第14話 幕間(4)附け打ち展、始まる!
( 1 )
「それでは、テープカットに移ります」
その声で、国宝さんは、輝美さんの手を借りてゆっくりと立ち上がった。
普通のテープカットなら、紅白の布地が垂れているが、ここは二色ではなくて、黒、柿、萌黄色の三色だった。
そうこの色は、歌舞伎の時使用される定式幕の配色だった。
国宝さんの両隣には、竹松東京本社代表取締役会長の小谷信吉、藤川南座支配人がいた。
ここは、四条河原町にある、高蔦屋百貨店七階にある、催し会場である。
今日、十一月十五日から、十二月二十六日まで、竹松、高蔦屋百貨店共同主催の「附け打ち展」が始まった。
定式幕三色に合わせて、テープカットも三人にするこだわりだった。
三人が、同時にハサミを入れた。
周りから盛大な拍手が起こった。
会場には、衣笠大作京都市長、今出川駒三京都府知事の姿も見受けられた。
竹松も、今まで東京、京都、大阪等で、歌舞伎展は、数多く開催して来たが、今回の附け打ち展は、初めてだった。
何故、附け打ち展なのか。
説明はひとまず、置いといて話を続けます。
館内は、パネル、写真展示もあった。
附け打ちの歴史、人間国宝に認定された時の、国宝さんの記者会見、今年に限って云えば、二月の歌舞伎マラソンでの、堀川さんと、尾崎さんコンビの南座前での二人の附け打ちの連打、五月スペシャル歌舞伎「ミヤコカケル」での宙乗り附け打ち、八月のジョニーズ歌舞伎でのデモンストレーションの四条河原での、特設舞台での附け打ち、そして嵐山こども歌舞伎、嵐山座での附け打ち、祇園甲部歌舞練場での国宝さんと僕のドラムセッション等のシーンが大きな写真、ビデオで紹介されていた。
一つ、一つ眺めながら、
(今年は色んな事に挑戦した年だったなあ)と思った。
「あれ、おかしいなあ」
附け打ち年表の所まで来て、堀川さんは大きな声を出した。
「どうしたんですか」
僕は聞いた。
「あのビッグニュースが載ってないんだよなあ」
大きく首を傾げた堀川さんだった。
「何か間違いありましたか」
堀内さんの、大きな声を聞きつけて、南座宣伝部の亀原恵理が飛んで来た。
「ああ、宣伝部の亀原さん、附け打ちの堀川です」
「知ってますよ」
恵理は、少し口元に笑みを誕生させた。
この人は、元々顔立ちが派手なので、少し笑うだけでかなりの笑顔美人になる。
得な顔立ちだ。
「ここら辺に、重大ニュース欠けてるよ」
堀川さんは、昨年の項目を指さした。
「どんなニュースですか」
「附け打ちの若きホープ、東山トビオが客席の犬にびびって、うんちとおしっこ漏らした事件」
亀原さんは、くすっと今度は、中くらい笑った。
さらに美人度偏差値が、急上昇した。
四十歳独身。目が大きく美人顔だけど浮いた噂はない。
「うんち漏らしてません」
「ごめん、ごめん。おしっこだけだったかなあ」
「おしっこもしてません!」
大きく叫んだので、参会者が僕らを見た。
「これ、大きな声出しな」
国宝さんが、たしなめた。
「しっこ、猶予判決に処する」
「よろしくお願いいたします」
堀川さんのオヤジギャグをスルー、一礼して、亀原恵理さんは去った。
今回、一番の人気コーナーは、
「みんな、やってみよう!附け打ち」だった。
16K超スーパーハイビジョンに映し出される歌舞伎映像に合わせて、参加者は附け打ちを体感、体験出来た。
参加者の顔、体形を素早く読み取り、画面にそれを映し出す。
まるで、大劇場で自分が附け打ちになったような映像が流れる。
歌舞伎演目と劇場名は自由に選択出来た。
特に、女子に大人気だった。
と云うのも、現在、附け打ちは、男子しか出来ない。
女子が附け打ちを目指したくても出来ない。
しかし、この映像は出来る。
いわゆる、疑似体験の極みだった。
科学の発達は、人々の妄想を具現化出来るようになった。
その内、3D立体映像で、そこにいなくてもいるようにして附け打ちがつけを打つ時代が来るかもしれない。
そうなると、全ての劇場で同時に僕がつけを打つ事も可能になる。
しかし、それは同時に堀川さんも同じように出来ると云う事だった。
にやついていると、
「何だか、楽しそうねえ」
後ろから、ふいに声を掛けられた。
振り返ると、関西イヤホンガイドの高川きみこと丸太さんが立っていた。
「丸太さんと高川きみこさん。珍しい組み合わせですね」
「一応、元附け打ちとしては、初日のセレモニーは出席しておかないとね」
「こうしてみると、附け打ちも昔に比べると、随分認知度が上がったよね」
「確かにな。私らの頃は、附け打ちやってますと云っても必ず麺職人に間違えられたからな」
「去年の話ですけど、僕もそう云われました」
「何だ、まだ云われているのか」
丸太さんは、呆れかえったように云った。
「そこでね、今年の顔見世から、イヤホンガイドで必ず附け打ちの人、紹介するように決めたの」
イヤホンガイドを使った事がない人のために説明しておくと、歌舞伎を見ていると、役者が登場すると、役者の名前、屋号、得意な役柄などを説明してくれる。
「それは良い事ですね。例えば、僕が舞台に出たらどうなるの」
「(只今、上手端に登場しましたのは、附け打ちの東山トビオ。昨年より附け打ちを本格的にデビュー。苦手なものは「犬」。昨年は、客席に盲導犬がいる事で、つけ析を飛ばし、失敗して、嵐山の双龍寺へ左遷されました)と云うのは、どう?」
「堀川さんといい、高川きみこさんといい、僕の犬嫌い、引っ張りますねえ」
「そこがいいの。その(犬嫌い)を売りにしたらいいの」
きみこさんは、大の犬好き人間で、犬を六匹飼っている。
三人で、「附け打ち疑似体感コーナー」を覗く。
一人の少年が、早速附け打ちを経験していた。
劇場名「南座」、歌舞伎演目「弁天小僧・稲瀬川勢ぞろいの場」
五人の盗賊の華やかな花道出で、見得を切って出て来る。
少年は、真剣に画面を見ながらつけを打っていた。
「あれっ、あの子」
きみこさんが指さした。
「あっ、もしかして宝石くん?」
すると、その声に女性が振り返った。
母親の数子さんだった。
八月の、嵐山こども歌舞伎「嵐山版・八犬伝」に出てた子供だった。
「附け打ち展、初日おめでとうございます」
「来られてたんですね」
「はい。宝石がどうしても来たいと云うものですから」
「学校は」
「休ませました」
「やりますねえ」
話していると、附け打ちを終えて、宝石くんがやって来た。
「お早うございます!」
八月の時よりも、はるかに大きな声だった。
あれから、二か月ちょっとしか経っていないのに、何だか遠い出来事のような気がする。
こんな仕事してると、毎月、毎月出し物に追われて、一年が本当に早く過ぎて行く。
「どう、元気にしてた」
「してたよ」
「附け打ち、真剣にやってたねえ」
「附け打ち、面白い」
「じゃあ、大きくなったら附け打ち、やってみるかい」
と僕は気軽に声をかけたつもりだった。
宝石は、急に下を向いた。
「出来ればいいけど、今は無理」
「そりゃあそうだ。学校卒業しないとね」
「そうやなくて」
ここで、宝石は母親を見た。
「あのう、東山さん、実はうちの宝石、女なんです」
「ええええっ!本当ですか!」
隣にいたきみこも驚いていた。
いちいち、子役に、
「きみは、男の子?女の子?」とは聞かなかった。
変な聞き方すれば、セクハラになり兼ねない。
それに、子供に限らず、対面した人にいちいち、男女の性別を聞いたりなんかしない。
「すみませんでした」
僕は、取り敢えず謝った。
「いえ、私のほうこそ、きちんとお伝えすべきでした」
「男になりたいよおおお」
宝石は、愚痴った。
「未来の、新川真由子二代目よね」
きみこさんは云った。
南座音響の新川真由子は、イケメン風で、初対面の人は必ず、男と間違える。
この世界は、男女の境界線は、あやふやなのだ。
( 2 )
僕らが話していると、向こうから附け打ち展をぐるっと視察して、戻って来る、小谷竹松会長、藤川南座支配人、衣笠京都市長、今出川京都府知事と云うお偉い方々一行が来た。
藤川支配人が、小谷会長に僕ら附け打ち集団を紹介してくれた。
「おめでとう。よかったね。これでまねき上げの日、堂々と附け打ちの名前があがるって事ですね」
小谷会長が破顔一笑した。
「こちらが、東山トビオさんです」
わざわざ藤川支配人が、僕のそばに寄ってさらに個人紹介を始めた。
「きみかあ」
小谷会長は、僕を下から上までじっくりと視線を絡ませた。
「いい祖先を持ってるねえ。頑張ってくれたまえ」
「祖、祖先?」
一体何を云ってるのか、わからない僕を置いてけぼりに、固く握手を交わして立ち去った。
「そしたら、次は東山くんのサプライズコーナーへ行こか」
国宝さんと宣伝部の亀原恵理さんが顔を見合わせて笑った。
「お前はんに実は内緒にしてた事があるんや」
「あちらの一番奥の展示コーナーへどうぞ」
恵理さんが誘導してくれた。
「一体何ですか?」
「実は、お前はんの松山のお母さんからの貴重な家宝ともいうべき、品物を展示してるんや」
「これです」
恵理さんが指さした。
陳列ケースの中には、古びた析頭二つ置かれていた。
二つの析頭は、古い焦げ茶色の細い縄で繋がれていた。
析頭のそばには、白黒、カラー二つの写真パネルがあった。
「こんな析頭、僕は初めて見ました」
「実は、これは最近見つかったそうや」
「この写真パネルにある建物からですか」
「違うがな。お前はんの実家の蔵からやがな」
国宝さんが説明してくれた。
析頭の側面には、「日本銀行京都支店」と刻印されてたそうだ。
「日本銀行京都支店と云うたら、今の烏丸御池にある(京都文化博物館)の事やがな」
「設計は、あの東京駅丸の内駅舎を作った、辰野金吾です」
恵理さんが補足説明してくれた。
白黒写真は、開業当時のもの。カラー写真は今の建物。
地下鉄烏丸御池駅から徒歩五分くらいの三条通り沿いのところにある、煉瓦作りの建物だ。
この通りには、幾つかの煉瓦作りの建物が今でも残っている。
京都は東京、大阪のように大空襲は受けなかった。
(太平洋戦争末期の昭和20年に馬町、西陣で局地空襲被害は受けた)
その為、明治時代に建てられたものが、そのまま数多く残っていた。
「その日本銀行京都支店と、うちの蔵で見つかった析頭と一体何の関係があるんですか」
素朴な疑問を僕は投げかけた。
「さあ、それやがな。わしもこの話聞いてびっくりした」
陳列ケースの前で、国宝さんの話は続く。
日本銀行京都支店が出来たのが、明治15年(1882年)
開業当時、始業と終業の合図に、今、目の前で見ている析頭が活躍したのだ。
これは当時の官報にも記載されていたので、事実である。
「ベルでも鐘でもなく、析頭ですか!ああびっくりしたあ」
単純に僕は驚いた。
「びっくりするのは、まだ早い!」
国宝さんは、歌舞伎の演目「封印切」の主人公、忠兵衛の一節の台詞を芝居かかって云った。
「何やとう、まだあるんかい」
僕も調子に乗って、八右衛門に成りきって切り返した。
「面白いのは、析頭の打つ回数や」
「回数?」
「そうや。始業は三つ、終業は四つ打ったそうやがな。東山、析頭三つと云えば」
国宝さんが、じろっと僕の顔を見た。
「まわりですか」
「そうや」
(まわり)とは、開演五分前を知らせる、析頭の数。
今では、舞台袖にある、制御盤のところで、狂言方(舞台監督)が析頭を三つ打ち鳴らす。
その音を拾って、各楽屋に設置されたスピーカーから流れる。
江戸時代は、析頭を三つ打ちながら、楽屋を周ったそうだ。
(まわり)の言葉の語源はそこから来ている。
二丁(開演15分前)の時は、二つ打ち鳴らす。
「終業の時は四つ?何でかなあ」僕はぼそっとつぶやく。
「始まりより少ないのはおかしいから四つとちがうか」
「はあ、そうですか」
「これからさきは、わしの勝手な推測。お前はんの祖先、ひょっとしたら歌舞伎の世界に入ってた、もしくは関係してたか、はたまたかなりの歌舞伎通やったかもしれんな」
国宝さんはそう云って笑った。
「お前はんが、附け打ちになったのも何やら深い縁があった。つまり矢澤竹也がよう口にしてる・・・」
「人生台本通り!」皆で合唱した。
今頃、竹也師匠は、大きなくしゃみをしているかもしれません!
この「附け打ち展」は、来る南座まねき上げの日に向けての助走でもあったんです。
「皆さん、歌舞伎四百年の歴史で、初めて附け打ちの名前が書かれたまねき板が、あがるんです!」
僕は、大声でそう云いたかった。
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