第12話 幕間(3)附け打ち、大文字の送り火を見る

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 ここで、少しだけ時間を巻き戻したいのです。

 どうしても、今からの出来事は、皆さんにお話ししたいからです。

「嵐山こども歌舞伎」公演が始まる四日前。

 つまり、八月十六日の事です。

 八月十六日と云えば、京都人ならピンと来ますよね。

 そうです。

 大文字の送り火です。

 この日、稽古もお休みだった。

 京都の三大祭(葵祭・祇園祭・時代祭)とこの大文字の送り火を合わせて、京都四大行事とひとくくりにする人がいるけど、これは、他の三つとは、性格も方向性も違う。

 さらに京都人の捉え方が全然違う。

 大文字の送り火は、お盆で、それぞれの家に戻っていた、精霊が、再び黄泉の国、浄土へ帰る時の道しるべに、あのような、大掛かりな火をたくのだ。

 よく大阪人は、「大文字焼き」と云うけど、そんな事決して京都人の前では云わないで下さい。

「うちとこ、そんな焼き物、おへん!」

 と軽蔑の目で云われますから。

 

 僕ら附け打ち集団と附け打ち評論家の小林伸子は、嵐電嵐山駅で、ある人を待っていた。

 ある人とは、京都タツミ舞台、棟梁の沢田三治さん、あだ名は「若頭」である。

 そのあだ名の通り、反社会的勢力のシンボルの雰囲気は、警視庁の前を通っただけで、三人の警官に取り囲まれた逸話の持ち主だ。

 大文字の送り火を見ようと、構内は、混んでいた。

 しかし、電車から降り立った、三治さんの周りは、モーゼの十戒のように、空間が出来ていた。

 濃い茶色のサングラスしているので、余計そのオーラが出ていた。

 三治さんの要望で、嵐山の大文字の送り火を見る会が発足したのだった。

「東山も混どるけど、嵐山も凄い人出やな」

「そうです。大文字の送り火を見るのは、今や、日本人だけではないんです」

 僕を始め、附け打ち集団で、嵐山からの大文字の送り火を見るのは、皆初めてだった。

 こちらは、「鳥居型」「左大文字」「船形」が見える。

 午後七時。

 まだ日は明るい。

 点火時刻は、午後八時。

 東山如意岳から始まり、「法」「妙」「船形」「左大文字」「鳥居」と西へ順番に少しずつ時間をずらして、点火される。

 左大文字は、午後八時十五分、鳥居型は午後八時二十分である。

 東から西へと点火されるのは、お精霊さん(おしょらいさん)を西方にある極楽浄土に戻るためと云われていた。

 始まりの起源は、定かでない。

「ずっと昔から、やってはるさかい」

 京都人のよく口にする言葉だった。

 すでに、交通規制が始まっていた。

 渡月橋は、人で溢れていた。

 正直、ここで一時間以上も待つのは、つらい。

 夏の日差しの熱気は、あちこちでまだくすぶり、ぬめっとした湿気で、普通に歩いていても汗が噴き出る。

 三治さんは、渡月橋で立ち止まらず、さらに西へ行こうとした。

「三治さん、渡月橋で見ないんですか」

「こんなくそ暑いとこで、見れるか」

「どこで見るんですか」

「ええから、ついて来い」

「はい」

「凄い人出だな」

 堀川さんも尾崎さんも、うなっていた。

 三治さんは、渡月橋を渡り切ると、すぐ目の前にある法輪寺裏門の前に立った。

 すでに、列が出来ていた。

「裏でなくて、表から行こう」

 三治さんは、そう云うと再び歩き出した。

「いつも裏方の仕事してるんや。大文字の送り火の日ぐらい、表から入ろうや」

 三治さんがそこまで云うと、豪快に笑いを添えた。

 法輪寺へ行くには、二つのアクセスがあった。

 その一つが裏門だった。ここは近道だったが、道幅が二メートルばかしで狭く、すぐに階段が続いていた。しかもすでに人の行列が出来ていた。

 もう一つが、表門だった。

 ここは、多くの寺社に見られる鳥居があり、ゆたりとしていた。

 鳥居をくぐって、すぐに右手に、エイジソンとヘルツの胸額を壁面に飾り、その功績を称えるエリアが見えた。

「これは何ですか」

「この法輪寺さんには、電気、電波関係の電電宮神社があるんや」

「電電宮」

「そうや。ほんまは、南座照明のかっさん(笠置)も、照明と云う電気に関わる仕事しとるんやから、毎日でもここへ来て拝まなあかん」

「毎日ですか」

「そう、毎日。あいつは、腐り切っとるからな」

「何が腐りきってるんですか」

「自分に甘く、他人に厳しい。ちんけな男や」

 進んで行くと、確かに左手に小さな赤い鳥居が見えて来た。

「あれが電電宮さんや」

 法輪寺の鎮守社明神の一つである、電電宮があった。

 幕末の兵火で焼失。昭和四十四年に再建された。

 階段を登りきると、法輪寺が見えて来た。

 法輪寺と云えば、十二月八日の針供養が有名で、平安時代から続いている。

 もう一つ有名な行事が、「十三まいり」である。

 毎年三月十三日から五月十三日までの二か月間に行われる。

 多くの家族が、子供の春休みである、三月二十五日から四月七日までの間、又は五月のゴールデンウイーク期間中に訪れる。

 阪急電車「嵐山駅」から徒歩五分、嵐電嵐山駅から徒歩八分と交通至便の場所にあるので、京都はもとより、大阪からも多く訪れる。

 数えの十三歳(満十二歳)、ここへお参りして、知恵を授けて貰う行事だ。

 お参りの後、渡月橋を渡る時に、誰に呼び止められても、振り向いては駄目と云う約束があった。

 母親らは、子供にそのことを云ってから渡月橋を渡らせる。

 子供が振り向くよう、声をかける。

「イケズ」肉親版である。

 振り返れば、授かった智慧が再び元に置かれてしまう云い伝えがある。

 それは、もう子供の時代に戻れません。今から大人の世界への橋を渡ると云う意味合いも込めていたのだ。

 京都では有名な都市伝説でもあった。

 この辺りは、「歴史風土特別保存地区」でもある。

 京都は、あちこちに、色々な規制を加えて、街並みを保存して来た。

 今でも市内中心部に高速道路が走っていないのは、このためである。

 本堂の山号扁額は「智福山」だった。

 お寺と云えば、「あ」「うん」の狛犬が相場だが、ここは、犬ではなくて牛だった。

 本堂左手に多宝塔。

 右手に、広い大きなベランダのような空間があり、その先に京都市内を一望出来る、絶景が広がっていた。

 渡月橋に比べるとはるかに、人出は少なかった。

「あいつの、初盆やからなあ。どうしてもここへ来たかったんや」

 あいつとは、四月に亡くなった、弟の秀也さんの事だった。

 亡くなる直前、僕は秀也さんから、南座の舞台の檜で作った、コースターを貰った。

 今日は、ポケットに忍ばせていた。

「あれから、四か月や」

「早いものですねえ」

「初盆ですかあ」

 各自それぞれ、思いを述べた。

 霊山観音での大規模な葬儀。

 しかし、すぐに誰も秀也さんの死について、何も云わなくなった。

 あれは、本当にあった事なのか。

 そう思えるほどの、皆話さなくなった。

 どんなに有名な人の死も、一年も経たないうちに誰も何も云わなくなる。

 身内を除いてだ。

 世の中は、生きている人のためだ。

 毎年多くの人が死んでいく。

 日本だけで約百万人が死んでいっている。

 だから、死んだ人をいつまでも思う事は、きりがない。

 十年で千万人だ。

 死んだ人とどれだけ深いかかわり合いがあったかだ。

 堀川さんと尾崎さんは、生前互いに話した事もあったし、酒を呑み交わした事もあっただろう。

 僕の知らない秀也さんを知っているはずだ。

 残念ながら、僕にはそれがない。

 むしろ、死の直前に南座の一階東側ロビーで会話して、コースターを手渡されたのが、最大の思い出なのだ。

 時間と共に、法輪寺さんの境内も賑わって来た。

 京都市内が一望出来る広場に行く。

 ゆっくりと夏の日差しの光が、消えて行く。

 と同時に空が、それに反比例して、夜の世界へと絵筆を塗り替えて行く。

 スマホで時刻を確認した。

 午後八時。

 東山の大文字が点火された。

 この時刻になると、街のネオンサインは一斉に消灯される。

 南座の屋上に設置された、ハロゲンビームライトも一斉に消灯される。

 これは、何も行政側が通達したわけではない。

 自発的に長年に渡って行われて来たのだ。

 午後八時十五分。

 大北山の、左大文字が点火された。火床53。

 一画目の一文字の長さ,四十八メートル。

 東山如意岳・大文字山は、八十メートル(火床・73)なので、少し小さい。

 恐らく、渡月橋からは、左大文字は見えないはずだ。

 続いて午後八時二十分。

 曼荼羅山の鳥居形が点火(火床・108)

 境内にいた人混みから、小さな歓声、ため息が出た。

 皆、一斉にスマホで写真を撮り出した。

 これから、京都から世界に向けて、何万、何十万の大文字の送り火がSNSを通じて、世界に発信されるだろう。

 人類始まって、リアルタイムで、世界で多くの人が写真、動画を見ているのは、過去にはなかった事だ。

 そして世界から、感想が、これも何千万から寄せられる。

 この動画を見て、京都観光を決めた外国人観光客もいるぐらいだ。

「鳥居形の火床は、本物の松明を使ってるのよ」

 隣にいた伸子さんが説明してくれた。

 他の所は、薪を井桁に組んで燃やす。

「そうなんですか。それは知りませんでした」

 上手く表現出来ないけども、炎の輪郭が、他の所よりも、はっきり鮮明に見えた。

 一つ、一つ火が順番についていく。

 全て人の力で行われている。

 このコンピューター時代に、何とアナログな事だろうか。

 時代が進めば、ドローンロボットで空中から、自動点火されるのだろうか。

「そう云えば、何となく燃える炎が違いますねえ」

 写真、動画を撮る人がいる一方で、両手を合わせて祈りを捧げる人もいる。

 ふと、三治さんを見ると、その祈りを捧げる一人になっていた。

 亡くなった弟、秀也さんの初盆。

 その目をつぶり、熱心に拝む横顔を見て、僕も祈りを捧げた。

(無事に極楽浄土にお戻り下さい)と。

 そして、続いてこう祈った。

(たまには、南座の芝居を見に来てください)と。

 再び、僕はポケットの中の秀也さんから貰った、コースターを指で触った。

 温もりを感じた。

 夏の湿気ではなくて、人の温もりだった。

 誰も、秀也さんの噂もしなくなったけど、僕の中では秀也さんは、コースターの中で生き続けていた。

 風が出て来た。

 額と、首筋に出来た何個もの汗の玉が、一気に蒸発した。

 少し、ほっとする涼しいものだった。

 秋の顔が、夜空に、一瞬だけ顔を覗かせた刹那だった。

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