第34話 事故
「病院?なんで?」
その後のメッセージを読んで全身の血の気が引いた。急いで着替えて電車に飛び乗る。2駅先に行ってタクシーに乗って佐々木総合病院を目指す。
「あ、あの!千石さんはどこに!」
正面入口は閉まっていたので夜間受付で叫ぶ。「親族の方ですか?」とか冷静に聞かれたけど、「そんなんじゃないですけど今すぐに行かないと駄目です!!」とか叫んでいたら、一人の男の人が出てきて何やら看護婦に説明をしたら通してくれた。
「君が桐生くんかな?」
「はい。失礼ですが……」
「涼子の父です。来てくれてありがとう」
そう言うと病院の廊下を進む。俺はそれに静かに続く。
「あの……」
声を掛けたが、軽く振り向くだけで足を止めることなく進み続けた。
「意識が、戻らなくてね。病院に運び込まれる直前に君の名前を読んでいたと稲嶺さんから聞いてね。来てくれてありがとう」
「桐生くん!遅いよ……遅いよぉ……」
笹森さんが泣いている。俺は何が起きたのか解らない。頭に包帯を巻いて酸素マスクをつけた千石さんがベッドに寝ている。テレビでよく見る心電図もついていた。
「これは……、事故、ですか?」
嫌に冷静な自分が居て、なんか別の俺が話しているようだった。
「涼子……私を庇って……うっうっ……」
「あの。交通事故、ですか?」
俺は千石さんのお父さんに聞く。
「そうです。街道を笹森さんと娘が歩いているところに車同士の事故のはずみで1台歩道に突っ込んできたらしくてね。笹森さんが言うには笹森さんを突き飛ばして娘だけ跳ね飛ばされたそうだ。幸いにして頭を軽く打ったくらいで最初は意識もあったんだが、病院で治療している最中に意識が無くなって。それが今の娘だ」
千石さんのお父さんも憔悴しきっていて、妙な冷静さがあって、病室の雰囲気は静かで重たいものに感じた。俺はどうすればいいのだろうか。手を握る?声をかける?そのくらいしか出来ることが思い浮かばない。でも出来ることはしてあげたい。
「あの、手を握ったり、話しかけたりするのは大丈夫なのでしょうか?」
「大丈夫だ。やってあげてくれ」
俺は静かにベッドサイドに置かれた椅子に座って点滴チューブの繋がっていない左手を持って千石に話しかける。
「千石さん、聞こえるか。桐生だ。遅くなってゴメンな」
千石さんの手は温かい。とても柔らかい。肘に軽く怪我をしているようだったが手のひらは綺麗だった。
「聞こえてるかどうかわからないけど。俺はここにいるよ。明日の約束が果たせなくなるからさ。早く目を覚ましてくれると助かるな」
「桐生くん、明日、娘となにか約束をしていたのかな?」
「はい。図書館で一緒に勉強をしようと約束を」
「そうか」
朝はきっと上機嫌な千石さんだったのだろう。それが今は……
「笹森さん、このこと、他のメンバーには?」
「話してない」
「そうか」
まぁ、そうだよな。大勢で押しかけるものでもないし。笹森さんは自分を庇ってくれた千石さんがこんな事になって罪の意識はすごく大きいだろう。俺は笹森さんのフォローもすべきだ。しかし、無責任なことはかえって気を落とす結果になりかねない。
「笹森さん、今日、俺はずっとここにいるけど、笹森さんはどうする?」
「笹森さん、あなたはお家に帰りなさい」
千石さんのお父さんがそう笹森に優しく話す。
「千石くん、悪いけど今日は娘と一緒にいてやってくれないか」
「分かりました。家に連絡を入れてきます」
「すまんな」
俺が病室を出るのと同時に笹森さんも出てきた。
「大丈夫。明日の約束があるのに、それを破るような千石さんじゃないさ。生徒会長はそんなやつじゃないだろ?」
笹森さんは無言でうなずいて廊下の椅子に座った。両親が迎えに来るとのことだ。これ以上、掛ける言葉も見つからないので、俺は再び病室に戻ることにした。
とてもきれいな顔だった。普段の千石がただ寝ているだけのように見える。きっと打ちどころが悪かったのだろう。でも病院に到着するまでは意識があったのならすぐに起きるさ。そう自分に言い聞かせてベッドサイドから千石の手を握り続けた。
笹森のお父さんが座ったまま眠りに落ちようとしていたが、俺は夜の7時まで寝ていたこともあって、まだまだ目は冴えている。このまま千石が目をさますまで起きているつもりでいたのだが……、いつの間にか寝てしまっていたようだ。先生が回診に来た時に起こされて寝てしまったことに気がついた有様だった。
「先生。千石さんは」
「まだ、意識は戻っていないようですね。でも脳に損傷は見当たらないし、大きな脳震盪を起こした、とでも言う感じかな。保証は出来ないけど、目を覚ます可能性は高いよ」
医師は希望と絶望の両方を口にした。千石さんは相変わらず静かに寝ている。自分で呼吸をしているので、脳死状態とかそういうのじゃないから安心してほしい、とは言われたけど「目を覚ます可能性は高い」ということは、低い確率で目を覚まさない、という可能性も否定できないということだ。
「先生。俺になにか出来ることってありませんか?」
「声をかけてあげる、かな。君は彼女の彼氏かい?近い人からの声は効果的だ。声をかけてあげて欲しい」
後ろで千石さんのお父さんも頷いている。俺に出来ることは声をかけること。決して悲観的になってはいけない。過去形の言葉は使ってはいけない。これからの言葉をかけるんだ。そう自分に言い聞かせて千石の手を握り返す。
「千石さん。今日の約束、忘れていないと思うけど、勉強道具は持ってきているのかい?一緒に勉強することになっていたと思うけど」
「それに今日を指定したのは、夜の盆踊りのためだよね?俺、千石さんの浴衣姿、楽しみにしてたんだ。びっくりさせようと思ってただろうけど、分かってた。千石さん、すごくわかりやすいから」
「あと。千石さん、俺のこと……」
千石さんのお父さんはその言葉を耳にした時に席を外してくれた。
「千石さんは俺のこと……好き……何だよね。分かってたよ。だってわかりやすいから。顔に書いてあったよ」
「それならちゃんと聞きたいな。なんて答えればいいのか分からないけど。多分、ちょっとまって、って言ったと思う。これが聞こえてたら元も子もないと思うけど」
その後もたくさん話した。これから行きたいところはあるのか、とか、そっちの学園祭はいつでどんなことをするのか、とか。たくさん。
「ちょっとお昼を買ってくるから待っててね」
俺はそう言って売店に足を向けた。こういうときでも腹は減るんだな。笹森さんから聞いたのか、安西、七海、稲嶺に未来ちゃんから連絡が来ていた。笹森さんが病院は俺に任せてあるから大丈夫、と書いてあったので、みんなには伝える言葉だけを聞いて病室に戻ることにした。
「302!ナースコール!先生!千石さんです!」
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【35】女の戦い
ナースステーションから看護婦が飛び出して携帯で先生を呼び出している。
「千石さん!?」
俺も急いで病室に戻る。病院は走っちゃいけないとか頭の片隅に浮かんだけど、そんなの知るか!走る。走る。走る。
「千石さん!」
息を切らして病室に到着すると医師が千石さんになにか話しかけている。
「あの!千石さんは!」
「声をかけてあげて下さい」
医師は静かに頭を起こして俺にそう言った。
「千石さん?聞こえる?」
「うん。聞こえてる。こんな時くらいは涼子って呼んで欲しいな」
「こんな時に何を言い出すのかと思えば。大丈夫なのか?涼子ちゃん」
「大丈夫じゃないから手を握ってて」
こんなやり取りが出来るのならきっと大丈夫。涼子ちゃんは帰ってくる。
「ねぇ、桐生くん。私の考えていること、当ててみて?」
「今考えていること?」
「そう」
今考えていることか。そうだな……あ。
「分かった。今日の約束だ。一緒にどこかに出かける。出掛けてるな確かに。場所はちょっとアレだけど」
「そうね。もうちょっと雰囲気のあるところが良かったけど、二人きりになれたからいいかなって。桐生くん。もう一つ、わがまま言っていい?」
「なんだ?」
「キス、してくれない?」
「えっと……」
これは「どこに」だろうか。頬?唇?まさか手ってことはないだろうし。
「あのね。好きとかそういうのじゃなくていいの。これは私のわがまま。ちょっと今の状況を利用してるズルいお願い」
ホント、涼子ちゃんは分かりやすな。自分で言っちゃてるし。
「じゃあ、目を閉じて」
「うん。期待してる」
これは唇、なんだろうなぁ。期待してる、とか言われたし。これがファーストキスとかなら雰囲気あったのに。違うのがちょっと悔しい。
「こっちにしてくれるとは思わなかったからちょっとびっくりしちゃった」
「期待していたんだろ?」
「そうだけど……心の準備、出来ていなかった。みんな桐生くんはエッチだから、って言っていたのはこういうことだったのね。私が寝ている間に変なことしてない?
「してないよ流石に。ちょっと首筋を触っただけだ」
「やっぱりエッチだ。他にも触ったでしょ」
首筋もエッチ判定なのか。そういうものなのか?
「耳?」
「息とか吹きかけた?」
流石にそこまではしていない。頬から首筋を撫でる時に耳たぶが柔らかいなぁ、って思った程度だ。
「そんなことしてないよ。ってか、して欲しかった?」
「んー……耳元でなにか言ってほしかったなぁ。例えば、今の私が喜ぶこととか。別に今でもいいんだけど……」
女の子って本当に強いな。こんなときにまで自分に正直になれるのか。でもまだ俺はそこまで自分の気持が動かせていない。偽りの言葉は禍根を残す。だから俺は……
「俺は涼子ちゃんのことが、す……てきな人だと思ってるよ」
「なにそれ、ズルい。ちょっと期待しちゃった」
涼子ちゃん、ここまでの会話で、俺のことが好きって言っているようなものなのに、気がついているのかな。こっちは伝わっているから別にいいんだけども。
「あのさ、涼子ちゃん。涼子ちゃんって俺のこと好きなの?」
「すっ!?」
「だって、いままでの会話、そのままの流れだよ?」
「あ、あ、あ……」
顔が半分布団の中に消えた。面白い。安西とか七海とは違った女の子らしさだ。
「それでどうするの?返事したほうがいい?」
「えと、、、前向きの返事なら、欲しい、かな」
ごめんなさい、以外は前向きの返事でいいんだよな。現状では安西と七海からも言われているし。正直、詩乃の件があって、付き合うって一体なんなのか、って気持ちで、素直に誰かとお付き合いする気持ちではない。七海と同じ様にそれを伝えるのがいいと思った。
「すぐには答えは出せないかな。知ってるかも知れないけど、詩乃の……」
あ!しまった!この件は七海と未来ちゃんしか知らない話題だ!そもそも涼子ちゃんに詩乃と別れたって言ったっけ???あれ?あれ?
「分かってる。詩乃ちゃんと別れたばかりだし、すぐに他の人と、というのはどうか、って感じなんでしょ?」
ああ、言ってたか。そうだそうだ。和菓子屋で話したんだった。なんか無駄に冷や汗をかいてしまった。
「そんな感じかな」
「安西さんはどうするの?」
そうだよな。それも知ってるよな。
「正直、それも分からない。なんていうかさ、今までボッチでいきなりこんなに沢山の友達が周りに出来て、しかも複数人から好きだとか言われたのは人生で初めてで……」
「そう何度も無いと思うわよ。こんなの。モテ期ってやつじゃない?そんな時に混ざるなんて私は運が無いのかも知れないけどね」
俺にとっては贅沢だけど、当の本人はそう思っているのか。まぁ、そうだよな。無駄に待たされるんだもの。
「あ、そうだ。ちょっと聞きたいんだけどいいかな?」
「なに?」
「涼子ちゃんはなんで俺のことが好きになったの?」
「んー……なんでだろう。男友達って初めてだから、思い込み?ひよこは初めて見たものについて行く、みたいな?」
「なにそれ(笑)」
「冗談だけど、ゼロとは言えないかな。だって比べる対象が無いんだもん。でも、なんか安心するの。桐生くんと一緒にいると。だからかな」
「そっか。涼子ちゃんは正直なんだな」
「どういたしまして。正直者の千石涼子をよろしくおねがいします」
「善処するよ。ちょっと待ってて」
「うん」
とりあえず、目を覚ましてくれて良かった。お父さんにバトンタッチして、俺は一旦家に戻った。土曜日ということもあって、両親も変えでもいたわけで。色々聞かれて事情説明をして。楓に何を言われるかわからないから病室での出来事は内緒にしておいた。
桐生『報告。涼子ちゃんは無事に目を覚ましました。暫くは入院することになるけど、大丈夫だろう、だって』
笹森『よかったぁ』
未来『ほんとうに。桐生先輩、看病お疲れ様です』
安西『びっくりしたわよもう。本当に。でも安心した』
七海『私のライバルはこうでなくちゃ』
笹森『ライバル?』
安西『なにそれ?』
七海『私、桐生先輩に告白した。待っててって言われてるけど』
こいつ、、、今言うことかよ。
桐生『あー、えっとだな』
未来『先輩モテモテだー。安西先輩に七海ちゃんに千石先輩!どうなるのかなー。楽しみだなー』
稲嶺『あんたたち……こんなの千石さんが見たらどうするのよ』
千石『もう見てる。七海ちゃん、負けないわよ』
なんでいつもこうなるんだ。でも今回のは修羅場とはちょっと違うのかな。今のところは。自分が間違えなければ、だけど。
こんなに賑やかな夏休みなんて初めてだ。楓には呆れられたけど、最後には引きこもりになられるよりはいいけど、とか素直じゃない言葉をいただきまして。ツンデレキャラまっしぐらだな。
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