第4話 幕間 1 附け打ちの神頼み

 久し振りに、案内の藤森理香とデートした。

 デートと云っても、映画を見たり、どこかドライブしたりするそんな優雅なものではなかった。

 誘ったのは理香だった。

「で、どこ行くの」

「ついてくればわかるから」

 待ち合わせは、叡山電鉄「出町柳」駅。

 地下には、京阪電車の出町柳駅がある。

 この辺りは、学生が多い街でもある。

 大学の数は、大阪の方が京都より多いらしい。

 しかし、大阪は点在しているが、京都は、狭い市内にぎゅっと固まっている。

 その中でも、出町柳周辺は多い。

 京都大学、京都産業大学、京都造形芸術大学、京都精華大学などの大学に通う学生が多い。

 京都産業大学行きの直行バスも出ている。

 僕らは、叡山電鉄、通称、叡電に乗って「八幡前」下車。

 すぐ目の前にある、三宅八幡神宮を訪れた。

 京都市内には、寺社が二千五百前後あるらしい。

 その中で、よりによって、何故ここなのか。

 素朴な疑問を僕は、理香にした。

「あのね、きみ」

 理香は怒ると、年下の僕の事を「きみ」呼ばわりする。

 理香の年齢は、僕は未だにわかっていない。

 南座では、色々な説がまかり通っている。

 三十歳説、三十五歳説、四十歳説、中には五十歳説まである。

 いずれにしても、僕より年上である事は間違いない。

「何でしょうか」

「君の苦手なものは何なの」

「もうわかってるでしょう。一応、犬ですけど」

「何やの、その(一応)て。はっきりしてよ。好きなんか嫌いなんか」

 昨年、客席に盲導犬を連れたお客様が来場して、それを見て、僕はびびって、つけ析を落としたり、気を失ったりして大失態をやらかした。

 その失敗で、嵐山の双龍寺への修行があったりした。

 もう、僕イコール犬嫌いはセットとなって、歌舞伎界、演劇界に流布されて、かなり有名になっていた。

 その流布の陰には、堀川さんの講談師ばりの、かなり面白可笑しく脚色された世界があったからである。

(犬乗りされて、おしっこをちびった)

(顔の上から、犬におしっこされて、それで意識を取り戻した)

「その犬嫌いをいくらか、克服して欲しいから」

「はあ」

 普通、神社だと、狛犬が両端に鎮座している。

 しかし、ここは、「狛鳩」(こまはと)だった。

「鳩だ」

 益々、理香がここを案内した意味が見つからない。

 犬嫌いだから、狛犬のある神社へお参りなら、筋が通っている。

 でも、それだと、神社は、普通狛犬だから、どこでもよいとなる。

 社務所で、理香はお守りを二つ買い、一つを僕にくれた。

「ここはねえ、子供の夜泣き、かんの虫にも効く神社で、別名(虫八幡)とも呼ばれているのよ」

「はあ、で?」

 僕は、理香の次の言葉を待った。

「きみ、まだわからないの。犬嫌いだったよね」

「はい」

「だから、虫封じなのよ」

「あのう、でも・・・」

 僕は云いかけてやめた。

(でも、犬は虫じゃないですけど)

 と云いたかった。

「犬は、虫じゃない。動物です。と云いたいんでしょう」

 理香は僕のこころの中が丸見えだった。

「ここへ来たのは、もう一つ、理由があったの」

 と云って次に案内してくれたのは、古びた井桁、井戸だった。

「これは、九代目、有田岩寿郎が、明治二十三年(1890年)に奉納した井戸なのよ」

 有田屋は、江戸の歌舞伎役者で、上方、京、大坂には馴染みの薄い役者だった。

「へーえー有田屋さんがねえ、意外でした」

「でしょう。私も最初見た時、そう思った」

 有田屋の家紋の鯨も刻まれていた。

 元々、有田屋の出は、和歌山有田、鯨の町の太子町など、諸説あるが、関西から出て、江戸へ下り、役者になったらしい。

 元々は、鯨を仕留める漁師だったと云う説もある。

「有田屋って、江戸の花形歌舞伎ってイメージあるけど、そんな事ないのよ」

「そうなんですか」

 折角ここまで来たので、ここで手を合わせた。

(一人前の附け打ちになれますように)

「で、何で奉納したのが、井戸なんですか」

「この辺は、湧き水がよく流れる場所でもあるの」

「知らなかった」

「でも、本当の意味はわかってないの」

 百年ちょっとで、もう風化する事もあるのだ。

「九代目がここへ来て、奉納したのは事実なのよ」

 九代目有田岩寿郎は、「劇聖」「劇神」とも呼ばれた人物で、かなり上手かったらしい。

 神がかった、演技は観客をとりこにした。

 後で、スマホで検索したら出て来た。

 その祖先を持つ、今の鯨蔵である。

「ついでに、浮気の虫も封じて貰いたいよね」

 理香の云っている意味が分からない。

「浮気?してないけど」

「バーカ、きみじゃなくて鯨蔵の事」

「ああ、そうだったか」

 慌てて僕は答えた。

「きみが浮気してるか、してないか。私は知らない。これから先の話かも」

 益々、分からない理香の言動だった。

 四条河原町まで戻って、四条木屋町にある、喫茶フランソアに入った。

 奥の左側の通路に曲がると、禁煙席があった。

 ここのコーヒーは、クリームが最初から入っている。

「知恩院で、奉納歌舞伎があって、岩寿郎が出たの。今の鯨蔵のお父さんね」

「何年前ですか」

「七、八年前かなあ」

「野外歌舞伎ですか」

「じゃなくて、御影堂の中でやった」

「夏ですか」

「確か、秋やったと思う。だから有田屋と京都は縁があるの」

「確かに。祇園事件もあるし」

 ぼそっと僕がつぶやいた。

 思いのほか、理香には受けて大きく笑った。

 鯨蔵が、祇園で街の愚連隊と喧嘩して、その年の顔見世が取りやめになった。

「あの時、大変だったのよ。もう刷り上がってた番付(筋書)に、訂正シールと差し込みお詫び用紙を挟む仕事、徹夜でやったんよ」

 僕も色んな人から聞いていた。

 チラシ、ポスター、番付、全て今までの分は破棄。

 全て刷り直し。

 そして、すでに南座正面上に、上がってまねきは、公演が始まって数日後の深夜、こっそりと降ろされた。

 当然、余分な人件費が生じた。

 もちろん、その経費も興行元の竹松が支払った。

 もろもろ、億近い金が、消えた。

 南座ロビーには、竹馬と呼ばれる、ご祝儀ものが飾られる。

 竹で作った、馬のような形で、真ん中にざるがあり、ご祝儀袋がある。

 小さい高札には、送り主と贈った役者の名前が墨文字で書かれていた。

 これも全て、やり直しとなった。

 祇園界隈のお茶屋さんや、ご贔屓筋からが多かった。

 それらの費用は、贈り主の負担となった。

 もちろん、鯨蔵が出ないので、無駄金となった。

「東山君、あと苦手なものってあるの」

「それって、食べ物ですか」

「じゃなくて、犬が嫌いとか」

「そうですねえ、あと、高い所駄目ですね」

「高所恐怖症なの」

「ええ」

「まあ附け打ちだから、高い所じゃないから、それはまあいいんじゃないの」

「そうです」

 だから、鉄塔に登って、作業したり、高層ビルの窓ふきの仕事をしてる人を見ると頭が下がる。

「理香さんの苦手なものってあるの」

「そうやねえ」

 空中に目をやり、しばらく考え込んだ。

 そして、出した答えが、

「それは次回に教える」

 口元に、薄ら笑いが芽生えていた。

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