします」


「こちらトールサイズのみになりますがよろしいですか?」


トールってなに!?なんだかよくわからないけど、はい、って言っておいた。


「抹茶スモワフラペチーノ、ピーチプンクフルーツフラペチーノの2点で1,220円になります」


ドリンクで1,000円超え。Oh……。

無事に席も確保できて、座ったのはいいのだが。ソファだった。僕は再び頭を抱えることになる。


「千景。足の膝をくっつけて少し斜めに出来るか?あ、いや、足だけでいい。そう、そんな感じ」


さっき選んであげたピンクの下着が丸見えだったのだ。最初、奥に座らせたのだが、すぐに逆に座らせて、千景を壁向きに座り直させた。ホント、こいつはいつも無防備すぎるんだ。


「時間、沢山あるから、ちょっと昨日の話でもするか?」


「聞きたい」


千景に昨日の話をすると、当然のように僕のことを"圭吾"って呼びたいと言い始めた。もう呼んでるだろうに。これじゃ、戻ったのかどうかわからないじゃないか。でも駄目とも言えないしな。様子で判断するしかないか。縁結び云々も友達同士ってやつだから安心しろとか色々と説明した。一番疑ってたのは夜遅かったこと。そういうことは知ってるんだよな。これも否定しておいた。「シャンプーのにおいしなかったから信じる」なんて言われて肝を冷やした。あのとき抱きついてきたのは……。

諸々の話を終えたら丁度10時を超えたところだったので、店を出ることにした。この時間の池袋はまだ客もまばらでなんか寂しさが漂う。お店だけ開いていてゾンビ映画のようだ。


「なぁ、千景。サンシャインに登るのは夕方にしないか?どうせなら夜景、見たいだろ?」


「うん」


「よし決まり。それじゃ、まずは東急ハンズにでも行くか」


完全に僕の好みでお店を選ぶ。東急ハンズは何を買うでもなく散策するのが楽しいのだ。そうだ。葵に日傘を買ってあげたのだから、千景にもなにか買ってあげよう。


「千景、こんなのどうだ?」


見せたのは革製の猫の形をしたキーホルダー。千景の家の鍵にはキーホルダーがついていないのを思い出したのだ。


「おそろいがいい」


そう言って千景は僕に犬を、自分には猫のキーホルダーを手渡してきた。違う種類なのにおそろいと呼べるのだろうか。同じメーカーの同じシリーズだからいいのだろうか。まぁ、千景がそれでいいなら問題ない。


「圭吾とおそろいだ」


嬉しそうに笑う千景。千景の笑顔はレアだ。僕自信も見たのはいつぶりだろうか。千景のそんな笑顔を見て、僕まで嬉しくなってしまった。


「次、どこに行くの?」


「そうだなぁ」


正直、池袋に行くって言ったもののサンシャインのことしか考えていなかった。夕方に出ればよかったのに、あんなに朝早く出てしまったのは失敗だったかも知れない。ボーリング場が近くにあるらしいけど、運動が苦手な千景を連れて行くのもなぁ……。


「ねぇ、圭吾、あれなに?」


「水族館だな。こんなところにあったのか」


サンシャインに水族館。なんか聞いたことがあったけど、存在を確認したのは初めてだ。


「千景、せっかくだから行ってみるか?」


キーホルダーでご機嫌な千景は足取りも軽く、僕の横を跳ねるように歩いている。


「こんなところに水族館だと!?」


それは都会の中にあるビルの屋上にある水族館だった。


「こりゃすごいな。ペンギンが空を飛ぶらしいぞ」


細かいものに飛びつく千景はきっと水族館が大好き。だと思う。多分、展示をあっちこっち飛び回る未来が見えるけども。


「大人2,200円……年間パスポート4,400円だと!?2回分で元が取れるな……。千景、水族館って好きか?」


「んー……多分?」


「なんで疑問系なんだ」


「だって行ったのって小学校の小さな頃だもの。ちょっと流石に覚えてない」


「ま、とりあえず普通の入場券にしておくか。そんなにお金ないし」


水族館に入ると、案の定、一つの展示の前でじっくり、ではなく、あっちこっち飛び回っている。ついて行くのが大変だ……。なんか同じ場所をぐるぐるしている気がする。クラゲのトンネル何周したかな……。


「なぁ、千景」


「なぁに?」


「千景はなんで僕を独り占めしたくなるんだ?」


「別にそういう風に思ってるんじゃないんだけど。でもなんか誰かに取られちゃうのが嫌な感じがするの」


「世間一般ではそれを独り占めって言うんだぞ」


「そうなの?それじゃ、独り占め」


「僕が他の誰かと遊びに行ったりするのは嫌なのか?みんな一緒ならいいのか?」


「近くに圭吾が居ればそれでいい」


これは"独り占め"というよりも"依存"のほうかな。なんとかしたいけども今の自分に出来ること……。仮に他の誰かと僕が付き合い始めたら千景はどうするのだろうか。その埋め合わせにつきあわされるのだろうか。それとも……。

僕たちは空を飛ぶペンギンを「なるほど」と言いながら見学した後に水族館を後にした。なんだかんだで夕方近くまで水族館に居たことになる。


「それじゃ、予定通り、サンシャインに登りましょうかね。千景、サンシャインに登ったら少し、お話をしてもいいか」


「ん?いいよ」


エレベーターを待って、一気に展望台フロアに上がる。このとき、耳がキーンとなるのはいつになっても慣れないものだ。


「わあ……」


夕暮れから夜景に変わる瞬間を眺めていた。かなり綺麗だ。池袋は南側に高層ビル群を眺めるのでとても綺麗だ。マンションは逆を向いていて明かりは悲しかったけども。


「なぁ千景。さっきの話なんだけどいいか」


「お話、なに?」


「今の僕は吉原?圭吾くんか?圭吾か?」


「圭吾だよ?」


「ああ、デートでの呼び名じゃなくて、何ていうかな。普段の呼び名で呼ぶとしたらどうだ?」


「ん??なんかよくわからないけど吉原くんは吉原くん、でしょ?」


良かったも戻ってる。いつもの千景に戻ってる。なんとか埋め合わせは出来たようだ。この際だから聞いてみよう。


「千景、自分が僕のこと、吉原くん、圭吾、って呼ぶ時がある自覚ってあるのか?」


「うーん……意識的に?」


「まぁ。そんなところだ。で、どうだ?」


「ある時とない時がある。なんか寂しいなぁとか感じると圭吾って呼びたくなる気がする」


ずっと無意識だと思っていたあの呼び名、自意識下の出来事だったのか。これは初耳だ。というより初めて質問したのか。


「仮に、って話だけど、僕がもし、神名峰とか定峰とお付き合いすることになったとしたら、千景はどうする?」


今なら一歩先の質問が出来るような気がして、思い切って聞くことにした。


「うーん……吉原くんが居なくならないのなら、それは仕方がないと思う」


「居なくならないとは?遠くに行っちゃうとか?」


「そうじゃなくて。物理的に」


「死んじゃうとかそういうこと?」


「そう」


これは裏を返せば、僕が仮に死んだら仕方がなくなる、ということになる。残された恋人が危険、ということになるのだろうか。こりゃ、僕は死ねないな。軽く苦笑しながら千景にこういった。


「僕は死なないさ。もし誰かと付き合いうことになっても、千景のことは忘れないさ。安心してくれ。でも、僕が他の人と付き合うことになったら、僕を千景が独り占めにしたり、今日みたいに埋め合わせをするのは駄目だぞ。恋人に悪いからな」


「吉原くんは誰か好きな人は居るの?」


「愛されている人なら居るな。強烈に」


「神名峰さん、ね」


「なんだ見てたんじゃないか」


「あとね。定峰さんもそうだと思ってる。今度確認するんでしょ?」


正直びっくりした。買い物に行く件は誰にも話していない。千丸も面倒なことになるから、というくらいだから話していないはずだ。


「なんでそう思ったの?」


「なんとなく、っていう答えが欲しいんじゃないんだよね?私ね。いつも無反応に見えるけど、みんなの顔はよく見てるの。それで、定峰さん、事あるごとに吉原くんのことを見てるから。嫌いならそんなことしないでしょ?吉原くんも気がついていたのかと思って」


普通の彼女だと思っていたけども、かなり鋭い洞察力の持ち主だった。正直、びっくりしたけれど、話がわかりやすいとも言えるのでコレはコレでいいのかも知れない。だが、ここで定峰との買い物の件を伝えるか否か。後でバレるほうが面倒くさいことになりそうだ。でも隠しおきたがっていた千丸の意思を裏切ることにもなる。ここは……


「千景。僕、今度、千丸と買い物に行く事になってる。まぁ、恋がどうのこうのじゃなくて単純に僕が千丸っていう人のことが知りたいだけだな。なんか迷惑をかけているのか、そうでもないのかわからないから」


「そうなんだ」


「千景はどう思う?ってさっき言ってたか。思わせぶりな態度は取らないよにするよ」


そんな会話をしているうちに完全に夜になっていた。池袋の夜は昼間と違う顔を見せる。なんか治安が一気に悪くなるというか。さっさと帰るほうがいいな。

僕たちは池袋を後にして地元の駅に戻ってきた。


「そういえば、この前、神名峰と遊びに行った帰りにここで待ってたみたいだけど、あれ、何時から待っていたんだ?」


「ええと。22時くらいかな。それくらいに帰ってくると思っていたから。驚かそうと思って」


「そうか」


本当は見張りに着たんだろう。別れ際って何か起きやすいタイミングだからな。あのとき手を繋いでいたらどうなっていたことやら。

僕は家に帰って今日のの千景について考える。いつまでが"圭吾"でいつまでが"吉原"でいつまでが"吉原くん"だったのか。その違いがいつもわからない。いつの間にか戻っていることが多くて。何がきっかけなのかわかれば原因も見えてくるような気がするんだが。


千景があんなふうになったのは小学2年生の頃だ。原因はなんとなく分かっているんだが、本人にソレを聞くわけには行かない。時が解決するのを待つのが最善、そう考えている。

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