第9話 附け打ち、ジョニーズ歌舞伎に参加!
( 1 )
「私は、今回の公演を通じて、我々事務所の原点、芸能の原点、そして私の故郷でもあります、この京都で、ご支持頂いている皆さんへのお返し、ご披露をしたいと思っております」
長々と、記者会見が続く。
と云ってもここは、ホテルでも南座でもない。
鴨川の遊歩道、川べりだった。
ここから、三条大橋が見えている。
今、記者会見を行っていたのが、アイドルグループを輩出する、ジョニーズ事務所の社長、ジョニー北大路さん。
今年八十歳ですが、全然見えない。
若い。日頃若い男性ホルモンに囲まれているせいだろうか。
普通、八十歳ともなれば、世間ではもう「立派なお爺さん」のはず。
しかし、本当に若い。二十歳は、若く見える。
今回、僕は「ジョニーズ歌舞伎」の附け打ちとして参加する事になった。
普通、附け打ちは、一か月劇場公演では二人で組む。
僕はまだつけを打ち出して、一年ちょっとの新米。
だから、必ずベテランとコンビを組んで来た。
堀川さんであり、尾崎さんであり、丸太さんだった。
丸太さんは、五月でやめた。
その一人の欠員は、僕らPAG(パタパタ・アート・グループ)に、かなりのしわ寄せが来ていた。
その皴の先にあったのが、このジョニーズ歌舞伎南座公演だった。
基本、僕は一人。
もし万一僕が何らかの事情でつけが打てなくなると、ジェフが合流する。
ジェフは、昨年加入した。
外国人初の附け打ちとして、かなり注目された。
英語、日本語ペラペラである。
新米同士で、一か月公演を乗り切る。
その不安が大きい。
しかも、実質は僕一人である。
「まあ、やってみたらええがな」
最後は、国宝さんの決断で決まった。
七月「ジョニーズ歌舞伎・かぶくぜ!ワッショイ仲間たち」は、南座が初演である。
今は六月。その公演の記者会見が、ここ、三条河原で行われた。
記者会見の場を、ここに決めたのは、ジョニーズ事務所社長の北大路だった。
先程の記者会見の冒頭にもあったように、「原点」に立ち返る。
芸能の原点は歌舞伎。
歌舞伎の原点は、ここ三条から四条河原。
今から約四百年前、この河原で、出雲阿国が、歌舞伎踊りを披露した。
だから、我々の公演のスタートもここで行う。
そう云うコンセプトだった。
この記者会見は、画期的と云うか、大きな注目を浴びた。
と云うのも、公の席に、ジョニーズ北大路が姿を見せるのは初めてだったからだ。
そのため、マスコミ関係者総勢五百人を越えていた。
ジョニーズ海外戦略の一つに、世界ツアーがあった。
他のアーチストは大抵、欧米、アジアが主だが、ジョニーズは違った。
欧米、アジアはもちろん、アフリカ、さらには、昨年は国交のない北朝鮮で公演を行い、世界を驚かせた。
南米、ブラジル奥地のジャングル公演も話題となった。
もう一つ、今回の公演の主役、京都ジョニーズ(KJ)が、劇場で一か月公演を行うのも初めてだった。
京都ジョニーズは、五人組(大宮太陽・西院大地・山内海洋・野宮虹駈・滝口月見)のアイドルグループである。
この五人の名前は、芸名のようだが、実は全部本名である。
北大路は、
「名前は、それぞれ両親が、色々な思いをかけてつけたものである。それを捨てて別の名前にするのは、そのかけがえのない思いを捨てる事になるから、決して芸名はつけない」
と云っていた。
原則本名。
たまに、変える事もあるが、読み方は同じである。
この五人は、他のアイドルと大きく違っている事がある。
それは、芝居が出来る。
古典楽器、三味線(義太夫・長唄)、太鼓、鼓などが演奏出来る事だ。
業界の噂では、北大路は、本気で歌舞伎スターを作ろうとしている。
今更云うまでもなく、歌舞伎は、竹松が独占している。
昔、一時期西宝が、「西宝歌舞伎」とうたって、白羅屋一門の歌舞伎役者を引き抜いて、歌舞伎を上演していたが、それも十年で辞めた。
白羅屋一門も、頭を下げて元の竹松に戻った。
記者会見が終わると、三条から、四条河原までの鴨川遊歩道を練り歩いた。
このアイドルグループを一目見ようと、三条大橋、四条大橋、対岸の遊歩道、先斗町の遊歩道に面しているお茶屋、飲食店、先斗町歌舞練場のベランダ側は、鈴なりの人出となった。
この賑わいを空撮しようと、小型カメラを搭載した最新ドローンが、十数台鴨川をゆっくり南下していた。
「京都活性プロジェクト」の一環として行われたので、京都市が前面協力していた。
都新聞の記事によると、約三万人の人出だったらしい。
すでに、南座公演全期間切符は売り切れており、すでにネット上では、八千円の席が、八十万円で売買されていた。
ジョニーズ関連の切符には、予約した人の名前が一応書かれているが、それを第三者に渡っても、いちいち確認は不可能である。
券の名前から、男か女かは、判別出来ても、同じ女性なら、入り口で身分証提示で確認しないといけない。
千名にそれを行っていたら、とても三十分の開場時間では無理である。
切符は売り切れなのだから、宣伝はする必要はない。
しかし、北大路の要請であった。
北大路は、歌舞伎の聖地、京都南座で念願のジョニーズ歌舞伎をやる。
これをファンだけでなくて、一般の人々にも知って欲しかった。
南座でのお練りは、大抵八坂神社から南座までが相場である。
南座改装工事に伴い、祇園甲部歌舞練場で行った時は、南座から歌舞練場まで。
ロームシアター京都で顔見世やった時は、八坂神社から、ロームシアター京都までの道のりだった。
この三条、四条間の鴨川べりの遊歩道でのお練りを提案したのも、北大路だった。
何か、普通でない、イベントでマスコミを注目させたい。
さらに昨今は、各自がスマホで写真に撮り、ブログ、ツイッター、フェイスブック、インスタグラムなどに投稿するので、拡散、噂のスピードは昔に比べれば、その効果は何千倍、いや何万倍だった。
しかも、ほぼ、同時リアルタイムである。
マスコミだけの記事、広がりは終焉を告げていた。
ニュースを見ていても、現場の映像のほとんどが、「視聴者提供」となっていた。
五人のお練りの恰好は、斬新なデザインの着物だった。
京都西陣織り着物デザイナー、星野浩子デザインだった。
着物の柄は様々で、漢字、ひらがな、が点在していた。
襟は、赤、黒、黄、緑、青だった。
かつらはつけてなかった。
長刀、太刀、弓矢などを携えてゆっくりと行進を始めた。
六月の梅雨時でのお練りで、雨が心配されたが、今年は空梅雨で、梅雨入り宣言しても、まとまった雨が降っていなかった。
夏到来と勘違いしたかのように、太陽の光は、強烈な光線と、熱気を地面に放射していた。
日傘、サングラスがしたい日和だった。
三条と四条の間の遊歩道に、特設の舞台がしつらえてあった。
仕切りがなく、全方向を見渡す事が出来た。
対岸の遊歩道、三条大橋、四条大橋、先斗町の各お店の床からも見れる。
先斗町の床は、最近は、ゴールデンウイーク頃から、開業していた。
真夏の床は、夏の日中の熱気で、夜になっても床が、生暖かい。
実は今頃が一番よいのである。
今は昼間は暑くても、夕方になれば、ぐっと気温が下がり、川面からの風は、心地よさと爽快さも一緒に運んで来てくれた。
「皆さん、元気ですか!」
京都ジャニーズ(KJ)の五人がステージに上がった。
僕もステージ端に陣取る。
しかし、どちらが上手端になるのか、今はわからなかった。
一応、メンバーは、四条大橋に視線を向けていた。
「元気かあ」
「元気―!」
詰めかけたファンが一斉に声を張り上げて返事した。
「久し振りに、僕らの故郷、京都に帰って来ました」
「待ってたよ!」
すかさず、何人かの女の子が即答した。
「さすが地元。反応が早い!」
「京都帰って来たらほっとします」
「ほんま、本当ほっとする。あの京都タワーのろうそく見たら、ほっとしたわあ」
「あれは、ろうそくと違うのよ。京の街を照らす、灯台としてイメージして造られたんやで」
「ろうそくでも、照らせられる」
「でも、あれはね、京の町家の屋根瓦を海の波に見立てて、灯台の明かりとして建設されたの」
「でも、うっとこの家、ろうそくやでえ」
「お前とこ、停電か」
「電気来てないねん」
「いつの話やねん」
メンバーが一言発する度に、笑い、どよめき、拍手、悲鳴が同時に起きる。
その反応は、歌舞伎のお客様とは全然違った。
拍手一つ取って見ても、皆若いから、手を叩く間合いが速くて、音も大きい。
雪崩のように、巻き起こる。
また悲鳴が凄かった。
これは歌舞伎にはなかった。
僕は思った。
江戸時代の歌舞伎も、本当はこんな感じだったのではないかと。
今の歌舞伎は、綺麗な劇場で洗練された演技、芝居だった。
しかし、本当はもっと猥雑で、誤解を恐れずに云えば、汚いものだったはずだ。
その証拠に最初、河原で簡素な舞台で、屋根もなかった。
ほぼ、野外歌舞伎だった。
今の南座の所に、屋根付きの劇場が建てられるのは、ずっと後である。
最初は、河原で、それこそあちこちで、見世物小屋みたいに、てんでばらばらに様々なものが演じられていたのだろう。
まだ歌舞伎と形が出来上がる前の姿だ。
「今日は、晴れてよかったです」
「僕たち全員、京都生まれの京都育ちです」
「知ってるでえ」
先斗町の床から、早速野次が飛ぶ。
「お前は、連れか!」
大宮太陽が、くるっと先斗町の店の床の方に顔を向けた。
「キャーキャー」
悲鳴が五重奏曲のように、折り重なる。
「四条河原の特設舞台と云う事で」
「何や、盆踊りの櫓の上でやってるみたい」
「そしたら、盆踊りやろか」
「やって、やって!やって!」
「やってて。年頃の女の子が、はしたない」
「はしたないて。お前、何想像してんねん。そう云うお前の方がはしたない」
五人の雑談が続く。
一言、云うたびにファンは笑い、喝采を送る。
残念ながら、僕はそれを聞く余裕がない。
と云うのも、これからKJの歌う曲に、附け打ちが入るのだ。
これを云い出したのも、北大路さん。
国宝さんを通じて、要請があった。
メンバーが忙しいので、稽古はなかった。
「お任せします。つけが入る事で、彼らの格好良さを数倍、よくして欲しい。
それが、唯一の条件だった。
実に曖昧な条件だった。
だったら、好き勝手に打てばいいだろう云う人もいるだろう。
しかし、それが難しい。
東京新橋演舞場にいる、尾崎さんに電話した。
「どうすればいいでしょうか」
「彼らの曲を何回も聞いて、ビデオ見てタイミングをつかみなさい」
尾崎さんは、僕ら附け打ちの中で、唯一宝塚歌劇でつけを打った人だ。
演出家の注文で、ロケットダンスにつけを打った事で、一躍有名になった。
「音より、間。間合い。タイミングだからね」
尾崎さんは、繰り返し云った。
今はビデオがあるので、幾らでも練習は出来た。
「東山君、ビデオはあくまで、参考程度だから。百パーセント、それに頼ると、えらい目に会うから」
附け打ちの大先輩の有難い言葉だった。
「では、聴いて下さい。(京都男子!参上!)」
一瞬、悲鳴と歓声が、四条河原、鴨川を一瞬にして覆う。
川の中のアユも、さぞかし驚いた事だろう。
普通のコンサートなら、写真、動画撮影は厳禁だった。
しかし、今日の河原では、全部OKだった。
これもジョニーズ歌舞伎宣伝のためだった。
「 京都男子!参上! 」
(作詞・茶山一郎 作曲・一乗寺 元)
🎶
駈け抜ける風 そよぐ風
汗の匂いも 生きてるよ
光り輝く 陽の中で
僕は生きてる はしゃいでる
「レッツゴー」
「スタートダッシュ!」
ああ京都男子 只今と
叫ぶ先には 八坂さん
笑う背中に 高台寺
夕陽に浮かぶ 清水寺
きみと歩いた ねねの道
きみと見上げた 八坂の塔
南座で見た 顔見世よ
かぶく僕らは 京都男子
「ジャンプ!」
「ナンバーワン!」
肩寄せ合うは 嵐山
ボート漕ぐ手は 緊張で
竹林の道 せつなさで
張り裂けそうな 恋心
ああ京都男子 今宵また
京の街角 参上
きみと語らう きぬかけの道
沈思黙考の 龍安寺
きらめき踊る 金閣寺
夕暮木屋町 高瀬川
こころで叫ぶ 魂よ
「アップ!アップ!アップ!」
「ゴール!ゴール!ゴール!」
二人手つなぐ 先見ゆる
夜景ときめく 将軍塚
彼らは、最初一列でおとなしく歌っていたが、すぐに、軽やかなダンスを始めながら踊る。
今までのジョニーズなら、せいぜいバク転を三回ぐらいで終わっていた。
しかし、KJは違っていた。
五人ピラミッドから、一番上にいた、メンバーの中で一番小柄な滝口月見が、後方宙返りしながら、身体をひねって、前に着地した。
さらに四方向からの同時バク転。二人は舞台の前に、宙返りしながら立つ。
と同時にバク転しながら舞台に着地して見せた。
(どんだけ、身体機能が飛びぬけているんだ)
この途中から激しいビート音楽に僕のつけが入る。
彼らの動きに、いちいち、つけを入れていたら、観客としてはうるさくて仕方ない。
それは、歌舞伎での殺陣に入れるつけと同じだった。
殺陣のつけも、立ち回りでの刀の交差などにつけを打つわけではない。
軽やかな独自のつけを入れるのである。
つまり、つけ音で、殺陣を表現していた。
それと同じ要領だった。
(間合いだよ、タイミングが大事)
つけを打ちながら、尾崎さんの言葉が蘇る。
「パタパタ、パタパタ、パタパタ」
僕は五人の動きには合わさなかった。
附け打ちの独自で僕が感じる、今の彼らの歌、「 京都男子!参上! 」を表現した。
拍手と声援の輪が急速に大きくなった。
特設舞台公演は、大好評だった。
すぐに、ファンのツイッターが称賛であふれた。
「ジョニーズ公演で、仮設舞台とは云え、写真、動画撮り放題って信じられない!」
「北大路社長、心境の大変化!」
「一体何があったの」
「ジョニーズ歌舞伎、本気で成功させたいから、宣伝拡大ね」
「危うし、竹松歌舞伎!」
「一度は見てみたい、竹松古典歌舞伎とジョニーズ歌舞伎のコラボ!」
「あの、舞台の端で、パタパタ、板を叩いていたのは何ですか?」
「歌舞伎における、附け打ちと云う職種です」
「初めて見ました!恰好いい!」
「私も。今度竹松歌舞伎見ます!」
「附け打ち、パタパタ・アート・グループの東山トビオくんです」
「尾崎徹夫さんの、後輩です」
「大の犬嫌いです」
「昨年、客席に盲導犬いて、動揺して析頭を飛ばしました」
「歌舞伎界では、有名な話です」
続々と、僕の個人情報が、ツイッターで溢れる。
まあ、彼女らが、これで本家の歌舞伎に目が行ったのは、これはこれで大成功だと思った。
( 2 )
「きみが、附け打ちの東山トビオくんか」
稽古を見ている時だった。
但し、ここは南座ではなかった。
南座には、広い稽古場がないので、通常舞台稽古の前に、ロビー稽古が、一階東側ロビーで行われる。
前もって楽屋番が、ロビーに上敷と云って、畳の上敷きをくるくる丸められたものを敷く。
これが、歌舞伎での俗に云う、ロビー稽古。
しかし、ジョニーズ歌舞伎は、向かいのレストラン「菊水」の三階で行われた。
本来ここは、テーブルが並ぶレストランだったが、北大路さんと、菊水の先代の社長とが昔から懇意にしていたので、特別にテーブル、椅子を撤去しての稽古となった。
シャンデリアが吊るされて、雰囲気がよかった。
今回、打ち合わせには、僕は出ずに尾崎さんと国宝さんが出た。
僕に声をかけて来たのは、北大路社長だった。
「すみません。ご挨拶が遅れました」
今日の河原でのイベントも、北大路さんは忙しくしていたので挨拶出来なかった。
東京での本読みも、北大路さんは顔を出さなかった。
こうして喋るのも僕は初めてだった。
よく通る太い声だった。
老人が喋る擦れた声ではなかった。
今回、ジョニーズ歌舞伎につけを入れる事を提案したのも、北大路さんだった。
演目は、歌舞伎ではお馴染みの、「白浪五人男」
これを元に、大胆に改作したのだ。
作者は、茶山一郎。
あのデビュー曲「京男子!参上!」の作詞者である。
「きみの附け打ち、よかったよ。ついては相談だけど・・・」
僕は、北大路さんと一階のレストランで食事をとった。
「ええっ、僕が教えるんですか!」
北大路さんの話を聞いて、僕は開口一番、そう叫んだ。
よほど、その声が大きかったのか、周りの人が振り向いていた。
「そうだ。今はきみしかいないだろう」
北大路さんは、KJのメンバーの一人、西院大地につけを教えて欲しいとの事だった。
「つまり、大地くんに教えて、僕は、お役目御免ってわけですか」
僕の心情を聞いて、北大路さんは、大きく笑った。
「違う、違う。きみは何か勘違いしてる。きみは千秋楽まで叩いて貰う。その上で大地にも叩いて貰う」
「どの場面ですか」
「それは、茶山くんとこれから話し合って決める」
「僕は良いですけど、国宝さんとか竹松のプロデューサーにも了解が必要かと」
「あ、それだったら心配しないで。もう二人から了解は貰えているから」
北大路さんは、ここでウインクした。
お茶目な八十歳のお爺さんだった。
そんなわけで、僕が附け打ちを指導する事になった。
「菊水」での稽古が終わると、北大路さん、国宝さん、竹松の岩倉貞吉プロデューサーの三方の見守る中での、大地くんとの対面となった。
大地くんは、僕より四つ年下だった。
実家は、西陣で「悉皆(しっかい)や」をやっていた。
悉皆やとは、着物の汚れを取る仕事だった。
彼は、そこの十八代目だった。
京都の商人でも、平気で十八代目と名乗る。
戦国時代の創業。
京都は江戸時代創業、四百年は老舗とは呼ばれない。
江戸時代以前の創業で、初めて老舗を名乗れる。
歴史の浅い東京とは、時間の捉え方が根本的に違うのだ。
テレビの旅番組で、東京のお店が紹介される。
「ここは、江戸時代創業の老舗です」
とよく云われる。
「何や、ナレーション、間違えてはるし。江戸時代創業やったら、新興のお店どすがな」
テレビの前で静かに京都人は、突っ込みを入れる。
稽古の合間に、僕と大地はロビーでまず基本的な事を教えた。
僕は、西院大地くんに舞台でつけの打ち方を教えながら、妙な気分になった。
たった、一年前僕はまだ見習い三年め。
最初は、まだつけを打たせて貰えてなかった。
堀川さんの手首の損傷で、ピンチヒッターで打った。
そのまだ附け打ちとして、そんなに偉くないのにこうして、ジョニーズの若手に教えている。
不思議な感覚だった。
稽古で、初めて大地くんがつけを打つ場面がわかった。
主に、芝居から続けて、ショーに入った時につけを打つのだった。
「大地くんをさあ、スッポンからつけを打ちながら出て来るのはどうかな」
脚本演出の茶川が云い出した。
「それ、いいねえ、それにしましょう」
横に座っていた北大路も同意した。
これは、歌舞伎を知っている幕内の人間なら、絶対にこの発想はなかった。
つけは、舞台上手端で打つ。
これはずっとそうだった。
大原則だった。
しかし、この二人には、そんな歌舞伎固定概念なんか、どうでもよかったのだ。
この二人こそ、「かぶく者」だったかもしれない。
芝居幕開きのあたまで、附け打ち大地のスッポン出である。
そのあと、附け打ちやめて、本舞台へ。
今度は僕が上手端でつけを打つ。
そんな感じだった。
白波五人男は、歌舞伎の名作。
文久二年三月(1862年)江戸市村座で上演。
作者は、江戸、明治にかけて大活躍した、二代目河竹新七(黙阿弥)
五人の盗賊を描いたものである。
花道から、傘をさして、五人が出て来て、花道で、台詞を云って、本舞台へ。
そこで、捕りで方と立ち回り。
歌舞伎の立ち回りは、ゆっくりと行う。
「ここは、ジョニーズらしく、激しくやろう」
茶川が云った。
忙しい彼らは、本読み、稽古を満足にやっていない。
この南座での稽古が本格的だった。
ジョニーズ歌舞伎は、古典歌舞伎とは根本的に様相が違った。
しかし、同じなのは女形を演じるメンバーがいた事だ。
演じたのは、メンバーで一番小柄な滝口月見。
滝口は、日舞、京都滝口流の現家元の息子である。
色白、小柄、華奢ななで肩。
着物を着て、化粧をすると完全な女形となった。
「つけは、相手の動作を見て、タイミングよくね」
「はい」
大地くんは、素直だった。
「じゃあ一度やってみようか」
まずつけ析の二つ。
「パタパタ」
「もう少し音を大きく、リズムよく」
「パタパタ」
何回かやっているうちに、コツが掴めたようだ。
「飲みこみ、早いねえ。さすがは、ジョニーズだよねえ」
月見が、様子を見に来た。
「大地、やってるやってる」
「よお、団子、見てくれるか練習の成果を」
団子とは、月見のあだ名だった。
(月見団子)から取った、単純なあだ名だった。
「あたいが、折角来たのだから、やってご覧」
月見は、普段も女言葉だった。
「わかった。何やる」
「見ておやりなさい」
憂いを含んだ優し気な眼差しを大地と僕に流した。
ゾクッとする色気だった。
月見は、歩き出す。途中でかんざしをさり気なく落とした。
すかさず、大地は、
「パタ」
とつけを打ち込んだ。
「ちょっと、今のアシライ、音が大きいねえ」
まず僕は感想を述べた。
アシライとは、つけ打ち用語の一つで、役者の仕草につけるものだった。
財布、手紙、かんざしなどを落とした時につける。
観客の注意をそこで引き付けるものだ。
テレビドラマでのクローズアップとも云えた。
「そうやでえ、今の大地のつけやったら、荷車から俵が五俵落ちたぐらいやなあ」
若いのに、古風な事を知ってる月見だった。
さすがは、日舞の家元の息子だった。
「ちょっと、貸してみて」
月見は、大地のつけ析を取り上げて、打った。
「パタ」
さっきのアシライ音より、少し小さめの音だった。
「ねえ、これぐらいですよねえ、東山さん」
下から見上げる月見の顔に笑みが小さく芽生えた。
「上手い。さすがは家元」
「いえ、家元は父です」
「団子はいいよなあ、小さい時から、知ってるから。団子、附け打ちやれば」
「あたいは、駄目。力ないから、逆に打ち上げ、附け打ちの連打はからっきし駄目なんよ」
と云いながら、月見は、打ち上げをやった。
「パタパタ、パタパタ、パタパタ」
確かに音は小さかったが、リズム感があった。
続いて大地がやった。
大地は、音はそこそこだったが、リズム感が今一だった。
「これ、傍から見てると簡単そうだけど、難しい!」
大地自身、自分の不出来をわかったようだ。
「まあ、頑張りましょう」
( 3 )
南座七月公演「ジョニーズ歌舞伎・かぶくぜ!ワッショイ仲間たち」は幕を開けた。
毎年、竹松は、南座の七月公演の出し物について頭を悩ませていた。
と云うのも、京都の七月は、祇園祭で占められていた。
祇園祭と云うと、山鉾巡行(前祭十七日・後祭二十四日)だけが祭だと思う人が多い。
お隣の大阪の人はほとんど、そう思っている。
実は祇園祭は一日の吉符入りから始まり、三十一日の夏越しの祓いまで続く、全国でも珍しい一か月にわたる長い祭なのだ。
そのため、七月に興行をしてもあまり客が入らない。
同月、大阪松竹座は、毎年恒例の七月大歌舞伎を上演している。
だから、歌舞伎は上演出来ない。
東京に比べて、歌舞伎人口がその十分の一ぐらいの規模なので、同時歌舞伎開催は無理なのだ。
初日の劇場前と云うのは、毎回華やかなものだが、今回ジョニーズファンばかりなので、少し様子が違った。
まず正面玄関付近で、
「切符譲って下さい」
と書かれたボードを両手で持って立つ女の子があちこちで見られた。
今回一等席八千円の席は、ネット上で、八十万円で売買されていたが、公演初日には、すでに二百万円にまで急騰していた。
異常な値段である。
「一体どんな奴が買うんだ!」
「二百万円あったら、そこそこ、いい海外旅行出来るぞ」
と大人が思うが、ファンとしてはそれでも見たいのだろう。
普通の歌舞伎、芝居公演は、切符の半券を持っていたら、開場時、幕間の外出
を許していたが、今回は厳禁。
と云うのも、一枚の切符で前半と後半人が入れ替わる事が東京で多発していた。
初日から楽日まで全期間切符売り切れ。
世間は、さぞや竹松は儲かったと思っている。
しかし、内情は違った。
興行収入の全売り上げの内、ジョニーズ事務所七部・竹松三分の取り分だった。
一億売り上げても、七千万円持って行かれる。
この売り上げ対比は、ハリウッド映画全盛時代の、アメリカの映画会社配給の取り分で、七部持っていかれていた。
しかも、今回殺到するファン対応で、民間警備費用が五百万円かかっていた。
実質、赤字である。
それでも、竹松が興行を打つのは、赤字の幅が一千万円から三千万円だからだ。
竹松は、歌舞伎以外の色物の興行で黒字をあげるのが難しいところとなっていた。
歌手芝居とそれを見る観客の減少。
娯楽の多様化に伴う、動員数の減少である。
一番美味しいめをしているのが、ジョニーズ事務所だった。
何しろ、まだ売れていない未成年前後の集団なので、ギャラが少なくて済む。
「竹松」「西宝」二大興行会社を天秤にかけて、商売していた。
難色を見せれば、ジョニーズ事務所は、ライバルの西宝にソフトを持って行く。
北大路には戦略があった。
まずデビュー間もない新人グループを試しに、劇場に出す。
売れて来たら、すぐに東京ドーム、大阪城ホールなど、一万人収容規模の大箱でコンサートするのだ。
南座のキャパ(客席数)が約千なので、十倍である。
同じ一回公演をしても、10倍の売り上げである。
さらに、儲かるのが、グッズだった。
クリアファイルを中国で生産。原価一円にも満たない。
それを、三千円で販売する。
三千倍である。
近頃は、ネット販売にも力を入れて、年間売り上げが八千億円である。
どの公演でも、初日は緊張する。
しかし、今回の緊張は、普段の二倍である。
いや、詳しく云えば、二種類の緊張かもしれなかった。
一つは、毎回いつもの自分自身への緊張。もう一つは、今回つけを教えた西院大地への緊張感だ。
今回初めて、つけを教える立場になって見て、初めて国宝さん、堀川さん、尾崎さんの苦労がわかった。
自分自身が親になって、初めて子育ての大変さを思い知るようなものであった。
大地の最初の出は、スッポンである。
スッポンとは、花道の七・三付近にある小さなセリの事である。
昔は、人力で押し上げていた。
スッポン乗り込み口は地下にある。
舞台操作盤の大西順平がいた。
「お早うございます」
「あら、東山さん、どうしたの」
「大地くんが心配で来ました」
「ウイース!」
大地は、すでに来ていて、すぐ隣の拵え場(こしらえば)の部屋で漫画を読んでいた。
「やっぱ、畳いいすねえ」
大地は、ごろんと仰向けになって漫画を読んでいた。
本番前なのに、全然緊張してなかった。
「大地、余裕やねえ」
「東山さん、これポーズ、ポーズ。本当は滅茶苦茶緊張してる」
そう云えば、漫画の本のページをめくる手が全然動いていなかった。
スッポンは、開場時には動かさない。
と云うのも、動かせば二階席、三階席から丸見えだからだ。
開演して、ギリギリになって場内暗くなってから降ろす。
下の乗り込み口から乗って、上がる時は、舞台操作盤がいて、挟まれてないか目視してから上げるので、滅多に事故はない。
その逆の、上から下に降りる時に大抵事故は起きる。
上では誰も目視してくれない。
自分の判断で降りる。
その時に、着物、衣装が四角いスッポンの隙間に、引っかかって巻き込まれる。
回り(開演五分前)のベルを聞いて、僕も持ち場の上手袖に戻った。
幕開きは、「白波五人男」である。
古典歌舞伎なら、五人が順番に揚げ幕から出て来て、花道にずらっと並ぶ。
しかし、今回は大地がスッポンから出て来るので、居並びは花道ではなくて、舞台正面だった。
その配役は、こうだった。
弁天小僧菊之輔・・・滝口月見
忠信利平・・・・・・大宮太陽
赤星十三郎・・・・・山内海洋
南郷力丸・・・・・・野宮虹駈
日本駄衛門・・・・・西院大地
幕開き、捕り手方が出て来る。
舞台一面、浅黄幕(あさぎまく)がかかっている。
黄色ではなく、水色に近い幕である。
捕り手方の会話があり、幕袖に引っ込む。
一丁析
ばさっと、浅黄幕が落ちる。
土手の舞台装置が現れる。
浅黄幕の後ろには、大道具係、十五人がいる。頭に浅黄幕を被ったまま、下手袖に引っ込む。
江戸時代、照明がなかった時代のカットインである。
まず初めに花道から弁天小僧菊之輔が出て来る。
花道のライトがつき、揚げ幕のチャリンの音が聞こえるか、聞こえないかぐらいで、
「キャー」
とあちこちで悲鳴が上がった。
それでも、観客は、おとなしく全員座っていたし、うちわも振っていない。
僕は、この出の少し前に舞台に出た。
中には僕の存在を知らずに、笑う人や奇異の目で見る人もいた。
出て来て、花道七三で名乗りの台詞を云う。
古典歌舞伎なら、出てすぐ辺りで云うので、二階、三階の客席からは見えない。
今回の演出の方が、三階席まで見えるのでいいと僕は思った。
北大路さんは、上手袖で立って見ていた。
僕は、北大路さんに一礼してから、舞台に出た。
各自名乗りを上げて見得を切るところで、僕のつけが入る。
「バー、タリ」
生まれて初めて歌舞伎スタイル芝居と僕のつけ音で、観客の一部はびっくと
身体を震わせた。
「びっくりしたあ」
「あれ、何なの」
「知らない」
あちこちで、僕を指さして、囁き合っていた。
こんなにつけ音、附け打ちを注目されたのは、もちろん初めてだ。
ある意味、新鮮だった。
続いて、忠信利平、赤星十三郎、南郷力丸と四人出て来て舞台に居並ぶ。
ここで、上手下手から捕り手方が出て来る。
「おい、四人しかいない」
「あと一人、いないぞ」
「盗賊頭の日本駄衛門がいないぞ」
「どこへ行きやがった」
「神妙に、吐きやがれ」
この辺りは、今回の創作。
この台詞の間に、スッポン(花道のセリ)の(空下げ)を行う。
「吐くとは、無様な云い回しだな」
大地が、スッポンの乗り込み口で台詞を云う。
胸元には集音マイクがつけられていた。
「誰だあ」
一斉に捕りで方が叫ぶ。
ここで、僕と大地の附け打ちが始まる。
附け打ち初めての大地なので、どうしてもつけの音が弱い。
さらにスッポンが下がった状態でつけを叩き始めるので、音が小さく、こもってしまう。
そこで、舞台上手端にいる僕のつけ音が補完する役目を担っていた。
「パタパタ、パタパタ、パタパタ」
場内一斉に拍手の大嵐と竜巻が吹き荒れた。
一階席から三階席まで、悲鳴の吹雪が突き刺さり、こだました。
「大地!」
「待ってました!」
歌舞伎を知っていたジョニーズファンからの大向こうが飛び跳ねて、場内を跋扈した。
僕は、大地との同時つけ音を奏でながら、一つの情景を思い出していた。
それは二月の歌舞伎マラソンのゴール付近だ。
ゴールテープの両端で、つけを打っていた尾崎さんと堀川さんの二人の附け打ちのセッションだった。
二人の息のあった同時つけ音、打ち上げは、僕の耳に今でも残っていた。
僕の奇跡の追い上げ、一着は、二人のつけ音応援歌でもあったわけだ。
それを思い出して、僕は大地のつけ音を聞きながら、少しずらしながら叩き続けた。
大地扮する、日本駄衛門がすくっと立ち上がり名乗り上げて、見得を切る。
「バッタリ」
日本駄衛門は、本舞台へ。
つけ板、つけ析をスッポンの上に残したまま。
すぐにスッポンは下がる。下で回収。回収を終えるとすぐに、また再びスッポンを空上げする。
舞台では、五人男と捕り手方との激しい立ち回りが始まった。
歌舞伎の殺陣でのつけ音は、刀の振り回しや、役者の動作に合わすものではなかった。
それをやっていたら、つけ音の連続で観客はうるさく感じてしまう。
だから、つけ音独自の間合いとリズム感でつけ音を出していた。
今回も、これを踏襲していた。
五人は、殺陣で、土手から飛び降りながら宙返りしたりした。
歌舞伎では、主役は、トンボを切らない。
ジョニーズ歌舞伎は、真逆のベクトルだった。
「パタパタ、パタパタ、パタパタ」
山内海洋は、舞台上手から下手まで八回バク転しながら刀を振り回した。
大宮太陽は、花道でバク転していた。
野宮虹駈は、土手の上から飛び降りながら、二回宙返りした。
滝口月見は、捕り手方二人に囲まれると、両腕を持たれたまま、宙返りして、捕り手方をキックした。
西院大地は、捕り手方五人に取り囲まれた。
すると、捕り手方五人ピラミッドを組んで、一番上に上がって見得を切る。
「バッタリ!」
すかさず、僕のつけ音が入った。
次の瞬間、大地は前方に倒れながら、二回転して着地した。
観客は目を輝かせて、見入っていた。
「芸能の原点を目指す」
三条河原での、北大路さんの言葉が、一瞬よぎった。
(そうか、そう云う事だったのか)
これこそ、本当に歌舞伎の原点かもしれない。
観客のとりこにした、ジョニーズ歌舞伎は、華やかなスタートを切った。
( 4 )
無事に初日の幕が下りた。
公演終了後、南座の正面玄関、楽屋口付近は、出待ちのファンで溢れていた。
その整理は、民間警備会社「みやこ」が行った。
警備と云っても、学生バイトがほとんどだった。
南座川端通りに面して楽屋口があった。
そこに、KJ(京都ジョニーズ)の五人のメンバー毎にファンが並んでいた。
それぞれのファンを取り仕切る、代表がいた。
ファンの中で、それぞれ取り決めがあった。
1贈り物は厳禁。
2写真、動画は撮らない。(見つかった場合ファンクラブ永久追放。二度と入会 出来ない)
3電話番号、メールアドレス交換は駄目
4宿泊先、実家には行かない。泊らない。
5イメージ損なうネタをSNSに上げない。
特に1については、北大路がかなり神経を使っていた。
観客の多くが、未成年でまだ働いていない。
ファンは、唯一渡せるものが、一つだけあった。
それは「手紙」である。
「ですから、プレゼントは駄目ですよ。この間、大地くんの手紙の中に、ブローチの品物が入ってました。こんな事する人、一人の行為が、私達皆だと思ってしまうんです。絶対にやめて下さい」
楽屋口の扉を通して、仕切り役の彼女らの声が聞こえて来た。
僕は、彼らが降りて来るのを待っていた。
北大路社長の計らいで、初日慰労会に誘われたのだ。
「附け打ちって、何人いるの」
楽屋口隣りの、歌舞伎公演の時は、「頭取」部屋になるところで、僕らは話していた。
「六人ですけど、実質五人です」
「人間国宝の元助さんは、今はもう附け打ちやらないもんね」
「去年までやってたんですけどね」
「去年の顔見世千秋楽での打ち上げの附け打ち。テレビのニュースで見たよ」
「ええ、それが最後と云うか、今年に入ってからはまだです」
「九五歳、高齢だからな」
僕からしたら北大路社長も八十歳で、充分高齢だと思うけど。
もちろん、それは口に出さなかった。
そうこうしているうちに、メンバーが出て来た。
リーダーの大宮太陽は、僕と北大路さんの姿を見つけると
「社長、東山さん、お疲れさまでした」
と云ってくれた。
「お疲れ。腹減ったろう」
「もうペコペコ、死にそう」
山内海洋が、へたり込む。
「大袈裟なんだよ」
軽く後ろから、頭をはたいたのが、野宮虹駈だった。
大地と滝口月見は何やら笑いながら喋っていた。
暫くして、全員揃って楽屋口を出た。
キャーの声が聞こえると思っていたが、意外にも静かだった。
これは、それぞれのファンのリーダーからのお達しがあったようだ。
各メンバーは、小袋に入った手紙を受け取り、暫く雑談を始めた。
「初めての附け打ちで緊張しました。皆の顔も緊張してたやろう。それ見てまた、緊張してしもうたんや」
大地が喋った。
ファンは目の中にダイヤを十個押し込められた感じの輝きを放って、じっと大地だけを見ていた。
僕も北大路社長も見えてなかったはずだ。
ファンは、アイドルに疑似恋愛を求めていた。
圧倒的に十代、中高生が多かった。
中には、母親に連れられて来た、小学生もいた。
彼女らは、二十代になると、ファンを突然やめる。
ばっさり、あっさりとだ。
それは、目の前に現実の彼氏が出来たり、もっと夢中になれるものに出会ったからである。
北大路社長は、それも見越して、次から次へと新しいユニットを誕生させていた。
アイドルも一年毎に年を取るからだ。
今二十歳のアイドルも、五年経過すると二十五歳。
この五年は大きい。
この世界では、オッサンなのだ。
メンバーらと食事に行った。
祇園「花筏」
お茶屋ではないけど、居酒屋を少し上品にした感じの店だった。
ここも普通の町家で、商ウインドーも店の看板もない。
食べログにも載っていない。
準・一見さんお断りの店。と云うか、恐らく誰も見つけられないと思う。
「ステーキコース」が出て来た。
ここで飲み食いしたあと、北大路社長が、
「どこか、呑み直ししたいねえ、知っている店ある?」
と聞かれた。
「ええ、バーなら」
知っているバーは、あそこしかない。
元附け打ちの丸太さんがやってる祇園バー「マルサン」だ。
そこへ連れて行った。
誰も客はいなかった。
「おや、お珍しい」
丸太マスターが、僕の顔を見て云った。
「お二人さんですね」
「はい」
「いや、あとでもう一人来る」
北大路社長が訂正した。
「誰なんですか」
「きみも知ってる人だ」
「誰だろう」
三十分ぐらいしてその客はやって来た。
「お待ちどうさま」
そこには、関西イヤホンガイド女社長の高川きみこがいた。
「高川さん!」
高川は、あの二月の歌舞伎マラソンの時、史上初のマラソンに同時解説イヤホンガイドを持ち込んだやり手である。
歌舞伎公演の時に始まったイヤホンガイドもその後、あらゆる分野に進出し始めた。
美術館、コンサート、博物館に始まり、アメフト、サッカー、バスケから最近では岸和田のだんじり祭り、大阪の天神祭、京都では五花街の舞踊、三大祭(葵祭、祇園祭、時代祭)、洋館巡りなどにも進出し始めた。
音声だけから3D立体映像まで登場した。
今年から京都市内では観光イヤホンガイドが登場した。
さらにJR東海、東日本、西日本と組んで新幹線車内でのイヤホンガイドも出て来るそうだ。
イヤホンガイドと云えば、芝居か美術館しか思い浮かばない僕は、時代から完全に取り残されていた。
「実は、ジョニーズ歌舞伎にも、同時解説イヤホンガイドを導入しようと思うのよ」
きみこは話し出した。
古典歌舞伎と同じく、芝居の内容はもちろん、メンバーの趣味、経歴、そしてファンも知らないエピソードを織り込みたいと云う。
「私は、それにねえ、幕が開く前に、今回附け打ちをやる大地ときみとの対談をやったらいいと思ってねえ」
「しかし、彼女らは、お目当てのメンバーの顔を見たいだけだから、そんなイヤホンガイド聞くかなあ」
あっさりと僕は否定した。
「東山さんって、若いのに保守的。駄目かどうかやってみないとわからないでしょう」
きみこは、黒ぶちのメガネの奥の目を輝かせた。
最初は、初日から始めるつもりだったが、準備に時間がかかってしまったそうだ。
「わかりました。やりましょう」
「その解説ガイドで、初心者にもわかるよう頼むよ」
「ええ」
僕は思い出していた。
初日、僕が舞台に出た時のあの、違和感満載の客席。
「それ、わかるなあ」
きみこも初日、見ていて同じように感じたようだ。
「そりゃあそうだよねえ、歌舞伎を一度も見た事ない人がほとんどなんだから。上演中に黒づくめの忍者装束の変な男が出て来たら、びっくりするわよ」
「私も思ったねえ」
「忍者ですかあ」
カウンターの中の丸太さんが笑った。
丸太さんは、附け打ち時代よりも、顔が柔和でよく笑う。
信じられないぐらいの変身だ。
丸太さんこそ忍者かもしれない。附け打ちからバーのマスターに大変身なのだから。
翌日、昼一回公演だった。
大地を除くメンバー四人は先に帰った。
僕と大地は、南座音響を担当しているMSCの京都支社スタジオで収録を行った。
北大路ときみこも立ち会った。
音響担当は、イケメン男子風、新川真由子が行った。
「南座のミキサーさんって、イケメンだねえ」
北大路は、真由子を見て云った。
きみこが、北大路の袖を引っ張った。
そして耳打ちした。
「えええっ!女なの。嘘だろう」
「嘘じゃないでーす!」
もう初対面の人には、何回も云われているので、真由子は平気だった。
「では、収録始めます」
台本はなかった。
自由に喋って、あとで編集するものだった。
大地「と云うわけで、僕は生まれて初めて、つけを打つ事になりました。ではこ こで、僕の附け打ちの師匠、東山さんをご紹介します」
東山「師匠なんて。そんな偉くないです」
大地「でも、今歌舞伎公演で、バリバリにご活躍なんでしょう」
東山「バリバリとまで行きません」
大地「バリぐらいですか」
東山「バぐらいです」
大地「では、バさんと呼びます」
東山「それやめてくれる。婆さんに聞こえるから。これでもまだ二十六歳ですか ら」
大地「若いですねえ」
東山「より若い、あんたに云われたくない」
大地「すみません。附け打ちで一番気をつけないといけないのは何ですか」
東山「まず、リズム。そして生き殺しですね」
大地「生き殺しって何ですか」
東山「メリハリをつけるって事です」
大地「ではここで、論より証拠。東山さんに実際につけを打って貰いましょう」
僕は、ここでスタジオに用意された、つけ板に向かうため、椅子から立ち 上がり、正座した。
大地「スタジオでの附け打ち姿を見るのは、僕は初めてです。では東山さんどう ぞ」
一拍、間を置いてから、僕は打ち始めた。
「パラ、パラ、パラ」
次に打ち上げをやる。附け打ちの連打である。
「パタパタ、パタパタ、パタパタ」
ゆっくりと、右手で打ち下ろす。
「パタ」
大地が拍手した。
大地「やっぱり上手いですねえ」
東山「これでもプロですから」
大地「つけを打ち始めて何年なんですか」
東山「実際に劇場でつけを打ち始めたのは、去年からです。だから、本当はプロ ではなくて、フロです」
大地「フロですかあ」
東山「はい。じゃあ次大地くん、やってみて」
大地「上手く出来るかなあ」
東山「メリハリつけてね」
大地「はい」
今度は大地がつけ板に向かった。
東山「では皆さんお聞き下さい。大地くんの附け打ちです。どうぞ」
「パタパタ、パタパタ、パタパタ」
「タンタン、タンタン、タンタン」
「パラパラ、パラパラ、パラパラ」
スタジオ収録なので、生の舞台の迫力には到底及ばない。
果たして、ジョニーズファンは、イヤホンガイドを借りるのか?
関係者一同、見守る中で、公演五日目に貸し出し初日を迎えた。
( 5 )
一番不安がったのは、もちろんイヤホンガイド当事者の高川きみこだろう。
南座ロビーは、狭いので開場前表玄関での貸し出しとなった。
一台六百円、保証金千円での貸し出しだった。
終演後、子機を戻せば千円が戻って来るシステムだった。
開場は、普段の歌舞伎なら三十分前だったが、今回は表の混乱を防ぐために一時間前に開場していた。
僕が、南座隣りのコンビニへパンを買いに出て、正面玄関の前を通った時だった。
十人ぐらいのファンが一斉に僕を写真に撮り出した。
「附け打ちさんですよね」
「はあ、そうですけど」
「握手して下さい」
「はあ。ジョニーズじゃないですよ、僕」
「わかってます。東山さんですよね」
僕が話している間に、数十人のスマホが向けられていた。
すでに、公演が始まりファンの間で、急速に附け打ちの存在が認知し始めた。
これも全て大地がつけを打ち始めたからだ。
思わぬ「大地効果」だった。
すでにツイッター、インスタなどには、僕の写真、動画が無数アップされていた。
ふと、視線をイヤホンガイド貸し出し場にやる。
大変な盛況ぶりだった。
後日、高川きみこさんに確認したら、約千人の観客の内、貸し出した人は、689人。普通歌舞伎だと一公演200から300ぐらいである。
およそ、二倍以上の数だ。
やはり、開演前の特典トークが話題となったようだ。
今回公演中で、一回休演日があった。
十六日である。
十六日は祇園祭宵山、翌日十七日は山鉾巡行前祭(さきまつり)である。
山鉾巡行は、後祭(二十四日)にもあるが、この日は休演日ではない。
長らく、十七日だけが山鉾巡行だったが、数年前から元の二回になった。
前祭は、四条通り→河原町通り→御池通り
後祭はその逆で、御池通りからスタートする。
それぞれ出る山鉾は違う。
附け打ちの控室で、僕と大地は話した。
「休演日は、どこか行くの」
僕は尋ねた。
「ラジオの収録で休みじゃないです」
「大変だねえ」
「もうここらで考えないと」
少し落ち込んだ声だった。
「何を」
「これからの事。僕ねえ本当はKJやめたいんだ」
「冗談でしょう。デビューしたばっかりじゃないの」
「いつまでも、その位におれるわけじゃない」
確かにそうだ。
大体二年くらいで、次のユニットに入れ替わる。
ジョニーズの中でも、生存競争は激しいのだ。
「でもジョニーズ歌舞伎なら、安泰じゃないかな」
「東山さんは、知らないから。もう足元にひたひた、次のユニット近づいてますから」
「やめてどうするの」
「東山さんのように、手に職を持つ、職人がいいな」
大地がそこまで考えているなんて知らなかった。
「附け打ちっていいですね」ぽつりと大地がつぶやく。
「どういいの」
「職人だから。僕のような使い捨てじゃないから」
今日の大地は、かなり陰キャラ全開だった。
「僕ねえ、尾崎さんが五月にこの劇場でやった(ミヤコカケル)お忍びで見たんです」
「本当に?よく切符取れたよね」
「客席は完全売り切れだったので、事務所関係の方に頼んで後方の監事室で見ました。もちろん、僕が直接ではなくて、北大路社長のつてです」
監事室とは、東京歌舞伎座、大阪松竹座、この南座などの竹松系の劇場にある。
客席後方の小さな小部屋で、監事室係は稽古と同じ段取りで進んでいるかチェックしている。
「大詰の桓武天皇の独白の台詞場面、恰好いいですよね」
「(将軍塚)の場面ね」
大地の言葉に、僕の脳内は一気に、三か月前の(ミヤコカケル)の附け打ち宙乗り場面へ一足飛びに飛んでいた。
「僕はああいう芝居がしたいなあ。正直キャーキャー騒がれるのがしんどいんです」
「でもジョニーズ歌舞伎やるって噂あるよ」
「ええ知ってます。でも違うんだよなあ」
大地の視線は遠くを見つめるかのように、焦点がぼけていた。
「君んち、確か(悉皆や)さんだったよね。一層の事家業継げば」
大地の実家は、西陣で代々悉皆やを務めて来た。
「着物の需要が低いから、親父はもう、自分の代でこの仕事は終わりだと云ってます」
確かにそうだろうと思った。
休演日当日(十六日)の朝。
八時過ぎには、夏の熱気が生まれ始める。
今年は梅雨入りも梅雨明けも早かった。
僕は、国宝さんの家にいた。
北大路さんから電話があった。
「すまないねえ、休演日でゆっくりしているところを」
「どうしたんですか」
「今日は、KJは、FMみやこのラジオ収録なんだけど、大地が来ないんだよ」
「ホテルにいないんですか」
「いなかった。メンバーがホテルの部屋に入ったらもういなかった」
メンバーは、二条の賀茂川ホテルに全員宿泊していた。
「実家はどうですか」
「連絡した。でもいなかった」
昨夜は、部屋に入るところを見た。
フロントの話では、今朝早く出たと云う。
「携帯電話は」
「電源が入っていない」
ここで、電話で北大路さんとやり取りしていても、埒が明かない。
とにかく、会う事にした。
電話のやり取りを聞いていた国宝さんは、
「何やら、こみいった事情が発生したみたいやな」
「はい」
僕は、事情を説明して、家を出た。
「何か事情が分かったら、連絡頂戴ね」
輝美さんが云った。
ラジオ収録は、河原町三条通りのFMみやこビルで、朝八時から行われた。
収録は、一時間で終わった。
メンバーが、それぞれスマホを見ると、
「書置きメール来てる!」
大地からメンバー宛に、二つのLINEメール来ていた。
「自分探し。出発進行!山鉾巡行。」
「大きなつめは舞う」
「何じゃ、こりゃあ」
まず大宮太陽が叫ぶ。
「謎かけ?」
山内海洋がつぶやく。
「うざい」
野宮虹駈は顔をしかめた。
「何が云いたいのよ。皆に心配かけて」
滝口月見は、口をとんがらせた。
一昔前なら、書置きと云えば、その名の通り手紙、便せんでの手書きだった。
今は、LINEメールなんだ。
「とにかく、探さないとな」
北大路が、メンバーを見ながら云った。
「でも社長、どこを探すんですか。何も手掛かりないじゃないですか」
「あるよ。君たちに届いたLINEメールに手掛かりがある」
「一体どう云う事ですか」
僕は、聞いた。
「大地は、祇園祭が行われているこの四条界隈にいる」
「だとしても、広いですよ」
「君たち、まだ気が付かないのか。これは東京ジョニーズの(リアル鬼ごっこ)の京都版なんだよ」
その北大路社長の言葉で、全員うなづいた。
「リアル鬼ごっこ」は、毎週東京ジョニーズが地方都市へロケに行く。
毎回ゲストは代わる。
ゲストは、時間内に名所を何か所か見物して逃げおおせたら、百万円が貰えるシステムだった。
最初は深夜枠で、不定期で始まったが、これが爆発的人気を博して毎回、視聴率は30パーセントを記録していた。
現代を反映して、ツイッター発信もオッケイで、地元のファンがそれを発信していた。
「君たちだけではなくて、ファンの力も借りよう」
FMみやこビル前には、すでにファンがどこで聞きつけたのか、百人近く集まっていた。
北大路に云われて、早速彼らは、ツイッターでつぶやく。
「今日のFMみやこでの収録、西院大地くん来ませんでした」
「大地くん、行方不明!」
「皆さん、大地くん探しお願いします」
「祇園祭関係地域にいるそうです」
すぐに返信が多数寄せられた。
「つまり、これってKJ版の(リアル鬼ごっこ)だよね」
「見つけたら、百万円くれるのかなあ」
「あのルールでは、逃げてる人が百万円貰えるシステムでしょう」
「私、もう探し始めてます」
「今から、京都に向かいます」
「祇園祭、山鉾見学中断して、大地君探します」
「制限時間は?」
「明日から公演また始まるから、今日中でしょう」
北大路さんの指示で僕らは、二つに分かれた。
僕と月見チームは、四条通りを境に南側。
大宮太陽と山内海洋、野宮虹駈チームは北側を担当した。
北大路さんは、高齢でもあるので、賀茂川ホテルに戻って貰う事にした。
「皆、京都民だから、かなりディープな所、知ってるだろうなあ」
「東山さんは、どこの出身ですか」
「愛媛、松山。大学入る時に京都に来たんだ」
明日の山鉾巡行で一番の見どころは、四条通りと、河原町交差点が交差するところだ。
大きな山鉾が、九十度に曲がる。
大きな車輪を回すのは、大変で、滑る竹を何本も敷いて、その上を山鉾が何回か小刻みに動きながら、回転する。
無事に河原町通りに向くと、沿道から大きな拍手が巻き起こる。
「じはつって何やろなあ」
月見は、もう一度LINEメールの文言を確かめながらつぶやいた。
(大きなつめは舞う)
「やっぱりわけわからん」
町ゆく人々と山鉾、山。
これら全てが、全て巨大な映画セットのような気がした。
「何や、まるで映画ロケやってるみたいや」
同じ気持ちだったのか、月見が云った。
月見はスマホを再び取り出した。
「何これ!」
「どうしたの」
「大地を見つけたツイッターが溢れてる!」
慌てて僕もそれを見た。
僕らは、善良なファンだから、必死で探してくれると思っていた。
しかし、現実はそうではなかった。
(#大地みつけた)ツイッターは、その数、あっと云う間に千を越えた。
つまり、ファンもそうでない者も、単なる目立ちたがり屋になりたいだけだった。
嘘の情報が湧き上がっていた。
中には、本当の情報があるかもしれない。
しかし、これだけの数の情報が出て来ると、もはや選別は難しい。
「やばいなあ。作戦が、裏目に出たなあ」
僕はつぶやいた。
「人が押し寄せるよ」
「他人の大波、嵐が来るぞ!」
「て、云うか東山さん、もう来てます!」
月見は、前にいるおよそ、百人くらいの集団を見つけると叫んだ。
「逃げましょう」
「どこに!」
「とにかく、反対方向!」
四条通りから室町通りを南下して、善長寺町に出て、西へ行き、綾傘鉾を通り過ぎて、伯牙山まで来た時、月見は僕の手を引っ張って一軒の、町家に入った。
道の真ん中に、鉾や山があるので、逃げる方からして自然の目つぶしになった。
「月見坊ちゃん!」
受付のオジサンは、どうやら知り合いらしく、そう云った。
「ちょっと休ませて」
「どうぞ」
奈良屋と呼ばれる町家で、一般公開されていた。
冷房がないが、懐かしい氷柱があった。
「大地探しなのに、何で僕らは追いかけられるの」
月見はぼやいた。
「追いかける人数が、人気のバロメーター」
町家の中は、五、六人の見学者がいたが、ジョニーズファンはいなかった。
大挙押し寄せる事は出来ない。
この中に入るのには、一二〇〇円いるからだ。
問題は、どうやって出るかだ。
それに、早く大地を見つけないといけない。
北側チームからラインメール来る。
「見つからない。逆に取り囲まれた」
月見もすぐに返信した。
「こっちも同じです。奈良屋に避難中!」
この町家は、明治になって再建された。
京都の町家と云えば、世間の人は古く感じるが、江戸時代の町家はほとんどない。
幕末の蛤御門の変、鳥羽伏見の戦いなどの戦火で、市中がほとんど焼けたからだ。
「ちょっと、作戦を立て直そう」
僕は提案した。
このまま外に出ても、闇雲に探すのは、時間の無駄と肉体疲労だけが蓄積されるだけだ。
「何か手掛かりないかなあ。大地が行きそうなとこ」
「そうやなあ」
屏風の前で僕らは座り、沈思黙考を始めた。
ここの天井は低い。
当時の日本人からしたら、こんなものか。
何か僕のこころの中に、どんよりと夏空とは正反対の灰色の雲が急激に覆い始めた。
「気に障ったら、ごめん」
「何?」
月見は、小さく首を傾げた。
「今の僕の気持ちを正直に云ってもいいかな」
「うん、いいです」
「そもそも、大地は本当に蒸発したのかなあ」
「うん?何それ、云ってる意味がわからないんですけど」
「確かに、ラジオの収録に来なかった。意味ありげなLINE残して出て行った。でもそのあとの出来事と云うか、やり方が出来過ぎてる」
もう少し、僕は月見にもわかるように説明した。
北大路は、ツイッターを使って大地の行方不明捜索をすぐに云った。
さらに僕ら二つをチームに分けて、大地探しを指示した。
そのおかげで、ファンが殺到して、さらに話題が大きくなり、拡散した。
「つまり、北大路さんが全て仕組んだ事だと、東山さんは云いたいの」
「そうだ。気に障ったらごめん」
「もし仮にそうだとしたら、何のために」
「話題作り。そして人気を全国区にするため」
僕は、数年前の大阪松竹座での東京ジョニーズ公演での出来事を思い出していた。
公演後、本来車で移動して、心斎橋日航ホテルに戻るはずなのに、北大路さんの指示で、御堂筋を歩かせた。
そのため、ファンと野次馬が一万人押し寄せて御堂筋は、一時車が動けない歩行者天国と化した。
それは、全国ニュースにも取り上げられた。
その一件で、東京ジョニーズは一躍人気を博して、今の地位になった。
「それの京都版をやろうとしてる。祇園祭・宵山。町全体がお祭りカオスで満ち溢れてる。こんな状況は、他に作り出せないだろう」
「だとしても、そこまでするかなあ。でもそれって、他のメンバーには知らせないと云う禁じ手だと思います」
「禁じ手であろうと、何だろうとKJが売れたら、勝ち。そうだろう」
僕は段々、月見に説明しながら、一人興奮していた。
電話が鳴った。
大地からだった。
「大地くん、もうわかったよ」
月見くんにもわかるように、スマホをスピーカーに切り替えた。
「芝居は終わりだ。暑いし終わりにしよう」
「大地、今どこにいるの」
僕は、月見くんに説明した事をもう一度、大地に云った。
「東山さん、八割正解です」
「では、あとの二割は」
「その北大路作戦を利用して、本当にとんずらしようと思いました。北大路さんに云っといて下さい。本当に消えますと」
「大地くん、とにかく会おう」
「どこで?」
「きみが書き残したLINEメールの場所、(大きなつめが舞う)所だよ」
「じゃあ東山さん、大地のLINEメールの言葉、解けたんですね!」
月見が聞いた。
僕は、大きくうなづいた。
( 6 )
僕が、他のメンバー、大地、北大路さんと待ち合わせにした場所は、将軍塚だった。
東山山頂にある。
ここは、平安京造営した桓武天皇が、国家の鎮護、平安を願って高さ2.5mほどの将軍の像を土で作り、鎧兜、鉄の弓矢、太刀を帯同させて塚に埋めた。
京の街、国家に一大事があると、この山全体が鳴動すると云われている。
京都人なら誰でも知っている、有名な都市伝説である。
本当に、そんな像があるのか。
それを検証するために、掘り起こした者は、誰もいない。
そんな無粋な事はしない京都人なのだ。
また東郷元帥、大隈重信などの偉人も訪れて、お手植えの松もある。
最近、ここに青龍殿が出来た。
この建物は、元々は、北野天満宮にあった「平安道場」である。
大正三年に出来た由緒ある建物で、老朽化が進み、取り壊しの意見も出た。
しかし、こうして移築された。
京都人は、ものを大切にする。
その前には、清水寺の舞台の五倍の広さの、舞台が出来た。
ここから、京都御所、京都大学、平安神宮、二条城、南禅寺などが一望出来た。
また大文字の送り火で有名な「鳥居型」「左大文字」「船形」「妙」「法」「大文字」も見える。
昔から、夜景が綺麗で、若い人たちのドライブデートコースでもあった。
青龍殿は、ふもとの青蓮院の飛び地境内で、特別公開の時は、青蓮院から、ピストンバスが運行される。
しかし、今は車でしか来れない。
約束の時刻は夕方の五時。
まだ夏の日差しが照り付ける。
夕暮れと云うより、日中の暑い熱気をそのまま引きずっていた。
しかし、下界のねっとりと身体にまとわりつく、疲労を蓄積させる湿度ではない。
吹く風は、火照った身体とこころを軽やかにさせた。
あれから、僕は一旦南座に戻ってつけ析、つけ板が入ったジュラルミンケースとラジカセを持って来た。
「京都は、都心にこんな素晴らしい眺めの山がある。東京だと電車に揺られて二時間はかかる」
大舞台に足を入れて、北大路さんは、眺めていた。
ふもとの平安神宮から車で十分くらいだ。
歩いても、三十分ぐらいだ。
「今回の一連の大地失踪事件。あなたのやらせだったんですね」
僕は、北大路さんの背後に、真相究明の言葉を投げかけた。
僕はもう一度、説明した。
「どうなんですか、北大路さん」
「はい、その通りだよ」
あっさり、北大路さんは認めた。
あまりにも、あっさり認めたから、僕も他のメンバーも何だか怒るよりも、拍子抜けの気持ちの方が強かった。
「でも、最大の誤算は、本当に失踪すると思っていなかった。許してくれ」
「謝るのは、僕たちじゃなくて、大地くんでしょう」
少し、語気を強めて僕は云った。
約束の時間を三十分過ぎても、大地は姿を見せなかった。
もちろん電話にも出ないし、LINEメールを送るが既読にはならない。
「やはり、二割は本当やったんや」
月見はつぶやいた。
「ここで、待つだけでは、もったいない」
「かと云って、探すあてもないし」
「善良なファンは、見つけてくれるよ」
さっき、ツイッターの「大地君見つけた」つぶやきは、一万を越えていた。
もう、手に負えない数字だった。
北大路さんもSNSの嘘の数字の恐ろしさを、把握は出来てなかったようだ。
「ねえ、皆、大地くんが来るのを願って君たちの歌をここに奉納しないか」
僕は提案した。
「それ面白いねえ。桓武天皇が、鎧兜を土の中に奉納したんだ。それにあやかってやろう」
北大路さんは、すぐに承諾した。
何か面白い事、今までにない事、新しいものに、チャレンジする姿勢は、とても八十歳越えているとは思わない。
「じゃあ、(KJ夏★探そう青春)をやろう」
この曲は、今月南座公演ラストで歌う曲だった。
僕は、附け打ちとつけ析を取り出した。
ここの舞台は、清水寺の舞台よりも五倍も広い。
欄干に寄り添って、下界を眺めるカップルの姿が、小さく映る。
「広い!広すぎる舞台!」
「ここなら、バク転何回転必要なんだ」
「五十回ぐらい必要なんじゃないの」
「目が回るなあ」
「息切れして死んじゃう」
僕がスタンバイする間、メンバーは口々にここの舞台を見た感想をつぶやいた。
「ここ、野外コンサート出来るんじゃないの。あの後ろの青龍殿を控室にして」
早速、北大路さんは興行師の目を持って云った。
「じゃあ、始めます」
僕は持参したラジカセのスイッチをオンにした。
「KJ★探そう青春」(作詞・茶山一郎 作曲・一乗寺元)
🎶
きみの宝物 見たいなあ
輝くものは 何ですか
ぼくの宝物 見たいかい
恥ずかしいけど まだないんだ
二人で探そう 宝物
それは青春 それは青春
青春の 宝物
焦る必要 ないんだよ
いつかは巡り 見つけるのさ
探そう青春 探そう青春
アップテンポの馴染みやすい、歌いやすい曲だった。
これに僕は最初から、ドラム伴奏のようにつけ音を付けた。
「パタパタ、パタパタ、パタパタ」
風が出て来た。
夏の日差しを和らげる、心地よい風だ。
町の中では決して吹かない、山の新緑の新鮮な空気をいっぱい抱え込んで、僕たちを、そして青龍殿に来ていた人達の顔を、撫でて汗を吸い取っていった。
「パタパタ、パタパタ、パタパタ」
「パタパタ、パタパタ、パタパタ」
僕のつけ音が途中から、二重奏になった。
あれっと思って振り返る。
後ろで、大地がつけを打ち始めた。
「大地!」
「来てくれたのか!」
「大地!」
「いいから、今は続けて!」
「よし、わかった!」
🎶
ビルの隙間と 夕陽の大地
月明りの中 僕らは走る
朝日の中で 僕らは語る
ひまわりの輝き ありがとう
青春の一コマ ありがとう
いつかは巡り 見つけるのさ
探そう青春 探そう青春
歌い終わると、皆大地のそばに駈け寄った。
「遅いよ!」
「大遅刻!」
「ごめん、歩いて来たら、時間がかかって」
「えっ!歩いて来たの!」
大地は、一歩前へ北大路の所へ近づいた。
「すみませんでした!」
「すみませんでした!」
大地が頭を下げると、他のメンバーもそれに倣った。
「私こそ、すまなかった!」
「僕は、これからの自分の将来を不安に思って、逃げようとしました。でも、ファンからの手紙を読み直して、勇気づけられました」
大地は、そう云って一通の手紙を僕らに見せた。
毎日、公演終了後、南座楽屋口でのファンの手紙を貰う儀式は続いていた。
毎日百通以上貰う。
いちいち、読み通すのは、面倒だ。
しかし、大地は読んでいた。
特に気になった手紙は、別にしていた。
そのうちの一通だった。
まだ幼い小学生が書いたものだった。
「大地お兄さんへ
毎日ご苦労様です。
今回、初めて舞台観ました。本当に面白かったです。
私も、小さな舞台を目指しています。でも不安がいっぱいです。苦手なものが、一緒に出るからです。それでも頑張ろうと思います。
紫竹宝石より 」
「年は、わからないけど、恐らく小学生だと思うんだ。僕が逃げるとこの子の夢や希望まで壊しそうな気がしたんだ」
一段と夕陽の光の筋が強くなった。
その強い光の中で、メンバーの団結は、さらに強くなった。
「大地、LINEメールの言葉、(大きなつめは舞う)の意味教えてくれよ」
月見は尋ねた。
他のメンバーも北大路も同調した。
「ああ、あれね」大地は僕の方を見た。
「大地君、本人から話しなさい」僕は云った。
「(大きなつめ)は(大詰)。歌舞伎の芝居での最後の場面」
「じゃあ、(舞う)は何なの」
間髪入れずに月見は聞いた。
「(宙乗り)」
「スペシャル歌舞伎(ミヤコカケル)だ」北大路が叫んだ。
「僕、(ミヤコカケル)が大好きなんだ」
「あのLINEメール見て、すぐにこの将軍塚が思い浮かんだよ」
僕も説明した。
「よくわかった。必ず近い将来、スペシャル歌舞伎にきみを出演さすから」
北大路は力強く云い切った。
「お願い致します。その時の附け打ちは、もちろん東山さんでお願いします」
ちらっと大地は僕の顔を見てほほ笑んだ。
「もちろんだとも」
北大路さんも僕を見つめて微笑を浮かべた。
二人に見つめられて少しはにかむ僕だった。
( 7 )
千秋楽を明日に控えて、南座の会議室は思い空気を抱えて、酸欠状態だった。
初の南座京都ジョニーズ歌舞伎公演は、全期間全席売り切れ。
藤川支配人と北大路さんとの間では、すでに来年も同様の公演が行われる約束を水面下で交わしたと噂されていた。
会議室の議題は、あえて云うなら、
「京都ジョニーズ千秋楽出待ちファン対策会議」である。
会議には、南座藤川支配人、大林副支配人を始め、亀原宣伝部、業務、監事室、営業と事務方、案内チーフの藤森理香と北大路社長が出席した。
その流れの中で、北大路さんは、僕に会議に出るように云っていた。
京都、明日と昼一回公演で、今日の公演も無事に終わった。
議題の目的は、如何にKJのメンバーを無事に南座から送り出す事が出来るかと云うものだった。
初日、楽屋入り待ち、出待ちファンは百人ぐらいだったが、公演の日数が重なる毎にファンとそれ以外の人数が増加した。
入り待ち、出待ちとも連日三千人は越えていた。
大人しく手紙を渡すファンはまだいいが、それ以外の遠巻きに眺める、準ファン。そしてそれらを見るためにやって来る野次馬が一挙に増えた。
祇園祭で北大路が仕掛けた茶番劇から一気に増えた。
出待ちファンの一部が、鴨川の遊歩道で野宿したり、泊まる宿賃を稼ぐために売春行為に及ぶ者も出て来た。
また朝早く、夜遅く近隣の店の前にたむろしての営業妨害も多発していた。
日頃、南座観劇の人達の恩恵を受けていた、祇園商店街も一たび、自分の店に迷惑が掛かり始めると、手のひら返して、南座に苦情を云いに殺到した。
さらに所轄の祇園警察署からも、問題の是正を勧告して来た。
今まで、歌舞伎、芝居公演では全く発生しなかった事案に、南座も頭を悩ましていた。
「特にネットが発達しております現在、南座の構造もすでにネットで暴露されてます」
藤川支配人は、重々しい口調で各自手元に配られた資料の説明をした。
スマホ、ネット活用で出待ちファンは、南座にある出入口を別れて監視していた。
南座には、六つの出入り口があった。
1 劇場正面(四条通り)
2 楽屋口 (川端通り)
3 車椅子用スロープ出入口(川端通り)
4 地下出入口(地下事務所)(京阪電車・祇園四条駅階段前)
5 旧・「花吉兆」入り口)(大和大路通り)
6 ゴミ搬出路(大和大路通り)
「すでにネットでは、写真付きで各出入口の詳細な見取り図、設計図がアップされてるサイトが、およそ、五千件ぐらいあります」
「五千件!」
ネットの拡散は、最早人の想像を軽く、凌駕している。
「一つの場所から出ますと、彼女らはすぐにスマホで連絡してその場所へ走って行きます」
「通行人と正面衝突する」
「そうです。劇場側としても、それが一番怖いんです」
南座界隈は、京都二大観光地(祇園・嵐山)の一つなので、昨今外国人観光客が一気に増えた。
終演後の楽屋出口での手紙受け渡しも一週間前から中止していた。
各ファンの取りまとめが、手紙を集めてそれを公演が始まるまでに、楽屋口番の前谷美代子に渡していた。
一通り説明して、
「あと、皆さんの何かよいアイデアをお聞かせ下さい」
「じゃあ、メンバーをひと固まりで出さずに、バラバラに出すのはどうかな」
まず北大路が提案した。
「つまり、楽屋口、地下、劇場正面とかに分散させるんですか」
大林副支配人が確認した。
「そうだ」
「いや、それはやめときましょう。余計に混乱します。それに警備面でも人が足りません」
すぐに藤川支配人が否定した。
「じゃあどうする」
北大路さんが語気を強めて、開き直った。
「正攻法で、楽屋口に車つけてさっさと乗りこむ」
理香がまず提案した。
「しかし、車が横付けされた時点で、その情報がすぐに他の場所に張り付いていたファンが移動してさらに増える」
「あのう、まだ続きあります」
「続き?」
北大路は聞き返した。
「はい、で、その車は実はダミーでメンバーは、劇場正面から走って逃げる」
会議室が、失笑に包まれた。
「走って逃げるのはよくないですね」
藤川支配人もにやけた。
「それにファンを裏切る行為は、よくない」
北大路が言葉を継いだ。
僕は、理香の
「正面から走って逃げる」の言葉に、あるひらめきが浮かんだ。
「東山君、何かいいアイデアないの」
北大路が振って来た。
「藤森理香さんの(劇場正面から走って逃げる)で、思いついたんですけど」
「ほお、何ですか」
「一回限りで、二回はやれないネタですけど」
「一回限りでいいです。千秋楽ですから」
「じゃあ、提案します」
僕は、話し始めた。
一同、じっと聞いていた。
聞き終えると、
「それ、面白いねえ、やろう!」
まず北大路さんが、大賛成してくれた。
「いいアイデアです。我々、事務所の人間では思いつかないアイデアです」
藤川支配人も賛成してくれた。
「最後に一つ聞いてもいいかな、藤川支配人」
北大路さんが、藤川支配人の顔を見た。
「どうして、この会議で防災ヘルメット被っているのかね」
「ああ、これですか。これ、私の趣味です」
ここで、皆の笑いが弾けた。
初めて、会議室に、柔和な空気が噴き出した。
( 8 )
千秋楽。昼の部一回公演。
劇場前では、
「ジョニーズ歌舞伎・かぶくぜ!ワッショイ仲間たち」と書かれた立て看板、一文字看板を撮影したり、その前で記念撮影するファンでごった返していた。
さらに、
「本日千穐楽」と書かれた看板も、皆から写真撮影されていた。
ファンプラス外国人観光客がいたので、入場するのにはばかられるほどだ。
その光景を横目に見ながら、僕はいつも隣りのコンビニへ足を運んだ。
「東山君お早う!」
館前のイヤホンガイド貸し出し場にいた高川きみこが声を掛けて来た。
「お早うございます」
「いよいよ、千秋楽ね。一か月あっと云う間だった。きみのおかげで、ジョニーズ歌舞伎イヤホンガイドも盛況でした」
「最初、ジョニーズでイヤホンガイドってと思いましたけど、さすがきみこさんの才覚には、脱帽です」
「おだてても何も出ないわよ」
「いえ、本心です」
ラストは、「KJ夏★探そう青春」だった。
一旦緞帳が降りる。
「アンコール!アンコール!」
手拍子と決まり文句の大合唱が、30秒続く。
「それぐらいの声だけなの」
「元気でなーい。もう帰ろうかなあ」
「帰ろ、帰ろ」
客席を盛り上げるために、緞帳が降りた状態で、メンバーの声だけ、マイク通して聞こえる、通称「かげマイク」のやり取りが始まる。
僕は、附け打ちの正装のまま上手袖に控えていた。
普段は、舞台袖に来ない、藤川支配人、大林副支配人も姿を見せた。
二人の足元は、エレベーター前で靴を脱いで、スリッパだった。
メンバーのあおりを受けて、手拍子と「アンコール」の声が一段と大きくなっていた。
「もっと!もっと!もっと!」
「もっと声出せよ!」
「ラストだろう!」
「そんな声じゃあ、東京へ帰るぞ!」
さらにヒートアップした。
「それじゃあ、もう一発やってみよう!」
再び緞帳が上がる。
すぐに僕も上手袖に出て行き、スタンバイした。
アンコール曲は、
「京都の青春」(作詞 茶山一郎・作曲一乗寺元)
🎶
鴨川ほとり 桜姫
仰ぎ見る目に 光さす
美しきかな 横顔に
歩む足音 下駄の音
亀石さんぽ 水しぶき
糺(ただす)の森に 葉に水玉
ならの小川で 頬に風
さあ京都が きみを待つ
さあ京都で 始まるは
青春の日々 青春の糧(かて)
盛り上がる歌、客席で口ずさむ人が出ていた。
メンバー五人は、歌いながら通路にある、階段を下りて行く。
客電が、アップして場内が明るくなった。
僕は、歌の始まりからつけを打っていた。
それは、歌の雰囲気を壊さない程度の軽い、リズミカルなものだった。
「パタパタ、パタパタ、パタパタ」
今まで通路に出た事のないメンバー、歌の構成だった。
真ん中にいた客が、通路に殺到した。
通路際には、ロープを張り、雪崩を防ぐために警備のアルバイトがそのロープを両手で支えていた。
「キャー」
一部の興奮したファンが、声を上げたが、回りの客に止められていた。
メンバーが通路に出たのを見届けてから、僕はつけを打つ位置を移動した。
上手端から、舞台中央、一号セリの真ん中である。
メンバー五人は、そのまま通路を奥まで歩く。
行く手には、客席ドアがあったが、直前にその部分だけ開いた。
メンバーがロビーに出るとすぐに閉まり、カーテンも閉められた。
「パタ」
僕は、いつもよりも少し大きめの音を出した。
観客の視線は、去って行くメンバーを追って、身体は完全に後ろを向いていた。
二階席の最前列の客は、少しでもメンバーを見ようと身を乗り出していた。
余りにも身を乗り出したので、そのまま下に落ちそうな子がいた。
案内係が注意しに走った。
一階観客の視線が、一斉に後ろから、再び前の舞台に行く。
僕のつけ音が切っ掛けで、再び客電は、急速にゼロになった。
と同時に舞台は一条のサス明かりとなった。
上手下手から、ロスコの煙が噴き出す。
ムービングライトの光のタッチを見せるためである。
「パタパタ、パタパタ、パタパタ」
僕のつけ音の連打、打ち上げが始まった。
あれからメンバーは、そのまま正面玄関を出て、目の前の四条通りに止めてある大型ワゴンに乗り込んだ。
つまり、カーテンコールの後、舞台にも楽屋にも戻らず、そのままワゴンに乗って京都駅に向かった。
これが、昨日会議室で僕が云った作戦だった。
乗り込んで、すぐに信号待ちで発進出来ない時もある。
ロビーから、乗り込むまで20秒
信号待ちが、45秒
四条通りから川端通りに左折するまで10秒
南座楽屋を通り過ぎるまで10秒
余裕が10秒
合計1分35秒
この時間だけのつけ音の連打を打ち続けて、それこそ観客の目を、僕のつけ音に釘付けしないといけない。
これは、僕が云い出した事だから責任重大だった。
今まで何度か、つけの打ち上げをやって来たが、こんな一分以上も長いつけをやるのはもちろん初めてだった。
昨年嵐山の双龍寺で修行してた時に、縁側でつけを連打を二分ぐらいやった事はある。
しかし、南座と云う満員の観客の中でのつけの連打は、初めてだった。
観客を飽きさせないように、後ろのホリゾントにムービングライト一二台が激しく灯体を振って、光のショーを始めた。
同時に第一ボーダーに吊られていた八台のムービングライトが、客席に向けて光を稲妻のように点滅させながら、前後にスイングした。
上手袖で時間を測っていた舞台監督が、マグライトを、くるくる激しく回した。
1分35秒の時間が過ぎた知らせだった。
僕は、ゆっくりと右手のつけ析を円弧を描いてゆっくりと振り下ろした。
「チョン!」
舞台監督が、それを見届けて、止め析を打った。
ゆっくりと明かりはフェードアウトして行く。
僕を乗せたセリも静かに奈落に向かって降下した。
僕は、下で降りると、つけ板とつけ析を回収した。
すぐにセリが戻って行く。
緞帳は降ろさない。
観客には、まだ続きがあると思わすためだ。
セリが戻ると再び、舞台を明るくした。
観客は全員、騙されていた。
これでプラス二分は稼げた。
ようやく、客電も明るくなる。
「本日の公演は、終了でございます。有難うございました」
この場内アナウンスで、ようやく客がざわめきはじめた。
いち早く気づいたファンが駈けだす。
イヤホンガイドを借りていた客は、それを返さないといけない。
ここもわざと人員を二人だけにして時間がかかるようにした。
ファンらは、すぐに情報を共有し始めた。
ツイッター上には、
「やられた!」
「あんなやり方あったんだ!」
「この幕切れ考えた人、最高!」
「悔しいけど、最後通路通った時に、大地とまじかで目が合った!」
「超やばい!」
「やばい!やばい!」
僕は、上手袖に戻った。
北大路さんがいた。
「東山君、最高!」
「有難うござます」
「ところで、君にお願いがあるんだ」
ここで幾分か芝居かかったかのように、言葉を区切った。
それに呼応するかのように、僕もたっぷりと間合いを取った。
その数秒間、北大路さんの目はじっと僕を見つめていた。
「何でしょうか」
「きみ、ジョニーズ事務所に入らないか?」
一瞬、僕は返答に困った。
(いやです)の言葉が一瞬、出かかったが慌てて呑み込んだ。
(それでは、あまりにも失礼すぎる)そう思ったからだ。
数秒時間を置いて、こう答えた。
「有難うございます。でも僕は、これが好きなんです」
僕の手に持つつけ析とつけ板を北大路さんの目の前に差し出した。
「そうか、そうだよね。きみは、人生賭けるものに出会えて幸せだよ」
北大路さんの目は、僕からつけ析、つけ板に移った。
「はい」
「これからも頑張りなさい。応援するよ」
ここで、僕は北大路さんと握手した。
大きな手のひらだった。
全ての優しさを包み込むような手だった。
北大路さんは、笑った。
その笑いを見て、僕も笑った。
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