女神6

「先生!!」

「わっ」

 物理学科に存在する翰川先生の教員室。

 唐突に訪ねた俺を、困惑気味な彼女が出迎える。

「どうした、光太?」

「……聞いてください」

 彼女の手を取り、覚悟を告げる。

「俺は、あなたを必ず幸せにします」

「っ!?」

 彼女を時折苛む悪夢を晴らすとか、完全記憶に上書きされる足のコードを治すとか。そういうことを全てひっくるめて。

「恩返ししたいと思うのに、いつも世話になってばっかりです。……これから頑張りますね」

「ひ、ひぁう。光太……嬉しいが、恥ずかしい……」

「すみません」

 今日も可愛いな、先生。

 微笑ましく見ていると、レモン色の瞳にオレンジの火花が散る。

「……私の娘を口説くだなんていい度胸ね。ミズリに八つ裂きにされるわよ?」

「出てきてくれると思いました」

「あらまあ。冗談でひぞれを口説くなんて」

「いえ本気です」

「ふふ。……ひぞれが変な反応をしても困るでしょうし。それを嗅ぎつけたミズリに八つ裂きにされるのも困るでしょう。一世一代のプロポーズはひぞれの記憶から消しておいてあげるわ」

「…………。ぷ、ぷぷぷぷぷプロポーズのつもりは……!!」

 しかし思い返せば思い返すほど、俺の発言はプロポーズ。思ったことを言っただけなのに文面が悪い……!

「ふふ。光太は面白いわよね。優しい子。……今日だって、シュビィのわがままに付き合ってくれていた」

「……」

 立ち直って《お母さん》と向かい合う。

 彼女は寂しそうながらも微笑んで俺に教えてくれた。

「シュビィが私を殺したのではなくってね。シュビィのアーカイブの暴走で私は死んだの」

「暴走……」

「シュビィのアーカイブはテキスト。テキストって神秘自体、特殊なもので……あの子だと純度も高くて量が多いから、制御がとても難しい」

 非のない事故。

「あの子は私を魔法で喜ばせようとしたの。お父さんのことをよく話してたから、魔法でおもちゃを作ってみせようとしたのね。魔法を周りが暴走させた」

「じゃあ悪いのは周りって奴らじゃないですか……!」

 彼女は困ったような顔で笑う。知り合いの妖精さんたちでよく見る顔で、こんな話の時にも血のつながりを感じた。

「周りの人たちってレプラコーンだったのよ。……夫の実家」

「…………」

「その時には、夫はその人たちに薬で狂わされていたから、私たちなんて見向きもしなかった。……セファルは奪われて行方知れず。私にとっては夫と娘を人質に取られているようなものだった」

 彼女は押し潰した声で言う。

「張り詰めていた私を和ませようとしてくれたシュビィに追い討ちをかけた奴らは今でも許さないし殺すわ」

「……」

 燻る怒り。

 それは全て、愛する家族のために。

「会いたいですか?」

「……会いたいわ」

 彼女は目尻を指でこする。

「セファルも、何度も私のところに……ひぞれの居場所に引っ張ってこようとしてくれたのよ。でも、シュビィって逃げ足凄いから成功しないのよね」

 優しい声で『パフェにそっくり』と呟く。

 そんな彼女にも、俺は前々から言いたいことがあった。

「…………。会えたら言おうと思ってたんですけど、会うの久しぶり過ぎて」

「……?」

「俺はあなたのことを幸せにしたいです」

「……」

「あなたが……生き返るとか。そういうことは、ともかく。……どうにかして翰川先生とリアルタイムで話せるようにしたり、お孫さんひ孫さん玄孫さんと気軽に会えるようにしたり出来たらいいなと思ってます」

 俺の神秘は俺自身ではどうにもならないが、俺の神秘をどうにかできる人は居るだろう。

「とにかく。……翰川先生の誕生と、先生を日々愛して支えてくれているお母さんへの感謝を込めての宣言です。ぷ、プロポーズではないのでその……」

 あっけにとられる彼女は、しばらく経ってふきだした。

「……そうね。プロポーズじゃないわね。っふふ……京ちゃんには秘密ね」

「っ、う、後ろめたいことはないので大丈夫です」

 思い返すと文言が少し恥ずかしいだけである。

「それで、あなたは私に何を見せてくれるのかしら?」

「幸せにします」

 不思議な他力本願で、情けない宣言をしながら彼女の手を握る。

「俺の謎神秘があなたを幸せにします」

 誰かを何があろうとも幸せにしたいと願えば、俺の神秘は働き始める。何かが動いていることだけわかる。

 少しだけコツを掴んだ。

 思考回路の裏側をめくるような気分で、神秘のスイッチをオンにする。

 静寂という耳鳴りに混じって扉が開く音がする。

「ほら、会えたでしょう」

 シェルさんに引きずられてきたのは、サファイアの髪のレプラコーン二人。

 目を丸くする《お母さん》にシェルさんは会釈し、俺を一瞥。

「母様と祖母の一件のお礼です」

「あ……ありがとうございます……」

 俺としてはもっと平和な遭遇を想像していたが……いや、そもそも『偶然鉢合わせた』ってシチュエーションだと、シンビィさんに逃げられるのか。

「お兄ちゃん、お母さんだよ。お兄ちゃん」

 手足を弛緩させるシンビィさんに双子の妹さんが抱きついて……成人二人を容易く引っ張るシェルさんの腕力よ。

「どうやって捕まえたんです?」

「リーネアに麻酔弾で狙撃してもらいました。動きが鈍れば転がして引きずれますので」

 彼らには躊躇も容赦も一切ないらしい。

「セファルがくっついてきたのは偶然なので気にしないでください」

「偶然じゃないよ! お兄ちゃんと私が出会うことは運命だよ!」

「はいはいそうですね」

 ……平気そうに見えてもそこそこお疲れのご様子。

 レプラコーンの双子を放って俺のそばに立ち止まる。

「あなたの神秘は凄まじいですね」

「?」

「普段のシュビィ相手では狙撃など通じません。まるで、ここに連れてくるためだけに確率が狂ったように思えました」

 彼は言いながらも薄く笑い、泣きじゃくるセファルさんに小瓶を差し出した。

「解毒薬です。飲ませてやってください」

「ぐすっ……手足だけ麻痺するように解毒できないかな……」

 泣きながら言うセリフが怖い。さすがのシェルさんも半目だ。

「……。逃げる気力もないと思いますが」

 彼の言う通り、シンビィさんにはこの事態への諦念が漂っている。

 何より、泣き出しそうな顔をするお母さんと目が合っているのだから。

「では、俺は宴の準備をしてきます」

「あ……やっぱりお祝いするんですね」

「母様が鬼神からの愛情を渇望している様子は見ていたものですから。盛大に祝います」

 俺に『後日改めてお礼しますね』と言い残して、珍しくも上機嫌で去って行った。

「お兄ちゃん、解毒薬が欲しかったら、今日明日、言うこと聞くんだよ? わかった?」

「……ぉ、どしに……使うな……よ」

 泣きながらも薬を交渉材料にする妹と、麻痺して呂律の回らない口でため息を吐く兄。それを、お母さんは涙を拭いながら微笑ましそうに見守っている。

(家族関係がまっったくわからん!)

 部屋をこっそり抜け出すスキルも神秘もないので、気配を消して壁に立っているしかない。

 解毒薬を飲んだシンビィさんは妹さんに支えられて立ち上がり、椅子に腰掛ける。

「…………」

 お母さんと向かい合う位置なのに、顔を上げないまま虚脱してしまった。

 利用されたとはいえ、目の前でこうも沈まれると胸が痛む。

「シュビィ……会いたかった」

「……」

 彼は絞り出したような声で答える。

「俺は会いたくなかったよ」

「私のこと、嫌い……?」

「……好きだよ……だから会いたくないんだ」

 俺はこっそりと扉から出ようとしたが、セファルさんに関節を固められて体が固まった。

 振り解こうとしても指先一つ動かない。

 ニコニコしている彼女に小声で訴える。

「……セファルさん? 部外者極まりない俺がここにいても気まずくないです?」

「ここにいて。お兄ちゃんが逃げるから」

「いや……もう大丈夫でしょう」

「あなたの神秘が転移の出口を塞いでるの……!!」

「……」

 こういう時、謎神秘と喋れればいいのにと思わないでもない。

「わかりました。いいというまで居ます」

「! ありがと」

 俺はセファルさんの隣に座り直し、覚悟を据える。

 シンビィさんがセファルさんを見るが、彼女はぷいっと顔を背けた。

「シュビィ」

「っ」

「……手、握っていい?」

「また、殺したら、嫌だ、から」

「そ……そう。……ごめんね」

「謝るの……俺の、方……許してくれてないから、呪い解けない……」

 呪いをかけたのは、お母さん?

 混乱しているとセファルさんが耳打ちしてくれる。

「……ユングィスを殺すと呪いがかかるの。雨を浴びたらまともに立っていられなくなる。それはもうルールで、お母さんがどうこうの話じゃないよ」

「そうなんですか……」

「女の子になっちゃうのは種族特性の暴走。ユングィスは男女の両面を持つから、お兄ちゃんはユングィスの呪いでユングィスの暴走が起こってる」

「…………」

 彼は母に恨まれ呪われていると考えていたのか。

「解けるなら、今すぐ解くわ。恨んでない」

「……でも、殺したの、俺の……」

「シュビィは悪くないもの」

 そっと撫でて、愛おしそうに囁く。

「あなたが私を喜ばせようとしてくれた思い出は今でも宝物なのよ」

「……」

「会いたかった」

 セファルさんを向いて会釈する。彼女は涙を流しながらも笑ってOKマークを指で作る。

 今度こそ、森山光太という部外者は部屋を出て行った。

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