32 最後の日

 最後の日


 ただいま。……おかえりなさい。


 一つの世界が終わろうとしている。

 ……その世界の中に、『子供が一人』取り残されたままでいる。


「三島。ちょっとだけ話がある。いいかな?」

 朝、珍しく一番早く起きていた信くんが久美子に言った。

「うん。別にいいけど、もう直ぐ道草先生がくる時間だよ」時計を見ながら久美子は言う。

「じゃあ、そのあとでもいい」信くんはいう。

「わかった。いいよ」

 寝癖の髪のままで、にっこりと笑って久美子は言った。


 でも、いつまで待っても道草先生は久美子たち三人のいる準備室までやってこなかった。

 久美子とさゆりちゃんと信くんは準備を終えると、とりあえず六年一組の教室まで行ってみた。……でも、そこには誰もいなかった。

 職員室にも誰もいない。

 御影小学校は、まるで急に生きとし生けるものがいなくなってしまったかのように、……しんと静まり返っていた。

「これがさゆりちゃんの言っていた劇的な変化?」

 久美子は言う。

「かもしれない」

 さゆりちゃんはいう。


「関谷。悪い。少しだけ三島と二人だけで話があるからさ、ちょっとだけ『どこか安全なところ』で待っていてくれないかな?」信くんが言った。

「そんなところ、『世界のどこにもない』」

 なぜかにっこりと笑ってさゆりちゃんがそう言った。

「比較的、安全なところでいいよ。校庭とか、それとやっぱり準備室の中かな?」

「校庭で待っている。二人の話が終わったら、そのまま御影小学校を出たほうがいい。……ここはもう、『私たちの知っている御影小学校じゃない』」さゆりちゃんは言った。

「……そうだな。わかった」

 どこか寂しそうな顔で学校の廊下や天井を見ながら、にっこりと笑って信くんが言った。


 今日も、世界には雨が降っていた。

 でも、だいぶ小降りになった。

 少なくとも、御影川が氾濫するような、雨ではなかった。


 関谷さゆりは、薄紫色の傘をさして、校庭に出ると、小学校の隅っこにある『かえる池』と呼ばれる小さな四角いコンクリート製の枠の池のところまで行って、その中にいるかえるの姿を見ようと思った。

 でもそこにかえるの姿は(というか、生き物の姿は)どこにもなかった。


 そんなかえる池の風景を見てから、さゆりは一人、雨降りの空を見上げた。


 神様。どうか、久美子ちゃんを助けてあげてください。……お願いします。


 さゆりは神様を今まで信じていなかったのだけど、今日はそんな風にして目に見えない、手でさわることもできない、声も聞こえない、神様に向かって、目を閉じて、両手を組んで、お願いごとをした。

 この世界には闇闇がいる。

 ……ならもしかしたら、神様だって、本当にいるのかもしれないと思った。


 神様が、『孤独な三島久美子ちゃんを救ってくれるのだと』、関谷さゆりはそんなことを、今は本気で信じていた。

 だって、そうでなければ、……悲しすぎるから。


 さゆりはそっと目を開けた。

 そして、今自分にできることを精一杯やろうと、そう決心をした。なぜなら、今日は、きっと、私の『人生最後の日になるのだと思うから』……。

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