お茶会
私の暮らしぶりを心配した姉二人が嫁ぎ先から里帰りすると聞かされた時、私は軽く考えていた。
今、私の頭を撫でているのが長女のリベリーで、爪のお手入れをしてくれているのが次女ラフラであるのだが、少々困惑している。
リベリー姉様の、頭撫で撫ではそろそろ禿げそうだからやめてほしい。
「アルティナは最近王立図書館に通っているのでしょ? 誰かに酷いことを言われたりしていない?」
リベリー姉様の言葉にラフラ姉様が続けた。
「アルティナ! そうよ! 何かあればお姉様達に直ぐに相談しなさい」
私は苦笑いを浮かべてみせた。
「私の宝物が下心を持った狼の群れの中に居るだなんて考えただけで耐えられないわ」
「貴女は、私達兄妹全員の宝物よ。だからこそ私達が必ず守ってみせるわ」
宝物とはなんのことを言っているのか?
ラフラ姉様は爪のお手入れが終わると私の手をマッサージしながら言った。
「王子様ならアルティナに釣り合うと思っていたのに、声が出なくなったからって婚約の話をなかったことにするだなんて、見る目がないにもほどがあるわ! そう思うでしょ姉様!」
「そうね、こんなに可愛いアルティナを見たら後悔するに決まってますわ。だけど今さらお嫁に欲しいと言ってもあげないんだから」
姉達はクスクスと笑った。
この二人は本当に仲良しだ。
「さあ、アルティナ! これでアルティナの白魚のような手がピカピカになったわ! 本ばかり読んでいたら手の油を全て本に吸いとられてしまうわ! 気を付けなくてはダメよ」
私はコクコクと頷く。
姉達はニコニコしながら次はドレスを選び始めた。
それというのも、今日は貴族令嬢や夫人が集まるお茶会があるのだ。
気分転換のために是非にと姉達に勧められ、滅多にお茶会に出ない私だが、私の嘘によりかなり心配をかけていることもあり断る気になれなかったのだ。
「これでどうかしら?」
綺麗な空色のドレスにサファイアのアクセサリーがつけられた。
着飾るのは好きじゃないが、姉達が喜ぶから今回はまあ、良しとしよう。
お茶会の主催者はアンゲード公爵家。
長女が嫁いだセリアーレ公爵家の次に力のある公爵家だ。
色とりどりの綺麗な薔薇が咲き乱れる庭園に、有力貴族の女性が集まっている。
「リベリー様、ラフラ様、来て下さったのですね! 嬉しいわ! あら、もしかしてそちらの可愛らしい方は……」
「アンゲード夫人、こちらは私達の妹のアルティナですの。よろしくお願いしますね」
声をかけてきたアンゲード夫人はリベリー姉様の親友だと聞いたことがある。
「はじめましてアルティナ様。ずっとお会いしたかったのよ」
私はスカートの裾をつまみ上げ頭を下げた。
「ごめんなさいね。今、アルティナ声が出ないの……」
「まあ! 大変じゃない!」
「お医者様はストレスからくる症状だって言うのよ。だから、妹が楽しくなるように連れてきましたの」
リベリー姉様は可愛らしく笑ってみせた。
「そうなのね。アルティナ様、楽しんでいって下さいね」
私はコクリと頷いた。
周りを見渡せば蝶々がヒラヒラと舞うように令嬢達のドレスがきらびやかに舞っていた。
「アルティナ! こっちにおいでなさい!」
ラフラ姉様に呼ばれていったテーブルで、私はお茶を淹れようとしているメイドさんの手がプルプルと震えているのが気になった。
カチャカチャとカップとソーサーが音をたてている。
姉達は苦笑いを浮かべ、アンゲード夫人がため息をついたのが解った。
私は手に持っていたメモ帳に『私にお茶を淹れさせて下さいませんか?』と書いて姉達とアンゲード夫人に見せた後、メイドさんにも見せる。
元々一人で本を読むことが好きな私は、好きな時に好きなだけお茶を飲みたいと思っていた。
そんなこともあり、お茶の淹れ方の文献を読み漁り習得したこだわりの技術があるのだ。
ゆっくり、お茶を淹れると、メイドさんに配ってもらう。
姉達は私が一時期お茶にはまっていたのを知っていることもあり、躊躇わずにカップを口に運んだ。
「……アルティナ、また腕を上げたんじゃないかしら? ラフラそう思わない?」
「アルティナ。うちのメイドにもこのお茶の淹れ方を教えてちょうだい! このままじゃアルティナの淹れてくれるお茶しか飲めなくなってしまうわ!」
こだわって身に付けた技術を褒められるの嬉しいものだ。
メイドさんに私なりのお茶の淹れ方をメモしてプレゼントした。
「あ、ありがとうございます。精進いたします」
メイドさんにも跳び跳ねそうな勢いでお礼を言われて嬉しかった。
「まあ! メイドの真似事なんて恥ずかしくないのかしら」
「確かあの方、第二王子様の婚約者候補から外されたと聞きましたわよ」
「まあまあ! 私なら恥ずかしくて外も歩けませんわ!」
遠くの方で何処かのご令嬢達が私の噂話をしているようだ。
こういうのが嫌でお茶会を避けていたのだけど…………。
「今、私の大事な妹を侮辱したのは何処のどなたかしら?」
怒気をはらんだ声をあげたのは気の強いラフラ姉様だった。
「私の大事な宝物を侮辱したのは誰かと聞いたのよ!」
ラフラ姉様はある一カ所を見つめてそう言い放った。
これは絶対、誰が言ったか把握している。
ラフラ姉様は席を立つと、優雅にドレスを翻して奥のテーブルに向かっていく。
慌ててリベリー姉様に助けを求めようとすれば、満面の笑顔でラフラ姉様に手を振っていた。
これは駄目だ。
私は少し遅れてラフラ姉様を追いかけた。
「私の大事な宝物を侮辱したのは何処のどなたかしら?」
ラフラ姉様は、あるテーブルにたどり着くとさっきと同じ言葉を繰り返した。
そのテーブルに座る令嬢は三人。
よく聞き分けられたと感心してしまう。
三人のうち二人はは真っ青な顔をして俯いているが、残りの一人は好戦的にラフラ姉様を睨みつけた。
「あら、全部本当のことですわよね。メイドの真似事も第二王子様の婚約者候補から外れたのも! ちなみに私は候補に残ってますのよ!」
ラフラ姉様の眉間にシワが寄る。
私は慌てて二人の間に入った。
はっきり言って、羨ましくもなんともないことでもめないでほしい。
「アルティナ! 止めないで!」
私は首を横に振った。
これは本当に無駄な争いだ。
急いで『ラフラ姉様、私は大丈夫です。むしろ宝物といっていただけただけで嬉しいのです。嬉しい気持ちのままでいさせてください』とメモ帳に殴り書きした。
「アルティナ……貴女は天使なの? もう、お嫁になんて行かなくていいわ! 嫁ぎ先のレジトリート侯爵家で一生養ってあげるから。よろしくて?」
ラフラ姉様に思いっきり抱き締められた。
この後、騒ぎを起こしてしまった私達は早々にお茶会を退出することになったのだった。
やっぱり私は来ない方が良かったのだ。
※
王立図書館でその日、私は悩んでいた。
いつも私に美味しい特別ランチを作ってくれる料理長さんに何かプレゼントができないかと考えていたのだ。
兄に相談したら『それが彼の仕事だから気にするな』と言われてしまった。
でも、彼の仕事は決められたメニューを作ることであって、私用に作ってくれるランチは仕事外ではないのか?
やっぱり何かプレゼントがしたい。
私は悩みながらどんどん人のいない、専門書が並ぶ奥のエリアに向かっていった。
いつもならチラチラと視線を感じるが、このエリアは人の気配すらしない。
プレゼントのヒントになる本を探すため、背表紙を見つめていたその時だった。
「モニキス公爵令嬢」
突然背後から声をかけられ驚いた私の手から本がこぼれ、ヒッと小さな悲鳴を漏らしてしまった。
思わず両手で口を押さえながら後ろを振り返る。
そこには白銀の髪の男性が立っていた。
金色の瞳を銀縁眼鏡で覆った彼は、いつも王立図書館のカウンターに座っている司書様だった。
バレた!
声が出ることが、バレてしまった。
兄にも姉達にも知らされてしまう。
そしたら、尋常じゃなく怒られてしまう。そして私の図書館通いの楽園生活も終わりだ。
そう思ったら私の目から涙かこぼれ落ちた。
司書様は呆然と私を見つめた後、弾かれたようにオロオロしだし、そしてポケットに手を突っ込み絶望的な顔をした。
「……すみません。あいにくハンカチを持ち合わせていないのです」
そう言うと司書様は服の袖口で私の涙を拭ってくれたが、止まる気配はなかった。
「貸し出し用の登録書の不備がありまして、書いてほしいのですがよろしいですか?」
司書様は淡々とそう言った。
私は泣きながらコクりと頷く。
「では、こちらへ。そんな状態の貴女をこのままにしていたら自分の命が危うい」
首を傾げると、司書様は私の手をとって歩き出した。
連れていかれたのは入口脇にある司書控え室。
休憩していた他の司書様達が目を見開きうろたえる
「シジャル様! ななな、何したんですか? 泣かすなんて!」
「煩いよ。モニキス公爵令嬢が……手を怪我してしまったんだ。奥で処置してくる」
「ああ! なんだ! あ、魔法ですね! 解りました」
司書様の流れるような嘘に驚きながらそのままついていくと、更に奥に連れていかれる。
ついた先は小さな部屋で、奥に机が一つと中央に硝子のテーブル、そして二人がけのソファが一つあるだけの部屋だった。
「ああ、あった。さあハンカチをどうぞ」
司書様は机から綺麗にアイロンがけされたハンカチを取り上げ、私に手渡してくれた。
「涙が止まりましたら、こちらの書類の、ここにサインしていただけますか?」
私が書類を見つめると司書様はニコッと笑った。
「アルティナ・モニキス公爵令嬢。心配しなくても自分は誰にも何も言うつもりはありませんよ。どうぞ、ソファにおかけ下さい」
「……どうして?」
私が司書様を見ながらソファに座ると、彼は机の引き出しからお菓子を取り出しながら言った。
「自分にも秘密がありますから」
司書様はお茶用のポットに呪文を唱え、魔法でお湯を出すと紅茶を淹れてくれた。
渡された紅茶をゆっくり口にするとホッとする味がして、私はそのまま口を開いた。
「私の秘密は本来許されるものではないのです」
「というと?」
「……面倒になってしまったのです」
「面倒?」
司書様はキョトンとした顔でクッキーを一つ口に放り込むと残りを私の前に置いた。
「兄と姉達との会話が面倒になりまして」
司書様は暫く凍りついて、弾かれたように笑った。
「素敵な理由ですね」
「素敵な理由ではありません。嘘をついているのですから」
司書様は自分用に淹れた紅茶を一口飲むと言った。
「ですが、自分も会話が億劫だと思ったりしますよ。透明人間になりたいと常々考えたりもします」
司書様は更に紅茶を飲む。
私もつられるように紅茶を口にする。
美味しい。ちょっと落ち着いて涙も止まった気がした。
私は書類の指定された場所に名前を書き足した。
「自分は魔法が得意なんですが、それを知られたら魔法部隊に入れられてしまうので学生時代の魔法の成績は下から数えた方が早いように仕向けました。それと実は光魔法も使えるのですが、使えるとバレたら神官にされてしまうので、ここの司書仲間とごく一部の人間にしか話してません」
魔法を使える人間は国の三分の一ほどもいて珍しくはないが、魔法部隊に入れるほどの魔力がある人はまれであるし、光魔法は珍しすぎて見たことがない。
そんな話を私にしていい話なのだろうか?
私が首を傾げると司書様はニコッと笑った。
「自分はミリグリット辺境伯の次男のシジャルと申します。せっかくモニキス公爵令嬢の秘密をお聞かせいただいたので自分の秘密もお教えしようかと思いまして」
「何故……魔法部隊や神官が嫌なのですか?」
「自分は本が好きなので司書になりたかったのです。二十二歳の若輩ながら今や王立図書館司書長なんて役職も、もらっています」
「……羨ましいです。私も一日中誰にも邪魔されずに本を読みたいと思って喋るのをやめたようなものなので」
司書様はハハハっと笑った。
「では仲間ですね、モニキス公爵令嬢」
「仲間ですもの。アルティナとお呼び下さいませシジャル様」
「……では、アルティナ様。声の出し方を忘れないよう、たまに自分とお話ししませんか?」
「は、はい! ぜひ」
こうして、本の虫の私に秘密の仲間ができたのだった。
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