第4話 質問
「いや、女の子の部屋ってなんか緊張するなって」
「なんで?」
なんの屈託もない顔で首を傾げている。あざといのか、これが普通なのか。安西の座っている後ろには、さっきまで来ていた制服も掛かっていて思わず生唾を飲み込んでしまった。
「ああ、すまん」
女の子の部屋に入っていきなり周りを見回すのはやっぱり失礼……何だと思うので、目の前の紅茶に集中するとにしよう。
「おお、いい香りの紅茶だ」
「ね。安物でもリプトンっていい香りだよね」
リプトン。てっきり缶とかに入ってるお高いやつだと思った。だってあんな部屋を見せられたら、そういうの想像しちゃうじゃん。
「ミルクと砂糖いる?」
「ああ、大丈夫」
いつもなら入れるんだけど、この状況を紛らわすためにほのかな苦味と香りに集中して精神統一を図る。なぜならば、ベッドの上に下着が置いてあったから。見ないようにしてるんだけど、どうしても目が行ってしまう。片付ける前のものなのだろうか。一応、俺も男子なんだし、そういうの気にならないのだろうか。いや、気にされていない可能性もある?
「どうしたの?」
流石に安西も不思議に思ったのか俺の視線を追ってベッドの上のブツを確認する。
「あ!あ~、ごめんなさい。へんなのも見せちゃって。昨日出してそのままにしてたの忘れてたよ……ね、見なかったことにして?」
あざとい。口の前に立つ人差し指。「しーっ」とする仕草。後ろ手で回収する下着。ちょっと向こう向いててと言いながら後ずさりして部屋から出てゆく姿。なんだこれは。無意識なのか、わざとやっているのか。女の子免疫のない俺にはそれが分かりかねた。楓なんて女の子という感じではなくて、単なる妹、という認識しかないし。
「はぁ。恥ずかしかった」
戻ってきた。安西にも恥ずかしいという概念があって、一般人で良かったとかそんなことも少し考えてしまった。あそこで「気にしないで。それよりこれ、かわいいでしょ」とか言って見せられたらどうしようかとか思ったのは秘密だ。
「それで、なんの話してたっけ。あ、紅茶だ」
そんなことで両手を合わせなくても。俺は神様じゃないし。
「桐生くん、もしかしてコーヒーもブラック派?」
「うーん……との時によるかな。眠気を覚ましたいときはブラックだし、くつろぎたいときはミルクと砂糖を入れたり」
「へぇ」
感心した言葉はどこだ。シチュエーションごとに飲み分ける、というところか?
「ブラック飲めるんだ。私、無理。苦くて。まだ子供なのかな~」
あ、そこだったんだ。しかし、子供ですか。その大きなモノを2つ胸で主張させて。楓とは比べ物にならないくらいに成長した胸。紅茶のカップを取る度に前かがみになるものだから心臓に悪い。春なんだから、もう少し厚着しても良いんじゃないのか。
「そう?コーヒーって好みが分かれるから当然のような。うちは豆から挽くから、なんかブラックで飲みたくなる時があってさ」
「え?豆から!?なんか小麦粉から生パスタ作っちゃうみたい!」
生パスタの作り方は知らないけど、きっと面倒くさい流れなんだろう。いつもコーヒーを入れる度にインスタントコーヒーで良いじゃないかって思いながら淹れてる。お茶会が趣味の母さんのこだわりにつきあわされる身にもなって欲しい。
「えーっと。安西っていつもは何時くらいに帰ってきてたの?」
無難な話題から切り出す。
「大体22:00くらいかな。21:00くらいまで練習するから。あ、部活自体は19:30くらいに終わるんだけど、パート練って言って、同じような楽器の人たちが集まって練習、更に気になる人はそのまま残って個人練習。私、下手くそだったから個人練習までやってていつも遅かった」
そりゃ過酷だ。俺だったら、そんな話を聞いただけで入る気がしない。というより、見学の時点で速攻で踵を返すだろう。
「そりゃすごいな……帰ってきてご飯食べてお風呂入って寝るしかないような感じじゃん」
「そうそう。それに宿題が挟まるからもう眠くて」
宿題。そういえばそんなのあったな。提出するもの以外は全くやっていない。安西は結構真面目ちゃんなのかもしれないな。
「ところで桐生くんは彼女とかいるの?」
いきなりブッ込んできた。彼女がいたら女の子の部屋に2人きりで入ったりしないでしょ。例え友達であったとしても。それって古典的?今のお付き合いってそんな感じなの?俺が持っている漫画ではそういう展開には修羅場がつきものだぞ?
「いない……かな」
何だ今の。"今は"いない、みたいな含み方をした返事は。彼女なんていたことねぇだろ。これが男の寂しい見栄というやつか。
「えー。もったいない。いい人なのに」
一般的に"いい人"と呼ばれる人種は"いい人止まり"で人生を終えるって漫画で読んだ。
「安西は居ないのか?」
当然の質問である。仮に居てこの部屋に入ってきたら、それこそ漫画のような修羅場が展開される。
「んー……私も居ないかな。今は」
なるほど"今は"ってことは昔は居たのね。ま、当然だよね。高校二年生ですし?俺と違って日の当たる場所を歩いてきたんだろうし?そのスタイルだし?顔も俺が仮に付き合ったら「なんでアイツが!」なんて敵が沢山できそうだし?
「いいの?」
「何が?」
「いや、その……」
「ああ、元カレの話?」
元カレ。ああ、何という響きか。元カノ、なんて一度は言ってみたい。が、俺は一途を決め込むんだ。あの主人公のように!ってキモチワル。
「それ。もういいの?」
「大丈夫。元カレとか言っても幼稚園の頃だし」
幼稚園。幼稚園で男女交際。それなら俺も女の子と手を繋いだり、抱き合ったりしたぞ、写真で見たぞ。あれは男女交際なのか?
「もしかして結婚を誓いあった、みたいな?」
「そう!それ!この前ね、アルバムからそんなのが書かれた折り紙が出てきて。もうびっくりしちゃったよ。既にプロポーズされてOKしてるんだもの」
「その男の子にこのシチュエーションを見られたら修羅場になるね(笑)」
「そーだねー。でも彼は今何処に居てなにをしてるんだろうねー」
好きだっ云々よりも懐かしさ云々、といった顔だ。そのアルバム、ちょっと見てみたい気もしたけど、初めて話したような女の子の家に上がって、更にアルバムを眺めるというテンプレ展開は流石にね。
「ね、桐生くんはそういうのなかったの?結婚を誓いあったとか」
無いこともない。妹の楓にそんなことを言われた時期もあった。「きょうだいはけっこんできないんだぞ!」なんて言っていた記憶がある。きっとおままごとの一環だったんだろう。なにせあの楓のことだ。おっと。返事をするのを忘れている。
「昔、妹にそんなことを言われた事もあったけど、それ以来はないかなー」
「あ!妹さん、いるんだ!仲がいいんだね~」
なるほど、そう捉えるのか。あの楓を。今度、紹介して引き取ってもらうことは出来ないだろうか。それにしても、なんだかんだで会話が続くものだ。女の子との会話なんて挨拶くらいしか無理だと思っていたんだが。でもこの先、なにを話した良いのかは思いつかない。プライベートなことを聞くのは失礼だ思うし。
「ねぇ。桐生くん。桐生くんって少しエッチ?」
え?何?なんなの?今なんて言った?「桐生くんって少しエッチ?」そう言ったの?え?え?そういう展開なの?心の準備とか一切してないし。ってか、今日まともに話したんだし。思いっきり目が泳ぐ。クロールしているのがバレそうなほどに激しく泳いでいるように見えているだろう。
「あ?え?安西さん、それはどういう……」
「え?だって。こっちすごく見てたから。ちょっと恥ずかしいなぁーって」
安西はそう言いながらスカートの裾を押さえた。ガラステーブル越しに見える安西の足。崩して座るその足は少し短めのスカートからスラリと伸びてとても綺麗だ。
「や……そんなつもりはなかったんだけど」
「ど?」
「その……男の性というやつかなんと言うやつか……」
ゴメンナサイ。ゴメンナサイ。ゴメンナサイ。その下には水色のパンツを履いていることも知っています。
「やっぱりエッチだ。男の人ってそういうの、やっぱりあるんだ」
そりゃありますよ。やっぱりって思ってたんなら家主のいない自分の部屋に2人きりで入るのはどうかお思いますよ!?
「でも、桐生くんはそういうの、しないって思ったから」
腰抜け野郎の烙印を押されたようだ。そんなことより、今の会話で元気になってきてアレがバレないか、ということの方が心配だ。バレたら流石にドン引きされるに決まってる。落ち着け落ち着くんだ。ステイ、ステイ。
「いや、流石にそんなことはしないよ。するにしてももっと近づ気になってからじゃないかな。あ、いきなり、いや、お近づきとかその……」
自ら沼に足を突っ込んでしまった。不覚。
「ふふ。安西くん、私のこと、好きになっちゃった?」
試されてるのか?俺は今、試されているのか??
①そんなことないよ
②ちょっとね。
③そう。安西、可愛いし
④分かる?昔から好きだったし。これは運命ってやつ?
ここは①が無難な気もするけど、この流れで否定するのはもったいない気がする。②は自分に自信があるように聞こえてしまう可能性がある。③④は今の、いや、将来に渡って俺が口にすることはないだろう。
「ちょっと好きになりそう」
ふっ……我ながら無難な回答をしたものだ。今は好きじゃない、でも前向きな気持ちではある。要するに普通。
「ふーん?じゃあ、好きになったら言ってね。私、今はフリーだから」
今のはなにー!?好きになったらOKってこと?言うのだけは自由ってこと!?確認したいけど聞けねぇーーー!!
「あ、でも即答は無理かな~」
つかの間のひととき。なんか青春って短いんだなぁ。ここで、逆に「俺のこと好き?」って聞いたらどうなるんだ?自意識過剰野郎?気持ち悪い感じ?
「ね、桐生くんは私に聞かないの?」
「何を?」
「私がさっき言った質問」
さっき言った質問って"ふふ。安西くん、私のこと、好きになっちゃった?"ってやつだよな?聞くのか?聞いて良いのか。でもそこに待ってるのが否定的なものだったらダメージがデカイ。「ありえないよ~。なにいってんの。馬鹿じゃない。自意識過剰にも程があるでしょ?」とか言われたらどうしよー!
「えーっと。安西は俺のこと……その……」
「好きだよ」
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