第15話 附け打ちの「まねき」上がる!

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 十一月三十日初日、十二月二十六日千秋楽の南座顔見世歌舞伎興行は、毎年多くの観客を魅了する。

 顔見世は、京都人にとって単なる歌舞伎公演ではなくて、三大祭(葵祭、祇園祭、時代祭)や、大文字の送り火と並ぶ、京都の冬の風物詩として生活の中に溶け込んでいた。

 歌舞伎に全く興味がない人も、南座前に「まねき」が上がると、師走を実感して、年の瀬が迫ったのを肌身に感じる。

「顔見世」は、冬の季語として定着しており、有名な歌人、吉井勇、与謝野鉄幹も一句詠んでいた。

 顔見世公演前の十一月二十五日、早朝。

 南座正面玄関上に、総ヒノキ板(高さ約1・8メートル)に、勘亭流の独特の書体で書かれたまねき板が掲げられる。

 東側(八坂神社方面)に東京の役者、西側(高島屋方面)に関西の役者のまねきが掲げられる。

(東西合同歌舞伎)とあるのは、そのためである。

 従来なら、二枚ほど残して、当日マスコミ向けに掲げる儀式となる。

 その年によって、最後の一枚の役者の名前は代わる。

 今年は、例年と少し様相が違っていた。

 東西の役者は、全て定位置に掲げられた。

 しかし、西側上部に一枚だけ、空間があった。

 マスコミ陣もそこの空間を撮影していた。

 駈け付けたマスコミ陣の数が、半端でなかった。

 百社は越えていた。

 さらに、今年から小型カメラ、ビデオカメラ搭載ドローンが、南座周囲を約百機飛行していた。

 京都府警は、特別に時間を区切って、ドローンカメラの飛行を許可していた。

 そのドローンカメラ大群を撮ろうと、ヘリコプターも旋回していた。

 ドローンカメラは、ヘリコプターよりも、もっと近くでよりリアル映像が撮れた。

 さらに今年からネット動画サイト「ネコネコ動画」が、生中継を始めた。

 スマホで全世界からアクセス出来た。

 正面玄関中央に「乍憚口上(はばかりながらこうじょう)」の大まねき板が置かれている。

 高さ、約1・8メートル。

 ぎっしりと細かく墨文字で書かれている。


 乍憚口上(はばかりながらこうじょう)


 京の師走(しわす)吉例の

 芝居収めは    顔見世也

 初お目見えは   附け打ちの

 まねき見つめて  響く音

 吉田神社の    意地比べ

 互いに競う    松と梅

 松王丸が     見得切ると(みえきると)

 負けじ劣らず   梅王丸

 絢爛豪華(けんらんごうか)車引(くるまびき)

 妹思慕(おもい) 宗五郎

 禁酒破り     あおる酒

 流行る思いで   立ち上がり

 義憤にかられ   手桶持ち

 目指す先には   殿様ぞ

 酒の勢い     男伊達(おとこだて)

 一力茶屋の    明と暗

 遊女おかるの   手鏡に

 映し出さるる   契り手紙(ふみ)

 祇園で手紙    読み決意

 由良之助     仮面剥ぐ

 生願成就     仇討ちよ

 主君の無念    胸秘めす

 二人の旅路    道行に

 見える星々    祈念星

 恐妻家      肝冷やす

 浮気心は     封印か

 親糸たぐる    十兵衛か

 由縁(ゆかり)結びし 親子縁(おやこのえん)

 親子再会     つかのまか

 断腸思い     涙雨

 若き熱情     蹉跌(さてつ)踏む

 四条河原の    鍔迫りに(つばぜりに)

 殺め(あやめ)立ち尽くし 我に返る 

 半九郎お染    死出(しで)の出発(たびだち)

 手携えて     顔合わせ

 悲嘆涙の     鳥辺山(とりべやま)

 雲絶間姫(くものたえまひめ) 鳴神(なるかみ)を

 あの手この手の    色仕掛

 民(たみ)の願いも  通じたか    

 ついに降らせし    恵雨(めぐみあめ)

 富樫(とがし)の情け 涙する

 首(こうべ)を垂れし      弁慶か

 六方踏みし           後ろ髪

 映し(うつし)京洛(みやこ)か 知恩院か

 東西名優            勢揃い

 花に添えしは          附け音ぞ

 南座知恩院           喝采鐘(かっさいのひびき)

 口々褒めし(ほめし)      噂波(うわさのなみ)

 大波小波            重なりし

 町衆歓喜            祇園町

 一期一会(いちごいちえ)の   おもてなし

 お茶子男衆(おちゃこおとこし) こころより

 お待ち申して          おりまする

 千穐楽(せんしゅうらく)    大入叶(おおいりかなう)

 何卒賑々しく(なにとぞにぎにぎしく) ご光来の程(ほど)を

 偏に(ひとえに)        お願い申し上げまする

                     南座敬白

   師走     


 文言は、今年の上演する演目の決め台詞や、芝居の筋、登場人物の心模様などを巧みに取り入れた、七五調、美文調のものだった。

 これの作成は、竹松関西演劇部室長、牧田迫幸(せまゆき)だった。

 まねきの空間を埋めるのが、我らが国宝さんの「清水元助」さんのまねき板だった。

 まねき上げには、儀式がある。

 裃姿の藤川南座支配人、大林副支配人が三方を持って現る。

 乍憚口上大まねきに向かって一礼。

 三方向に向かって、紙吹雪を投げて、清める。

 お囃子テープが流れる。

「今年のまねき上げは、例年と違いまして、最後のまねきは、附け打ち唯一の人間国宝、清水元助さんであります」

 司会進行は、南座宣伝部の亀原恵理さんだった。

 ゆっくりとまねき板が、下から順番に二人の職人の手を経て、上がって行く。

 関係者、見物衆も顔を見上げる。

 ハンディカメラも見上げる。

 ドローンカメラが、急降下して、その周囲に集まる。

 まねき上げ進行のために、最小限二階建てイントレが組まれていた。

 イントレとは、ビルの工事現場で見かける、鉄パイプを組んだものだ。

 定位置に置かれると、すぐに解体が始まる。

 今でこそ、まねき上げに伴う、イントレ設置は、どこの建設現場でも見かける、鉄パイプだったが、昔は違っていた。

 丸太棒を縦横に組んだもので、風情からするとこちらの方がよい。

 しかし、若い職人が怖がって、上がれなくなった。

 そして安全性を加味して、イントレに代わった。

 その時間稼ぎに、南座の紹介や、顔見世の歴史などを述べる。

 よく聞かれるのが、一体第一回顔見世は、何年何月だったのか。

 正解は、よくわからない。

 江戸時代始めと云う、いかにも大雑把な表現しか出来ない。

 今でこそ、毎年顔見世歌舞伎興行は行われていたが、江戸時代は毎年ではなかったらしい。

「では、ここで清水元助師匠が、皆様にご挨拶がございます」

 隣にいた、附け打ちの正装である、黒の着流し、裁着け袴姿の国宝さんは、挨拶に立った。

「皆さん、お早うございます・・・」

 今回、附け打ちのまねき板の名前が、役者と共に連ねるのは、歌舞伎四百年の歴史でもちろん、初めての事であった。

 このイベントが、竹松内部でも、意見が真っ二つに分かれたらしい。

「古来より歌舞伎役者の名前が掲げられるまねきに、附け打ちの名前があるのは如何なものか」

 これが反対派の云い分だったらしい。

 これに対して賛成派は、こう切り返した。

 年号も平成から次の令和時代になった。

「新しい顔見世。今までの伝統を引き継いだうえでの、何か新しいものをやるべきだ」

 最終的には、小谷会長の英断で決まった。

 今でこそ、番付(筋書)の巻末に、附け打ち、狂言作者、関西狂言方、頭取の名前が書かれているが、昔はなかったのである。

 時代とともに、少しずつ変わるのだ。

 僕ら附け打ち集団は、万感の思いで見上げていた。

 丁度一年前の顔見世千秋楽。

 皆で、このまねきを見て、

「来年は、附け打ちのまねきを上げたい」と云っていた。

 それが現実となった。

 でも一つだけ、僕も皆も不安があった。それは、

「国宝さんは、また今年もつけを打つのだろうか」と云う事だった。

 挨拶を終えると、すぐに、平台の上に正座した。

 目の前には、愛用のつけ板とつけ析があった。

「では、ここで皆さん方には、乍憚口上に向かって、清めの塩をまいて貰います。今年は、清水元助さんの打ち上げのつけでまいて貰いましょう。清水元助さん、お願いします」

 国宝さんは、ゆっくりとうなづくと、つけ板に向かう。

 ローアングルで撮ろうと、ビデオカメラ、カメラが殺到した。

 ドローンカメラ大群も急降下始めた。

「附け打ちどうぞ」

「パタパタ、パタパタ、パタパタ」

 実は、この附け打ちの打ち上げは、正確には後ろで尾崎さん、堀川さんの二人の片方ずつの手による打ち上げだった。

 ドローンカメラは、そこがばれないように、アップで近づく。

 マスコミもそれには触れない。

 当日現場に居合わせた者だけが知る、公然の秘密でもあった。

「チョン!」

「塩まきどうぞ!」

 観衆がいっせいに塩をまいた。

 手元が狂って、国宝さんの頭にも塩がかぶった。

 その絵図を狙って、ビデオカメラがさらに増えた。

 風が出て来た。

 僕は、空を見上げた。

 南座の梵天、まねきの上をユリカモメがゆっくりと鴨川に向かって羽を広げていた。


    ( 2 )


 まねき上げの後、南座二階東側ロビーにて、直会(なおらい)が開かれた。

 いわゆる、お疲れさん会である。

 握りずし、おにぎり、豚汁、サンドイッチ、などがテーブルに並べられていた。

 それぞれの部署が、暇な時にそこへ行って食べるのである。

 僕ら附け打ち集団が行くと、関西イヤホンガイド社長の高川きみこが、案内チーフの藤森理香とお喋りしながら、食べていた。

「丁度よかった。東山君、今年の顔見世のイヤホンガイド、全部附け打ちさんの対談入れようと思うの」

「でも、あと四日しかないですよ」

 まねき上げが、十一月二十五日。

 顔見世の初日は十二月一日ではなくて、十一月三十日である。

「何で、もっと早く云ってくれないんですか」

「決まってたら云うって。さっきの国宝さんの附け打ち、見たでしょう」

「もちろん、横で見ました」

「あの時、ピーンと閃いたの」

「何をですか」

「今年の顔見世は、附け打ちで行こうと」

「でも顔見世は、役者でしょう」

「役者第一主義は変わらない。プラスって意味」

「東山さん、えらい出世しはって」

 理香がにやけた。

「でも僕ら、稽古あるし・・・」

「やりなはれ」

 突然国宝さんが天の声よろしく、大きく声を張り上げた。

「国宝さん、有難うございます」

「本当にいいんですか」

 僕は、国宝さんを見た。

「せっかく、イヤホンガイドさんからの申し出や。断る理由もないやろ」

 確かに正論だった。

 七月のジョニーズ歌舞伎の時、メンバーの一人、西院大地につけを教える羽目になって、そこから僕と二人でイヤホンガイドスペシャル版、二人の対談をやる事になった。

 あれ以来、僕の名前は、ジョニーズファンの間でかなり浸透した。

 最新版のヤフー、Googleで「東山トビオ」を検索。

「スペシャル歌舞伎(ミヤコカケル)では、史上初の宙乗り附け打ちを経験、またジョニーズ歌舞伎では、西院大地につけを教えた。若手附け打ちの第一人者でもある」と出て来る。

 今でもジョニーズファンから、南座にファンレターが届く。

「その内、楽屋からの出待ち対策やらないといけませんかねえ」

 尾崎さんが云えば、

「一体どんな女が、待っているんだろうねえ。金もない、地位も名誉も夢も何も持ってない男のどこがいいんか。おじさんにはわかりましぇん!」

 と堀川さんは云った。

 日にちが迫っていて、ロビー稽古が明日から始まるので、収録は南座音響室で行う事になった。

 高川きみこからのリクエストは、

「附け打ちさんから見た、顔見世、歌舞伎」

「国宝さんについてのエピソード」

「附け打ち若手の東山トビオ対談」だった。

 国宝さんをよく知ってる人と云えば、鳴滝清子さんしかいない。

 これには、全員賛成した。

 問題は、僕の対談相手だった。

「別に歌舞伎を知らない人でもいいのよ。東山さんと気軽に対談出来る人がいいの」

「それって、役者さんですか。裏方さんですか」

「だから、表も裏も関係ないの。あなたの目線で選出してくれればいいから」

 きみこさんは云ってくれたが、余計に選出に頭を悩ました。

 まず、国宝さんと鳴滝清子さんとの対談が収録された。


 清子「附け打ちのまねきが上がるなんて、感無量。長生きしてみるもんやね」

 元助「有難うございます」

 清子「まず、京都、大阪での歌舞伎公演が増えた事がいいわねえ」

 元助「昔、大阪千日前に大阪歌舞伎座がありましたんや」

 清子「今の(ビッグカメラ)が入ってるビルですね」

 元助「それから、難波に新歌舞伎座出来て、最初だけ歌舞伎やって、段々やらん   ようになりましたなあ」

 清子「道頓堀中座は、竹松新喜劇が爆発人気で、歌舞伎やらんようになりまし     た」

 元助「関西で歌舞伎公演は、一年のうち南座の顔見世だけでした。歌舞伎公演     は」

 清子「そんな超酷い時代やのに、何でまた附け打ちやろうと思いはったん」

 元助「実は、ドラムやってまして」

 清子「戦後、進駐軍がやって来て、毎晩ダンスパーティーがあって、引っ張りだ    こやったんでしょう」

 元助「正味、あの時は稼ぎました。何本もステージ持ってました」

 清子「おなごはんにもよお、持てましたもんなあ」

 元助「エヘン」

 清子「アメリカさん女子の進駐軍兵士にも持てましたなあ」

 元助「話を元に戻しましょう。六年間の進駐軍時代が終わると、私の収入もがた    減り」

 清子「でもナイトクラブで稼いだらよろしおすがな」

 元助「いや、もう飽きた」

 清子「飽きた?ははーん、わかった」

 元助「何がわかったんや」

 清子「うちがあんたと別れたんも、その頃。うちにも飽きて、それで別れたんや    ろ。どこぞにええ、おなごはんが出来た。悔しい!」

 元助「痛いっ!つねらんといて」

 清子「で、何で附け打ちなん?」

 元助「敗戦で、価値観が百八十度変わった。昨日まで(鬼畜米英)と声高に叫ん   でたんが、手のひら返して、アメリカさんに媚びふっとる。

   何か価値が変わらんもんがないものかと思うた時に出会ったのが歌舞伎やっ   たんや」

 清子「それで、何で役者やのうて、附け打ちなんどすか」

 元助「歌舞伎は世襲制。それに歌舞伎自体勉強しいひん。ふと舞台観たら、板に    何やら叩いてる人がおったんや」

 清子「附け打ちさんやね」

 元助「そうや。俺はドラマー!」

 清子「ヤクザなドラマー?」

 元助「そのフレーズ、歌っても、今の若い人にはわからんよ。まあ収録段階で    カットやけどな」

 清子「失礼しました」


 国宝さんが、ドラマーから附け打ちに転身したのが、昭和二十六年。

 この年、一月、竹松創業者の白川松次郎が死去。


 その年の顔見世を元助さんは見たらしい。


 夜の部。

 菅原伝授手習鑑(寺子屋)

 松王丸を松木舞四郎

 小太郎を片山三太郎(現在・十五代目片山三左衛門)(当時六歳)

 千代を中林歌左衛門(六代目)

 武部源蔵を中林半三郎(一七代目)が演じていた。


 元助「さっきも云うたけど、世の中がこんなに変わったのに、この歌舞伎の世界    は、何も根本的に変わってなかった。こんな変わらん世界があったんや    と、目からうろこ。それで、附け打ちをやる事にしたんや」

 清子「で、誰に弟子入りしたんですか」

 元助「今から思うたら、附け打ちやりたいねんから、附け打ちの人に弟子入りす   るのが筋道やろう」

 清子「普通は、そうですねえ」


 ところが、元助さんは、寺子屋に出てた、中林半三郎に南座の楽屋で待ち受けていた。

 夜の部、出番を終えて出て来た半三郎にいきなり、

「附け打ちやりたいです」と直談判。

 すると、半三郎は、

「あんた、麻雀出来るか」とこちらもいきなり聞いて来た。

「出来ます」

 と国宝さんが答えると、そのまま宿泊先の旅館の部屋に連れて行かれて、一緒に麻雀をやった。


 清子「で、それからどうなったの」

 元助「あの人、麻雀大好き人間でな。それから千秋楽まで毎晩、麻雀の相手させ られて。千秋楽に楽屋に呼ばれてなあ」

 清子「何云われたの」

 元助「明日からは、東京へ一緒に来いと」

 清子「凄い!」

 元助「それから、東京へ行ったんや」

 清子「私を放っておいてね」

 元助「それは、堪忍なあ」

 清子「七十年近く過ぎてから云われてもあきまへんなあ」 


   国宝さんは、半三郎の紹介で、附け打ちの先輩を紹介された。

   天下の半三郎の紹介とあって、かなり優遇されたらしい。


 清子「で、あんたの失敗談この辺で聞いてみたい。何かあった」

 元助「失敗なんて、もう星の数ほどあるがな」

 清子「その中で、とっておきの話を」

 元助「祇園甲部歌舞練場で、今年、ドラム叩きました。その時、スティック飛ば   して、雪駄で叩いたやろ」

 清子「ありましたねえ。あれ、大笑いしました」

 元助「それであの時、思い出した事あるねん」

 清子「何をどすか」


   中林半三郎が出ていた芝居「魚屋宗五郎」

   酔った勢いで、花道を駈けて行く所。

   いつものように、国宝さんが、半三郎の花道入りに合わせて、つけを打っていたら、急に舞台に戻って来て、国宝さんの附け打ちの所まで来て、

  「お前の附け打ちは、うるさすぎる!俺の心情を組んでやれ!」

   と激高した。

   その後、半三郎は、国宝さんのつけ析を取り上げて自分の懐にしまい込んで、花道入りしようとした。

    困った国宝さんは、袖に置いてあった、自分の雪駄で、花道入りのつけを打ったそうだ。

    客席は、おおいに沸いたそうだ。

    終演後、くび覚悟で半三郎の楽屋を訪れたら、

   「お前のその執念、やるねえ」と云って、にやりとされたとか。

 元助「しやから、雪駄見ると、十七代目の半三郎思い出す」

 清子「私とあんたとのこの前の、祇園甲部歌舞練場での会でも、あんた、ドラムのスティック落として、代わりに雪駄でドラム叩いてた」

 元助「よほど、わしは、雪駄に縁があったんやなあ」

 清子「半三郎さんは、本当麻雀好きだったわよねえ。私も何度かお相手したけ    ど。わざと手加減して負けたら、烈火の炎の如く、怒るの」

 元助「何て云われたんや」

 清子「お前は、わしをバカにしてるのか!勝負事と芸は、真剣勝負やと」

 元助「あの人の云いそうな事や」

 清子「ほんまに、子供みたいなところおましたなあ」


   長々と、二人の対談は続く。

   イヤホンガイドでは、開演前の時間を利用しての二人の対談を流した。

   時間に制限があるので、編集、割愛もあった。

   しかし、全部収録して欲しいくらい、聞きごたえがあった。


     ( 3 )


「それで、お前はんは誰とイヤホンガイド対談やるんや」

 稽古の合間を利用しての対談を終えた、国宝さんは僕に聞いて来た。

「その事で、ご相談したいと思いまして」

「何や」

 南座隣りの「松葉」でにしんそばを食べながら、僕と国宝さんは話していた。

 窓から、四条通りを行き交う人の姿が見えた。

 ついこの間まで、

「暑い、暑い」

「死にそうなくらい、身体が火照る」

 等と、顔じゅうに汗の油絵を作りながら会話してたのだ。

 それが、人々は長そでに、コートを羽織っていた。

 中には、真冬の厚手のコート姿の人もいた。

 京都は、例年温暖化の影響か、十二月に入っても温かい日が続いていた。

 しかし、今年は冬の顔を出すのが早いような気がした。

「国宝さんは、誰がいいと思いますか」

「そうやなあ。役者、裏方では、芸がないか。ありきたりやし」

「でしょう。僕は最初は鳴滝清子さんとやろうかと目論んでました」

「そりゃあ残念でした」

 国宝さんは笑った。

「第二志望は、誰にするんや」

「嵐山こども歌舞伎に出てた、紫竹宝石くんはどうかと」

「えらい変化球投げて来ましたなあ。で、高川きみこはんは、どう云うてるんや」

「僕のご指名なら、誰でもオッケイだと云ってました」

「そうかあ。わしもきみこはんと同じ意見や。宝石くんとしたらええがな」

「有難うございます」


 ロビー稽古では、基本的につけは打たない。

 末席に座り、稽古には付き合う。

 役者からたまに、

「ここで、つけを入れてよ」とか

「本来、立ち上がった時に、つけ入るけど、歩き出してからにしてよ」とか

「顔を上手向けたら、一つ入れて」とか云われる。

 古典歌舞伎で、よく上演されるものは、今はビデオで見れる。

 僕のパソコンにも、ほぼ入っている。

 尾崎さんも堀川さんも、

「ビデオを信用するな」

「役者によって、いや、劇場、日々変わるから」と云われた。

 国宝さんに至っては、

「ビデオは、その時のその瞬間の記録。あてにしたらあきまへんでえ」

 と断言した。

 尾崎さんも、約二千本の演目、舞踊、芝居のビデオを持っている。

 尾崎さんの凄いところは、収録された日付、劇場名、役者の他に、当日の天候、気温(外気と場内温度)、湿度、観衆数(一階、二階、三階個別に)、使ったつけ板、つけ析の名前まで記録されていた。

 そのために、つけ板とつけ析には、自分にしかわからない符牒があった。

「キュン1」「重い3」「カロちゃん」など。

 湿度は、携帯ものの小さいもので、すぐに測れるものを持っていた。

 つけ板は、欅(けやき)、つけ析は白樫で出来ていて両方とも木材なので、湿度には敏感なのである。

 一か月劇場公演では、三本から五本のものを用意していた。

 長年、各劇場を渡り歩いていると、それぞれの特性がわかって来る。

 南座は、舞台上部に、「破風」と呼ばれる、能舞台の名残りの産物がある。

 緩やかな曲線を描く屋根がある事で、つけ音が響きやすい。

 改装されて、場内の傾斜、絨毯、大天井も張り替えられて、数年前とまた違った音になっていた。

 劇場音響設計者は、世の中に数多くいるが、このつけ音を頭に中に入れて設計する人は、残念ながら日本には、まだいない。

 そのロビー稽古の合間に、収録をした。

 紫竹宝石は、母親の数子とともにやって来た。

 僕は、この子供が実は女の子だった事と父親が、片山冨蔵だった事は衝撃的だった。

 音響担当は、イケメン男子風の新川真由子だった。

「では、始めましょうか」


 東山「皆さん、今日は。附け打ちの東山トビオです。実は僕の横には、本当に可    愛い子供さんが来てくれました。ご挨拶お願いします」

 宝石「紫竹宝石です。お願いします」

 東山「宝石君を知らない人のために、ちょっとここで宝石くんの経歴を云います    ね」


   僕は、今年の夏の嵐山座での嵐山こども歌舞伎「嵐山版・八犬伝」の話を中心に話を進める事にした。

  

 東山「宝石くんの犬嫌い、直すために家で犬を飼う事になりました。どうでした    か」

 宝石「地獄の始まりです」


   率直な宝石の一言に、僕も見守っていた母親の数子さんも口を大きく開けて   笑った。

   新川真由子も笑っていた。


 東山「だよねえ。同じ穴の狢(むじな)。わかるわあ」


   簡単に、僕も犬嫌いを説明した。


 東山「何で、犬嫌いになったの」

 宝石「昔もっと小さい時に、飼い犬に手をかまれました」

 東山「格言通りの出来事だったんだ」

 宝石「格言?」

 東山「いや、後で検索して下さい」

 宝石「東山さんは、どうして嫌いになったんですか」

 東山「似たり寄ったり。小さい時に犬乗りされてね」

 宝石「それは大変ですね」

 東山「それがトラウマになってね。でも嵐山こども歌舞伎で本物の犬を使うと聞    いてどんな気持ちだったの」

 宝石「地球から脱出したかったです」

 東山「火星にでも行きたかったって事だよね。よく耐えて頑張ったよね。本番で    は、犬乗りされた僕を助けてくれたし」

 宝石「あれは、とっさの判断です」

 東山「今は、克服出来たの」

 宝石「いやあ、完全ってわけじゃないけど。私京都ジョニーズの大地くんのファ   ンで、手紙出したんです」

   

   その話は、大地から聞いた。

   大地こそ、その手紙で救われたんだ。


 宝石「それは知りませんでした」

 東山「将来は」

 宝石「歌舞伎役者は出来ませんが、何らかの形で歌舞伎にかかわって行きたいで

    す」

 東山「今は、昔に比べるとかなり女性の活躍の場が増えたと聞いてるよ。照明、   小道具、床山、衣装、音楽、・・・」

   

   ふと窓を見ると、二階客席の後ろから僕らを見ている高川きみこに気づいた。


 東山「それと、イヤホンガイドね」

   慌てて付け足した。


 収録は無事に終わった。

「個人的には面白かったけど何か、インパクトないよね」

 録音聞いた、きみこの感想だった。

「どこがですか」

「二人の犬嫌いだけの話に終始してて、歌舞伎に絡んでないのよね」

「はあ、まあそうですけど」

 それは僕もわかっていた。

「これを聞く、イヤホンガイドのお客様って、初めて聞く人も多いのよ。ぶっちゃけ、二人の犬嫌いなんて、どうでもいいのよ」

 いきなり、直球をきみこは、僕のこころのど真ん中に投げつけた。

 ここで僕は、大きく息を吸った。

「取り直しですか」

「じゃなくて、もう一本別バージョン欲しいよねえ」

「でも、初日近づいてますし」

「途中から差し替えも出来るから大丈夫」

 でも、僕の方は大丈夫じゃなかった。

「ちょっと待って下さい」

「はい、ちょっとだけなら待ちます」

 きみこは、口元に笑みを浮かべた。


     ( 4 )


次に僕がイヤホンガイド解説の中での対談相手に選んだのが、義太夫三味線の矢澤竹也師匠だった。

 元々、義太夫狂言(演目)は、文楽から来ている。

 近松門左衛門作の作品に登場する。

 舞台上手端に、語りの太夫と共に出て来る。

 竹也師匠は、今は、歌舞伎の義太夫三味線奏者だが、元々国立劇場文楽養成所出身である。

 16歳の時に、広島から上京して養成所に入所した。

 歌舞伎と文楽、両方の世界を知っているレジェンドでもある。

 同じ演目でも、歌舞伎と文楽では、微妙に義太夫三味線の演奏が違う。

 それを瞬時に出来る、数少ない達人でもあり、職人でもある。

 竹也さんは、自宅で義太夫三味線と義太夫の語りを同時に行う町家ライブを月に一回、京都御所近くの町家でやっている。

 元々、東京のマンションに住んでいたが、この町家ライブをやるために、京都に引っ越した、京都大好き人間でもあった。

 時間の関係で、三味線の歴史はカットした。


竹也「実は三味線の棹は、折り畳めるんです」

東山「それ、意外と知らない人いますもんね」

竹也「役者でもいるんです」

東山「これこれ」

竹也「これ、後で編集でカットして下さい」

  横で、きみこが笑いをこらえていた。

竹也「二つ折りに始まって、三つ折り、六つ折、九つ折までありますから」

東山「九つまで!」

竹也「はい。で、九つ折まで来ると、その細かくなった棹を胴の中に収納出来るん   です」

東山「どうしてですか」

竹也「それ、しゃれなの?」

 親父ギャグには、敏感に反応する竹也師匠だった。

竹也「胴の皮の部分がスライドして、そこに短くなった棹を収めるんです」

東山「竹也師匠は、文楽と歌舞伎の両方の世界を渡って来られました。この両者の   大きな違いって何ですか」

竹也「一言で云うなら、文楽は太夫ありき。歌舞伎は役者ありきなんです」

 云われて見ればそうだ。

東山「確かにそうですね」

竹也「役者ファーストです」

 次に僕は、一番聞きたかった事を聞いた。

東山「確かに。事前に自分で稽古と云うか、リサーチすると思うんですけど、ビデ   オがない時代って、どうやってたんですか」

竹也「根性で覚えてました」

東山「根性!」

 予期せぬ言葉が竹也師匠から出て来たので驚いた。

竹也「まあちょっと大げさですけど。根性プラス稽古のたびに、役者から当然駄目   出し出ます。その都度、台本に書き込むわけです」

東山「じゃあ、次に同じ演目、同じ役者に当たると、その書き込みが生きて来るん   ですね」

竹也「ところが、全く生きて来ません!」

 意外な返答に僕は戸惑った。

東山「どうしてですか?」

竹也「同じ演目、同じ役者、同じ劇場でも再演するとまた違う駄目出し喰らいま    す」

東山「それって役者の気まぐれですか」

竹也「まあそう云う役者も中にはいるでしょう。例えば・・・」

 きみこが、慌てて、両手で✖を作った。それを見て僕は、

東山「師匠、名前はいいです。続けて下さい」

 と云ったものの、本当はその役者の名前を聞きたかった。

 まあ、大体わかりますけど。

竹也「何故同じでないかと云いますと、例えば五年ぶりに再演されたとしましょ    う」

東山「演目、役者、劇場三つが同じですね」

竹也「はい。上演される月まで同じとしましょう。でも駄目出し出ます。それは    ね、その五年の間に、役者が演技に開眼、成長する。さらに付け加えると、   役者も義太夫三味線奏者の私も五歳、年を重ねるわけです。そこも違う」

東山「そうなんだ」

 僕は半分得心した。

竹也「さらに付け加えると、同じ劇場でも、お客様も違う」

東山「当然です」

竹也「細かく云うと天気、気温、湿度も違うわけです。東山さんの先輩、尾崎さん   は、これら全てノートに書いてるらしいなあ」

東山「はい。尾崎さんもビデオは参考にしても、頼るなと口を酸っぱくして云って   ます」

竹也「ビデオは、その時、その瞬間の記録やからねえ。わかりやすく云うと、例え   ば一日だけ、東山さんの行動を記録したとしましょう。それが全て東山さん   かと云うと・・・」

東山「そうじゃないです」

竹也「でしょう!」

東山「義太夫三味線にとって、一番大事な事って何ですか」

竹也「三味線を弾く技術に皆さん、目が行きますけど、それよりも大事なものは、  (間)です」

東山「(間)ですか」

竹也「間は大事です。結局邦楽全般にも云えますけど」

東山「実は、附け打ちの先輩方も同じ事云ってます。(間を大事にしろよ)と」

竹也「でしょう!」

 僕は思い出していた。

 スペシャル歌舞伎「ミヤコカケル」で犬之助は、稽古の時、度々、

「そこの台詞、もっと間合い詰めて」とか

「それ、間合いが伸び過ぎ」とか云っていた。

 切っ掛けで、音が0.5秒遅れただけで、

「音、遅い!」と叱声していた。

 あと、今の犬之助、先代犬之助(犬翁)は、場面転換で、暗転幕が降ろされて、音楽だけが流れる「間」を極端に嫌がった。

 だから、「ミヤコカケル」の初演台本は、暗転幕の代わりに、幕一面に場面の絵が描かれた道具幕なるものを降ろして、すぐに、上手下手袖、花道から役者を登場させた。

 この「道具幕」が注目されたのも、ミヤコカケルからだった。

 あと、「英国斜幕と云われる、明かりが入ると中の様子がわかる、黒の網目模様の幕が使われたのも、ミヤコカケルからだった。

 まさに、犬翁は、歌舞伎に挑戦したのだった。

 今、僕の前にいる、義太夫三味線奏者、矢澤竹也も創作浄瑠璃に挑戦していた。

 喜劇女優藤川直美も「間」一つで場内を爆笑の大波を何度もこさえていた。

 平凡な役者は、客席の笑いが静まるとすぐに話し出す。

 しかし直美は、さらに0.5秒ほど待つ。

 この微妙なずれが、さらに次の笑いの大波を作り出していた。

 直美の父、藤川トンビは、

「(間)は(魔)に通じる」と云っていたらしい。


東山「生の舞台ですと、今までハプニングあったと思うんです。例えば、役者がそ  こで、舞台にある家の部屋に上がるはずなのに、上がらないとか、そこでたも  との手紙を読むのに読まないとか」

竹也「ええよくあります。切っ掛けで花道から出るはずなのに出て来ないとかね」

東山「そんな時どう対処するんですか」

竹也「カラニですね」

東山「カラニと云いますと」

 竹也師匠は説明してくれた。

 三味線の二の弦を弾いて間を持たす。

 そうする事によって、客に気づかれないようにする。

竹也「本番中に三味線の弦が切れた事もありました」

東山「ありゃあ、大変だ!僕も去年、つけ析を飛ばした事ありました」

竹也「犬に吠えられてでしょう」

東山「僕の事はいいですから。で、どうするんですか」

竹也「太夫さんは、待ってくれませんから、合間、合間に(はっ)とか(いよっ)  とか云いながら、自分で糸を直します」

東山「運命の糸ですね!」

竹也「東山くん、上手い!座布団三枚!」

 最後に、竹也師匠は、今回のイヤホンガイド収録のための創作浄瑠璃を披露してくれた。

~~~ 創作浄瑠璃 「析音平和響祈念」(きのねへいわへのひびくこころ)~~       ( 作 矢澤竹也 )

🎶

一つ響くは   析の音かな

二つの析で   叩く附け打ち

三つ皆の    こころまとめて

世の情けに   思い込め

振り下ろしたる 析の音かな

刻む附け音   こころ模様

舞台端から   届けたる

附け音響く   劇場(こや)嬉し

幾重も重なる  音共演

役者魂にも   火をつける

摩訶不思議也し 附け音ぞ

客のこころ   鷲掴み

打ち上げ響く  芝居町

はっとさせるは 職人わざ

今宵はひと時  楽しむか

「タンタンタン、タンタンタン!」


 竹也は、口で附け音を云いながら、それを義太夫三味線で表現していた。

 三本の糸しかないのに、どこからそんなに多様な音が出るのか僕には、不思議を通り越して呆然、唖然、こころが開きっぱなしで聞き惚れた。

 器用な指の開き、上下に動く指と手首のスナップ。

 恐らく、外人だったらここでスタンディングオベーションを始める事だろう。

 義太夫三味線の音色の洪水は、僕の目にも涙の洪水を生まれさせた。

 もちろん、この涙は悲しい涙なんかじゃない。

 嬉し涙、希望の涙、勇気づけられた涙でもあった。

 今回の収録で、僕は附け音と義太夫三味線の音色が密接な関係であると認識させられた。

 これを発明した400年前の日本人に脱帽だ!


  




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