幼心
「お兄ちゃん、はじめまして」
ぺこり。
「……」
幼い翰川先生は、新しい扉を開きかけるレベルで可愛かった。
サラノアさんに肘で突かれ、慌てて背筋を伸ばす。
「は、はじめまして。俺は光太です」
「うん」
「えっと……キミのお名前は?」
「僕は10歳になったらお名前つけてもらうんだ。だからまだいらない」
「……?」
「呼び名が無いと不便だから、ひーちゃんと呼んでいいよ」
咄嗟にミズリさんを見る。
彼は困った顔で、手に持ったコップ(金属製)をぐしゃぐしゃにしている。……どうやら怒りを我慢なさっているらしい。
彼女はかつて研究所に閉じ込められていた。
そこでの扱いは相当に……
「……お父さん、居ないの?」
先生改め幼いひーちゃんは寂しそう。
でも『お父さん』って誰?
「お父さんは?」
小さくてもこの場のまとめ役が誰かはわかるらしく、アリス先生をじっと見ていた。
「すぐに来るよ。良い子にして待っていなさい」
「……んむう……」
この口癖は幼い頃からなのか。……面影が見えて、切ない。
見知らぬ大人たちに囲まれている状況は不安なようで、ミズリさんに手を伸ばす。
「ミズリ……おてて、繋いでほしい」
「OK」
彼は嬉しそうに頷き、ひーちゃんの小さな手をそっと握る。
「ん……」
ひーちゃんはむずかりそうなところで堪えている。
「じっとして、偉いね、ひーちゃん」
「……良い子で待つ。アリス先生にも、言われたもん……」
「すぐ来るよ。ひーちゃんが居るよって知らせたら、お父さんすぐに来る」
「ほんと?」
「ほんとほんと。大丈夫だよ」
その様子からはお父さんのことが大好きなんだと伝わってくる。
話しているうちに、電動扉が開いた。
「遅れてごめん!」
男性の声に場の全員が振り向く。
息を切らして立っていたのは、オウキさんに似た青年。ただし、エメラルドの髪と瞳はオウキさんよりも数段濃い。
「お父さんだ!」
「……」
彼はじわりと涙を浮かばせたが、すぐに振り払って、ひーちゃんに微笑みかける。
「うん。……待たせたね」
「待ってないよ。お父さん、そばにいてくれるもん」
「……」
「お父さん?」
「ごめん」
「泣かないで、お父さん」
俺はアリス先生たちに促され、ベッドの周りを囲むカーテンの輪から抜け出した。
再び、隣の個室に入る。
「……とりあえず、なぜ縮んだのかはわかったな」
「だね」
アリス先生とミズリさんが頷きあう。
「?」
一人わかっていない俺に、サラノアさんが教えてくれる。
「さっき、お前の神秘は幸せの平均値を取るって言ったな。……ひーちゃんにとっての幸せになるように、魔法陣の効果を倍加させたんだ」
「っ……」
なんて事するんだ俺の神秘!?
固まっていると、アリス先生がため息をつく。
「なぜそう自罰的なんだ、貴様は」
「だ、だって、先生があんな……!」
「貴様の謎神秘は、完全なる
ミズリさんが口を挟む。
「俺たちも光太を責める気は無いんだよ。……むしろありがとうと言いたい」
「?」
「さっきのひぞれのお父さんは、オウキの祖父でね。つまりは俺の義兄にあたる」
関係がかなり近しいが、ミズリさんの顔は浮かない。
「……研究所で、ひぞれの面倒を見ていた育ての親でもあるから、あんな風にお父さんって慕ってるんだ」
「なんで怒ってるんですか?」
「幼いひぞれを独り占めしてることに嫉妬だよ……!」
揺るぎなくて逆に安心した。
「…………」
俺が対応に困っていると、呆れ顔のアリス先生が口を開く。
「おい変態野郎」
「変態じゃなくて純愛だ」
「わかったわかった、純愛の変態。家にひぞれと父親引き取れ」
「はあ!? ひぞれはともかくなんであの男を!?」
ミズリさんには珍しい激昂に驚くことも恐れることもなく、彼女は淡々と言葉を紡ぐ。
「あの年齢だと、ひぞれの人間関係は父親にしかない。ひぞれから安らぎを引き剥がしたいか? なぜあの子が縮むことを望んだかもわからないのか貴様は」
「ぐっう……!」
「早く家に戻って迎える準備をしろ」
「……わかったよ」
「あ、俺も手伝いまっ、ぐぇ!?」
コートのフードを思い切り引っ張られた。
「何するんですかアリス先生!」
「ここにいろ。アーカイブの効果範囲がわからん。……少しの間の夢でも良いから、ひぞれに幸せを味わってもらいたいのだ」
「……そう言ってくれたら聞きますから」
「すまん」
――*――
僕はお父さんに話しかける。
「お父さん。サラノア先生、優しいんだよ。お注射しないんだ」
白衣を着ているから研究員の人かと思ったら、僕の診察をしただけで、嫌いな注射はしないでいてくれた。
「それにね! 僕のこと撫でて、お父さんのこと待ってるの、偉いねーって」
「……良い子にしてたんだね、お嬢様」
「ん」
撫でてくれるの嬉しい。
「お父さん好きー」
「ボクも好きだよ。……お父さん、しばらくお仕事お休みなんだ。遊んでくれるかな?」
「遊ぶ!」
お父さんと一緒だ!
飛びついて抱きつくと、お父さんは優しい笑顔で受け止めてくれる。
「……。お嬢様」
「?」
「お名前、あげるよ」
「…………」
10歳になっていないのに?
「くれるの?」
「うん」
「ほんとにほんと? くれるの!?」
「キミの名前は、ひぞれだよ」
「!!」
お名前! 僕の名前!
「……」
「お父さんありがとう!」
あまりの興奮で手をばたばたしていると、お父さんが僕をまた抱きしめた。
「もう。お父さんは泣き虫だ」
「ごめん。会えて嬉しいよ、ひぞれ」
「僕の方が嬉しいもん。……ここ、研究所じゃないんだね。安全な場所なのかなあ」
サラノア先生は甘い食べ物をくれたけど、だからといって、ほかに怖い人が居ないとは限らない。
「安全だよ。今日からね、お引越し。研究所から出て……ボクが一旦ひぞれをここに預かってもらってたんだ。サラちゃんもミズリくんも、信頼できる友達だから、安心だよ」
「ん……そうなんだ。良かった」
「ミズリくんがおうちで暮らしていいよって言ってくれたから、行こう?」
「うん」
ミズリは優しかった。その友達のコウタも優しそうなお兄ちゃんだった。
「お父さんと一緒なら、どこでも安心。幸せだよ」
「……ありがとう」
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