(四) 七月二十日 水曜日 二

 向かいの家が燃えている間に、空色のひつぎの中で寝転びながらスマホ画面の中に見たものは、色々ある。


 例えば、ネット上でのあおりが速やかにテレビに移植され、街角で男に見える人間を捕まえては「もうすぐ死ぬって言われていますけど、今どんな気持ちですかぁ?」的なインタビューが放送されて炎上した様子。確かにデリカシーが絶無だ。


 それから、駆け込み結婚が増えた話。これは大災害の後などにみられる現象らしいが、今回はイベントの後に生き残れない可能性を考え事前にピークが来たのだろう。


 他には冥婚めいこんの話題があった。つまり、死後の結婚。

 現状もう相手がいる者は駆け込み婚でも何でもすればよいが、そうでない場合はこの土壇場になって新規に相手を見つけることは難しく、しかも土壇場だからと言って誰でもいいわけではない、という極めて人間らしい欲求とリアル条件のせめぎ合い現象である。

 ネット上では幾つかのマッチングサイトが発生したが、もちろんそのうち何割かは詐欺目的のもので、滅亡は明日というこの状況でも人間の考えることはそれほど進歩しない。


 根本的に冥婚と同じ考え方が根にあるのだろう事件も起きている。『さばきの日』を生き延びられないことに絶望した独身男性が、これと決めた女性に襲い掛かって殺し、死後結ばれるべきことを遺書にしたためて自らも死んだケースが複数報道されていた。


 また、一部の国で従来から認められていた死後婚姻、つまり婚約状態にあって結婚前に片方が死んだカップルについて、死亡前にさかのぼって婚姻を認めるやり方が真剣に取り沙汰され、『裁きの日』以降の各種公的対応、ひいては国体、政府がどのように維持され法が保たれるのかという予想が乱立しては霧散していった。何しろ比較的男社会であるところの官公庁の男が全員死ぬことになっている。政府機能と法は維持されるのか?


 それから最後に、私にとって非常に重要な情報が飛び込んできた。『シルバー・ブラッド・ストライプス2』についてだ。

 大都市の大きな映画館では、封切り日の二十二日金曜日になった瞬間の午前零時で初回上映するところが幾つもあるのだけれど、私の住むこの街はそうではない。古い小さなシネコンは近年慢性的な人手不足で、深夜早朝帯の上映回をやれないでいた。それに、設備も古い。

 元々は、『シルバー・ブラッド・ストライプス2:アラーテッド』の初回上映は二十二日の朝八時五十分が予定されていた。最速上映はやれない代わりにファーストショー料金でどうぞ、というこのシネコン恒例の設定である。

 それが、この『裁きの日』騒ぎで二十一日の朝九時以降は状況がどうなるか分からないということで配給元などとの折り合いがつき全世界で一日前倒しが決定、うちでもゼロ打ち最速上映やります、とメールが送られてきたのだ。

 3D字幕版は、予定より一日早く、二十一日になる瞬間の零時から上映されるという。零時三十分からは通常字幕版。一時二十分から通常吹替版。館内売店コンセッションも開く。

 つまり、今から一時間後には上映開始だ。

 私は思わず声を上げ、棺の中でこぶしを突き上げようとして斜めに乗せていた棺のふたを殴り、外に落としてしまった。角がへこんだかもしれないが、そんなことはどうだっていい。身体を起こした。暗い部屋にスマホの白い光だけがぼんやりと照る。窓の外には満開の薔薇ばらの気配があって、この土地の涼しい夜の中でも確かに気持ちよく香っているのが分かる。

 隣の棺で動画を観ていたカイレルも半身を起こした。


「どうしたの、ミコ」


「『アラーテッド』、この後二十四時から上映になるから行く」


「ええ? やめなよ、今晩は棺で眠ってないと」


「観たいもん。上映時間ランタイム二時間十一分だから二十六時半には終わる。映画館はここから歩いて十分。夜明け前に戻って来られる」


「行き帰りが危ないじゃん……」


「行きます」


 言い切った私に向けて放たれたカイレルのため息が聞こえる。

 私の殺し屋アラステア・ケラハー。ツムシュテーク神の恐らく最後の作品。

 世界がどのように滅びようとも、彼らのつむいだ夢は不滅だ。

 私は既に、3D字幕版の座席指定画面をスマホに映し出している。お気に入りの後列中央を素早くタップすると会員番号を超速で打ち込み料金画面で『会員価格(3Dメガネをお持ちの方)』を選択、あらゆる確認了承事項のチェックボックスを連続タップして進み、速やかにクレジットカード購入を決めた。クレカ決済生きててくれてありがとう。

 私は観る。長い間待っていた作品を観るといったら観るのだ、この世の宿命さだめがどこに向かって疾走しようとも。

 イーライ、と私は、作中でアラステア・ケラハーが演じる殺し屋の名を心で呼んだ。

 何だったらもう、あなたが私を殺してくれたらいい。

 スクリーンの中からでも、座席を取り囲む薄暗がりからでも自由に出てきて、あなたがこの世を滅ぼしてくれるならよかった。

 きっといい眺めだろうな、と思う。イーライは民間人として唯一、高レベル武器の遠隔召喚コードを制限なしに使用許可された殺し屋だ。どこからでも、何でも持ってくる。この世のどんな銃でも化学兵器でも、その気になれば核だって。


 けれどもそうはならないということを私は、もう知っている。

 知っている、ではない。知ったのではない。

 カイレルの言う通りだ。

 それは私の記憶に書き込まれて蓋をされていた。

 その蓋が開いたというだけのことなのだ。だから、疑いようがない。

 私は、忘れていただけなのだ。

 他人の家が燃える音を聴きながら、私は思い出した。


 この世界は滅びる。


 そんなことは、この私が、私こそが、一番よく知っていることだった。



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