第17話 晩餐会

 吟遊詩人は詠う。

 ああ、なんということだ。

 これは、呪い。呪い。呪い。

 誰もが、狂っている。狂っている。狂っている。

 それは、誰にも止められぬ、古より続く、呪いなのだ。


          ◇


 お腹ももう大分大きくなってきて、いつ産まれてもおかしくはない、という頃。

 また、海の宮に来客があった。ウィスタリアだ。


「お誘いに上がったの」

「……お誘い?」

「ええ、急だけれど、今晩」


 そう言って、ウィスタリアはにっこりと笑った。

 以前会ったときとは違って、どうも上機嫌な様子だ。

 隣に立つ侍女たちはやはり人形のように無表情で、それだけにウィスタリアのはしゃぐような様子が引き立った。


「晩餐会よ。レイヴァンにはわたくしの方から伝えておくわ。場所もね。ぜひ二人でいらして」

「え、ええ……」


 けれどもどうしても手放しでは喜べない。その様子を見て何か思ったのか、ウィスタリアはくすくすと笑った。


「いやだ、とって食うわけではなくてよ」

「あ、いえ、そんな」


 慌てて手を振る。疑ってはいても、それを表に出すことなど許されない。


「ちゃんとした食事を用意させるわ。あなたは二人分食べなければならないしね」

「……ありがとうございます」


 おずおずと頭を下げると、ウィスタリアは何か思ったのか、言葉を重ねた。


「不審に思うのも無理はないわ。今まで、少し意地悪な物言いをしてしまっていたものね。申し訳なく思っているわ」

「えっ」

「あのときは、あなたが何者かもよく分かっていなかったから……。でももう大丈夫」


 あのときは。では今は多少なりとも分かっているということだろうか?

 あれから、けっこうな時間が経った。人の噂やレイヴァン本人から、ユーディアの人となりなど何か聞いたのかもしれない。それで、警戒などしなくてもいいと思ったのか。


「改めて、お祝いしましょう」


 そう言って微笑む。元々が美しい人だから、その笑みに見惚れそうなほどだ。

 裏があって喋っている人間には、とても見えない。では本当にお祝いしようと思っているのかもしれない。

 だったら、断る理由はない。


「陛下のお許しが出れば、ぜひ」

「まあ嬉しいわ。ではまた」


 そしてウィスタリアはその場を辞して行く。

 少しずつ、周りの理解を得ているのかもしれない。そして、いつか本当に皆に祝福されるのかもしれない。

 それは何と素晴らしいことだろう、と思った。


          ◇


 場所は王族方が住むほうの宮で、と聞かされた。


「昔、私の父上が……つまりは先王が使っていた部屋なんだけれどね」


 苦々しげに、レイヴァンが言った。


「確かに一番広いし、給仕もしやすい場所だとは思う」

「でも乗り気ではないの?」

「いや……。私は別に構わないけれど」


 どうも歯切れが悪い。


「断っても構わないんだよ? 姉上の気まぐれなのだから。理由なら、適当に私の都合でも作ればいい」

「でも、せっかくのお誘いだから。お祝いしてくださるって話だし、お断りするのも角が立つわ」

「まあ……それはそうかもしれないけれど」

「皆の理解が得られれば、私、それはとても嬉しいことと思うの」


 その足がかりに出来れば、と。


「それに、単純に一緒に夕食を共にしましょう、という話でしょう? 他の人もいらっしゃらないということだし、別に危ないこともないかなって思うし。それに、あなたが傍にいるのでしょう?」


 ユーディアがそう言うと、レイヴァンは覚悟を決めたようにうなずいて、立ち上がった。


「分かった。あちらに歩いていくのは遠いし辛いだろう。輿か、小さな馬車を用意させるよ。それでいい?」

「ええ、ありがとう」


 レイヴァンが海の宮を辞したあと、アガットが支度にかかる。お腹を圧迫しないよう、胸元で切り返しのついた、でも華やかな明るい海の色のドレスに着替えさせてくれる。


 そのときアガットが言った。


「私……正直、あの方はあまり好きではありません」

「ウィスタリアさま?」

「以前こちらにいらしたとき、なんだか妃殿下を見下されたような感じで……」

「ああ、まあ……それは仕方ないわよ」

「仕方なくありません!」


 ひどく憤慨した様子で、アガットは言った。


「大体、いくら陛下のお姉さまといったって、王妃殿下のほうが位は上なんです。礼を失するのは、許されることではないんです」


 顔を真っ赤にしながら、そう言い募る。

 それを見ていると、なんだか笑いが漏れた。


「妃殿下? 笑い事ではありませんよ」

「ああ、ごめんなさい。でもアガットがそうして怒ってくれるから、私、頑張れるわ」


 ユーディアの言葉に、はっとしたようにアガットが言った。


「す、すみません、つい興奮してしまって」

「ううん、ありがとう」


 ユーディアがそう言うと、少し落ち着いてきたらしい。深呼吸をして息を整えている。


「それに、今回はお祝いしてくださるという話だもの、心配しないで」

「そうですわよね。でももし万が一、なにか不都合がありましたら、私、控えておりますから」

「ええ、頼りにしているわ」


 そう。何も起こるはずがない。

 傍にはレイヴァンがいて、アガットもいる。

 ただの晩餐会だ。それだけ。


 ユーディアは用意された馬車に、大きなお腹を抱えながら乗り込む。

 この日を乗り切ったらきっと理解されるのだ、という微かな希望を、そのときは抱いていた。


          ◇


 馬車がその場所に到着すると、レイヴァンは既にそこにいて待っていた。

 馬車から降りようとするユーディアに手を差し伸べる。


「大丈夫だった?」

「ええ、快適だったわよ」

「それはよかった」


 そう言って微笑もうとしているが、どうも上手く笑えていない。

 実の姉ながら、そこまで苦手なのだろうか。


「大丈夫よ」


 ユーディアはレイヴァンの手を握り返した。


「私、あなたのこと、守るって言ったわ」


 その言葉に、彼は苦笑する。


「そうだった。でも大丈夫」


 そしてユーディアの頬に軽く口づけた。


「心配させてしまったようだ。でも守るのは私のほうだからね」

「頼りにしているわ」


 そんなことを言いながら、先王の宮に入る。

 後から馬車を降りたアガットに、レイヴァンは何か指示をしたようだった。

 それから、ウィスタリアの侍女たちに案内された一室に、二人で入室する。


「お待ちしていたわ、いらっしゃい」


 ウィスタリアがやはり上機嫌な様子で、二人を迎え入れた。


「どうぞお掛けになって」


 先王が使っていた部屋とはいえ、今は誰も使っていないからなのか、あまり物がない部屋だった。

 ただ、執務に使っていたのかと思われる大きな机が壁際に置かれているだけ。


 部屋の中央に、丸いテーブルに椅子が三つ。執務机のある方を背にしてウィスタリアが座り、入り口に近いほうにユーディア、その隣にレイヴァンが座る。

 侍女たちがどんどんとテーブルの上に食事を並べていく。


「果実酒も用意しているの。でもユーディアは控えた方がいいわね」

「ええ、お水をいただければ」

「では申し訳ないけれど、わたくしはいただくわ」


 それを聞いて、侍女たちは飲み物を揃えていく。

 全て出揃ったところで、ウィスタリアは言った。


「人払いを」


 その言葉に侍女たちは頭を下げ、部屋を出て行く。扉のすぐ外に控えてはいるようだった。

 アガットは大丈夫かしら、と思っていると、レイヴァンの方から言ってきた。


「アガットには、別室で控えているように言っているよ。すぐ隣だから」

「そう」


 馬車から降りたとき、そのことをアガットに言っていたのか。ユーディアはこの宮のことを何も知らない。レイヴァンがそう言うならば、大丈夫だろう。


「本来ならば、温かいものを出すために、順次給仕させた方がいいのでしょうけれど、部外者には席を外して欲しかったの。よかったわよね?」


 訊いてはくるが、すでに用意されていて、こちらに選択の余地はない。


「ああ、全て一緒に作ったはずだけれど、でも良ければ全て毒見させてよ。侍女を呼びましょう」


 そう言って手を叩いて人を呼ぼうとするので、それを慌てて制した。


「いえ、それには及びません」

「あら、そう?」


 今の様子からして、まず大丈夫だ。確かにさきほど給仕の様子を少し見たが、誰かの席に特別に何かをしたわけでもなさそうだったし、ウィスタリアはともかくとして、ユーディアとレイヴァンがどちらに座るかの指定はなかった。

 飲み物にしても、ユーディアだけ違うものだが、水ならば異物が入っていてもすぐに気付くだろう。


 そこまで考えて、はた、と気付く。

 やはりユーディアはそうとは思わずに、かなり警戒しているのだ。この美しい人に。


「姉上、申し訳ないが、ユーディアも私もそう長居できるわけではないので」


 レイヴァンがそう言う。先制攻撃、という感じか。


「まあ、残念ね」


 だがウィスタリアはさして残念とも思っていないような表情だ。


「ではまずは、乾杯しましょう」


 促され、グラスを手に持つ。三人は少しグラスを傾けて、それから口に含んだ。

 三人だけの晩餐会が、始まった。

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