相談部屋

 オウキさんは病床にあっても相変わらずで、カルミアさんをからかい、アスさんを労わりながらも無邪気だった。

 また大学で会おうって約束して、あたしとノアはあたしの自宅にいる。

 リーネアさんに送ってもらってしまったから、何のお菓子をお礼にしようか考えていると、ノアはリビング隣の和室に敷いた布団を転移で整えているところだった。

 寝床は日当たりの良い場所にしてほしいというから、朝日の差し込む東側の和室を進呈したのだ。

「寝るの?」

『疲れてしまった』

「そう。じゃあ、明日は家でゆっくり……連れ回してごめんね……」

『いろんな人と会えて楽しかった。謝らなくていい』

「……ありがとう」

 良かった。

「オウキさんと何話したの?」

『黙秘』

「そ」

 ノアを抱き上げて、布団の上に座らせる。

『ありがとう』

「うん。……お話ししてもいい?」

『かまわない』

「ありがと」

 少しずつでいいから、彼のことを知りたい。

 ……初対面であたしがいきなり幸せにしようだなんて、思い上がりもいいところだった。

 滞在している間だけでも、彼に安らいで過ごしてもらえれば、まずはそれでいい。

「ユニさんたち、明日迎えに来るの?」

『三日後と言ったのだから三日後だと、すげなく断られた』

「あらま」

 あの人たちが言いそうなセリフだ。

「帰りたい?」

『どちらともいえない。だが、懐かしい顔ぶれを見られるのは幸せなことだ』

 彼が会いたいと思うのなら、ユニさんかガーベラさんに頼めば実現していたようなことだった。

 そうすることにさえ疲れて諦める。辛い記憶が手足を止める。

「……」

『明日も学校か?』

「あ、うん。お留守番お願いします」

『弟が甥姪を連れてくると言っていたから、留守番ではないやも』

「いいわよ、それくらい。たまにしか会えないんだし、話せばいいじゃない」

『感謝する』

 ノアが目をしぱしぱする。

「お話してくれてありがと。おやすみ」

『おやすみなさい』

 寝転がったのを確認して和室の襖を閉めた。

 キッチンに向かい、冷蔵庫を開ける。

 ノアと一緒に食べようと思って用意していた夕飯はそのまま。時停装置の中にもいくつか残っている。

「……」

 今日のお昼のオムライスを食べているときの彼は機械的で、味を楽しむ様子もなかった。ほかにも移動中で飲み物を進めても断るし、アスさんが勧めたお菓子も受け取らない。

『死ねないから生きてる』

 あたしにそう言ったのはオウキさんだった。

 確かにノアは、彼に似ている。

「っうく」

 こぼれそうな涙を目の奥に押し込んで、電子音で開けっ放しを警告する冷蔵庫から料理を取り出す。

 こんな量、あたし一人でも食べられるんだから!

「……美味しい」

 しょっぱく感じる料理を自画自賛しながら、あたしは夕食を食べ切った。



 翌日、空きコマを利用して図書館に駆け込む。

「あいつめ、あいつめ……!」

 ノアは朝食を食べた直後、床にふらりと倒れてしまった。意識を失ったのでなくバランスを崩してのことだったけど――見てしまった。見えてしまった。

 シャツの襟で隠れていた喉に、抉られたような傷があるのも。

 靴下のずれた足首が青黒く変色しているのも。

 ノアはすぐに転移で立ち直って『遅刻するぞ』とか言ってあたしを押し出した。

「納得、いかな――い‼」

 人気のない異種族関係の書籍スペースで叫ぶ。

「遅刻がなんだってのよ。言えばいいじゃない!」

 竜に関する本を片っ端からカゴに入れる。

 ファンタジーな伝承と歴史から紐解く本、本物の竜の観察記、あるいは寛光大学図書館限定の悪竜研究日記。なんでもいい。

 それから、異種族の心理学も。

 やけくそになって本を集めているあたしの手を、背後から誰かが握った。

「ぎゃふっ……もがぁ!?」

「叫ぶな佳奈子……! 死ぬぞ……!」

 声をひそめてあたしを抑え込んだのは見慣れた幼馴染。

 コウは口を押えたままあたしを連行。読書スペースで解放する。

「……死ぬって何よ?」

 そんな大げさな。

「ここの司書さんは、神様相手でも容赦なく支配権の及ぶ人だぞ……座敷童のお前だって例外じゃないはずだ……」

 いつからこいつこんな中二病になったのかしら。

 と思っていると、足が動かないことに気付く。

「!?」

 焦って足を床から浮かそうとしても、接着剤で張り付いたみたいに動かない。自由なのは手だけだ。

「落ち着け佳奈子。落ち着くんだ」

 コウはため息をつき、空中を指さす。

 ――宙に浮く『反省文』を。

「まずはこれに名前と学籍記入しろ。話はそれからだ」

「……うん」

 接触可能なホログラムに指を添える。書きやすい角度に調整してから、言われたとおりに書き込んだ。

 ホログラムが掻き消え、あたしとコウは安堵で脱力した。

 コウ曰く、司書さんのアーカイブはコード。司書さんは豊かで特殊な自身のコードを、使用領域を定めることによって絶対的な威力を発揮させているらしい。

 翰川先生によって各種センサも取り揃えられ、コードの伝導を良くした空間になっているんだとか。

「……さっきの反省文、枚数たまるとペナルティくるぞ。手伝いしないと解除されないから気をつけろよ」

「なんであんた詳しいの?」

「社会学部の学部長さんとー、言い争いをですねー……」

 なんかぶつぶつ言ってるけどペナルティ喰らったことあるのね。入学して一週間も経ってないのに、アグレッシブなやつ。

 小声でぼそぼそ話し合うだけなら、反省文を書かされることもないみたい。

「言っとくけど、今は人が少ないからってだけだぞ」

「わかってる。……本借りたら、どっかで話したい。相談したいの」

「……貸出コーナー行こう」

「うん」

 騒がしくしたことを司書さんに謝罪し、『若い時はいろいろありますよね』と言ってもらいつつ本を借りた。

 コウが案内してくれたのは自習室だった。

 200円払えば誰でも借りられる小部屋で向かい合う。

「その。借りた本で検討つくんだよね」

「うん」

「……俺はあの子について何も知らないけど、相談にはのるよ」

「ありがとう」

 ノアを家に引き取ることになった経緯……といっても、ユニさんが連れてきたというだけのことを話してみる。

「俺、まだ王様に会ったことないんだよな。でも、シェルさんにそっくりなんだろ?」

「すごく」

「ならさ、ノアくんを預けてったのは、佳奈子にばっかり負担がかかるようなことじゃなく、佳奈子のためになるような裏があるんじゃないかな」

「!」

 そうだ。そうだった。

 シェル先生は、必ず若者のためにと行動する人。ユニさんもそういう人だと思う。

「いや……いまはそうじゃないよな。大事なのは、佳奈子が何をしたいかだ」

「……何を、したいか?」

「うん」

 コウは、昔の明るさと真っ直ぐさを完全に取り戻している。誰かのために動くこいつは誰よりも優しい。

「ノアくんに、何をしてあげたい?」

「……」

「そんで、そのために俺は何を一緒に考えたらいい?」

 あたしはノアに笑ってほしい。幸せでいてほしい。

 でも、まずは一歩一歩から。

「ノアが隠してたものを見ちゃったから、まずはとにかく謝る。……仲直りしたら一緒にご飯食べたい」

「ん。じゃあ、考えてこう」

「うん」

「ノアくんは……たぶん、足動かない子だよな」

 あたしが気付かなかったことを、こいつはほぼ一目で。

 恐れ慄いているとため息をつかれた。

「翰川先生で見慣れたんだよ。ああいう人って、持ち上げやすいように体勢を取るの慣れてる。あと、お前の膝でバランスとるのになんかアーカイブ使ってたみたいだし。……足が普通なら使わない場面だ」

「そ、そうなの」

「なのだよ、佳奈子くん」

 コウって実はかなり観察力あるのよね。鈍感だけど、直感力高いというか……

「で、声も出せない……?」

「……うん……」

 はっきり確認できた傷は喉と足首。

「じゃあ……ひどい扱い受けてたのか」

 頷く。

 コウはあたしの意思を汲み取って、それ以上踏み込まない。

「佳奈子について回ってた理由、たぶんわかった」

「え?」

「ノアくんは佳奈子に誰かが自分のことを教えてしまわないか見張ってたんだ……と、思う」

「なんで?」

「……なんだろな。ノアくんはさ、きっと、王様たちもご兄弟も、触れ難いというか……『誰も構うな』って怒鳴り散らせば永遠に引きこもってられるくらい……」

「……」

 でも、ノアに怒鳴り散らすほどの気力はない。

「そうしないのかできないのかは知らないけどさ。……血の滴るような生傷じゃなくたっていい。本人が諦めきって乾いた古傷でいいんだ。それを見せつけて振り回すのは、最大の攻撃で最強の防御なんだよ」

 ノアを見るユニさん、ご兄弟さんの目を思い出す。

 外に出てくれたことを喜びながらも寂しそうにするあの目。

「……それが、『二度と連れ回すな』って牽制になってるのかもしれない」

「コウ、すごいのね……」

「俺が実際にそうだったからでして……」

 恥ずかしそうに頰をかくコウ。

 そうよね。昔は荒れてたもんね。

「ふふ」

 微笑ましく見守っていると、コウは赤い顔で宣言する。

「……お、俺が言えることは以上。姉ちゃんと京と約束があるので失礼。200円は俺からのおごりということで!」

「え……お姉さんと話せたの?」

「うん。話してみれば気も合う話も合う。……思い出せなくても、これから思い出作っていけるからってさ」

 照れ臭そうに言う。

「話してみないとわかんないじゃん」

「……」

「佳奈子も腹割って話してみたらいいよ。得意だろ?」

「……そうね」

 ほんとにそうだ。あたしは何を遠慮していたのだろう。

 話し合おうともしないでいるなんて、ノアのことを本当に可哀想にさせるだけじゃないか。

「ありがと!」

「おう。頑張れ」

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