第18話 王家の掟

「さあ、遠慮せずに食べてちょうだい。いいものを用意させたのよ。だってお世継ぎが生まれるのだもの、これをお祝いせずして何をお祝いするというの」


 ウィスタリアは、はしゃいだ様子でそう言い募る。


「ありがとうございます、でもまだお世継ぎとは……」


 少々不安になってユーディアがそう言うと、ウィスタリアはにっこりと微笑んだ。


「ああ、そうね。姫かもしれないものね。でも姫でも構わなくてよ。いずれはお世継ぎも生まれましょうに」


 そう言って、また果実酒を口に含む。濡れた紅い唇が、妖艶に光る。

 どうやら本当にお祝いをする気のようだ。


 ウィスタリアとレイヴァンが食事に手をつけ始めたので、ユーディアもそれに倣う。

 食事の作法を、アガットに習っておいて良かった、と安堵する。食事ぐらい自由に食べればいいじゃないか、と思っていたが、ここで卑しい食べ方などをすれば、ウィスタリアに笑われてしまっただろう。


 ウィスタリアはユーディアに、どちらからいらしたの? だとか、どうやって入国されたの? だとか、そういった世間話をしてきた。

 そんな風に、非常に和やかな時間が進む。

 レイヴァンはほとんどは黙っていたが、ウィスタリアに話を振られると、それに普通に答えていた。


 過剰に警戒してしまった自分が、恥ずかしくも思えるほどだった。


「ユーディアももう、ここでの生活に慣れてきた頃でしょう」

「ええ、そうですね。最初に比べれば、ですけれど。まだまだ分からないことが多くて」

「それはそうでしょう。でも、そろそろ王族の一員として、覚えていただきたいこともあるわ」

「そう、ですよね……」


 どうやらここからが本題のようだ。

 けれど今までのように、守られてばかりではいけない。確かに、妃にふさわしい振る舞いというものはあるだろう。

 それが、厳しいことであろうとも、きちんと受け止めなければ。

 ユーディアは背筋を伸ばした。

 だがレイヴァンが助け舟を出してくる。


「姉上、ユーディアはこの国の生まれではないし、ここに慣れるだけでも大変なのです。それに、彼女にはもう十分に頑張ってもらっている」


 多少、きつい口調で言うが、ウィスタリアはまるで聞こえないかのように、ユーディアに対して言葉を連ねた。


「わたくしは他国のことを知らないから、他がどういうものかは書物や伝聞でしか分からないわ。けれど、この国のことなら何でも分かっていると自負しているの」

「……姉上」

「少しずつ、で構わなくてよ。わたくしが教えて差し上げるわ」

「姉上」


 レイヴァンの語気が、少しずつ荒くなっていく。

 だがウィスタリアはそれを無視して話しかけてくる。

 どうしたものか、とレイヴァンとウィスタリアの顔を交互に見ていると。


「これは、非常に大事なことなの」


 静かに、でも強く言われ、ユーディアはウィスタリアの顔を見つめた。

 彼女は微笑んだ。

 けれどその美しい微笑みは、背筋を凍らせた。それはなぜなのか。


「王家の掟、というものがあるの。ユーディアはご存知ないわよね」

「姉上!」


 机を叩き、椅子を蹴倒して、レイヴァンが立ち上がる。テーブルの上の食器が震えた。

 ユーディアはその急な変化に、呆然としてレイヴァンを見つめるしか出来なかった。

 なに……? 掟が……なんなの?

 けれどウィスタリアだけは、動揺した様子はなく、冷静に続ける。


「いくつかあるけれど、最初の一文をわたくしたち王族は重要視しているわ」

「姉上、止めてください!」


 レイヴァンの顔色が白くなっていく。血の気が引く、とはまさにこのことかと思うくらいに。

 なんなのだろう。その掟がどうして彼をそんなにも傷つけているのか。

 ウィスタリアにはレイヴァンの制止の声が聞こえないのか。いやそんなはずはない。だが彼女は止めようとはしない。


「あらどうして? 大切なことだわ」


 ゆったりと果実酒の入ったグラスを口に持っていき、一口口に含んだ後、口の端を上げた。

 紅い唇が、やけに目に付いた。


「もういい。ユーディア、帰ろう」

「えっ、でも」


 レイヴァンはこちらに歩み寄ってきて、ユーディアの手首を掴んだ。痛いくらいの力だった。

 引っ張られて、立ち上がる。

 押されるように扉の方へ向かおうとしたときだ。


「『セクヌアウスの血を引く者よ』」


 ウィスタリアの声が響く。決して大きな声ではないのに、それはユーディアの耳に鮮明に届いた。

 レイヴァンの動きが止まる。それはまるで何かの呪文かのごとく、彼を縛り付けた。

 ウィスタリアの方を見る。彼女はやはり微笑んでいた。それは悪魔の微笑みのごとくに見えた。

 肉厚で妖艶な紅い唇から紡がれる、言葉。


「『セクヌアウスの血を引く者よ、その血を汚すことなかれ』」


 静まり返る、部屋。遠くの小川のせせらぎが聞こえてきそうなほど。

 王家の掟。それが意味するもの。


「……陛下。今のは……」

「……呪われた、掟だ」


 彼は苦渋に満ちた表情でそれだけ言うと、ユーディアの手首を握っていた手を離した。


「わたくしたちは、血を汚してはいけないの。だから世継ぎを産まなければならないのは、本来ならば、このわたくし。王に一番近い血を持つ、わたくしなの」


 何を言っているのだろう、この人は。

 ウィスタリアの言葉は、ユーディアの耳に入ってこない。いや、入ってはきているが、それが意味を成して届かない。


「掟はもう、伝説と化している! 私たちが勝手にそれに縛られているだけだ!」


 レイヴァンの叫びが部屋に響く。大声を出しているのに、ウィスタリアの言葉の力に敵わないように思えるのは気のせいか。


「あら、そうかしら?」

「そうだ! それが証拠に、掟を守っていても、川の氾濫があった。あれで何人もの民の命が失われた。覚えているだろう」

「証拠ねぇ」


 そう言って、くすりと笑う。


「天災は、どうやっても起こる。どうしようもない。それは自然の摂理であり、意思だ」

「そうかしら?」

「私たちがしなければならないことは、掟を守ることじゃない。天災が起きたとしても、被害を最小限に抑えることではないのか」

「起きないに越したことはないけれど」


 ユーディアは二人の言い争いを、ただ黙って聞いているしかできなかった。

 その話を、受け入れることが出来なかった。


 彼らの話を聞くに、掟を破り血を汚すと、この国が天災に見舞われるということだ。

 血を汚さない。つまりは、血族同士での婚姻。

 それがもう何代にも渡って続いているということだ。

 それは、ユーディアの理解の範疇を超えていた。


 本来ならば。

 レイヴァンとウィスタリアは結ばれるべき二人だったと。でなければこの国を大惨事が襲うと。

 彼女はそう言っている。


 実の姉と、弟。

 受け入れられるはずがない。

 そして、レイヴァンも掟に抗おうとしている。

 そうだ、彼はユーディアを選んだのだ。姉であるウィスタリアではなく、ユーディアを。


「川の氾濫。あれは何年前の話か覚えている?」

「……もう、十八年も前の話だ」

「そうね。わたくしたちはまだ幼かったわ」


 ウィスタリアは、グラスをテーブルに置いた。それからレイヴァンの方に向き直り、ゆっくりと言った。


「そのとき、本当に掟は守られていたかしら? レイヴァン、あなた、それに確信が持てて?」

「なに……」

「わたくしがどうしてこの部屋に、あなたがたを呼んだと思うの?」


 ウィスタリアは立ち上がり、後方にある机に寄った。

 先王が使用していた、机。


「簡単な仕掛けだけれど、王の机ですもの、詮索する人はいなかったのでしょうね」


 一番上の引き出しを開ける。何やら裏から差し込んでいるようだ。


「二重底よ」


 引き出しから一枚の板を取り出し、机の上に置く。そしてその後、一冊の本のようなものを取り出した。

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