第5話 附け打ち、宙乗りに挑戦⁉

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 国宝さんの自宅は、京都清水寺近くにある。

 ここは、元々は料理旅館で、約三百坪ある。

 庭もかなり広い。

 昨年までここで、僕は一人、附け打ちの練習をしていた。

 まだ劇場デビュー前だった。

 ここは、僕にとって、附け打ちの原点でもあり、出発点でもあった。

 久し振りに、ここの庭で僕は一人、黙々と附け打ちを繰り返していた。

 十分も続けると、うっすらと汗が額ににじみ出ていた。

 ついこの前まで、寒さに打ち震えていたのに、桜が咲いたかと思うと、すぐに散って緑濃き深緑の季節を迎えていた。

「パタパタ、パタパタ、パタパタ」

 何度目かの打ち上げの附け打ちの打ち上げを終えた僕は、這いつくばって肩で息をしていた。

「お前はんのつけ音、ちょっとは、魂が入って来たみたいやな」

 ぜえぜえ荒く息をしている僕の背後から、国宝さんが声をかけた。

「有難うございます」

 僕は、ゆっくりと振り返った。

「これから、ちょっとわしと付き合ってくれるか」

「はい」

「よろしくね」

 年の差、五十歳年下の、今年四十五歳になる妻の輝美さんがそばで、笑っていた。

 僕が、国宝さんと二人で向かったのは、白川の京都創造芸術大学構内にある、「春夏座」だった。

 この劇場は、先代三河犬之助(現在犬翁)が、大学側からの要請で、設計段階から立ち合い、芸術監督を務めた。

 劇場大天井には、最初から、宙乗り用のワイヤーが敷かれており、劇場客席奥には、引き込み 用の囲いもすでに、センタースポット室の隣りに準備されている。

 南座も、格天井には、ワイヤーが敷かれているが、三階席後方の引き込み用囲いは、その都度、客席椅子をばらして作っていた。

 囲いは京都タツミ舞台が作っていた。

 先代の思いは、そのまま、現在の犬之助に引き継がれており、

 年に一度か二度、犬之助はここで舞踊公演、芝居、ワークショップを開いていた。

 また暇な時を見つけては、学生のための体験的歌舞伎論を講義していた。

 今回、三河犬之助は「黒塚」「鵺(ぬえ)退治」の二本立ての舞踊公演を行っていた。

「鵺退治」は、福地桜痴作の作品で、明治三二年初演の作品で、あまり上演されなかった。

「黒塚」は、先代から、度々上演されて来た作品である。

 舞台一面には、ススキが置かれている。

 京都タツミ舞台の大道具が、水中眼鏡をかけて作業していた。

 何故水中眼鏡をかけていたかと云うと、ススキの尖った葉が目に突き刺ささらないためであった。

 舞台奥のホリゾント前には、漫画セーラームーンに出て来そうな、大きく湾曲した三日月が吊るされていた。

 二本の舞踊を国宝さんと観賞した。

「黒塚」の老女と鬼の二役を犬之助は、見事に演じていた。

 狂気とどこかユーモア溢れる二役だった。

 公演後、僕らは、犬之助(裏鷲屋)の楽屋を訪れた。

「若旦那、お早うございます」

 国宝さんは、声をかけた。

「お早うございます。すみません、ご足労いただいて。ちょっと待ってて下さいね」

 犬之助は、慌てて着替えると、共演の三河右近を呼んだ。

 今回は、全て昼一回公演だった。

 右近とは、二月の歌舞伎マラソン以来だった。

 右近は、僕の顔を見ると、

「トレーニングやってる」

 と柔和な顔で聞いて来た。

「いえ、全然です」

 僕ら四人は、車で犬之助の行きつけの店へ行った。

 車は、祇園八坂神社の南側、高台寺へ続くねねの道の途中で止まった。

 そこから徒歩で、「石塀小路」の中に進む。

 石塀小路は、L字型の小道で、両脇は、石塀、竹垣で覆われた家々が続く。

 ドラマやCMでよく撮影される。

 昨今は、訪日観光客の激増で、今まで閑静なたたずまいが、ぶち壊された。

 声高に、喋る外国人観光客。家の庭の中まで入って来ての撮影が問題になった。

 町内会は、対策として、電柱に撮影禁止のマーク、「静かに!」の文字で書かれた小さなボードを張り付けていたが、一向に効果はなかった。

 石塀小路の中に入ってすぐの、一件の民家に入った。

 表札には、「雅」としか書かれていない。

 犬之助が玄関を開けると、すでに女将さんが待っていた。

「おこしやす」

 笑顔で迎えてくれた。

 二階にも部屋があるらしかったが、高齢の国宝さんのために、玄関わきの小部屋が用意されていた。

 挨拶もそこそこに、料理が運ばれた。

「ここは、元々は料理旅館だったところで、先代によく連れて行って貰いました」

「わしも、先代とちょくちょく、来ましたなあ」

 国宝さんが云った。

「僕は、初めてです」

 右近は云った。

「東山くんは」

「僕も初めてです」

 乾杯して食事が始まった。

「国宝さん、東山君には、例の件もう話されましたか」

「いえ、直接若旦那から話された方がいいと思いまして」

「そう、じゃあ云うね、あのね東山君」

「はい、何でしょうか」

 箸を休めて、僕は犬之助の顔を見た。

「来月の南座のスペシャル歌舞伎(ミヤコカケル)だけどねえ、東山君に附け打ちやって貰おうと思うんだ」

「はい、それはもう聞いてます」

(ミヤコカケル)は、先代犬之助(現在・犬翁)が、作り出した創作歌舞伎

 第一弾だった。

 言葉は現代語で、照明もムービングライト百台以上吊り込み、音響も舞台美術も、当時第一線で活躍するスペシャリストを参集した。

 上演当初、演劇評論家からは、

「これは歌舞伎ではない」

「ケレン芝居」

「受けだけを狙った、下等な出し物」

「犬之助は、古典歌舞伎を壊そうとしている」

 等、批判が相次いだが、一般観客には、絶大な人気を誇った。

「で、その附け打ちなんだけどねえ、宙乗り附け打ちをやって貰おうと思ってる」

 一瞬、意味が解らず、僕は、

「はあ?」

 はてなのマークを頭の上に十個は並べた感じだったのだろう。

 犬之助は、ゆっくりと説明してくれた。

 大詰の場面、ダブル宙乗りで、犬之助と東山が同時に宙乗りを行う。

 その時、僕は、つけを打ちながら、つけ析、つけ板を持ったまま宙乗りを行う

「これは、当初考えてなかったんだ」

「いつ、思いついたんですか」

「つい、数日前」

 犬之助の閃きは有名だった。

 舞台稽古も、毎日、いや、毎時間変わる。

 そのため、舞台稽古で配られる決定台本から、上演するまでの僅か、三日間で書き直し、訂正は、少ない時で百か所ぐらいある。

 混乱を避けるために、脚本家は、最初は日付を原稿用紙の上段に書いていたが、最近は日付に何時何分の時間まで書き加える。

 初日の幕が開いて、ほっとしてもいけない。

 すぐに駄目出し(役者、裏方への注文)が始まり、酷い時は、初日一回公演の後、また舞台稽古をしたりする。

 当然そのあおりは、役者のみならず、大道具、照明などの裏方にも波及する。

 完璧なものをお客様に見せる。

 その先代からの完璧主義は、今の犬之助にも引き継がれていた。

 まれにみるアイデアマンと同時にすぐに実行に移す行動力は、歌舞伎界イチだった。

 公演の一か月前には、電話・ネット予約がスタートする。

 犬之助は、南座の営業に、最後まで、三階席の上手、下手の宙乗りの囲いが入る個所の販売は、やらないよう云っていた。

 通常の下手三階客席部分は、すでに前々から聞いていたので、売っていない。

「ここで、東山君が嫌ですと云えば、この話はなかった事にする。代役たてる気はない」

「どうや。今回は宙乗り。犬は出て来ないからええやろ」

 国宝さんは、そう云って笑った。

 僕の頭の中には、宙乗りになって、もがき苦しむ姿が目に入った。

「お前はんの負担減らすために、第一幕と第二幕は堀川にやって貰う。お前はんは第三幕だけの担当や」

「君の宙乗りは、大詰一回だけ」

「僕も別の個所で宙乗りやります」

 横で聞いていた右近がにこっとした。

 それから、犬之助は熱っぽく、「ミヤコカケル」再演の意気込みを語った。

「再演と世間では云うけれど、僕の中では初演並みの大胆な改稿、修正やるんだ。でも一つだけ、先代からの教えはやる」

「何ですか」

「開演に遅れたら、途中入場させない」

 これは、先代が初めて、歌舞伎公演で実施した。

 当初、非難、クレームが殺到。

「高い金払った客を中へ入れさせないとは、どう云う事だ!」

 客の怒りは、怒髪天に達する。

 東京新橋演舞場よりも、京都南座でのクレームが多かった。

 しかし、先代犬之助は、

「最高の状態で、お客様にお見せしたい」

 と最後まで突っぱねて、決して入れないように劇場側に厳命した。

 途中入場を認めると、客席のドアが開き、外の光が場内に入って来る。

 舞台照明、舞台美術に大きな影響を与えるからだ。

 当時、これはかなり話題となり、演劇界は賛否両論に分かれた。

 新劇、ミュージカルで、この処置はあったが、商業演劇、歌舞伎では初の試みだった。

 今更、ここで僕が、

「実は、高所恐怖症なんです」

 と云えるわけがない。

「どう、やってくれるかな」

「はい、やらせていただきます」

 と答えるしかなかった。

「有難う!」

 テーブル越に、犬之助は、上半身を乗り出して、僕に握手を求めた。

 僕は、少し力なく、手を握ったが、犬之助はそれの数倍の力で握り返して来た。

「さあさあ、食べよう」

 犬之助は、心底喜んでいた。

 そして、僕は心底落ち込んでいた。

 その夜、僕は理香にラインメールした。


五月公演ミヤコカケルで、附け打ちが宙乗りする事になり、僕がそれをやる羽目になりました。かなり落ち込んでます。

 宙乗りの安全をお願いする神社を知ってますか)

 すぐに返信が来た。

(何それ、信じられない。何で附け打ちが宙乗りするの?意味わかんない。芸能全般で云えば、祇園白川の辰巳稲荷神社、あと、嵐山の車折神社。ここには、芸能社があったはず。また調べておきます)

 その夜から、眠れない日が続く。

 犬よりも数倍怖い、宙乗りである。

 だって、犬が僕を例え、最悪噛んだとしても、死ぬ確率はほとんどない。

 しかし、宙乗りは違う。

 万が一、ワイヤーが切れれば落下。確実に死ぬ。

 夜中、何度もトイレへ行き、眠れないまま朝を迎えようとした。


   ( 2 )


 舞台稽古が始まる前に、(舞台安全・大入り修祓式)が、舞台で行われた。

 舞台中央に祭壇が組まれていた。

 宙乗り用のワイヤーが、上手、下手の所に降りていた。

 出演する役者、スタッフ、事務所の人達が客席に集まっていた。

 宙乗り公演では、毎回行う。

 南座は、祇園八坂神社から宮司が二人来ていた。

 僕は、犬之助さんの隣りに座る。

 堀川さんも国宝さんもいた。

 何故か、堀川さんは、僕が宙乗り附け打ちに決まってから、いやににやけていた。

 修祓式が始まる前、地下の控室にいると、業務の大林さんが来た。

「東山さん、宙乗り保険の手続きをやりますので」

「何ですか」

「保険です。万が一落下した時の保険です」

「保険。金だ!」

 堀川さんが喰いついて来た。

「死んだら、幾らなの」

 僕が聞く前に、堀川さんが聞いた。

「五千万円です」

「五千万!」

 堀川さんが途端ににやけた。

「ねえねえ、東山さん」

 揉み手をして堀川さんはにやけた。

 これ以上ないほど、にやけていた。

「一つ、保険の受取人は、堀川作造と一筆書いといて下さい」

「何で堀川さんなんですか。赤の他人は駄目ですよね」

「いえ、大丈夫です。何でしたら、堀川さんと私の連名でもいいです」

 大林さんまで乗って来た。

 僕は、受取人は、四国、愛媛松山にいる母にした。

「いつでも、云ってくれよ。受取人の名前の変更は」

「しませんよ。死んでもしません」

「死ぬ前にしてよ」

 しつこい堀川さんだった。


「続きまして、玉櫛を祭壇に捧げて貰います。三河犬之助殿」

 まず犬之助が先に行い、続いて右近、僕と続いた。

 これは、実際に宙乗りを行う人を役者、裏方関係なく優先させた。

 これも犬之助の計らいだった。

 もちろん、玉櫛を持って拝むなんて、僕は初めてだった。

 玉櫛を持って、時計回りに九〇度回して置く。

 昨日、スマホで検索して、今日は犬之助、右近の手元をじっくり見ていた。

 二礼・二拍・一礼した。

 修祓式が終わると、舞台稽古の前に、まず宙乗りテストが行われた。

 昔は、宙乗りは人力で、三階席の奥で、監事室・業務・表方の三人で行っていた。

 今は、「アート・カオル」と云う会社の人が行っていた。

 京都創造芸術大学・舞台芸術学部出身の阿藤カオルさんが立ち上げた会社で、主に現在の犬之助のスペシャル歌舞伎の特殊小道具、特殊効果を担当していた。

 まだ四十歳の女社長は、細身で、目が大きかった。

「まず、東山さんやってみようか」

「彼は、初体験です」

 犬之助がにやけながら云った。

「緊張してるな」

 堀川さんもやって来た。

 国宝さんも輝美さんも続々と上手端に皆やって来た。

 僕は修祓式に出るため、すでに附け打ちの正装だった。

 今回、つけを打ちながら宙乗りが始まると云う難易度の高い、犬之助の要求に、カオルさんも苦労したそうだ。

 普通の宙乗りなら、人が上がるだけなので、人物にワイヤーを取り付ければそれで終わりだが、今回は違う。

 僕と、つけ析とつけ板の三つを上げないといけない。

 つけ析二つには、根元に穴が開けられて、ワイヤーが通り、二つとも、僕の身体に繋がっていた。

 だから、もしもつけ析を手放しても落下はしない。

 つけ板は、前の台に乗っていた。

 わかりやすく云えば、背もたれのない、リフトに正座する感じだ。

 そのリフトの前に台が置かれて、九十度開閉出来るようになっていた。

「そりゃあ初体験なら、緊張するわよねえ」

 カオルさんが云うと、皆どっと笑った。

「何がおかしいんですか」

「緊張しすぎて、去年のような犬に乗られておしっこちびったようになるなよ」

 また、デマを吹聴する堀川さんだった。

「昨年も今年もおしっこちびってません」

「東山君、犬が苦手なの」

「ええ、まあ」

「苦手どころか、見ただけで卒倒するんです。戌年のくせに」

「因みに、俺は申年です」

「犬猿の仲ね。まあまあ、いいから」

 カオルさんが、堀川さんの暴走を止めてくれた。

 ワイヤーは全部で三本。

 例え、一本切れても落下はしない。

 三本とも切れたら落下するけど・・・。

 装着完了。

「ちょっと、つけ板、叩いてみて」

「はい」

 軽く叩く。

 今は違和感はない。

「じゃあ叩きながらアップ」

 犬之助が叫ぶ。

 操作は、三階席の奥で、リモコン持ってる「アート・カオル」の人がやる。

「ゆっくりどうぞ」

 ふわっと宙に浮いて、身体が左右に少しだけ揺れた。

 無重力でつけを打ったらこんな感じだろうか。

 出来るだけ、下は見ないように心掛けた。

 昨年は、犬を見ないように必死でつけを打っていたが、今年は、下を見ないようにか。

 つけを打ちながら、僕の視界は、舞台面から、客席一階、二階、三階そして、大天井の格天井に近づく。

 ちらっと下を見た。

「あの、左右の揺れ、何とかならないの」

 早速、犬之助が宙乗りのワイヤー操作の駄目出しを始めた。

「わかりました。考えます」

「じゃあ、前進。東山さんは、つけを打ち続けて」

「はい」

 稽古ながら、歌舞伎四百年の歴史で、初めて附け打ちが、宙乗りに挑戦した瞬間だった。

「どんな感じ?」

 堀川さんが、下から叫んだ。

「宇宙遊泳しながら、打ってる感じです」

「お前、宇宙へ行った事あるのかよ」

 すぐに堀川さんの突っ込みを受けた。

 下で、皆ゲラゲラ笑い出した。

 前進、後進、アップダウンを何回か繰り返して、宙乗りテストは無事終了した。


     ( 3 )


 劇場の初日は、何度経験しても緊張感と、高揚感、そしてこれから二五日間のある種の闘いに向けての興奮が僕の中に複雑に化学反応を起こしていた。

 今回は、附け打ちにプラス宙乗りが乗って来た。

 二回目の京都での記者会見で、犬之助が、附け打ちの宙乗りを発表すると、マスコミ、ネット上ではかなりの反響を呼んだ。

 南座のツイッター、犬之助のブログ、附け打ちのホームページには、応援コメントが殺到した。

 NHK九時のニュースセンターで大々的に取り上げられると、朝、昼のワイドショーもこぞって取り上げた。

 ここで、附け打ちの存在、どんな仕事なのかを説明してくれたので、世間一般の認知度は一挙に上がった。

 今回のスペシャル歌舞伎「ミヤコカケル」は、三五年前、先代犬之助が上演したものの、再演だが、しかし、その内容はほぼ新作に近かった。

 犬之助が、退屈と思った個所は、ばっさりカット、大幅な場面の追加、アクションが挿入された。

 よりスピーディーに、簡潔に分かりやすく仕上がった。

 桓武天皇の平安京造営を描いた作品は、京都市、京都府、京都市観光協会全面協力を取り付けた。

 さらに劇中登場する、「神泉苑」「東寺」「将軍塚」「平安神宮」「二条公園」などは、ネット上で話題となり、観光客が殺到し始めた。

 これに目をつけた大手旅行代理店とホテルは、宿泊と観劇とそれらの観光を組み合わせたパックツアーを開始していた。

 切符は、早々に全期間完売。

 南座側としては、昼一回公演が、何回かあるので、そこへ夜公演追加を模索していた。

 犬之助は、南座側に注文したのは、先代からの踏襲である、開演したらシャットアウトの措置だった。

 ただ、前回と違うのは、それを知らせる手段が大幅に増えた事である。

 犬之助、右近など出演者のブログ、ツイッター、フェイスブック、竹松、南座の公式ツイッター、ホームページ、インスタ等で、開演厳守を呼び掛けた。

 これを見た歌舞伎ファンが独自に自分のフェイスブックなどにアップして拡散した。

 さらに竹松の公式ブログ、新聞、チラシ、ポスター、車内吊りポスター、切符、劇場前看板にも明記した。

 ユーチューブでは、前回遅れた観客が劇場係員に食って掛かる映像が幾つも流れた。

「これ、遅れた客が悪い」

「逆切れってやつですよね」

「お客様は、神様ではない」

「自分だけの事思ってる輩(やから)!」

「だったら、劇場貸し切りの金払って、思う存分遅れて上演させてみろ!」

 等の書き込みが殺到した。

 もちろん、こられの書き込みをする若者たちは、リアルタイムでは見てない。


 今回、遅れた観客は、一階、二階、三階の100インチ型16K超スーパーハイビジョンテレビでの観劇となる。

 このために、場内には、舞台、客席に大小合わせて三二六台の超小型カメラが設置された。

 後で、わかった事だが、これはギネス記録だそうだ。

 ドローンカメラもあった。

 前回と違うのは、少しの開演の遅れは、認める事だった。

 観客の集まり、着席状況を見て、開演のゴーを犬之助は出すと云う事だった。

 初日の楽屋は、ごった返していた。

 特に犬之助の楽屋は、順番待ちの長い行列が出来ていた。

 南座藤川支配人を始めとする劇場関係者、竹松関西演劇部、竹松東京演劇部、田辺竹松副社長、裏鷲屋後援会、ご贔屓筋、などである。

 これに初日祝いの品物が怒涛の如く、運ばれる。

 一番多いのが、ランの鉢植えで、初日だけで、132鉢も届いた。

 とても楽屋内には、収まらないので、廊下に出してさらに、南座の各階ロビーにも並べられた。

 それ以外の贈り物もあったが、人の出入りが多いので、楽屋口でストップさせていた。

 人と荷物とランの鉢植えをかき分けて、僕は、堀川さんと犬之助の楽屋を目指した。

 僕らの附け打ちの正装である、黒の着流し、裁着け袴を見て、他の人は、すぐに気づいて、

「お先にどうぞ」

 と云ってくれた。

「若旦那、初日おめでとうございます」

 堀川さんと僕は頭を下げた。

 楽屋の入り口で、中に入らなかった。

「東山君、リラックス、リラックス!」

「はい」

「マラソンで云えば、今はスタート地点にそろそろ、選手が集まる頃だねえ」

「そうですねえ」

「宙乗りつけは、昨日も云ったけど、叩く音よりも僕とのタイミングを合わせてよね」

「わかりました」

「音拾いは、真由子イケメンが、ちゃんとやってくれるからさ」

 今回、宙乗りでは、僕の胸元に、ピンマイクが仕込まれていた。

 空中では、どうしても叩く力が弱くなり、音の広がりも抑えられる。

 そこで、犬之助は、音響の新川真由子に云って、特製のピンマイクを仕込ませた。

 帰り、階段を使って屋上へ行った。

 ここにお社があった。

 すでに役者から、日本酒が奉納されていた。

 二人で公演の成功、宙乗りの安全を祈願した。

 地下の控室に戻った。

 東京の新橋演舞場で附け打ちをしている、尾崎さんからLINEメールが届いていた。


(初日おめでとうございます!附け打ちの代表として、宙乗り附け打ち、頑張って下さい。東山君は、今まさに附け打ち、歌舞伎の新しい歴史の生き証人になろうとしてます!)

 確かにそうだ。

 尾崎さんの云う通りだ。

 控室には、国宝さん、輝美さん、常盤利恵さんもいた。

 利恵さんは、昨年附け打ち志願して、やって来たが、女なので出来ない。

 すると、附け打ちのホームページ、附け打ち関連商品を開発してネット販売事業に乗り出した。

 最近はほとんど、東京にいる。

「東山君、おひさー」

「利恵さん!来てくれたんですか」

「そりゃあ来るわよ。東山さんの晴れの舞台、晴れの宙乗りなんですもん」

「有難うございます」

「一躍有名人になったわねえ」

 東京のテレビ局が早速、附け打ちの宙乗りと云う事で、ミニ追っかけを始めた。

「いえ、そんな事ないです」

 そこへ、「アート・カオル」の阿藤カオルさんが、ひょっこり顔を出した。

「東山君、初日おめでとう」

「有難うございます」

「ちょっといいかな」

「はい」

 控室の前の廊下に出た。

 僕ら、附け打ちの控室は、地下にある。

 地下と云っても、完全な地下ではなくて、半分地下だった。

 南座の正面玄関のある四条通りから、楽屋口がある、川端通りは、緩やかな下り坂になっている。

 その緩やかな傾斜をそのまま使って建っている。

 昭和四年(1929年)に出来た建物で、平成に入って二回、改装工事しているが、完全な建て替えは行っていない。

 土台、基礎はそのままである。

「初日から千秋楽までの無事を願って、これ、きみにあげる」

 カオルさんは、懐から、黄色い包み紙のものを取り出した。

 表には、車折神社祈念神石と書かれていた。

「自分の部屋で、頭より上に置いて、毎日拝んで頂戴」

「無事に終わりますようにと云うわけですね」

「(終わる)と云う言葉は、縁起よくないなあ。無事に務めさせて貰いますとかさあ」

「わかりました」

 貰って懐の中にしまい込んだ。中に小さな小粒の石が入っているが、ほとんど、ペラペラな感じだった。

 控室で、その黄色い祈念神石の説明書きを読んだ。

 神棚か、目線より上に置いて、毎日拝む。

 願い事が、成就した時は、自宅の庭、海岸、川、山などで、小石を拾い、清めてこの黄色の包み紙の祈念神石と共に、車折神社へ返納するそうだ。

 お礼で備えられる石に、「お礼」と書いたり、成就した事柄を書いて返納される習慣があると云う。

 最後まで読み終えると、

「東山君」

 と案内チーフの藤森理香が暖簾をかき分けて、顔だけ出して手招きした。

「はい」

「次から次へと、いいよねえお前さんは、モテモテ男だな」

 堀川さんがつぶやいた。

 僕は、再び廊下に出た。

「これ、お守り」

 理香は、ポケットから、黄色の包み紙を取り出した。

 さっき、カオルさんが渡したのと全く同じだった。

「これねえ・・・」

「祈念神石。またか」

「またかって、誰かに貰ったの」

 理香がきっと睨みつけるように、僕の顔を見た。

「あああ、い、いやあ昔の話」

「あっそうなの。じゃあ説明する必要ないよね」

「有難う」

 少しドギマギした。

 二人の女性から、同じお守りを貰った。

 別に、こちらは、悪い事してるわけじゃないのだが、何だかこころの片隅に、澱(おり)の様な懺悔がぽっと浮き出た。

「二股かあ」

 戻るなり、堀川さんがにやけた。

「お前も一年で、やるようになったねえ」

「何、何」

 利恵さんが早速食いついて来た。

「二人の女をたぶらかせて、悦に入る東山だった」

「別に、悦に浸ってなんかいませんよ」

「かあ、本当よく云うよ」

 堀川さんは、二つのお守りの事を話した。

「東山君は、年上の女性に持てるのよ」

「そうだったな。昨年は白梅のお嬢とも色々あったし」

 白梅さんは、女形歌舞伎役者で、第一人者でもある。

「白梅さんは、年上ですけど、女性じゃないです。五十歳のオジサンです」

「馬鹿だなあ、何べん云ったらわかるんだ。お嬢は、お嬢なの。そのオジサンは禁句。もし当人の耳に入ったら、喜界島に流されるよ」

「僕は、俊寛ですか」

「お前は、そんないいもんじゃない」


    ( 4 )


 戯言を云い合っているうちに、開幕の時間が迫った。

 僕は第一幕、第二幕はつけを打たない。

 堀川さんの担当である。

 僕は、第三幕だけである。

 しかし、堀川さんと同じように、舞台へ行った。

 もし堀川さんに、何かあった場合、すぐに僕が代役出来るようにしていた。

 実際、昨年堀川さんは、稽古の時に、指が腫れあがってつけが上手く打てなくなり、初日から僕がやる事になった。

 じゃあ、反対に僕が何らかの事情で、宙乗り附け打ちが出来なくなったら、どうするか。

 当初、当然堀川さんが代わりにやる話だったが、頑なに拒否した。

「堀川家では、どんな事やってもいいが、宙乗りだけはやってはいけないと云う家訓がございまして」

 と訳の分からぬ弁明をして拒否した。

 そこで、犬之助は、その場合は右近が代役の附け打ちをやると決めた。

 右近の役は、そのまま。

 僕が宙乗り附け打ちやる場面は、犬之助とのダブル宙乗りで、右近とは被らない。

 右近の負担が増えるが仕方ない。

「だから、千秋楽まで、東山君頼むよ」

 右近は、舞台袖でそう云った。

 二丁(開演十五分前)、そして回り(開演五分前)のベルが鳴った。

 狂言方が、析頭を三つ鳴らした。

 いよいよ、開演である。

 上手エレベーターから、犬之助が降りて来た。

「どんな具合なの」

 犬之助はすぐに、客席の入りの状況を聞いた。

「ほぼ、九割入ってますねえ」

「先代の初演の時は大混乱だったらしいよ。きっちり定刻に開けて、一秒でも遅れたら中に入れさせなかったんだって」

 この話は「ミヤコカケル伝説」として、今でも劇場関係者の間で、語り継がれていた。

「先代は、頑固だから、定刻厳守。まるでJRだよね」

 周りの皆が笑った。

 確かにそうだ。

 客商売なんだから、その辺は、融通を利かしてもよかったんだ。

 案内さんが、ロビー、廊下で声高に叫んでいるのが聞こえて来た。

「途中入場出来ません」

「お早く、お席におつき下さい」

 場内アナウンスもその事を云っていた。

 監事室係が、片手に内線用コードレス電話機を持って来た。

「どうなの」

 再び犬之助が聞いた。

「オンタイムでも差支えないです、裏鷲屋さん」

「そう。いや、五分待ちましょう。僕は先代より、寛容だから」

 再び取り巻き連中は、笑った。

 結局、初日は、七分遅れで開演した。

 遅れた客は、五人だけだった。

 やはり、SNSの発達で、客も肝に銘じていたのだろう。

 ネット上では、東京新橋演舞場初演時に、二百人以上がロビーで待たされて、大混乱だった話で盛り上がっていた。 

 重厚な音楽が鳴る。

 緞帳にうっすらと平安神宮の赤い鳥居が浮かび上がる。

 その前を、ドローンにカラスの形を作った鳥が何羽も横切る。

 客席を五十三台のムービングライトが、様々な色の光と模様を作り出して、客を瞬時に現生と決別させて、「ミヤコカケル」の世界へ誘う。

 舞台にある二つの大セリに、出演者一同が乗り込む。

 上手下手袖から、大量のドライアイスが流れ出す。

 今までのドライアイス放出は、舞台上手下手袖からの平面的なものだった。

 今回は、それに舞台後方上部、客席大天井、通路、左右の壁面からと立体的に噴出していた。

 しかも、何種類ものそれぞれ形が違っていた。

「丸く帯びたもの」「鋭い線状のもの」「霧雨のようなもの」と多彩かつ立体的だった。

 客の何人かは、それが珍しく両手を上げて掴もうとしていた。

 この特殊効果も、「アート・カオル」だった。

 つけ板は、ドライアイスの様な湿気には、非常に弱い。

 堀川さんが打つ、つけ板は開場前に上手端に置かれていたが、つけ板の上には本来ない、薄いフェルト生地を覆っていた。

 湿気対策である。

 ドライアイスの煙は、場内の換気に誘われて前へ前へとやって来る。

 舞台の上にドライアイスの煙を溜めるために、開演五分前から、上手下手の幕袖から、アート・カオル特製のドライアイスマシンから勢いよく煙が噴出される。

 舞台効果を上げるために、場内の冷房換気をストップさせていた。

 こうした観客の知らない所で、細かい演出が施されていた。

 やおら堀川さんは出る。

 すぐにフェルト生地を剥がして、懐に入れた。

「パタパタ、パタパタ、パタパタ」

 花道から走って来る役者の足取り、「駆け出し」のつけ音である。

 この人が走る様子だが、立ち役、若衆、女形、老人、子供と役柄によっても違うが、同じ役柄でも役者によって叩き方は変わる。

 大きな音が好きな役者もいれば、その反対もいる。

 その見分け方は、これはもう場数を踏み、怒られて会得するしか方法がなかった。

 つけ析は白樫、つけ板は欅(けやき)で出来ている。

 両方とも木で出来ているので、湿気、水分を吸う。

 すると、つけ板のその物が変わる。

 附け打ちを始めた頃は、その変わった音と云われても、中々わからなかった。

 堀川さんは、雨の日は、つけ析、つけ板を取り替えていた。

 同じ材質、同じ日に作成されたつけ析、つけ板を持っても、その人が叩く回数は違う。

 だから、尾崎さんも堀川さんの福岡さんもジェフもそれぞれ持つつけ板は、一見同じ見えるがそうではなかった。

 改めて、僕は堀川さんのがらっぱちな性格の中に潜む、繊細さを垣間見た。

 

 第三幕が開く。

 僕の宙乗りは、大詰「将軍塚の場」である。

 京都東山山頂、将軍塚。

 ここからは、京都市内が一望出来る。

 平安京造営した桓武天皇は、ここに鎧、兜などを埋め込んだと云われている。

 平安京都市伝説は、数多く存在するが、その中でもこれは有名な話である。

 京のみやこに、一大事が起これば、東山のここから鳴動すると云われていた。

 舞台一面、小高い丘。

 山が鳴動する。

 地響きと昼間なのに、雷鳴がとどろく。

 上手下手フロント、第一ボーダーライトに仕込まれたムービングライトから強烈な光が投射される。

 それに呼応して、音が、舞台上手下手、客席の壁、客席の椅子背面、床とあらゆるところから、音が漏れ、聞こえて来る。

 南座は、平成時代に二度の改修工事が行われ、音響、照明は最新鋭のものになった。

 丘の中から、桓武天皇役の犬之助が出て来た。

 花道七三で立ち止まる。

 犬之助には、顔だけ投射するクセノンセンタースポットライトが一条の光を生み出していた。

 操作しているのは、歌舞伎マラソンで、照明で唯一入賞した、上桂寛子だった。

「寛子、犬之助の顔のエッジそのままでキープ」

 寛子のインカムから、笠置明夫照明課長の声が飛び込んで来た。

 すぐに寛子は、耳にはめていたインカムを外して地面に叩きつけた。

「かっさん(笠置)、うるさい!」とぼやいた。


「こうして、平安京が出来た。これからの世の中、有為転変、また戦乱の世が訪れるかもしれない・・・」

 犬之助の独白が始まる。

 これより、少し前に僕は、上手の袖の中で、ミキサーの人に、着流し、つけ板にピンマイクが仕込まれていた。

 両方とも単体で外れても、落下防止で、ワイヤーで、僕の腰に巻かれていた。

 暗闇の中、僕は二人の黒子と出る。

 まだ僕には、スポットは当たらない。

 暗闇の中で、黒子二人が宙乗りワイヤーを僕が背負う、「れんじゃく」に引っ掛ける。

 黒子が、目視と手でしっかりと確認、ポンと僕の背中を叩く。

「ワイヤーOK」のサインである。

 下手の犬之助も独白を続けながら、これも二人の黒子が宙乗りワイヤーを引っかけた。

 この二人の宙乗りワイヤー作業のために、少し時間を持たせての犬之助の台詞だった。


「しかし、私は思う。

 こののち、京のみやこは、繁栄を続ける。永遠の平和。民のこころの安らぎ。それがいついつまでも、続くのを祈念する!」


 音楽が最高潮に達した。

「チョン!」

 析頭一つ。

 スポットライトカットイン。

 僕にセンタースポットライトが投射された。

 大きく客席がどよめいた。

 これが、初めての附け打ちの宙乗りが観客の目の前に現れた瞬間だった。

「パタパタ、パタパタ、パタパタ」

 僕は、やや緊張しながら、附け打ちの連打を始める。

 上手袖には、インカムを耳につけた「アート・カオル」の人がいる。

 ここから、三階客席奥の、囲いの中にいる人に指令を出す。

「ミヤコカケル」初演時は、宙乗りワイヤー巻き取りは、三人(監事室・業務・表方)が手動で行っていたが今は、電動である。

 僕は、下手宙乗りを始めた犬之助が空中で手足を動かす。

 まるで、走っているようなパフォーマンスだった。

 その動きを見ながらのつけの連打だ。

(あっ、あれだ!)

 と僕は思った。

 二月の歌舞伎マラソンの時、犬之助は、僕の耳元で、

「マラソン面白いねえ、これ芝居に使えるね」

 と云った事が突如蘇った。

 不思議と恐怖感はなかった。

 今二つのスポットの光だけで、客席がよく見えないせいもあるが、それよりも附け打ちへの神経が勝っていた。高所恐怖症の神経は完全にそれに圧死されていた。

 犬之助と僕は、空中に天高く舞い上がる。

 犬之助が見得を切る。

「パタパタ、パタ」

 附け打ちは左手で始まり、右手で終わる。

 空中でも、その所作は変わらない。

「チョン!」 

 もう一度析頭が鳴り響く。

 今度は、一気に場内が明るくなった。

 馬蹄形の二階の前面の周囲に吊られた場内提灯にも明かりが入った。

「さあ、行こう!さあ行くぞ!」

 舞台の丘の奥から出演者一同が顔を覗かせた。

 場内のお客様は、顔を僕らに向けた。

「裏鷲屋!」

「犬之助!」

「四代目!」

 大向こうがあちこちからかかる。

 裏鷲屋は、犬之助の屋号である。

「東山!」

「附け打ち!」

 今度は、僕の名前と「附け打ち」の大向こうがかかった。

 これも歌舞伎四百年の歴史で初めてである。

 今日は、初日で、一階、二階、三階客席奥は、マスコミ陣のカメラ234台、ビデオカメラ458台の放列でびっしりだった。

 ゆっくりと二人は空中を散歩する。

 三階に向かう。

 この宙乗りをまじかで見たいために、わざわざ、一等の一階席ではなくて、三階、しかも見にくい上手下手サイド席を買う客がいた。

 この席から一番に売り切れたので、その人気がわかる。

 犬之助の駆け足を現わす、足のさばきに合わせて、僕のつけもそれに合わす。

 マラソンで会得した、走りの足さばきだった。

 いつしか客席が手拍子を始めた。

「おおお」

 大きく客席が揺れた。

 僕らの後ろに、大きな虹が現れたからだ。

 3D立体空中画像である。

 初演の時は、虹マシンライトの平面ライトだったが、歳月の経過は、照明機器の進歩となった。

 客席から見ると、虹が本当に、浮かんでいるように見える。

 虹の向こう側から大量の花びらが出て来た。

 これも立体映像である。

 とその時だった。

 大天井に仕込んだ、「アート・カオル」特製の花びらが舞い降りて来た。

 客は、落ちて来る花びらを手に取り、記念に持って帰る。

 大量の花びらが、観客の頭、顔、肩にも降りかかる。

 大きな拍手、声援を背に僕らは、三階席奥の囲いの中に消えた。

 舞台では、カーテンコールが始まった。

 二人は、急いで、付き人の誘導で廊下、階段を走り抜ける。

 観客との衝突を避けるために、客席ドアには、案内係が立っていた。場内の中にもいた。

 僕らは、無事に舞台袖にたどり着いた。

 最後に犬之助。

 そして、犬之助が、上手袖に向かって手招き。

 それが切っ掛けで、僕が出た。

「東山!」

「東山くーん!」

「裏鷲屋!」

「四代目!」

 カーテンコールは、この日は一二回あった。

 緊張と興奮の初日は、こうして無事に幕を閉じた。


   ( 5 )


 南座地下の附け打ちの控室に、特注の神棚が作られた。

 発注者は、僕で、製作者は京都タツミ舞台の佐々本さんだった。

 佐々本さんは、手先が器用で、歌舞伎役者が、持つ岡持ちも作っていた。

 岡持ちとは、その名の通り、出前の店員が持つ、岡持ちを小さくしたもので、歌舞伎役者が、この中に、台本、のど飴、ティッシュ、ハンカチ、ペットボトル、コップ、湯飲み茶わんなどを入れて弟子、付き人に持たす。

 佐々本が作る岡持ちは、役者ごとに、細かい注文を聞いてから作る。

 だから、微妙に違う。

 取っ手を左右に開閉するものから、引き出し付き、台本の寸法を測り、収納する。

 もちろん、家紋入りである。

 その家紋をどこに入れるのかも聞く。

 白梅の富士屋、竹嶋屋、有田屋、中林屋、村中屋とほぼ、寡占状態である。

 まだ注文を受けてないのは、白羅屋ぐらいである。

 佐々本は、南座で歌舞伎公演があると、幹部役者の楽屋には必ず、毎日挨拶を兼ねて営業をかける。

 特注の、鞄、手帳、ブックカバーも作る。

 表に、家紋が入る。

 やはり、歌舞伎役者にとって、自分の家紋が入るのは、嬉しくてつい、注文してしまう。

 これで、佐々本は、毎月百万円稼いでいた。

 京都タツミ舞台の給料は、毎月五十万円なので、二倍稼ぐ。

 その評判は、長唄、義太夫三味線弾きにまでお呼び、義太夫三味線弾きの矢澤竹也も特注の財布入れ、小銭入れを作って貰った。

 その評判は、東京にまで及んだ。

 佐々本さんは、「京都」「南座」の二つのブランドを上手く、自家製のものに取り入れていた。

 決して、東京にも行かないし、ネット販売もしない。

 それが返って、その価値を高めた。

 佐々本特製の神棚は、二つの車折神社の祈念神石が、収まるように、底辺に、木製のストッパーがある。

 さらに、勘亭流で掘られた「南座・附け打ち」の文字が、斜めのつっかいぼうに二か所彫られていた。

 気になる、値段だが、これがただ、無料だった。

 と云うのも、製作中に、沢田三治(あだ名・若頭)、南座棟梁に見つかった。

「こさえてもええけど、金は取ったらあかんぞ。附け打ちの若いもんから、金取るのは、俺が許さん」

 と沢田さんの睨みの一言で決まった。

 その眼力は、有田屋、鯨蔵をも、はるかに凌駕していた。

 佐々本の作る木製の材料は、全て京都タツミ舞台の材木を使っていた。

 

 毎朝、僕は、控室に入ると、神棚の水を入れ替えて、拝む。

 二つの祈念神石が鎮座してるのを見て、

「案内の藤森理香、アート・カオルの阿藤カオル、二人に睨まれているみたいだな」

 と堀川さんは云った。

「そうかもしれません」

 その強力な神通力のおかげで、無事に千秋楽まで事故もなくやって来れた。

 今日の千秋楽昼一回公演を残すばかりとなった。

「神さんの力は凄いな」

 国宝さんもそう云って喜んでいた。

「この公演終わっても、あの神棚は残しときや」

「もちろん、残します」

 劇場の初日と楽日は、独特な雰囲気を醸し出す。

 初日は、役者も裏方もこれから始まる最初の一歩を踏み出すための緊張感に溢れている。

 片や、楽日は、これで最後。

 あれだけ稽古したのに、明日からはもうないと云うはかなさ。

 裏方は、同時に次の公演への準備があるので、いちいち感傷に浸る気分でもない。

 千秋楽、阿藤カオルさんは、再び控室を訪れた。

「まあ立派な神棚が出来てる」

 神棚に二つの祈念神石があるのが見つかった。

「二つも祀っていたら、今日も無事故だな」

 敢えて、もう一つが誰からのものなのか、聞かない所が大人だなと僕は思った。

 古典歌舞伎なら、一つずつ演目が終わるとそれで終わりの役者は、さっさと身支度して、東京へ帰るが、今回の「ミヤコカケル」は、カーテンコールがある。

 出番が終わっても、すぐには帰れない。


 最後の公演が始まる。

 一幕、二幕と淡々と進む。

 あれほど、宙乗りを怖がっていた僕だったが、この一回で終わりと云われると、無性に名残惜しくなる、不思議な気分だった。

 三幕が始まる。

 三幕では、激しい立ち回りがある。

 これに、僕のつけが入る。

 桓武天皇役の犬之助と、早良親王役の右近。

 早良親王は、桓武天皇と不仲となり、一幕で自害。

 しかし、三幕では、怨霊となって再び現れる。

 花道のスッポン(セリ)から、音もなく現れる右近。

 スッポンの奥に仕込まれた500ワット FQライトが下から光をじんわりと投射していた。

 ライトの前には、♯77の色フィルター(青色)が被さっていた。

「おのれ、成仏しなかったのか」

「成仏するはずがなかろう。これでも喰らえ!」

 右近が、口を開けて、炎を吹き出す。

 ある客は、

「キャー」

 短い悲鳴をあげた。

 この特殊効果も「アート・カオル」のオリジナル製作だった。

 これに、照明、音響がさらに効果を盛り立てる。

 総勢五十人の役者が入り乱れての立ち回りが始まる。

 音響は、刀と刀が交差する度に、

「カキーン」

 と効果音を入れるが、つけ音はそうではない。

 いちいち、つけ音を入れていると、うるさくて仕方ない。

 そこで、リズミカルに、附け打ち自身の間合いで打ち込んでいく。

「パラパラ、パラパラ、パラパラ」

 これが中々難しい。

 と云うのも、激しい立ち回りを見ていると、つい、そちらのテンポに引きづられてしまう。

 それに今回はスペシャル歌舞伎なので、古典歌舞伎の優雅な立ち回りとは違う。

 三階から、馬が落ちる。

 建物が崩れる、屋台崩しがある。

 煙、炎が立ち込めて、刀、三十四振りが空中を舞う。

 舞台上のフライングもある。

 宙乗り前の大きな見せ場だった。

 刀と刀が空中で交差すると、照明は、十二台のムービングライトが目つぶしストロボ作動する。

 この三秒だけ、暗転で、フラッシュ光だけ見せる。

 今では、照明は、センタースポット、サイドフォロースポットを除いて、全てコンピューター制御されていた。


    ( 6 )


 そして、いよいよ、大詰、宙乗り附け打ちを迎えた。

 初日こそ、つけを打つのは、何だかこころもとない感じだったが、これも慣れるといいものである。

(きっと、無重力状態でのつけを打つ人も、未来にはいるだろう)と確信した。

 僕と犬之助がぐんぐん、上昇する。

 格天井が見えて来た。

 そして、前進を始めた直後だった。

「パーン」

 カットアウト。

 真っ暗。

 最初、照明の操作ミスかと思った。

 そうではなかった。

 全て消えていた。

 場内の扉の上にある「非常口」ランプだけぼんやりとついていた。

(停電!)

 もちろん、音も出ない。 

 客席がざわつく。

 場内放送しようにも、それも出来ない。

 宙乗りも今は、電動なのでこれも止まった。

「扉開けて!」

 案内チーフの藤森理香の叫び声が聞こえた。

(一体何をしようとするのか)

 一階、二階、三階の扉が開く。

 さらに、ロビー、窓のカーテンを開けていた。

(そうか、外光を入れようとしてるんだ)

 昼一回公演で、今は三時過ぎ。

 五月なので、かなり日差しがきつい。

 真っ暗な中に、ゆっくりと、じんわりと外光が様々な角度から入って来た。

 その内、観客の一人が、スマホのライト機能を作動させた。

 千人のスマホライトが一斉に作動する。

「東山くん、頑張ってええ」

「トビオ、待ってろよ」

 観客が、スマホライト係になった瞬間だった。

 後で、南座応援ツイッターを見た。


「南座が停電。

 しかし、千人の観客のスマホ明かり、かなり明るかった」

「これ、次回のスペシャル歌舞伎で、使えそう」

「災い転じて、福の光となる」

「確かに、後光だったな」

「場内後方の光が、さーっと差し込んだ時、これも演出かと思った」

「そう。犬之助って、楽日に何かやらかすから、停電になっても、(ああ、またやってるわあ)と思ったけど、本当に停電だった」

「南座は、客席一階が、そのまま一階だからよかった。御園座、松竹座、博多座だったら、そうはいかない」


 これも後でわかったが、四条通り、祇園一帯のみの停電。

 四条大橋渡った、河原町付近は、正常だった。

 南座は自家発電装置を備えていなかった。


 しかし、辛い。

 宙乗りのままの状態。

 股間が痛い。

 僕は耐えた。

 驚いたのは、犬之助の次の動作だった。

 動かない宙乗りのまま、足をバタバタさせて走る恰好をした。

 それを見て、僕は、慌てて、つけを打つ。

「パラパラ、パラパラ、パラパラ」

 薄明かりが漏れて来た中での再開である。

 それを見て観客は手拍子を始めた。

 とその時だった。

 二人の宙乗りが動き出した。

 でも場内の電気もつかない。音楽もない。

 観客の手拍子だけでの、宙乗り引き込みだった。

 犬之助は、動き出す宙乗りに、さらに動作を加速させた。

 前進しながら、アップダウンを繰り返した。

 先代犬之助が宙乗りを復活させて、三十年以上は過ぎた。

 その中で、手拍子だけの宙乗りは、もちろん初めてだった。

 でも、僕はこの時思った。

 江戸時代の宙乗りも、こんな感じだったんではないかと。

 薄暗い中で、カーテンコールは行われた。

 場内全てのドア解放でのカーテンコールも初めてだったが、停電でも誰一人騒がず、帰らず行われた。

 その方が奇跡だと思う。

 観客のこころを最後まで繋ぎ止めた、犬之助の役者根性に、僕は脱帽した。

 カーテンコールは、二十一回行われた。

 でも電気は、最後まで復旧しなかった。

 皮肉な事に、観客が全員、いなくなった途端、パッと明かりがついた。

 その夜、身内だけで、ささやかな打ち上げが行われた。

 場所は、祇園の居酒屋「御池」。

 附け打ちの馴染みの店。

 ここに、カオルさんは、顔を見せた。

「カオルさん」

「東山君、大変だったわね」

「お疲れ様です。カオルさん、一つ質問あります」

「何?」

「何で停電でも、宙乗り動いたんですか」

「あれね、手動に切り替えたから。ちょっと手間取ったけど」

「そんな切り替えあったんですね」

「実は、その装置、今回初登場なの」

 それから、カオルさんは話してくれた。

 何故、手動装置をつけたわけを。

 公演前、犬翁(先代犬之助)を入院見舞いをした。

 そして、今回の宙乗りの話になった。

「宙乗りは、やはり手動が一番」

 と云った。

 手動時代、三人でやっていた。

 そして、稽古から楽日まで、その三人のメンバーを変えさせなかったと云う。

「人が代わると、微妙に違う。だから、代えないよう厳命したらしいの。そのあと

 犬翁は、こう云ったの。電動もいいけど、もし万一宙乗り最中に、停電したらどうするって」

 それに対してカオルさんは、何も云えなかったらしい。

 入院見舞いを終えるとすぐに、手動装置を取り付ける作業に入ったと云う。

 停電対応の事まで考えていた犬翁に、感動すら覚えた。

 「だから、停電の時、先代の言葉が蘇ったのよ」

 僕も、四代目犬之助も、犬翁に助けられた。


 翌日、僕らは、車折神社へ祈念神石を返納しに行った。

 もちろん、お返しの石も持って。

 この石を探すのに一苦労した。

 三条、四条辺りの鴨川の遊歩道は芝生と、舗装されて綺麗になったが、小石がない。

 出町柳まで北上して、見つけて車折神社へ行った。

 祈念神石とお礼の石を返納して、本殿と車折神社・芸能社で拝んだ。

 僕は拝みながら、左右を薄っすら目を開けた。

 左右には、阿藤カオルさんと、藤森理香の二人がいた。

 実は、ダブルブッキングだった。

 二つの用事が、これだった。

「いよっ、モテモテ男!」

 後ろにいた堀川さんが小さくつぶやいた。

「神様、これからも附け打ちが、少しでも上手くなれますように」

 僕は、左右からのきついオーラを全身に受けながら拝み続けた。

 ゆっくりと時間をかけて、拝んだ。

 僕の祈り、感謝の念は、堀川さんのわざとらしい咳払いで、中断された。

 何やら、不穏の空気を感じた僕はゆっくりと目を開けた。

「いつまで拝んでるの!」

 左右のカオルさんと理香から同時に突っ込みが入った。

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