第7話 附け打ち、祇園バーで語り尽くす

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 丸太さんの南座・劇場結婚式の二次会は、祇園バー「マルサン」で行われた。

 明日から、丸太さんの職場でもある。

 僕は、ここは初めてである。

 場所は、祇園花見小路から、西へ路地に入った町家。

 看板も出てないし、もちろん食べログにも掲載されない、一見さんお断りの店である。

 て云うか、普通の町家なので、誰も知っている人以外入って来れないと思う。

 玄関で、靴を脱いで、スリッパに履き替えて、廊下を突き進む。

 二度ほど、襖を開けて、奥に進むとやっと、カウンターと座敷のエリアに出る。

 カウンターから坪庭が見える。

 庭のツツジがライトアップされて、薄紫、ピンク、白の花びらが幾重にも重なっていた。

 カウンターの席は10席。その中に、丸太さんと新妻の片山峰子さんがいた。

 ボックス席が三つ。

 二階に小部屋が三つあるそうだ。

「何だか変な感じですね」

 僕は、丸太さんと目があって、云った。

「そうかあ」

 普段見せない、笑顔が丸太さんの顔に浮かぶ。

「両手に持つのはつけ析から、包丁に持ち換えましたね」

 尾崎さんが冷静に分析した。

「ところで、お二方はどこで知り合ったの」

「このお店です」

 峰子さんが、少し頬を染めて答えた。

 とても五五歳には見えない。

 二十歳は、若い。

「ここなの!」

「へえ、お兄さんが丸太さんを連れてきはったんどす」

「お兄さんって、十五代目、竹嶋屋の旦那ですよね」

 尾崎さんが確認した。

「へえ、そうどす」

 その時だった。

 玄関から人がやって来る気配がした。

 襖を開けて、その十五代目、片山三左衛門が、奥さんの光子さんとひょっこり顔を出した。

「いやあ、今、丁度お兄さんの噂してたとこどす」

「また悪口やろう」

 銀縁メガネの奥の目が優しい。

 竹嶋屋は、今年七十歳。峰子さんとは十五歳も離れていた。

「今夜ぐらいは、丸太くんと峰子さんは、カウンターの中やのうて、こっちの席に座りて」

「いえ、お兄さんいいです」

「かまひんから、わしは久し振りのカウンターの中に入りたいんや」

「えっ、久し振り?なんですか」

 思わず、僕は聞き返してしまった。

「何だ、お前知らなかったのか」

 呆れたように堀川さんは云った。

「堀川さん、そらあ世代が違うがな。知らんので当たり前やがな」

 三左衛門さんは、光子さんとカウンターの中へ。入れ違いに二人はカウンターの席に座った。

「東山さん、わし関西歌舞伎が絶滅危惧種の頃、ここでマスターしてたんやでえ。堀川さんや、尾崎さんらは、よおこの店に来てくれたんやでえ」

「お互い若かったですねえ」

 噛みしめる様に尾崎さんはつぶやいた。

 と云われても、僕は、ピンと理解出来ない。

 それを察した三左衛門さんは、ゆっくりと順番に話してくれた。

 今でこそ、関西では京都南座、大阪松竹座で、合わせて年に半年は歌舞伎が上演される。

 さらに、天王寺の近鉄アート館、国立文楽劇場などで、若手の公演が行われている。

 しかし、昔は関西で歌舞伎が上演されるのは、一年に一度。南座の十二月の顔見世だけだった。

 その頃は、東京歌舞伎座も、一年十二か月歌舞伎ではなくて、三波春夫ショーなどの色物も上演していた。

「じゃあ、その頃、大阪松竹座は何を上演してたんですか」

「その頃は、大阪松竹座は映画館。芝居は中座やがな」

 道頓堀中座はその頃、半年は藤川トンビ率いる竹松新喜劇全盛時代でもあった。

 トンビは、現在の喜劇女優、藤川直美の父親である。

 トンビの名前は聞いた事があるが、芝居を見た事はない。

 て云うか、僕が生まれた時には、もう亡くなっていたから。

「そんなわけで、僕の親父、十三代目が、何とかしやなあかんてなって、関西サムライの会作って、自主公演始めてなあ」

(サムライ)とは、その当時、会に参加した、歌舞伎役者の名前の頭文字を取ってつけたそうだ。

 サ・・・三左衛門(十三代目)(竹嶋屋)

 ム・・・村中左近(十代目)(大黒屋)

 ラ・・・嵐山雷鳴(七代目)(嵐挟屋)

 イ・・・市山伊右衛門(五代目)(緑風屋)


 今となっては、もう存在しない、懐かしい顔ぶれ、お家の名前が並んでいる。

「私も、親父も手売り、知人などに切符売ってました。公演場所は、大阪の堂島の毎日会館、京都は、祇園甲部歌舞練場でやりました」

「竹松の援助はあったんですか」

「そんなもんねえよ。その頃、関西は新喜劇全盛時代だから」

 横から堀川さんが云った。

「て云うか、東京歌舞伎座の歌舞伎も毎月赤字で、招待券ばらまいても、お客さん来ないんですよ」

「歌舞伎赤字時代を支えたのが、藤川トンビの新喜劇。こちらは、毎月黒字だったんです」

 尾崎さんも説明してくれた。

 その時代を、身を持って体験した方々の貴重な意見を僕は、聞けた。

 東京歌舞伎座が、毎月赤字だなんて、今では信じられない話だ。

 戦後、竹松は、赤字続きの文楽の興行をやめて、国に任せた。

(次は、歌舞伎か)となった。

 その当時、有名な演劇評論家たちは、こぞって、

「歌舞伎は、最早、死に体である」

「竹松は、いつまでも古臭い歌舞伎経営に固執するのであれば、未来はない」

「観客自身が知っている。(歌舞伎と云う、はるか昔の博物館入りするような、死んだ歌舞伎なんか、見たくもない)と」

 等と、署名入りで評論した。

 当時、映画部門の方が、売り上げを伸ばしていた。

 映画部門役員からも、

「もう、お国に返上しましょう」

 と役員会議の度に、提言した。

 しかし、竹松の創業者、小谷竹次郎は、役員会議での他の役員からの矢の催促を胸に十幾つ受けても、血だらけの形相で、手ばさなかった。


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「そんな時代やから、私は歌舞伎の仕事がなくてねえ。竹松の映画に出てました」

 これは、今では竹松ビデオで見る事が出来る。

 推理作家の松木清太郎原作の映画だった。

 ニヒルな悪役、刑事、ホスト役などだった。

「でも、年間通すと、半年も仕事が全くない。だから、妹と二人で祇園でバーを始めたんです」

「そうだったんですか。店名の(マルサン)は、どこからつけたんですか」

「私の本名が、片山三太郎。うちの家紋がマルに三。だからマルサン」

「今もそうやけど、昔の三左衛門さんが、こさえるカクテル求めて、芸妓、お茶屋の女将さんが殺到してたなあ」

 国宝さんも、当時を振り返り懐かしんだ。

「でもねえ、東山くん、私も歌舞伎役者。歌舞伎の仕事がなくても、歌舞伎の現場、劇場にいたかった。せやからある行動に出たんや。何やと思う?」

 カウンター、ボックス席に料理が並べられる。

 今夜は、貸し切りで、前もって仕出し屋さんに頼んで料理が運ばれていた。

 寿司、にぎりから、懐石料理まで、様々だった。

 祇園いづうの鯖寿司もあった。「う」の手桶うなぎ寿司もあった。

「さあ、わかりません。まさか役者やめて、大道具やるとか」

「あっ惜しいなあ」

 堀川さんが、にやけた。

「惜しい?照明?義太夫三味線弾き?わかりません。教えて下さい」

「実は、役者廃業して、附け打ちになろうと国宝さんの家に行ったんやで」

「附け打ちですか!」

 僕は、ひと際、大きな声で叫んでいた。

 歌舞伎役者廃業は、珍しい事ではない。

 実際やめて、サラリーマンになった役者もいる。

 引退興行をやった人もいる。

 しかし、役者をやめて附け打ちになった人はいない。聞いた事もない。

「で、どうなったんですか」

「もちろん、断ったがな」

 笑いながら、国宝さんが言葉を継いだ。

「わしは、三太郎さんに云うたんや。ここで、あんたが舞台降りたら、あかん。歌舞伎の家に生まれたからには、走り続けて、連綿と続く、竹嶋屋の歌舞伎バトンを次の世代に渡さなあかんてな。今はどん尻走ってても、未来はわからん。けど、歌舞伎の道を走るのをやめて、外れたら、その逆転も出来なくなると云いましたんや」

「あの時の言葉は、身に沁みました」

「歌舞伎の裏方って、色々ありますよね。大道具、照明、小道具と。その中で何で、附け打ちだったんですか」

 僕は、一番聞きたかった事を口にした。

「それはね、東山くん、附け打ちは、舞台に出れる、数ある裏方で、舞台に出ている唯一の裏方やからや。舞台にいる男。そうやろう。役者があかんかっても、附け打ちなら舞台に出れるがな」

 なるほど、そうだったのか!

 確かにそうだ。数ある裏方で、附け打ちだけが、上手端とは云え、舞台に出ている。

 根っから、十五代目は歌舞伎が好きなのだ。

「でも、竹嶋屋さんの、附け打ち姿ちょっと見て見たかったですねえ」

 笑みを浮かべ、尾崎さんがつぶやく。

「もし、そのまま附け打ちになっていたら、俺らの先輩師匠が、竹嶋屋さんだったんだ。確かにそれは、それで興味わくなあ」

 堀川さんも笑った。

「尾崎さん、附け打ちの新人、入れへんのか。丸太さんが抜けて、大変やろ。今のうちに入れとかんと、あんたらが苦労するで」

「そうなんです。丸太さんの抜けた穴は、大きいです」

「とてつもなく、大きいなあ」

「すみません」

 今まで黙っていた丸太は、一言つぶやいた。

「何か募集かけてるんか」

「ホームページ、ブログで募集してます」

 ボックス席に座っていた利恵さんが立ち上がって、説明してくれた。

「でも、中々来ません。私のフェイスブックでも募集かけてますけどね」

 大きなため息を尾崎さんは、一つついた。

 あの頃、三左衛門は、歌舞伎では、ぱっとしなかった。

 厳密に云えば、歌舞伎に出るチャンスが少なかった。

 生活して行かないといけない。

 それで、映画、ドラマに出た。

 今でも歌舞伎を全く見ない人が、三左衛門を知っているのはそのせいだった。

 松木清太郎推理小説の映画化での出演ともう一つ、三左衛門の人気を不動にしたものがある。

 それが、「眠狂四郎」シリーズである。

 合計二十本作られた。 

 撮影は、嵐電「帷子ノ辻(かたびらのつじ)」にあった、竹松京都撮影所。

「あの頃、忙しかったでえ。監督に云うて、なるべく早く撮影終わらせてもうて、夜はここで、バーテン、マスターやってた。二足の草鞋を履くと云うやつや」

「あの頃は、いつも満員やったなあ」

 国宝さんが云った。

「あまりにも忙し過ぎて、客で来た俺ら、カウンターの中に入って手伝ってたよなあ」

 堀川さんが、尾崎さんを見た。

「やってましたねえ。私や堀川さんで、二階のお客さんに、お酒や料理運んでましたよ」

「カウンターの中で、二人とも立って呑んでたな」

「濃い店だったんですねえ」

 僕は、堀川さんと尾崎さんの顔を交互に見比べながらつぶやいた。

「ああ、見たかったなあ」

 利恵さんが、大きくつぶやいた。

「俺たちの、カウンターの中での仕事ぶりかあ」

「じゃなくて、三左衛門さんのマスター稼業」

「今夜は、特別バージョンやでえ、とっくり見て行ってやあ」

 三左衛門さんの眼が、より一層細くなり、目尻の皴のせいで、余計に柔和な顔になった。

 和やかな、宴だった。

 楽しい話は、尽きない。

 こうして、祇園バーでの語らいは、続いた。

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