女神5

「学部長!」

「……なに、光太」

 社会学部の学部長室に鬼神さん。

 京に娘さんを任せたのなら、俺がすべきは鬼神さんへの対処だ。

「今日は待ち合わせをしていなかったはずだが?」

「娘さんのこと可愛いですか?」

「随分と唐突な話だな」

「可愛いですか?」

 彼女は舌打ち。

「……一人娘だから愛しい」

「直接言ってあげてください」

「娘は私を嫌っていると思うけれど」

 嫌っていたらあんな顔をしない。

 しかしあれは俺が見せられた未来のことであり、彼女に言っても訳がわからないはずだ。

「本人に聞きましたか?」

「……いいや」

「なら確定してませんよね」

「おまえ、そんなことをいきなり言ってくるなんて……孫のどちらかから入れ知恵?」

「だったらもっとスマートにやれてますよ!」

「それもそうか」

 これで納得されるのが悲しい。いやまあ、あの天才二人に勝てるつもりなどないが。

「動機がなんだかわからないけれど、確かに私はあの子が好きよ。でも、距離感測れないし……あまり好かれてないでしょう」

「だあああ、なんで頭良いくせにネガティブ方面でしか予測しないんですか! 言って話してみないとわからんですって!!」

「私はおまえがわからない」

「練習しましょう、練習」

「テンションどうしたのおまえ?」

 困惑気味な鬼神さんが珍しい。

 しかし、いま重要なのは、彼女が娘さんに素直に気持ちを伝えられるかどうかだ。ゴタゴタしていたおかげで残り20分しかない。

「繰り返してください。『私は娘が大好き』!」

「っ……なぜ私が」

「うるっさいなどうせあんた今までも娘さん泣かしてるんだから素直になりやがってください!!」

 偏見に満ちた暴論だが、学部長は痛いところを突かれたような顔をして押し黙った。意外と図星らしい。

「……私は娘が好き」

「もう一度! 『シュリは可愛い』!」

「シュリは……可愛い」

「心を込めて!」

 我ながら訳の分からない衝動に任せたヤケクソ。

 しかし、彼女にも娘と仲良くしたい気持ちはあるらしく、ため息をつきながらも練習に付き合い始めた。

 気まぐれだろうとなんだろうと構わない。練習でできないことは本番でもできないのは、どんなことでも同じなのだと思う。

 どんなにバカらしかろうとも、いま口に出しておくことで、シュリさんに会っても優しく接してくれるようになるかもしれないじゃないか。

「『シュリは可愛い』!」

 わずかな可能性でも構わない――!

「シュリは可愛い。……健気で、愛おしい。私の娘」

「もっと素直に!」

「私のシュリは可愛くて大好きな自慢の娘」

「よし。今度会ったら言ってあげてくださいね」

「……おまえはたまに奇行に走るね」

 はあとため息一つ。

「言われなくとも……シュリが良い子なのは知っている。……愛しいとも思うよ」

 ――その瞬間、シアさんが姿を現した。

「かあさま」

「っ」

 扉を開けてニイと笑うシアさんの後ろには、京に手を引かれたシュリさんが――

「かあさま、かあさま……!!」

「っ……ええい、泣くな!」

 駆け寄る学部長に、泣き出したシュリさんをそっと押し出し、京は『良かったですね。良かった……!』と目尻を拭う。

 シアさんはスマホで何やら連絡中。

「弟よ。明日は宴だ! とっておきのワインとジャムを出す。馳走の準備をするぞ!!」

「黙れ孫!!」

 鬼畜の人たちが大声を出すのは珍しいなあ。

「何を微笑ましそうに見守っているのクソガキ。誰のせいで、」

「かあさま。……その。本心でないことは、」

「本心に決まっているでしょう私がくだらない嘘をつくとでも思っているの」

「っ……かあさま……」

 ついに泣き崩れたシュリさんを鬼神さんが支える。

「くっ、おまえたち外に出ていなさい!!」

 ――気付けば視界は、社会学部フリースペース。

 俺は目が回るかと思ったが、京とシアさんはそうでもなさそうだ。

「鬼神の転移は特殊だから、お前には辛かったのかもしれんな」

 ほこほこなご様子のシアさんは俺を京と助け起こしてベンチに座らせてくれた。

「光太から聞いてた時間まで、数学科で待たせてもらおうと思ったんだけど……いらっしゃったシアさんが『学部長室の前で待とう』って言ってくださって。光太と鬼神さんの会話が聞こえたの」

「……超恥ずかしいんですが……」

 あの特訓を聞かれるとは。

「母様が赤くなったり青くなったりと不安定だったからな。京も不安だろうと思い、突入のタイミングを見計らっていた」

「ありがとうございました、シアさん」

「良い。私も母がお世話になった。……鬼神を前にしてあんなにも穏やかな母様は初めて見たよ」

 しみじみとして頷き、二人で頭を下げ合う。

「もちろん、お前の尽力も素晴らしかった。あの冷血な鬼畜から気持ちを引き出すとはな」

「……一応、おばあちゃんなんですよね? 血の繋がった……」

「そうだとも。あれは私と弟の実の祖母。……が、母様に冷たくするので嫌いだ」

 判断の基準がすこぶる分かりやすいなー……

「嫌いだったのだが……まあ、本日、少しは見直しても良いかと思った」

「……学部長はいい人ですよ」

 確かに鬼畜だしぶっきらぼうでバイオレンスだけど。なんだかんだで優しい人だ。

「あれを相手になんの衒いもなくそう言えるのは、お前かひーちゃんくらいだな」

 彼女はくすりと笑ってから、京の頬に指を添えた。

「し、シアさん?」

「しばしお前と戯れる」

「っ……」

「こうして会って話すのは久しい。どうか?」

「わ、私も! シアさんとお話ししたかったです……」

「嬉しいことを言ってくれる」

 美人と美少女が戯れる光景はなんとも言い難い雰囲気があり、俺はいたたまれなくなる。

 シアさんは京を撫でつつ俺に微笑む。

「鬼神のところに行っておいで」

「え」

 あの二人、今頃は親子水入らずなのでは?

「行けばわかる」

「……」

「京との蜜月を邪魔されたくはない」

「俺の恋人なんですが!?」

 しかし、京はシアさんに愛でられてうっとりとしている。

「うう……け、京は俺の彼女ですからね」

「わかっているよ」

「シアさん……いい匂い……」

「甘えておくれ、京。愛くるしい」

 大学内とは思えぬ耽美な光景が展開されている。

「こ、光太が見てます……」

「恥じらう姿も可愛いな」

 生唾を飲みかけたところでなんとか振り切り、シアさんに京を任せてその場を後にする。

 学部長室に駆け戻ってみると、彼女は娘さんを折り畳みベッドに寝かすところだった。

「……泣き疲れて寝た」

「可愛い人ですね」

 お母さんの服の袖をきゅっと握って眠っている。

「泣き疲れるって子どもみたいで微笑ましいですね」

「鬼は肉体そのものが魔力の塊で……いや、説明を抜きにしましょう。つまり、涙や血など感情の乗りやすいものが流出するのは鬼へのダメージということ」

「あー……」

 そういえば、シェルさんも前に泣き疲れて寝てたな。

「鬼神さんも泣いたら寝るんです?」

「寝はしないが、頭が鈍るから嫌いだ」

 シュリさんを優しく一撫で。

 無表情だが、仕草は愛おしそうだ。

「……起きたらお話ししてあげてください」

「分かっている。……思ったより嫌われていないみたいだから」

「…………」

 なんだこの鈍感親子……

「まあいい。シュリは可愛い」

 彼女はベッドの端に腰掛け、娘さんを優しく撫でる。

「おまえ、シンビジウムのことどうするの?」

「え。知ってたんですか?」

「気軽に正確な予知が出来るのはあれくらいしかいないし、オウキが両親をこちらに呼んでいたそうだから、そういった諸々で消去法だ。……おかげでシュリと話せたから、良いのだけれど」

「んぅ……」

 撫でるとこの声出るの、パヴィちゃんと同じなんだなあ。

「撫でながらの話になるが、いいか?」

「どうぞ」

「あの子、相変わらずだ。よほどユヅリに会いたくないのね」

「ユヅ……」

 音の響きと、文脈でわかった。

「《お母さん》とシンビィさん、何の因縁が……」

「……その話をする前に、一つ教えておこうか」

「?」

「おまえが気付いているかいないのかは知らないが、おまえの神秘のことだ」

 名前も知らない俺のアーカイブは、性質もなんとなくしかわかっていない。

 彼女は俺の腕時計を指差す。

「それ、おまえと出会った神秘持ちや異種族のことを記録して発信しているし、おまえの波長の変化も記録している。孫やひーちゃんが分析中なのだけれど、そこからわかったこと」

「は、はあ……」

 妖精さんの作ったこの腕時計は凄まじい高性能で、前にも説明されたことだというのに面食らう。

「アーカイブは制御も操作もできないけれど……指向性がある」

「指向性?」

「言い換えよう。そこらの道を歩く赤の他人と、例えば恋人。どちらに作用しやすい?」

「あ」

「つまり、その神秘はおまえが望ましいと思った方へ働きやすいんだ。……だから、今日のシュリにも……私が叫んでいるところに、シュリを部屋に突入させるなんてことをだな」

「素直に可愛いって言えばそれで、」

「黙れ」

 ほんっと、シアさんとシェルさんにそっくりだ。

「シンビィに神秘の制御と操作を教えたのは、この世の全てに支配権を持つ化け物。そのせいか、シンビィは他者のアーカイブを捉えて捌くのが上手い」

「とらえて、さばく……?」

「要は、指向性はあってもどう作用するかわからないおまえの謎神秘でも、ある程度望ましいように作用させられるということ」

「…………」

「まあ、彼は超感覚的な天才だから……残念ながら謎神秘の理屈は解明できないでしょうけれど」

「望ましい、ように……」

 今回の状況で、彼にとって望ましいこととは――ご両親に出会わないでいいように事態が進むこと。

「……!!」

 まさか木から落ちてきたあの時から?

 それを話してみると、鬼神さんは首を傾げた。

「さすがにないな。……そもそもオウキと会いに行くことすら迷っていたでしょうから、大学を見渡せる高い位置に立っていたら、持ち前の不運で雨に降られただけのこと。おまえと出会ったことと、おまえがひーちゃんに頼ったところまではシンビィの関知するところではなかったはず」

 彼女は『シュリと話させてくれた礼に大盤振る舞いするだけだ』と前置きしつつ、答えを述べてくれた。

「ひーちゃんとおまえがそばにいるのを感じて、焦って未来を見た。ひーちゃんと二人きりになればユヅリと会うしかない。おまえとの行動を維持しなければならない」

 だから最初は魔術学部を避けようとしていたのに、俺に案内役を頼んで移動した。

「魔術学部に行ってからも、パフィオペディラムとその双子の姉と出会いたくないから、おまえのアーカイブを応用して、娘息子と弟妹だけ会えるよう確率調整。そこまで行ったら、シンビィの狙い通り」

「……」

「少なくとも、ユヅリと出会わないことこそ彼の幸福だ」

「…………。なんでですかね」

 レプラコーンの皆さんやユングィスの皆さんは、誰も悪くないのに、偶然が重なって不幸が襲いかかる。

 運命とはこうも意地の悪いものか?

「うーん……まあ、今回だけだよ」


「『自分が殺した母親にどんな顔して会えばいい』。……あの子が酔っ払ってこぼしたセリフだ。覚えておきなさい」

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