第20話 レイヴァンとユーディア
呆然とするユーディアを満足そうに眺めたあと、ウィスタリアはレイヴァンに視線を移した。
「レイヴァン、驚いたのでしょう。それは仕方ないわ。でも、これでわかったでしょう?」
「……わかった……? なにが……」
囁くような彼の声がする。
「あなたがわたくしを拒絶するから。だから仕方なく、ユーディアが『呼ばれた』のだわ」
「そんなこと……」
「本来ならば、わたくしがあなたの妃になるはずだったのに。あまりに頑なだから、セクヌアウスさまがユーディアを『呼んだ』のでしょう。半分は汚れた血だけれど、全くの他人よりはましだもの」
汚れた……? 母さまの血は汚れてなどいない。
むしろ、汚れているのは。
言いたかったが、口が動かない。乾いた息が漏れ出るだけだ。
「わたくしたちは、セクヌアウスさまの庇護下にあるのよ。その手の中から逃れることなどできないわ。それは、思い上がりなのだわ」
ウィスタリアはユーディアの方に振り向き、にっこりと笑った。
「たった半分しか血が繋がっていないけれど、わたくしたち、姉妹になるわね。可愛い妹なのですもの、仲良くしましょう」
「姉妹……」
その言葉は、急激に現実を思い知らせてきた。
ゆっくりと、隣に座り込むレイヴァンに視線を移す。
ウィスタリアとユーディアが姉妹。
では、レイヴァンとユーディアは?
胃の奥から、何かがこみ上げてきて、口元を手で押さえる。慌てて窓辺に走って行き、窓の外に胃の中のものを吐き出した。咳が止まらない。
「あらいやだ。どうかした? 毒など入れていないのだけれど」
ウィスタリアはゆったりとした口調で言う。
「そうねぇ、今思えば、ユーディアが海の宮を選んだのは、セクヌアウスさまの意思かもしれないわね。だって正室が使うのは太陽の宮ですもの。わたくし、明日にでも太陽の宮に行こうと思うの。あそこはわたくしの場所だわ」
違う。ユーディアがあの場所を選んだのは、海が、ケープの港町が、ユーディアの両親の墓が見えるからだ。
それすらも全て、セクヌアウスの意思だというのか。
「だめだ!」
ふいに、レイヴァンが叫んだ。そしてゆらりと立ち上がる。
「あら、何がだめなの?」
「それでも私たちは、呪いから解放されるべきだ。されなければならないんだ」
その言葉に、ウィスタリアは眉をひそめた。
「まあ、まだそんな世迷いごとを。困った人ね。では問うわ。あなたは本当に、ユーディアを自身で選んだの? 他国から来た何も知らない女を王妃として娶ったら、偶然にもその女は妹だったというの? ありえないわ」
肩をすくめてそう言う。
そうだ、ありえない。こんなこと。
ならば、この状況は何なのだ。
「だからもう、諦めなさいな。掟を破るなとセクヌアウスさまが仰せなのよ」
「それでも、だめだ」
「まあ、どうして?」
「もう、あんなことをしていてはいけない。私たちはもう、狂っている。正気に戻るときが来たんだ」
そうだ。狂っている。こんなこと、おかしい。
悲壮な声を出すレイヴァンに対して、ウィスタリアはのんびりとした口調で言った。
「あんなこと? ああ、御子のこと? 仕方ないわ、王としての重責に耐えられない身体ならば、生きていても仕方ないもの」
「なんてことを……!」
「大丈夫、以前はだめだったけれど、いつかは丈夫な御子が産まれるでしょうに。それまで、何度だってこのわたくしが産んでよ」
その言葉に、身体が震えた。
以前はだめだった。誰と、誰の子が?
「嘘よ!」
反射的に、声が出た。
嘘よ、そんなこと。姉と弟と知っていて、子をもうけたというの。この優しい人が。
「何が嘘だというの?」
ウィスタリアはゆっくりとユーディアに目を向けてくる。
そしてくすくすと笑った。
「いやだ、嫉妬ね? 可愛い子。あなたはわたくしの代わりに選ばれたの。残念だけれど、事実なのよ?」
嫉妬? そんなものではない。ただ、姉弟の関係で子を。
いや。
そうなのだろうか? もしや、ユーディアよりも以前に愛した女がいたことが、面白くないだけなのだろうか?
わからない。
さっきから、信じられないことばかりで、ユーディアの頭の中はもう破裂しそうなのだ。
「だめだ……もう……だめなんだ……もう、解放してくれ……」
呪文のように、レイヴァンがつぶやき続ける。
「ああ、わかったわ」
ぽん、とウィスタリアが手を叩いた。
「その子がいるからいけないのだわ。仕方ないわね。もう邪魔だわ」
そう言って、ユーディアの方を見る。この場においても、ウィスタリアは美しく微笑んでいた。
「あなたがいるから諦めきれないのだわ。わたくしだけになれば、レイヴァンも思い知るでしょう。あなたはもう要らないわ。消えてくださらない?」
「私……」
足が動かない。
ウィスタリアはゆったりとした動作で、先王の机から、懐剣を取り出した。それは元からそこにあったのか、ウィスタリアが用意していたのか。
「ごめんなさいね、半分だけだけれど、妹だから優しくしようと思ってはいたのよ?」
微笑を口元に湛えながら、刃をこちらに突き出し、走ってきた。
避けられる。相手は非力な女性だ。ユーディアは刀を持った相手からでも逃げられるよう、父に教えられてきた。
でも、足が動かない。
私はここで死ぬべきではないかと。この子と一緒に死ぬべきではないかと。
そんな考えが頭をもたげたからだ。
幸せだと思っていたのに。
どうしてどうしてどうして。
解放されるべきだ、とレイヴァンは言った。
そうだ、解放されるべきだ。
こちらに向かっているウィスタリアを眺めながら、そんなことを思った。
これで、終わりにできる。
だが。
目の前に、ふいに飛び込んでくる影。
見慣れた、広い背中。
「どうして?」
ウィスタリアの空虚な言葉が、部屋に響いた。
レイヴァンがユーディアの目の前に、立ちはだかったのだ。
彼の足元に視線を移す。血だまりが出来始めていた。彼の脇腹から、血が流れているのだ。
そのとき、お腹の中の子が、ユーディアを蹴った。
びくりと震える。
私は今、何をしようとしていたのだろう。
母親である私が、自分とこの子を見殺しにしようとした。
それが例え、許されない子であったとしても、でもやっぱりユーディアは母親なのだ。
ごめんなさい、と心の中で謝った。
ごめんなさい、こんな弱い母親で、ごめんなさい。
私は強くなんてなかった。
ユーディアの父も母も、ユーディアを全力で守ってきたというのに。
今度は私が全力であなたを守らなければならないのに。
けれど、今のユーディアは、気力だけで立っている状態だった。
そして、目の前の人は、足元に血だまりを作り、ふらりと揺らいだ。だが、持ち直して両の足で、立つ。
「レイヴァン、そこをおどきなさい。どうしてわたくしの邪魔をするの?」
「……姉上、やめてください」
彼の苦痛に歪んだ声がして、現実に返る。
「陛下、だ、大丈夫ですか」
今、庇われたのだ。本当ならユーディアに刺さっていたはずの刃は、彼の脇腹に吸い込まれた。
「どうしてなの? わたくしは、あなたを愛していてよ? あなただってそうでしょう? でもわたくしがあなたの姉だから拒絶したのでしょう? 掟を破ろうとしたのでしょう?」
ウィスタリアは、ふらり、と後方に一歩下がった。手には血のしたたる懐剣が握られたままだ。
「どうしてその子を庇うの? その子だって、あなたの妹なのよ? わたくしとその子と、何が違うの? 何が?」
「……姉上」
「……ふ」
小さな声が漏れたかと思うと、彼女は大きく笑い出した。
「あはははは! そうよ、狂っているわ、でも狂っているのはあなたのほうよ! 掟を破ろうだなんて、正気の沙汰ではなかったものね!」
耳につく、笑い声。それはいつまで経っても止まない。長く続く笑いは、ユーディアを地獄の底まで引きずり落としそうだ。
耳を塞ぎたくなるような、そんな、耳障りな笑い。
「……なんてことかしら」
ふと笑いが止んだと思うと、彼女は懐剣をもう一度握りなおした。
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