第10話 附け打ち、合宿です!

    ( 1 )


 朝早くから、蝉の鳴き声が絶え間なく聞こえていた。

 蝉のせわしない鳴き声が、そのまま夏の暑さの上昇のせわしなさとリンクしているようで、耳からも暑さがにじみ出ているようで、身体も、燃え滾っていた。

 今年の夏は特に暑い。

 京都の夏は、さらに暑い。

 国宝さんの庭は、横長の広さで、庭だけで五十坪近くあった。

 僕らは、ここで草むしりをしていた。

 額と全身から絶え間なく汗が噴き出していた。

 人間は、こんなにも汗が噴き出して、体内の水分を身体の中から奪って行くものなんだと実感していた。

 改めて、人間は、水で出来ている!

 世間でよく云う「水もしたたるいい男」は、かなり聞こえがいいが、実際は汗臭くて、格好いいものではない。

「皆さん、一休みしましょう」

 お手伝いの京子さんが、声をかけて来た。

 久し振りの附け打ちメンバー全員が集まっていた。

 明日から、八月に入る。

 尾崎さん、堀川さん、福岡さん、ジェフくん、そして僕。

 国宝さんの隣りには、見慣れない若者が座っていた。

 実際に草むしりしてたのは、僕、福岡さん、ジェフの三人で、尾崎さん堀川さん、国宝さんは、その若者と何やら話していた。

 応接間のエアコンの中に入ると、生き返った。

「いやあ、生き返るなあ!」

 堀川さんが、大きな声で云った。

「堀川さんは、何も草むしりしてないでしょう」

 輝美さんが笑いながら云った。

「いえ、こいつらの気持ちを代弁しただけです」

 堀川さんは、僕らを見ながら云った。

 一気に汗が引いていくのがわかった。

「東山さんは、草むしりが得意そうだから、この後裏庭も一人でお願いします」

 また堀川さんの戯言が始まった。

「草むしりに、得意も不得意もないと思うんですけど」

「俺も参加したいけど、堀川家の家訓に草むしりはするなと書かれてたんで」

「宙乗りは駄目の次は、草むしりですか。一度、その家訓全部見せて貰えますか」

「ハイハイ、それぐらいにしましょう」

 輝美さんが止めなかったら、どんどん続きそうだ。

 僕らは、冷たい麦茶、スイカも戴いた。

 汗も引き、こころも落ち着いたのを見計らって、国宝さんが尾崎さんに

「ボチボチ、始めよか」

 と云った。

「わかりました。附け打ちの皆さんにこうしてお集り頂き有難うございます。すでにご承知かと思いますが、八月は、我々、パタパタ・アート・グループは、お休みです」

 東京歌舞伎座は、八月も公演しているが、ここの劇場は座付きの附け打ちがいるので、我々の出番はなかった。

 役者からの指名附け打ちもなかった。

 だから丸々一か月、休みに入る。

 と云えば、何だか優雅な稼業に聞こえるが、歌舞伎公演が続く時は、全く休みがなかった。

 二十五日に千秋楽を迎えると、翌日から他劇場での稽古が始まるからだ。

 世間一般のサラリーマンは、土日祝日、お盆休み、年末年始で年間百三十日ぐらいの休みがあるが、僕らはその半分もない。

 だからと云って、高給取りでもない。

 損得勘定から行けば、割に合わない職種だろう。

 だから、ホームページで募集しても集まらない。

 来ても、この休みの少なさを説明すると大半は、ここで脱落、やめてしまう。

 始めても一年も持たない。

 一番早くやめたのは、二時間があった。

 昼ご飯を食べに行ったまま戻らないのが新記録だった。

 一時、行方不明かと大騒ぎになった。

 その後、尾崎さんにラインが届いた。

(無理です!)の言葉の次に、大声で泣き叫ぶ少年の絵が添付されてた。

 今どきの若者は、ラインでしかも絵付きで送って終わりなのだ。

 とにかく歌舞伎が好き、とにかく附け打ちが好き。

 そんな人でないと、長続きしないのだ。

「丸太さんが、結婚で附け打ちをおやめになり、早急に人の補充が先決でした。で、この度実は、久し振りに附け打ちの新人さんが見つかりました」

「自己紹介しよか」

 国宝さんが隣りに座る若者に、目をやった。

 若者は、すくっと立ち上がった。

 身長は、百七十五㎝ぐらいで、がっちり体形だった。

「この度、パタパタ・アート・グループに入らせて貰いました阿藤雅之です。二十歳です。出身は東京です。趣味は歌舞伎鑑賞です。えーとそれから」

「阿藤?えっじゃあ阿藤カオルさんの・・・」

 一瞬、僕の脳裏に五月の犬之助スペシャル歌舞伎公演での宙乗り設備、操作を行った、「アート・カオル」の阿藤カオルさんの顔が横切った。

「はい、母です」

「息子さんなの」

 僕は二度びっくりした。

 カオルさんが子持ちで、こんな大きな息子さんがいるとは。

「カオルさんって、まだ若いんですよね」

「はい。二十歳の時に僕を生みました」

「東山、プライベート情報はおいおい、聞いていったらええがな」

 国宝さんがストップをかけた。

「すみませんでした」

「こうして新人の阿藤くんが入られたので、久し振りに、附け打ち集団の合宿を行いたいと思います」

 僕が附け打ちに入る前に、何回か合宿を京都でやったらしい。

 今いる国宝さんのこの家で寝泊まりしながらやった回もあったらしい。

「ほんま、久し振りやな」

 懐かしむ国宝さんの顔に、光がさした。

「今回は、どこでやるんや」

「嵐山です」

 きっぱりと尾崎さんは答えた。


    ( 2 )


 関西大向こうの会の小林耕三さんは、祇園を始め、京都市内に幾つもの不動産を持っている資産家である。

 その小林さん所有の嵐山の町家旅館を借りての合宿だった。

 三百坪の広大な敷地に20もの町家風旅館で、露天風呂もある。

 一件の町家が独立した作りになっていた。

 二間続きで、どの部屋からも保津川が見える。

 JR嵐山から、トロッコ列車で亀岡へ。

 亀岡から船に乗って保津川下りするのが、訪日観光客に絶大な人気を博していた。

 都心の交通の便がよくて、気軽に日本の自然を満喫出来るのがよかった。

 日本人なら当たり前だと思っていた、「清流」「山々の色々な樹木の緑色」「青空」「安全」それらは、外国から見ると羨ましいのである。

 特に都心でも「青空」が見れるのは、中国人観光客にとっては、それは奇跡なのだ。

 北京では、まず青空は見れない。

 幼稚園児が描く、北京の空は、灰色である。

 日本に来た園児が、日本の真っ青の空を見て、

「あの青い布は、どうやって吊るすの」と聞いたと云う。

 今回、この旅館での合宿、食事も含めて全てただだった。

 小林さんは、資産家なので、お金を受け取らなかった。

「これで、合宿訓練なければ、最高なのになあ」

 朝から、露天風呂でくつろぐ堀川さんだった。

 食事は、隣接するホテルのバイキングで一緒にとった。

 僕と新人の阿藤くんは、同じ部屋で寝泊まりする。

 同じ部屋と云っても、二間あるから充分の広さである。

 附け打ち合宿は、三日間の予定で行われた。

 朝、七時起床。

 七時半 朝食

 八時 ランニング又は、散歩

 九時 附け打ち練習

 十二時昼食 

 二時から夕方まで附け打ち練習

 六時夕食

 七時附け打ち談話

 九時自由時間

 十時消灯


 ランニングと云っても、そんなに早く走るものではない。

 散歩に近い走りだった。

 コースは、渡月橋辺りから松尾橋までの約一キロの道のりの往復。

 ここは、桂川のそばを、サイクリング・歩行者専用道路が走っていた。

 保津川は、渡月橋の手前で、大堰川となり、渡月橋より南は、桂川と名前を二回も変える。

 京都は不思議な町で、川や道路が、途中で名前を変える。

 賀茂川は、出町柳から南は、鴨川となる。

 南座のそばの、大和大路通りは、四条通りから北は、縄手通りとなる。

 北野天満宮のそばを流れる紙屋川は天神川となる。

 京都人から見たら、昔から馴染んで来たので、それが当たり前だと思っている。

 実は他府県から見たら、そうではないのだ。

 住所にしても、「正式住所」と「通称住所」が混在する。

 例えば、広く一般的に知れ渡っている南座の住所は、「京都市東山区四条大橋東詰」だが、これは通称住所で、正式住所ではない。

 準備体操して、初日は皆で歩く事になった。

「健康のため、わしも歩く」

 国宝さんも参加した。

 もちろん、全員国宝さんのゆっくりした歩みに合わせた。

 八時だが、もうすでに夏の熱気が足元にじわじわと浸って来た。

 見ると、ジョギングしている老人が多い。

 幾つかある公園では、ゲートボールが始まっていた。

 犬を連れた散歩する人が多かった。

 一匹の犬が、空中に向かって飛んでいた。

(一体、何を犬はやっているんだ)と思った。

 近づくと、飼い主の口元からシャボン玉が出ていた。

「シャボン玉かあ」

「小さい頃、よくやったなあ」

 一同は立ち止った。

 僕は、一刻も早く通り過ぎたかった。

 飼い主は、座り込んで、シャボン玉製造を続ける。

 小瓶を持ち、小さなストローを差し込んで、それを口元に持って行く。

 ぷわっと吹くと、三、四個のシャボン玉が、ストローの先から、生まれた。

 空中に浮かんでいるのは、ほんの数秒だった。

 犬は、疲れを知らないのか、ずっと飛び跳ねてその消えゆくシャボン玉を狙ってジャンプを繰り返していた。

 僕は、そそくさと通り過ぎる。

「牧歌的なのになあ」

「情緒ない奴だなあ」

 僕の背後から、批判の声が突き刺さる。

 それでも、僕は早足を続けた。

 阿藤君が、追いかけて来た。

「筋金入りの犬嫌いですね」

「そうだ。悪いか」

「いえ」

 少し大人げないと思った。

「ごめん。ところで阿藤くんのお父さんは、何してるの」

「父はいません」

「そうなんだ」

 いないと云う事は、亡くなったか離婚したかだと思った。

「僕が生まれた時から、いませんでした。母はシングルマザーで僕を育ててくれました」

 二十歳で生んだとなると、学生の時だ。

(父は、誰なんだ)

 とふと思った。

「何か苦手なもの、あるの」

「それって、犬が嫌いとかですか」

 阿藤くんの目に悪戯っぽい様子が浮かんだ。

「何で知ってるの」

「堀川さんから聞きました」

「全くお喋りなんだから」

「犬嫌いでも、高所恐怖症でもないです。しいて云えば、女性ですか」

「女性?」

「て云うか、何て云うか」

 もう少し、ここは突っ込んで聞きたかったが、僕に今そこにある危機が迫った。

 サイクリングロード向かいから、犬が走って来た。

「東山、避けたらあかんでえ」

 国宝さんの笑い声が聞こえた。

 犬を一瞬見ただけで、脇から、滝のように汗が噴き出した。

 ここの道は幅が、二メートルもないので、僕らの隊列は一列となり、堀川さんの誘導で僕が先頭になり、その後ろに阿藤くんがいた。

 犬のそばには、飼い主がいない。

 野犬か?

「東山さん、大丈夫です。放し飼いじゃないです」

「でも隣りに飼い主がいない」

「よく見て下さい。首にリードついてます」

 確かに首にリード(鎖)がついている。

「つまり、飼い主がリードをわざと離したのか」

「よくあるケースですね」

 犬は、チワワで小さい。

 犬好きの人、普通の人から見たら、

「何で、そんな小さい犬で怖がるのか」

 と云うかもしれない。

 じゃあ聞きますけど、小さなワニはどうですかと。

 大嫌いなものに、大きいも小さいもないのだ。

 僕の歩調が小さくなり、ほぼ止まりかけると、堀川さんが、阿藤くんの手を取って、僕の背中を押していた。

 それを見て、皆笑い出した。

 これは、立派ないじめだ。

 チワワと僕の距離はあっと云う間に、十メートルぐらいになった。

 確かに首輪もリードもある。

 僕は立ち止る。

 チワワが、近寄り僕の足に抱きつこうと瞬間、僕は恐怖のあまり目をつぶった。

「おおおおーーー!」

 一同の歓声で、薄っすらと目を開けた。

 チワワが、まるで逆回転フィルムのように、後ろに下がって行く。

 リードがどんどん巻き取られて行く。

 リードの先に、飼い主がぽちっと見えた。

 やがて走って来た。

「すみません!」

 中年の女性が頭を下げた。

「随分長いリードなんですねえ」

 尾崎さんが、感心したように聞いた。

「ええ、これ百mも伸ばせるんです」

「チワワちゃんが前へ行けば、勝手にリードが伸びるんですねえ」

「そうです。ストッパー機能もあるんで、それを押さなければどんどん伸びます」

「だって、東山さん!」

 僕は唇の震えが止まらなくて、ただうなづくだけだった。

「ひょっとして、こちらの方、犬が苦手なんですか」

「そうなんですよ。こんな可愛いチワワちゃんなのになあ」

 堀川さんが、抱きとめた。

「実は、うちの子供も大嫌いなんです。犬嫌いを直そうにも近寄りもしない。今回は絶対に克服しないといけないのに」

 中年女性はそうつぶやいた。

 僕は、挨拶もそこそこにそこを一刻も早く抜け出したかった。

 僕らは、松尾橋の手前でUターンした。

 戻りは阪急電車嵐山線「松尾大社」から電車に乗った。

 ひと駅で、一分ぐらいで「阪急嵐山」に着く。

 高齢である国宝さんのために、電車を使ったのだ。

 時間と共に、夏の日差しがきつくなった。

「あんな、百メートルも伸びる、リードなんて反則ですよ」

「何が反則なのよ」

 輝美さんが聞いてくれた。

「それって、放し飼いも同じですよ」

「確かにね」

「昔は、ひもで繋いでたんやけど、時代も変わったなあ」

 国宝さんも感心していた。

「その内、ワイヤレスのリードが開発されると思うよ」

 堀川さんの妄想が始まった。

「どんな構造なんや」

 聞かなくてもいいのに国宝さんが聞き返す。

「飼い主と犬に小型の発信機がついてて、飼い主は小さなリモコンみたいなもん持っているんだ。そこでスイッチの入り切り出来て、戻しボタン押せば、するすると犬が、自分の足元に戻って来るんだ」

「ああ、それ面白そう!絶対売れる!」

 輝美さんまで、妄想話に乗って来た。

「だろう!俺って天才かなあ」

「勝手に妄想しといて下さい!」

「飼い主と犬を繋ぐリードって結構邪魔なんだ」

「堀川さん、犬飼った事あるんですか」

「昔ね」

「確かに。ひも付きのものって、大抵科学、技術の進歩でひもはなくなるものよねえ」

「ヘッドホンもイヤホンも、今はワイヤレスになっただろう」

「それと、テレビのリモコンも最初は、線がついとった」

 国宝さんが云った。

「えええっ!リモコンって最初線がついてたんですか!」

 思わず僕は聞き返した。

「そうだ」

「つまり、ワイヤレスリードが開発されるのも時間の問題ってわけか」

「嫌だなあ、そんな世の中・・・」

 こうして、初日の散歩は終わった。

 

     ( 3 )


 翌日は、軽いランニングで昨日のコースを往復した。

 軽く、休憩したあと、僕らはある家を目指した。

「折角、附け打ちが揃っているんで」

 尾崎さんの提案で、僕らはこの近くに住む、歌舞伎役者、片山冨蔵(竹嶋屋)のご自宅を表敬訪問する事になった。

 冨蔵さんは、三左衛門さんのお兄さんで、七十二歳である。

 多くの歌舞伎役者は、東京に住まいを構えている。

 三左衛門さんも東京に住んでいる。

 冨蔵さんは、奥さんを二十年ほど前に亡くして、今は通いのお手伝いさんと弟子富弥がいた。

 桂に住む一人息子、走之助さんも仕事がない時は、車でここを訪れていた。

 敷地約百坪。二階建て。

 庭も手入れされていた。

 離れには、茶室があった。

 二階には三つの部屋があるが、足を悪くした冨蔵は、もっぱら一階を利用していた。

 車椅子で移動出来るように、段差はなかった。

 僕はここを訪れるのは初めてだった。

 すぐそばに、由緒ある清凉寺(嵯峨釈迦堂)、大覚寺も近い。

 まず玄関で、等身大の犬の置物を見て、嫌な気がした。

「お入り下さい。お待ちしてました」

 弟子の富弥さんが出迎えてくれた。

 皆でリビングに入った。

 中央のソファに冨蔵さんは、ある物と一緒だった。

「竹嶋屋の旦那、ご無沙汰しております」

 国宝さんが正座して挨拶した。

「さあさ、暑かったやろう。堅苦しい挨拶抜きや」

 一同座った。

 すでにテーブルにはサンドイッチなどが並んでいた。

 後ろから堀川さんに押されて僕は一番冨蔵さんに近い所に座った。

 何故か富蔵さんの隣りには秋田犬が鎮座していた。

「今度、附け打ちに新人さんが入ったらしいなあ」

「そうです」

 国宝さんが、阿藤くんを見た。

「阿藤雅之です」

 すくっと立ち上がって、一礼した。

 しばらく、富蔵さんは何も云わずに、じっと見つめていた。

「頑張ってなあ」

 ようやく、一言云った。

 和気あいあいとしていると、もう一人客人が来た。

「旦那、遅くなってすんまへん」

 関西演劇部の水田三夫さんだった。

 水田さんは、新作歌舞伎の脚本、演出家であった。

 十五代目、片山三左衛門と同級生で、小中高と同じだった。

 その後、水田さんは、同志社大学文学部に進学。

 大学卒業後は、会社勤めをしていた。

 ある日、疲れた身体で、阪急電車の車窓を眺めていた。

(本当にこのままでいいのか)

(一度しかない人生、このままでいいのか)

 自問自答していた。

(あかん。自分がやりたかった事やらなあかん)

 そして、悩みながらその夜、三左衛門(当時は、三太郎)の祇園バー「マルサン」を訪れた。

「三ちゃん、僕本当は、歌舞伎やりたいねん」と打ち明けた。

「役者になりたいんか」

「違う。脚本家、新作歌舞伎やりたいねん」

 その告白を聞いた三太郎は、実父十三代目三左衛門に相談した。

「そしたら、うちで面倒みよか」と云ってくれたらしい。

 暫く、十三代目の番頭、手伝いをやり、その後十三代目のつてで、竹松の関西演劇部に入った。

 当時は、竹松新喜劇全盛時代で、関西で歌舞伎は、年に一度だけで南座の顔見世だけだった。

 長い長い下積み生活の末に、やっと日が当たる場所に出た。

「僕は、竹松ではモグラ人生でした」は、水田の口癖だった。

「附け打ちのオールスターやねえ、今日は」

 居並ぶ僕らを見て云った。

「丁度、よかった。連絡しやなあかんと思うてたとこ」

 水田は、挨拶もそこそこに、仕事の話を始めた。

 毎年八月に、「嵐山こども歌舞伎」の脚本、演出をやっていて今回は附け打ちが必要との事だった。

 嵐山こども歌舞伎は、渡月橋近くの中の島に特設の舞台を作り、役者は全員子供だった。

「附け打ち云うても尾崎さんや、堀川さんみたいな大御所は、恐れ多いから、東山くんにお願いしようかなと」

「どうぞ、どうぞ」

 僕が返事する前に国宝さんが答えた。

「勉強のために、阿藤くんもつけてもかまへんか。ギャラはいらんから」

「ええ、それはいいですよ」

「水田先生、今年は何の狂言(演目)やるんですか」

「嵐山版八犬伝です。犬が主人公です。舞台に本物の犬を登場させます」

 水田さんは、僕の顔を見ながら云った。

 すでに僕の犬嫌いは、水田さんも知っているようだった。

「面白い!ここはぜひ東山さんのつけでしょう」

 手を叩いて、堀川さんははしゃいだ。

「何匹ぐらい犬が出るんですか」

「まだそこまで考えてないけど」

「ぜひ百一匹でお願いします」

 堀川さんは揉みてしながら答えた。

「何で百じゃなくて、百一匹なんですか。刻むなあ」

「お前知らないのか、ディズニーの名作を!(百一匹ワンちゃん大行進!)って映画があったんだよ!」

 水田は、名作歌舞伎狂言の題材を上手く取り込んで、脚色して新作歌舞伎として上演するのがいつもの手法だった。

 オリジナルの脚本は書けなかったが、この脚色は上手かった。

 音楽で云えば、作曲は出来ないが、アレンジ、編曲が出来ると云う事だった。

「今回は、義太夫三味線も入れようと思うんです」

「本格的ですねえ」

 尾崎さんは、感心した。

「しやけど、予算があまりないんで、弾きと語り一人でやって貰おうと思うんです」

「そしたら、矢澤竹也さんの出番やな」

 冨蔵は、笑った。

 竹也さんは、元々は東京に住んでいたが、今は京都御所近辺の町家に住み、毎月自宅で「町家ライブ」を開催していた。

「犬も借りたら高いやろう。このアランくんを使うてもええで、水田はん」

 富蔵は、秋田犬を抱っこした。

「旦那、それいいですねえ」

 水田は笑った。

「ワン!」

 アランくんが、一声吠えた。

 僕を除く皆が笑った。

 僕は、その咆哮で、びくりと身体を震わせた。

「ワン!」

 今度は堀川さんが、僕の耳元で鳴きまねで吠えた。

「やめて下さい」

「ワンワン!」

 ますます図に乗る、堀川犬だった。

 それを見て、益々、皆の笑いが肥大化していた。


    ( 4 )


 合宿最終日。

 今度は、「附けの会」が嵐山で行われた。

 尾崎が主宰する「つけの会」は、「ライフワーク」でもあった。

 東京、名古屋、京都、大阪、博多と主要都市での開催を中心に行われて、地方でも開催されて来た。

 最近は地方の自治体からの要請も多い。

 今回の会場は、嵐山にある「ドッグヨガ&カフェ・わんわん笑顔」だった。

 飼い犬と一緒にヨガをして、その後犬と一緒にカフェタイムするコンセプトで始まった店だった。

 僕に云わせれば、何で犬と一緒にヨガなのか。全く理解不能だった。

 経営者が、犬と一緒にヨガしているのを「ユーチューブ」に投稿。

 すると世界からアクセスが殺到した。

 嵐山観光コースに、ここのスタジオ見学が組まれていた。

 観光客がまた個別でSNSにアップ。

 さらに評判は、世界を疾走した。

 この店が大繁盛で、来年には東京、大阪にも姉妹店が出来るらしい。

 ここのスタジオは、収容人数二百人だったが、半分は会員用、後の半分は訪日観光客だった。

 舞台ではなくて、広いスタジオを人数分のパイプ椅子を並べた。

 窓からは、保津川が見える。

 新緑の中に、渡し船とカップルのボートが何隻か浮かんでいた。

 僕は、堀川さん、福岡さん、阿藤くん、ジェフでパイプ椅子を並び終えた。

「東山さん、皆さん紹介しときます」

 尾崎さんが声掛けした。

 隣には、目鼻立ちのくっきりしたスリムな女性がいた。

「こちらが、ドッグヨガ&カフェ・わんわん笑顔のオーナーの犬養雅美さんです」

「犬養雅美です。宜しくお願い致します」

「さすがは、ヨガ先生、スタイル抜群ですねえ」

 堀川さんは、見たまま口にした。

「まあ、お口がお上手ねえ」

 雅美さんは小さく笑った。

「犬好きの人は、性格がいいらしいですから、二つとも美人です」

「あら、そうですの」

「はい。逆に云えば犬嫌いは、性格が悪いって云いますから」

 堀川さんが、そう云うものだから、全員、僕の方を見てニタニタした。

「あなた、犬が嫌いなの」

「いえ、そうでもないです」

 僕は、慌てて否定した。

「私ね、また新しい事業を始めようと思います」

 雅美さんは、大きな目をさらに大きく開けて云った。

「どんな事業なんですか」

 尾崎さんが尋ねた。

「愛犬と一緒に写真を撮るスタジオ。但し普通に写真を撮るのではなくて、例えば、七五三の祝いをワンちゃんと一緒にやるの」

「いいですねえ、絶対に流行ります」

 堀川さんは、揉みてしながら笑った。

「ワンちゃんに七五三用の着物、羽織袴着せるの」

「いいですねえ、最高ですね。絶対に流行りますよ」

 どこまでも持ち上げる堀川さんだった。

「でしょう。さらにワンちゃんとの結婚式も考えているの」

「い、犬と結婚ですか!」

 僕は、軽い目まいを覚えた。

 語弊かもしれないが、完全に狂ってるとしか云いようがない。

「こんな感じなの」

 雅美さんは、スマホを作動させて僕らに見せてくれた。

 犬と教会で結婚式を挙げてる写真だった。

「大手旅行会社と組んで、ワンちゃんと新婚旅行も考えてるの」

 果てしない、夢を語る雅美さんだった。

「それ実現したら、愛犬家には天国ですね」

「でしょう!」

 それは、僕にとっては、天国ではなくて、地獄だった。


 僕と阿藤くんの二人で受付をする事になった。

 開演は午後一時。

 一時間前から続々と、犬連れのお客様が集まって来る。

 平日の昼間だったので、九割が女性。

 犬の種類も様々で、チワワから、秋田犬、ハスキー犬と会場は犬の品評会だった。

 犬に服を着せるのが日本では流行っている。

 最初、胴体にチョッキ、ベストのような感じだったが、今は違うようだ。

 上着から、ズボン、スカート、蝶ネクタイもある。

 またリボン、花簪、装飾も人間と同じで、中には、靴を履かせてて、さらに靴下まで履いている犬までいた。

 毛も、どうやってやってるのか、パーマをかけている犬までいた。

「これじゃあ、人間と同じだな」

 僕はつぶやいた。

 すでに汗は、緊張のあまり二リットルはかいていた。

 車椅子で冨蔵さんが、あの秋田犬「アラン」を抱いて入って来た。

 車椅子を押していたのが、水田先生だった。

「おはようございます!」

 僕は挨拶すると、車椅子の後ろに回り、

「水田先生、僕代わります」

「有難う、すんまへん」

 車椅子を押して、一番前のエリアに行った。

「端でええよ」

 冨蔵は、気を使っていたようだ。

 車椅子を降りて、一般の人と同じようにパイプ椅子に座った。


 ワークショップ「つけの会・嵐山」は定刻通り始まった。

 第一部は、犬と一緒のヨガ体操だった。

 参加者は、飼い犬と一緒にヨガをやるのだ。

 訪日観光客は、犬がいないので、スタジオから犬の縫いぐるみが貸し出された。

 これは、僕に云わせれば、(異様な光景)(滑稽極まる光景)だった。

 だって、ヨガを縫いぐるみとやるなんて!

 さらに、目を見張らせたのが、オーナー犬養雅美さんのレオタード姿だった。

 全く余分な肉がついていない、均整の取れた身体。

 しかし、マッチョではない。

 胸も大きい。EカップかFカップの巨乳。 しかしウエストが細い、小さい。

 55センチもないのではないか。

 犬は、雅美さんと向かい合わせになる。

 雅美さんが、ゆっくりと身体をひねると、犬も同じようにやる。

 縫いぐるみで、中に人が入っている感じだ。

 両足で飛ぶ、片足ジャンプ、全て同じようにやる。

 足を変えるタイミングも同じだった。

「ワハハハ!」

 日本人よりも、訪日観光客の方に受けていた。

 よつんばになり、ぐいっと上半身をそらす。

 犬も同じようにやる。

 後半、腹筋を始めると、犬は雅美さんの足を押さえる。

 さらに、お腹の上に乗り、雅美さんが、上半身を起こして、顔を近づけるたびに、キスをした。

 拍手が巻き起こる。

 何の拍手か、皆目見当がつかない。

 雅美さんが、上半身起こして、足をエックスの字に組んで、顔をゆっくりと左右に回す。

 そのタイミングも間も全く同時だった。

 観光客は、足を踏み鳴らし、手を叩き、身体を揺らして笑う。

 日本人よりも、表現が、大きく豊かだった。

 一通り、終わると、雅美さんが

「では、ここで附け打ちの東山さんに出て頂きましょう」

 突然の指名を受けた。

「す、すみません」

 僕は何故か緊張のあまり、謝ってしまった。

 犬と、雅美さんの緑色のレオタード姿に緊張した。

「犬と一緒に東山さんもヨガ体操やりましょう」

「ええええっ、む、無理です!」

「やれやれ!」

 袖から、堀川さん、尾崎さんまでけしかける。

 客席から、口笛、拍手、野次が幾重にも重なって飛び込んで来た。

 特に、訪日観光客の乗りが異常だった。

 仕方なく、僕は雅美さんに従う。

 僕は仰向けになった。

 そこへスピッツ犬が二匹どこからともなく出て来て、僕のお腹に乗った。

「ぶあーーー!」

 恥じらいもなく、僕は叫んだ。

 客席、訪日観光客もどうやら、僕が犬が苦手だとわかったようだ。

 僕のお腹は、激しく脈打つ。

 動悸、息切れも収まらない。

 訪日観光客は、腹を抱えて笑っていた。

 百人の訪日観光客のために、同時通訳字幕が後ろの幕に映し出された。

 英語、中国語、台湾語、韓国語だった。

 最悪の状況だった。

「東山さん、大丈夫ですか」

「全然大丈夫じゃないです」

 激しい目まいがした。

 もうフラフラだった。

 とても、腹筋なんて出来ない。

 上半身を起こすと、スピッツがぺろっと僕の顔を舐めた。

「うわああーー許してくれい」

 こんな状態での第一部だった。


 第二部は、附け打ち講座だった。

「皆さん、今日は」

 まず尾崎さんが挨拶した。

 その後、僕が出た。

 尾崎さんの説明のあと、僕がつけを叩くのだった。

「歌舞伎のつけには、色んな種類があります。皆さん一番お馴染みのつけ音と云えば、役者が見得を切る時のものですね」

 尾崎さんが見得を切る。

 それに合わせて、僕も、

「バッタリ」と打つ。

 そのつけ音で、何匹かの犬が吠えた。

「ワンワン」

 その鳴き声に、僕はびくっとした。

 横で、堀川さん、福岡さんの笑い声が聞こえた。

「ワンワン」

 今度は堀川さんが犬の鳴き声をした。

 場内爆笑だった。

「会場には、変な犬が一匹紛れ込んでますねえ」

 すかさず、尾崎さんがアドリブで応酬した。

 客席は再び、爆笑の花火が打ちあがった。

「附け打ちは、効果音でもあります」

 ジェフが出て来て、上手から下手に歩いて行く。

 そこで財布を落とした。

「パタ」

 すかさず、僕はつけを打った。

「このように、今、財布落としましたよと観客に知らせる役目もあります。

 歌舞伎では、その他にかんざし、手紙など、これからの物語の展開の中での重要なものをクローズアップさせる役目もあります。では、次に歌舞伎の立ち回りでのつけをご覧になりましょう」

 ジェフと福岡が出て来る。

 模擬刀での立ち回りである。

 附け打ちは、ここで刀と刀が交差するたびに、つけ音を出すのではなくて、どちらかと云うと、附け打ち独自のリズミカルなものであった。

「パラパラ、パラパラ、パラパラ」

 立ち回りが終わり、尾崎さんの解説が入った。

「と云うわけで、刀と刀の交差したり、刀の素振りでつけを打ち始めると、とてもやかましくて、つけ音ばかりが目立ちます。そこで、独自につけ音をつけて行くわけです」

 客席後方で、子供の泣き声がし出した。

「犬、怖いよう、沢山いるから怖いよーーー」

 まるで、その言葉は僕のこころの中を代弁するかのようだった。

 母親が、外に連れ出した。

 盛況のうちに、つけの会は終わった。

 僕らは、出口でお客様を見送った。

「犬怖いーーー」

 まだ子供は泣いていた。

「すみません」

 僕と目が合って、母親は謝った。

(あれっ!)と思った。

 どこかで見たことある人だった。

「あの人、嵐山の合宿の時、散歩で出会った人ですよ」

 阿藤くんが云った。

 それを入れると今日で二回目、泣く子供と会ったのは、これが最初だった。

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