第11話 附け打ち、こども歌舞伎に参加!

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 嵐山こども歌舞伎の歴史は古く、元々は、江戸時代中期に始まったとされている。

 その後、復活、途絶える、復活と繰り返して来た。

 京都駅前にある、東寺は空海が平安京時代に建立。

 その後落雷などで焼失。再建を繰り返して、現代のものは、江戸時代徳川家光の時に再建した。五回再建、焼失を繰り返した。

 その流れと酷似していた。江戸、明治、大正、昭和初期と中止、復活を繰り返した。

 その後長らく途絶えていたが、昭和二三年に復活した。

 今年で70回目を迎える。

 日本は、太平洋戦争で多くの大小の都市、町が、空襲で焼かれた。

 京都は、昭和二〇年一月に、東山区馬町、六月に西陣での二か所の局地爆撃を受けたが、東京、大阪のような大規模の空襲を受けなかった。

 その分、他の都市よりも少しだけ余裕があった。

 その証拠に京都三大祭も、昭和二二年に祇園祭山鉾巡行、昭和二五年に時代祭、昭和二八年に葵祭が復活していた。

 また昭和二四年には、定期観光遊覧バス(現在の定期観光バス)を営業再開していた。

 全国に、多数のこども歌舞伎が存在するが、古い部類に入る。

 第一回めから、演出、監修を行って来たのが、竹嶋屋、今の片山三左衛門、片山富蔵の父上、十三代目片山三左衛門だった。

 今回、脚本、演出を担当する水田も実は、こどもの頃これに出ていた。

 そして、当時同じ年の三左衛門と共演した。

「僕は、一五代目三左衛門と誰よりも早く共演した」

 と吹聴しているが、満更嘘でもなかった。

 白黒の共演した舞台写真も残っている。

 また家族と一緒に、琵琶湖へ泳ぎに行った時のものもある。

 水田は、祇園のお茶屋の息子で、小さい時から花街(かがい)の習わし、風習を身につけていた。

 歌舞伎にも造詣が深かった。

 しかし、関西は戦後、歌舞伎にとっては、長い不遇の時代があった。

 歌舞伎は、南座で年に一度の顔見世しか上演されない。

 上演回数が減ると、それを見る人口も必然的に減る。

「歌舞伎が好きです」

 と水田が、云うと周囲の目は、まるで宇宙人を見る目つきだった。

 と云うも、関西のこの時代は、竹松新喜劇全盛時代に突入していた。

 テレビでは毎週在阪三局が、中継録画していた。

 関西の子供は土曜日、学校から帰ると「竹松新喜劇」を見て、泣き笑いの天才、藤川トンビの至芸を見て育つ。

 その後、吉木新喜劇、漫才を見て育つのだから、笑いにはうるさい。

 友達に話をする時は、必ずオチを考えておかないといけない。

 オチがないと、

「で、オチは?」

 と友達から突っ込まれる。

 わざとぼけても、必ず突っ込んでくれる。

 大きくボケると、何の打ち合わせもないのに、同時にずっこけてくれる。

 小さい時の子供の体験は、大人になっても引き継がれるのだ。

 今回の狂言(演目)、「嵐山版・八犬伝」の稽古は、片山冨蔵の自宅にある稽古場で、顔寄せ、本読みが始まった。

 原作は、「南総里見八犬伝」(曲亭馬琴・作)

 一八一四年(文化一一年)から一八四二年(天保十三年)の、二十八年もの長い歳月を費やして書かれた大長編小説で、幾度も映画化、ドラマ化、歌舞伎化されて来た。

 登場する子役は、全員で十二人。

 その中で、僕は一人の母子だけ顔見知りだった。

 稽古場で、その母子は僕に近づいた。

「お早うございます」

 まず母親が挨拶して、次に子供が小さく挨拶した。

「初めまして・・・でもないですねえ、私は三度目ですね」

「そうですねえ、嵐山のサイクリングロード、つけの会、そして今日です」

 僕は、指を折りながら答えた。

「私、紫竹数子です。子供の宝石です」

「宝石!」

 まさに、今流行の、「キラキラネーム」の最先端を行く名前だった。

「紫竹宝石です」

「東山トビオです。よろしくね」

 一同が揃って、一人ずつ自己紹介が始まった。

 進行役は、水田先生が行った。

「そして、今年も監修、お目付け役として、片山冨蔵旦那に務めて頂きます。皆さん、ご挨拶しましょう」

 子供たちは浴衣姿で、後ろでお母さん方が見守っていた。

「よろしくお願いいたします」

 最年少は、四歳。最年長は十三歳までの男女だった。

 こども歌舞伎なので、女の子も出演できる。

 全て、地元、もしくは京都市内在住の素人ばかりで、いわゆるプロダクション所属の子役はいなかった。

 年々、マスコミが注目し出して、水田の元には、各プロダクションからの売り込みが激化していた。

 中には、東京のプロダクションからの要請もあった。

「八月だけ、住民票を移します」

 とまで云って来る。

 しかし、それらを全て断っていた。

 年々、少子化で地元だけの子供で演じるのは、困難になって来た。

 二年前から、京都市内在住にして、京都市発行の「市民ニュース」で告知をしていた。

 それでも、中々人が集まらなかった。

 水田は、集まった人数に合わせて、脚本を書いていた。

 三人だけと云う年もあった。

 その時も、「嵐山版・新口村」を上演した。

「皆、暑いけど頑張って下さい。上手い、下手は二の次。皆で力を合わせて、一つの歌舞伎を上演する。それが大事です。いい夏休みの思い出にして下さい」

 終始笑顔で、富蔵は語った。

 後ろに控えるお母さん方が、一同に顔を大きくうなづかせていた。

「はい」

 次に、水田さんが云った。

「皆さんに、嬉しいお知らせがあります。この嵐山こども歌舞伎もお陰様で、七十回目を迎える事が出来ました。その記念すべき年に、嵐山に劇場が誕生しました。

 客席数五百席で、そのこけら落とし公演が、今回の(嵐山版・八犬伝)です。劇場名は(嵐山座)です」

 渡月橋から少し北へ上がった、保津川べりのところで、元々料理旅館だったところを、関西大向こうの会「都鳥」会員の小林耕三さんが、作った。

 小林さんは、祇園界隈に幾つものテナントビルを持つ金持ちで、個人資産は五千憶円とも云われていた。

 総工費百億円。映画も上映出来る。花道も稽古場もある本格的な劇場だった。

 京都は、東京、大阪に比べて極端にホール、劇場が少ない。

 特に芝居をやる中規模の劇場が皆無だった。

「じゃあ、作りますか」

 あっさりと、小林さんは云って劇場作りに参加した。

「あと、二つは京都に。さらに、五つほど大阪に作ります」

 と真顔で云っていた。

「ですので、後半は、その新しい稽古場で、お稽古します」

「はい」

「嵐山座」のこけら落とし公演で、僕がつけを打つ。

 こんな名誉な事はない。

 人生の中で、劇場のこけら落とし公演に参加出来るなんて、そもそも、あまりない事である。

 それに遭遇出来たのは、ラッキーだった。

「嵐山座」の歴史の第一ページに名を残す事になるからだ。


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 僕は、この「嵐山座」を知ったのは、二月の歌舞伎マラソンだった。

 走っていて、初めて、こんな所に劇場が出来るのかと思った。

 市内中心部から離れているが、交通の便はよい。

 嵐電嵐山駅から、徒歩五分、阪急嵐山駅から徒歩十分にある。

 観光地のど真ん中にあった。

 僕と阿藤くんは、富蔵さん宅の二階に泊まり込んでの稽古通いとなった。

 飼い犬、アランの散歩も日課となった。

 犬は賢くて、すぐに阿藤くんにはなついた。

 しかし、僕の方は、朝一番大きく吠える。

 まるで、侵入者への警告のようだ。

「お前はん、筋金入りの犬嫌いやな。犬は賢いから相手にどう思われてるか知ってるんやでえ」

 富蔵さんまで、笑っていた。

 嵐山座の稽古場は、最後の仕上げの最中で、まだ我々は中に入る事は出来ない。

 今日も、富蔵さん宅の稽古場での稽古となった。

 義太夫三味線弾きの、矢澤竹也も顔を見せた。

 今回、劇中創作浄瑠璃が入る。

 その打ち合わせと見学だった。

 今、稽古場には、犬の縫いぐるみが一匹、真ん中にいた。

 その隣には、おどおどした様子の紫竹宝石くんがいた。

 生きてない、縫いぐるみなのに、その背中に足を乗せるのがぎこちない。

 よく見ると、足の裏と縫いぐるみは五ミリくらい空いていた。

 だから、一分もしないうちに、身体がブルブル震え出した。

「宝石!足をちゃんと乗せて」

 水田さんも、そこは見抜いていたようだ。

「宝石も筋金入りの犬嫌いやなあ」

 竹也さんは、僕の顔を見てから云った。

 宝石は、まるで底なし沼に足を踏み入れるように、つま先から少しだけちゃぽんとつける感じで、一瞬だけ触れたが、すぐに宙にあげた。

「そんな事してたら、稽古からほんまもんの犬連れて来るでえ」

「犬怖い、犬怖いよおお」

 宝石は、その場でしゃがんで泣き出した。

 そばで見ていた数子が、駈け寄ろうとしたが、水田が手で制した。

「泣いたらあかんでえ。皆の迷惑になるでえ」

 しかし、宝石は泣き止まなかった。

 ますます、大声で泣き喚いた。

 わんわん泣く声が稽古場にこだました。

 そんな中で、そおおっとドアが開いて、一人の男が入って来た。

「お取込み中のようで」

 両手に大きな袋を下げていた。

「小林さん」

 大向こうの小林耕三さんだった。

 今度出来る、嵐山座のオーナー兼支配人だった。

「陣中見舞いのアイスクリームです。暑いから溶けないうちに皆さんでどうぞ」

「そしたら、ちょっと休憩しよか」

 宝石の鳴き声が、サイレン替わりでもあった。

 子供たちは、わあっと集まった。

 宝石も大好きなアイスクリームだと知ると、ぴたっと泣き止んだ。

「水田先生、大変ですねえ」

 小林は、子供の泣き声の中、入って来たので詳しい事情は把握してなかった。

「泣く子と地頭には勝たれぬ」

 水田さんは、そうつぶやいた。

「何ですか、それ?」

「東山さん、意味知らんの?」

「すみません。教えて下さい」

「泣く子供と、地頭は、争ってもあかんと云う事」

「地頭て何ですか」

「きみ、日本史の時間寝てたやろ。あとでスマホで検索しとき」

 と云って、水田さんは説明を放棄した。

 平安時代の荘園の管理者、つまり権力者と云う事だった。

「宝石くんとこは、家で犬飼ってるのに、何でそんなに怖がるの」

「いえ、あれは、この芝居に決まったので、恐怖感なくすために、私が飼い出したんです」

 申し訳なさそうに数子が答えた。

「それって、絶対逆効果です。やめて下さい」

 僕は、自信を持って答えた。

「経験者は語るか」

「だって、考えて見て下さい。紫竹さんはワニは嫌いですね」

「はい、絶対嫌いです」

「そしたら、家に帰ったら、そのワニがいたらどうしますか」

「泣きます!」

「でしょう。今、宝石くんはその状態なんです」

「ワニと子犬一緒にするかなあ」

 ぼそっと水田さんがつぶやいた。

「出来るだけ、犬を見せないようにします」

「小林支配人、今日は何か用があったんですか」

 水田さんが話題を変えた。

「はい、一応半年間の年間スケジュールが決まったんでリーフレットをお持ちしました」

 見ると、こけら落とし公演「嵐山版・八犬伝」の後には、「嵐山・観光の日々」と題して、日舞、三味線、お琴、お茶、お花、忍者ショーが一日四回行われていた。

 これは、祇園弥栄会館で行われている訪日観光客向けのショーの嵐山版だった。

 違うのは、こちらの方がより、訪日観光客向けだった。

 その証拠に、忍者ショーがあった。

 隣接して、和食レストラン、お土産店があった。

「附け打ちの会」もあった。

「附け打ちの会もやるんですね」

「そうや。附け打ちの関連グッズの店もあるでえ」

「知らなかった」

「利恵さんから聞いてないんか」

 利恵さんは、今は主に東京で活躍していた。

「東山君も、暇な時はこの店番やな」

「いつから、稽古場使えるのん」

「そうですねえ、大文字の送り火までには仕上げるつもりです」

 八月十六日が、大文字の送り火だった。

 公演は、八月二十日である。

「あと、一週間か」

 僕らの公演は、一日、一回限りである。

「あと、当日、これも初めての試みですが、イヤホンガイドもやります」

 女社長、高川きみこの協力だった。

 英語だけでなく、中国語、台湾語、韓国語バージョンも取り揃えていた。

 今までの子機貸し出しではなくて、客席の背面に子機が埋め込まれている。

 また背面には、有機EL画面があり、開演前に映像が流れる。

 今回、費用は全て小林が負担して、無料貸し出しだそうだ。


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 嵐山座の稽古場での稽古が始まった。

 劇場の隣りにあった。

 嵐山の町は、高さ制限、歴史的景観特別保存地区でもあるため、高い建物が建設出来ない。

 劇場自体ギリギリの、三階建てだった。

 そこで、隣りに作った。

 一階で、バリアフリー。

 これは、富蔵さんのためでもあった。

 広さは、ざっと二十畳はあった。

 畳は、可動式で、剥がすと木板である。

 四方向に全身鏡もある。

 スクリーンもあった。

 床冷房暖房完備だった。

 床暖房は知っていたが、床冷房は初めて知った。

 後方には、自動カメラがあり、スイッチ一つで稽古を録画出来るすぐれものも完備されていた。

 右端の60インチ有機ELモニターには、舞台が映し出されていた。

「素晴らしいですねえ」

 僕も子供たちも興奮していた。

 こんな素晴らしい施設が出来た。

 しかも、個人資産での運用である。

 建設に当たって、京都市は、五億円の補助金を出すと云って来たが、全て断ったそうだ。

「たった、五億ぐらいで、オープンしてから、ごちゃごちゃ口出しされるの嫌ですから」

 と笑いながら、小林さんはけろっと云いのけた。

 個人資産だけで、五千億円の小林さんにとって、五億円は、僕らの五百円ぐらいの価値しかないのだろう。

 京都には、今も大金持ちが、社会に還元する風土が残っていた。

「京セラ」を一代で作り上げた、稲盛和夫は「京都賞」を創設していたし、任天堂の役員は、個人資産で、京大に病院を一棟ごと建設する費用を出していた。

 明治維新で、天皇が東京へ行き、街が寂れた時、街の商人はお金を出し合って、未来の人を育てようと、番組小学校を六四も作った。

 少子化で、小学校は、廃校となるが、大阪のようにすぐに土地は売却せずに、その建物を壊さず、リニューアルした。

 そして漫画ミュージアム、学校歴史博物館、芸術センター、ホテルなどを次々にオープンさせた。

「じゃあ、始めよか」

 稽古が始まる。

 宝石が、犬の縫いぐるみに片足を乗せて、見得を切る所から。

 花道から、走って来るのを僕も宝石も頭に描きながら、始まった。

「パタパタ、パタパタ、パタパタ」

 この瞬間、嵐山座の稽古場に、初めてつけ音が鳴り響いた。

 まさに、これも歴史的瞬間だった。

 宝石が見得を切る。

「バッタリ」

 足は、きっちり、犬の背中に乗っていた。

 もちろん、縫いぐるみだったけども・・・


 稽古場で、皆が集まる前に僕と阿藤くんとの自主練習をやっていた。

 稽古は毎日、十一時から始まる。

「パタパタ、パタパタ、パタパタ」

 阿藤君が、つけの打ち上げをやった。

「切れは前よりよくなったねえ」

「有難うございます」

「あと、音の強弱が少し弱い感じだなあ。あまり強弱つけずに叩くと、聞いている人は平べったく感じるんだな」

「平べったくですか」

 阿藤君は、あまり理解できない様子だった。

 少し誇張して、やった。

「こんな感じなの」

「ええ、わかります」

 扉を開く音がした。

 振り返ると、附け打ち評論家の小林伸子と阿藤カオルさんがいた。

 伸子さんは、二月の歌舞伎マラソンでは、絶妙な解説をして、全国の歌舞伎ファンを喜ばせた。

 あれ以来、全国の自治体が主催する講演会に引っ張りだこだった。

 人間の運なんて、どこに転がっているかわからないものだ。

「竹嶋屋の家へ行ったら、もう出たって云うから」

「朝早くから、熱心ねえ。雅之、どう少しは上達した?」

「お母さん、いつ来たの」

「来たら悪い」

「悪くないけど」

 阿藤君は、そこで口ごもった。

「練習中、ごめん。阿藤君、きみのつけ音、ちょっと録音させて」

「録音ですか」

「彼女は、附け打ち評論家で、今いる附け打ちの音を全て誰か言い当てる事が出来るんだ」

「全てですか。凄いですねえ」

「そう全て。東京歌舞伎座の座付きの人もパタパタ・アート・グループ所属の人全員もね」

 阿藤君は、つけ音を適当にやった。

 見得を切るつけ音。

「バッタリ」

 かんざしを落とす音。

「パラ」

 娘が、丁稚が、侍が、婦人がそれぞれ走って来る音。

 又は、走り去る音。

 立ち回りのつけ。

 打ち上げの音。

 一通りやらせた。

「どうですか、小林先生」

 僕は聞いた。

「悪くはないわねえ。まだ入門して一か月も経たないんでしょう」

「そうです」

「これからですねえ」

「有難うございます」

 阿藤カオル、雅之親子が同時に頭を下げた。

「あらっ、勘違いしないで。私は単なる評論家なので。これからの上達は、東山さんにかかっているってわけよ」

「責任重大だなあ」

 僕は笑った。

 阿藤君は、呑みこみが早かった。

 大体、一度か二度云えば、的確に修正して直してくれた。

「早く、嵐山座の舞台でのつけ音、聞きたいわねえ」

 伸子さんは、モニターテレビに映し出される、舞台を見ながらつぶやいた。


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 舞台開き、修祓式は、嵐山の車折(くるまざき)神社から宮司が三人来て行われた。

 ここの末社には、芸能の神様を祀る社があった。

 今回のこども歌舞伎には、大道具、小道具は京都タツミ舞台、照明は、笠置、上桂、岩倉、川口繁の南座チーム、楽屋番も南座の前谷美代子も駆り出されていた。

 頭取は、水田先生がやる事になった。

 予算を抑えるためだ。

 真新しい緞帳が降ろされていた。

 緞帳デザインは、西陣織り着物デザイナー星野浩子が、初めて緞帳をデザインした。

 製作は、西陣の山島織物だった。

 下手から春夏秋冬の嵐山の風景を織り込んだものだった。

 渡月橋、竹林の道、保津川下り、天龍寺などの名所旧跡を色鮮やかに表現していた。

 緞帳製作だけで一億円かかっていた。

 こういった付帯設備だけで、五億円はかかっていた。

 その後、引き続き、緞帳を飛ばして、舞台安全修祓式が行われた。

 本来は、別々に行うのが原則だが、少しでも安く済ますための涙ぐましい努力だった。


 舞台稽古は、まず矢澤竹也の創作浄瑠璃が、舞台で初めてお披露目された。

 これは、今回の芝居の浄瑠璃版主題歌でもあった。


 「嵐山版・八犬伝」( 矢澤竹也 作 )


 忠義の世界   ワンと泣く

 正義の誓い   ワンと吠え

 力合わせて   発起して

 お家の再興   祈念する

 嵐山より    宣言す

 いざいざ参れ  戦うぞ

 陽も味方につけ 月つかむ

 敵あざむくは  神の声

 勾玉ひかり   畏れたり

 犬にまたがり  吠えようと

 一路突き進め  みなもども

 大地蹴りては  突き進む

 八の力を    今宵見せ

 民の力も    味方にし

 永遠の平和は  近しかな

 明日への希望  手に収め

 行くわ行くわは 八犬伝


「上手いなあ、さすがは竹也さんやな」

 水田さんは、つぶやいた。

「こども歌舞伎だけにしとくの、もったいないなあ」

 国宝さんが云った。

「さらに改作して、南座でやりましょか」

「うん、水田さんそれ、面白い。ぜひやって」

 客席には、南座の藤川支配人も姿を見せていた。

 藤川は、二人のやり取りを、少しにやけて聞いていた。

「どうやな、藤川支配人」

 国宝さんが、云った。

「貴重なご意見有難うございます」

 決して、調子に乗って、即答はしない藤川だった。

 どこまでも冷静だった。

 まず、こども歌舞伎の出来栄えを見てからだ。

 そして、それを見たお客さんの反応も見てからだ。

 そんな事が、箇条書きに顔に書いている気が、僕にはした。

 興行界には、二種類の人間がいた。

 閃き、情熱で突き進むタイプ。

 それを冷静に判断するタイプ。

 どちらも必要なのだ。

 本当は、二つ兼ね備えている人が一番いいのだが、中々そう云う人はいない。

「本番の犬の手配は済んだんか」

「はい、今やっております」

「もし見つからんかったら、云うてや。あてはあるからな」

 国宝さんが断言した。

 犬の手配まで知っている。

 改めて、顔の広さを僕は知った。

 今日の稽古も犬の縫いぐるみでやった。

「はい、ここは渡月橋の立ち回り」

 切っ掛けで、後ろの大道具の背景画が、ばったりと、上半分が下に落ちて背景画が代わった。

 屋根の上での立ち回りが、嵐山版では、渡月橋となった。

 立ち回りしながら、大道具も追っかけるように変わり、竹林の道となった。

 竹林は、上手下手から出て来た。

 上手下手袖の大道具が、砂利糸で引っ張っていた。

 同時に吊り物の竹林も降りて来た。

 しかし、真下に子供がいたので、降りるのは止まった。

 嵐山座の吊り物は、全て手動だった。

 袖で見ていた大道具が、レシーバーでストップかけたのだろう。

「はい、ストップ。信也君、上見て」

 水田が云った。

「あっ」

「稽古の時、立ち位置そこやったか」

「違います」

「水田先生、ここはバミリ入れましょか」

 関西歌舞伎狂言方の堀内が提言した。

 バミリとは、舞台の床に、ビニールテープ等で、役者の立ち位置の印を入れる事である。

「安全のために、その方がええな」

 安全第一。それが最優先なのだ。

「じゃあ、小返ししよか」

 小返しとは、その言葉の通り、少しだけ戻すのである。

 八人の子供の立ち回りとなった。

 一度やってみて、そこで再び、稽古が止まった。

「はい、皆、回り見て」

 水田さんが叫んだ。

 子供たちは、刀を降ろして周りを見た。

「上手、下手空いてるやろ。皆、中央に集まりすぎや」

 確かにそうだった。

 せっかくの舞台なのに、ぎゅっと集まっていた。

「花道七・三ぐらいまで出てええよ」

 一人子供がそこまで行く。

「客席のお客さんいてるから、そこは、刀振り回すんはやめよか。つばさき合わせるだけ。振り回すのは、本舞台入ってからな」

「はい」

 子供の返事も稽古場の時よりも、はきはきとして大きくなった。

 今回の立ち回りは、大道具の同時転換も見せる手法を取っていた。

 普通、芝居の場合、舞台転換は、幕を閉めての転換である。

 しかし、それだと、観客のこころに、隙間が出来る。

 スペシャル歌舞伎の創始者、三河犬之助(先代。現在・犬翁)は、著書「かぶくこころ」の中で、

「観客が、暗闇で感情を維持出来るのは、三分である。出来れば、二分、一分、いやないのがベストである」と書いてあった。

 だからスペシャル歌舞伎は、舞台転換で幕が下りても、すぐに花道から人が出て来たり、幕袖上手下手から同時に人が出て来て、次の芝居に入っていた。


 八人の子供の中で異様に犬を怖がっていたのは、宝石一人だけだった。

 芝居の流れの中で、一人だけ異常に犬と接する役を宝石がやっていた。

 どんなに稽古で、怖気づいても水田さんは、役を変えなかった。

 休憩時間、僕は、母親の数子さんを連れて水田さんの所へ行った。

「犬の縫いぐるみで、こんなに怖がっていたら、本番で、本物の犬が出て来たら、さらにパニック状態になってしまうと思います。他の子供に代えたらどうでしょうか」と提案した。

「私もそう思います。でないと他のお子さんのご迷惑になると思います」

「お母さんも東山くんも、子供を全然信用してないなあ」

 水田さんは、少しだけ口に不満を灯した。

「苦手な物から、これから先ずっと逃げ回る人生の線路を敷く。それは、親も周りの人間もやったらあかんことや」

「でも、最悪、犬から逃げて、滅茶苦茶になったらどうなんですか」

「それもありやがな。江戸時代、本物の馬登場させた事あるらしいでえ」

「へえ、そうなんですか」

「本番の舞台でおしっこしたり、ウンコしたりして、滅茶苦茶やったらしいなあ」

「それで、今はああして、人が中に入ってやってるんですね」

「そうや。でも戯作者としては、そのおしっこ、ウンコも面白いと思うんや」

「後始末が大変ですよ」

「きみは、若いのにすぐにそう、現実的な事云うなあ」

 大きく伸びをしながら、水田さんは云った。

「お母さん、宝石君を信頼しましょ。そして今年の夏は、大きな収穫を迎えましょ。何年かたって、大きくなった時、宝石くんは絶対に思いますよ。あの年の夏休みにやったこども歌舞伎。あれが、転換点やったなあと」

 水田さんは、まるで、小学校の担任の先生のようだった。

 保護者会での先生と母親のやり取りのようだった。

 現実に、子供の母親の中には、水田さんを、学校の先生以上に信頼していた。

「あんな人が、先生になったらよかったのに」

「ほんま。親身になってくれる」

 歌舞伎の演技以外の勉強法でもアドバイスしていた。

「暗記が苦手な人は、自分の好きな歌の替え歌でやってみて」

 これを実践して、子供たちの学力は大幅にアップした。


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 こうして、こども歌舞伎は、本番当日を迎えた。

 客席には、附け打ち軍団も姿を見せた。

「さて、東山さんが、犬乗りされるところを見ましょか」

 控室に顔を出した堀川さんの第一声だった。

 祇園バー「マルサン」の元附け打ちの丸太さんも顔を覗かせた。

「丸太さん!」

「ご無沙汰。これ皆さんでどうぞ」

 アイスキャンデー三十人分だった。

「調子は、どうですか」

 尾崎さんも駈け付けてくれた。

 附け打ち評論家の小林伸子さんは、阿藤カオルさんと一緒に控室に来てくれた。

 約二十日間に及ぶ、長い稽古。

 歌舞伎なら、三日、ないしは四日で幕をあける。

 中には、舞台で総ざらいだけで通し稽古しない時もある。

 それからすれば、気が遠くなる感じだ。

 商業演劇や、新劇の役者からすれば、想像を絶する短い稽古。

 逆に歌舞伎役者から見れば、時間を持て余す期間の稽古。

 たまに、歌舞伎役者が、他のジャンルの芝居に出ると、台詞覚えの速さに驚かされる。

 それだけ、彼らは、短期間で全て覚えるすべを身に着けているのだ。

 客席には、附け打ち軍団を始めとした、幕内関係者が顔を見せていた。

 こんなに多くの関係者の前でつけを打つのは、もちろん初めてだった。

 一番気になる事。

 それは、宝石と本物の犬の相性だった。

 犬は、国宝さんの手配で、無料で借りられた。

 すでに、昨日の通し稽古で、ご対面を果たしていた。

 その時は、吠えもしないし、噛みつきもしなかった。

「どう、大丈夫だよね」

 僕は、宝石くんに尋ねた。

「たぶん」

 宝石くんは、僕の顔を見ずに小さく答えた。

 本物の犬との絡みは、三回あった。

 いよいよ、公演が始まった。

 犬は、放し飼いではない。

 もちろんリードつきだ。

 最新のもので、百メートルは伸びるもので、ストッパー、巻き戻し付きだ。

 上手袖で、関西狂言方の堀内が、操作する。

 最初、犬が出て来た。

 それが本物であると分かると、客席が大きくどよめき、笑いも起きた。

 イヤホンガイドも、

「ここで登場します犬。実は本物であります。江戸時代、本物の馬を使ったお芝居がありましたが、今回現代版、本物シリーズです」と解説した。

 花道から、宝石が走って出て来る。

 揚げ幕を開ける人、つけを打つ僕、揚げ幕から出て来る役者。

 この三人で、誰がリードするか。

 附け打ちが、揚げ幕を待ち、揚げ幕はつけを打つのを待つ。

 となるといつまでも、幕は開かない。

 僕は、揚げ幕が閉まっていようと、切っ掛けでつけを打つ。

「パタパタ、パタパタ、パタパタ」

 普段の歌舞伎での大人の小走りよりは小さく、娘の小走りよりは、やや大きめに打つよう心掛けた。

 附け打ちの皆は、花道を見ずに、僕のつけさばきを凝視していた。

 伸子さんも同様だった。

 それらを観察出来るほど、僕は落ち着いていた。

 宝石が、犬と対峙する。

「吾は、お家の再興を願う者なり」

 ここで、宝石は見得を切る。

「バータリ」

 つけとぴったり、決まった。

 客席から大きな拍手が来た。

 次は、稽古で散々、やり直した、犬の背中に片足を乗せて台詞を云うところ。

 宝石の右足は、僅かに震えていた。

 通し稽古ではなかった、不安な兆候だった。

 片足を乗せた。

「パラ」

 僕のこのつけ音が切っ掛けだった。

 犬が立ち上がり、宝石を睨んで、

「ワンワン!」

 と吠える予想外の展開を見せた。

 さらに、宝石にじゃれる感じで、背中から抱きついて来た。

 本来なら、堀内さんがリードを巻き戻すところなのに、しない。

 僕は堀川さんの声を聞いた。

「あかん、戻らへん!故障か?」

 犬が覆いかぶさり、宝石はこけた。

 まさに、犬乗りされた。

 客席は、これも演出の一つと感じたのか、爆笑だった。

 中には、手を叩いて喜ぶ者もいた。

 次の瞬間、僕は、つけを置いて、宝石に近寄った。

 客席も附け打ちが、舞台中央に走り寄った事で、初めて異常事態を把握したようだった。

「東山!」

 客席で誰かが僕の名前を呼んだ。

 僕は、犬を背後から抱きしめて、宝石から離した。

 すると犬は、何を勘違いしたのか、今度は僕に覆いかぶさって来た。

「やめてくれい!」

 思わず僕は、本番の舞台で叫んでしまった。

 笑いと、どよめきと小さな悲鳴が交差した。

 次の瞬間、宝石は予想外の行動に出た。

「やめろ、附け打ち兄さんを助けるぞ!」

 刀で犬の背中を叩いた。

 本来、ここで義太夫三味線の語りなんかないはずだった。

 しかし、状況を見て、矢澤竹也が即興で、創作浄瑠璃を弾き、語り出した。


 創作浄瑠璃 「 犬嫌い克服の段 」( 矢澤竹也 作 )


 犬の反撃    ものとせず

 勇猛果敢    繰り出すは

 こころの絆   約束か

 輝く刀     振り下ろし

 バッタバッタと なぎ倒す

 参った犬は   ひざまづく

 後光のひかり  まぶしくて

 目をつぶる顔  優しくて

 ひれ伏す犬を  従えて

 いざいざ行くぞ 続けよと

 命を下すは   主なりか


 堀内が、黒子の恰好で舞台に飛び出した。

 犬を抱えて上手袖に逃げた。

 と同時に犬の縫いぐるみを置いていった。

 これは、万が一何らかのアクシデントで本物の犬が登場出来ない時の事を考えていたのだった。

 ぽんと、堀内が、本物の犬を抱えながら、おもちゃの縫いぐるみを置いたリアクションで、客席が、笑いと拍手同時に覆われた。

 稽古では予想もしない、観客のリアクションに翻弄される事がたまにある。

(そんなにおかしいのだろうか)

 後で、附け打ち評論家の小林伸子さんに聞いたら、

「本物と縫いぐるみの対比が突然現れて、それが面白かったのよ」

 と云われた。

 次の出番は、竹林の道での立ち回り。

 上手下手から、ドローンに乗った、アイボ犬が登場。

 客席が、うわああとうなった。

「ワンワン」

 アイボが可愛く吠える。

 予め、アイボにピンマイクを仕込んでいた。

 その音を拾って、ミキシング、増幅して、猛犬が吠える声に脚色していた。

「ウーワンワン」

 アイボの声だとわかっていても、僕が座る附け打ちの位置の隣りには、タワースピーカーが設置されていたので、かなり音が腹に来る。

 思わず逃げ出しそうな迫力とリアルさだった。

 舞台中央の竹林が二つに割れて、犬が出て来た。

「ワンワン、ワンワン」

 宝石と本物の犬の立ち回り。

 近くに、リード持った堀内が控えていた。

 歌舞伎では、黒子は、「いない」存在である。

 見えているのに、「見えない」お約束。

 時に歌舞伎は、シュールなのである。

 僕は、本物の犬、縫いぐるみの犬、それぞれの立ち回りの時のつけ音は、変えていた。

 簡単に云えば、本物の時は、少しダイナミックに。縫いぐるみの時は、音よりも軽やかさを尊重した。

「タンタン、タンタン」

 小型ドローンの旋回する音は、意外にも大きな音だった。

 歌舞伎では、効果音は全て生演奏だったが、今回のこども歌舞伎は予算の関係で、義太夫三味線弾き語り以外は、音響効果だった。

 最後は、八人の子供が勢ぞろい。

 そして、同時に見得を切る。

 恐らく、子供八人の同時見得を切るのは、これが初めてだろう。

「パタパタ、パタパタ、パタパタ」

 僕のつけの、打ち上げの音が舞台いっぱいに広がった。

 見得が決まったところで、後ろのバックの前に振りかぶせで、幕が落ちた。

「祝!嵐山座 開場!

 嵐山こども歌舞伎七十周年記念

 これからもよろしくお願いいたします」

 幕、いっぱいに書かれてあった。

 三方礼した。

 そして最後に、上手から水田三夫と関西狂言方の堀内が出て来た。

 堀内は、手に犬を抱いていた。

 その犬を、宝石目掛けて放り投げる仕草をした。

 しかし、宝石は逃げもせずに、睨みつけた。

「可愛い!」

 場内からそんな声が聞こえた。

 僕もその場で立ち上がり、客席に向かって同じように一礼した。

 そして、一同は、片手で、揚げ幕を指さした。

 花道のフットライトがつく。

「チャリン!」

 揚げ幕から勢いよく、一匹の犬が走って来た。

 花道七・三で立ち止まった。

 よく見ると、リードがついていた。

 揚げ幕から片山富蔵が出て来た。

 今回の嵐山こども歌舞伎の監修を行った、竹嶋屋の歌舞伎役者である。

 一段と拍手と熱狂が増幅した。

 舞台中央で、一礼した。

 拍手が静まるのを待つ。

「皆さん、嵐山こども歌舞伎にご観覧頂き誠に有難うございます。このこども歌舞伎は、私の父、十三代目片山三左衛門の発案で始まり、今年で七十回を迎えました。

 その節目の年に、嵐山にこんな立派な劇場が出来きて、こけら落とし公演として、こども歌舞伎が上演されました。こんな嬉しい事はありません。

 どうかいついつまでも、ご愛顧いただきとう存じます。

 では、ここで三本締め、上方式で行います。

 お手を拝借。うーちましょ」

「チョン、チョン」

 堀内さんが析頭を鳴らす。

「もう一つせえ」

「チョン、チョン」

「祝うて三度」

「チョン、チョンがチョン」

「有難うございました」

 こうして嵐山こども歌舞伎は、無事に初日と千穐楽を迎えた。

 京都の夏もそろそろ、幕を引こうとしていた。


     ( 6 )

 

 その日の夕方。

 祇園「マルサン」でささやかな打ち上げが行われた。

 丸太さんのご好意で、いつもよりも早く店を開けてくれて、しかも貸し切りにしてくれた。

 参加したのは、附け打ち集団、水田先生、片山富蔵、阿藤カオルさん、附け打ち評論家の小林伸子さん、「ドッグヨガ&カフェ・わんわん笑顔」オーナーの犬養雅美さん、紫竹宝石、数子親子だった。

「宝石くんは、よく頑張ったな」

 水田さんが、労った。

「あの東山君が、犬に襲われた時に、立ち向かったもんね」

 伸子さんも感心していた。

「京都ジョニーズの西院大地くんが頑張ってるから、僕も頑張ろうと決めた」

「この子、大地くんのファンで、七月に南座の京都ジョニーズ歌舞伎公演見に行って、手紙渡したんです」

 母親の数子さんが、説明した。

「あっ、手紙!」

 僕の頭の中に大地の泣き顔、宝石の手紙が突如浮かんだ。

「宝石くん、お母さん、大地くんこそきみの手紙に勇気づけられたと云っていた」

 僕は七月の出来事を皆に語った。

「へえ、そんなドラマが、夏の京都にあったんですか」

 尾崎さんが感心したように云った。

 宴もたけなわの頃だった。

「ちょっと、皆さん」

 マスターの丸太さんが一段と声を張り上げた。

 その一声で、各自の雑談が中断して、皆丸太さんを見た。

「何だよ、重大発表か」

 堀川さんが聞いた。

「はい。ある意味重大発表です」

「わかった。丸太マスターが、今度は祇園にドッグカフェを作るとか」

 堀川さんが、僕の顔を見つめながら云った。

「えらい、犬ネタを引っ張りますね」

 僕は小さく抗議した。

「ではなくて、これから富蔵さんから一言あります」

 皆の視線を浴びながら、富蔵さんが話し出す。

「丁度、附け打ちの皆揃ってるから云うておこうと思ってな」

「旦那、附け打ちに鞍替えですか」

 また堀川さんが、混ぜ返した。

「違う。それは弟の三左衛門や」

 富蔵さんが、目で阿藤君の母親、阿藤カオルさんを合図した。

 カオルさんはすくっと立った。

「今回、附け打ちに入った阿藤雅之くんの母親は、カオルさん。そして父親はこのわしです」

「ええええ?」

 思わず僕は叫んでしまった。

「別に今更、云わなくてもいいと云ったのよ」

 カオルさんは弁解するようにつぶやいた。

「もちろん、もう知ってました」

 あっさりと雅之くんは、吐露した。

「だからどうって事ないのよ」

 カオルさんは慌てて追加して喋った。

「おい、東山、お前明日から手のひら返したように、犬なで声で云い寄るんじゃないぞ」

「犬ではなくて猫です」

 堀川さんのジョークが爆発した。

「それって、自分への戒めでしょう」

 僕は必死で反撃した。

「まあこれからも阿藤親子、頼みます」

 富蔵さんは頭を下げた。

 一同は、それぞれの思いを抱いて拍手した。

「まあ祇園、京都では色々ありますから」

 峰子さんがカウンターの中から小さく微笑みながらつぶやく。

「それ、どんな意味なの。続き聞きたいなあ」

 堀川さんは、頬杖ついた。

「この続きは次回に」

 ぺこりと峰子さんはお辞儀した。

「またのご来店をお待ちしてます」

 その横で丸太さんが、満面の笑みを浮かべた。

「丸太夫婦、上手い事引っ張るなあ」

 水田先生が、今度は云った。

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