病院

 翰川先生は個室の病室に運び込まれ、彼女の主治医とミズリさんがそばについている。

 残された俺は、なぜか一人で悪竜さんと対峙する事態となっていた。

「……あのう……」

 炎のような髪と瞳の美女は初対面。ものすごい緊張する。

「興味本位で残してもらった」

 炎の美女は非常に淡々としており、また、電話口の声と一致したので、先ほど応対してくれたのは彼女だとわかる。

「私はアリス・ヴィアレーグ。見ての通り医者だ」

「それはもうわかるんですけども……なんで俺だけここに?」

 ティーバッグと写真を証拠として渡したのだが、直後、アリスを名乗る彼女に『ここに残れ』と言われた瞬間に足が一切動かなくなった。

 そのまま椅子に押し込まれて二人向き合っているというわけである。

 俺にどうしろというのか……

「……ミズリさんに付き添いさせてもらって来ちゃいましたけども、俺に出来ることはさほど……」

「何ができるかは聞いていないし、私が判断することだ」

 物言いに自信が満ちている。

 白衣の彼女は、まさにお医者さんのイメージ通りの人らしい。

「お前、なぜ紅茶を写真に撮った? 私が指定したのはティーバッグを持ってくることだけだったはずだが」

「え?」

 何かまずかっただろうか。

「いや、だって、明らかに変だと思いまして……」

「どういう風に変だと思った?」

 たじろぎつつ、写真を見ればわかるだろうと思いつつも、質問に答える。

「なんか……カップの中身が水銀みたいになってたんですよ。鏡かと思ったくらいです。でも、持ち上げてもかなり軽かったし香りも普通だったから……もとは普通に紅茶だったんだと思います」

 ミズリさんがヤカンから注いでいたお湯は透明で、細工があるようには見えなかった。

「……これがそれか。私には普通の紅茶にしか見えんがな」

 データで提出し、アリス先生がプリントアウトした写真。

 そこに映っているのは赤茶色の液体が入ったティーカップ――

「え?」

 慌てて自分のスマホを見るが、そこに保存されているのも同じ画像だった。

「疑うつもりも責めるつもりもないから安心したまえ、謎神秘少年」

 なんか愉快なあだ名で呼ばれた。

 椅子の上で縮こまる俺に、彼女が笑いかける。

「お前のことはひぞれからよく聞いている。……今回、お前のアーカイブが頼りなんだ」

「……あの。俺の神秘、制御と操作どころか、意識することもできないんですが……」

 発動したこともなんとなくでしかわからない。

「それでもいいんだ。ひぞれが目覚めるまで、お前にあれこれ伝授してやろう」

「よ、よろしくお願いします」

 印刷機から吐き出された紙を見せてくれたものの、俺には何が何やらさっぱりわからなかった。pHの表示が出ているから水の検査だったのだろうと辛うじて……

 アリス先生はため息をつき、紙をデスクの上に伏せる。

「読み解けと言ったわけじゃない。分析の結果、やはり普通の茶葉で普通の茶だ。毒や劇物も検出なし。……というか、私の父母が贈ったものなので変なものが入っているはずもない」

 彼女も気品ある悪竜さんだし、きっと育ちの良い素敵なご両親なんだろうな。……って、よく考えたらこの人、シェルさんと同じ育ちだ。

「ならば考えられるのはここだ」

 茶葉を取り出して乾かされたティーバッグを指さす。

 ――魔法陣が浮き上がっていた。

「っ⁉」

 白地の布地に白の糸による刺繍。中身が入っていたらさぞかし見えづらかろう、隠す狙いのある魔法陣だ。

「父母にも一応聞いたが、こんな魔法陣はついていなかったそうだ」

「じゃあ、誰かがつけたってことで……でもいつどうやって?」

 紅茶はミズリさんに直接送られてきたはずだ。

「神秘持ちが居ればいつどこでどうやってなんて推測は意味もない。そして、そこまでの使い手ならば犯人は容易く割れる」

「……動機は?」

「あれが犯人だったら動機など考えるだけ無駄だ」

 犯人さんとも知り合いなのか。

「私は犯人を追及したいわけじゃない」

「?」

「ひぞれは、数多の苦境を共に乗り越えた戦友にして愛しい朋友である。弟が読み解いた魔法陣の意味を考えると、今にも抱きしめてやりたくなる」

「意味、わかったんですか?」

 図形と文字が複雑に組み合っていて、俺には何が何だかわからない。

「……『欲求を映し出す鏡』だそうだ」

「欲求……?」

 そこで、アリス先生のポケットから電子音が響く。

「見せた方が早い。……ついてこい」

 廊下に出てエレベーターで上階に向かう。アリス先生と共に病室へ。

 彼女がスイッチを押して、個室の電動扉を開ける。

「ミズリ、抱っこ!」

「抱っこするよ!」

「えへー。好き」

「俺も、愛してる……!」

 ――扉が閉まった。

「……あの」

 超ラブラブな二人の様子が見えかけたと思ったら、アリス先生が電動扉のスイッチを無言で押していた。

「すまん。ちょっと待ってくれ」

「あ、はい」

 彼女はするりと扉に入っていく。

 少しの間ののち扉が開き、招き入れられた。

 ――そこには、幼い翰川先生と、彼女を抱きかかえて喜ぶミズリさんが居た。

「…………」

 年頃は5、6歳くらいだろうか。

 何より目を引くのは、ミズリさんにくるくると回されて喜ぶ彼女の足。継ぎ目もなく、素足を晒すことに抵抗もない――

「アリス、先生」

 涙が出るかと思った。

「いま、翰川先生の足、ありますよね……?」

「…………。ああ」



 翰川先生の主治医だという金髪三つ編みの美少女は、眼鏡で覆われてなお怜悧な輝きを持つ瞳を俺に向ける。

「ミズリは幼いひぞれ相手に興奮してるから使い物にならねえ。ってことでお前に聞き込みだ」

「あの人大丈夫なんですか」

「師匠がついてるから安心しろ。いざとなればアーカイブで止めてくれる」

 すんと鼻を鳴らし、カルテっぽいものを出してペンを構える。

 ここは翰川先生のいる病室の隣の個室だ。

「お前のアーカイブ、凄い面倒くさい」

「初手からディスるのやめてもらえませんか?」

 思ったより傷ついた。

「……解析したシェルさんとひーちゃんが説明してくれたけど。その二人とも別ベクトルで素人に優しくない。師匠は理解して私に説明してくれた」

 二段階の手順を踏んだということか。大変そうだ。

「俺にも説明してもらえますか?」

「そのつもりだ。まず、お前のアーカイブはお前が『そこに存在している』と捉えている現象や物体をそのまま認めている」

「超絶わからんのですが」

「黙って聞けクソ野郎」

「ハイ」

「要は、お前が認識できないことと想像力が回らないところは、お前にとって存在しないのとおんなじ。あの紅茶には視覚から人を騙す幻術がかかっていたが、お前はそんな小細工お構いなしに、真実の姿――鏡写しの液体を見た」

「……幻術なんて想像できませんし……そういうことなんですか」

「ん」

 頷かれた。

「幽霊に対して異常なレベルで鈍感なのもそれ。お前に認知できないことだから」

「……うーむ……」

 自分の能力への印象が微妙な感じになってきた。

 つまりは鈍感を極めているアーカイブってことだよな……

「そこはたぶん、今から言う効果の副作用。お前のアーカイブは多大なデメリットを代償に強力なメリットを得るタイプ。人間にしてはかなり強力」

「……」

「お前の神秘は、幸せの平均値をとる」

 わからない。

「これ自体は理解しなくていいけど――神秘が原因で狂ってしまったヤツなんかをうまい具合に落ち着かせて正気に戻せる可能性が非常に高いってことだけ覚えろ」

 わかった。

 なぜ翰川先生やシェルさんが『検査を受けてほしい』と勧めてくるのかも。

「悲劇的な事情で心を病んだ人とか、アーカイブの暴走に振り回される人とか……お前の思う二人は家族友人にそういうのが多くて、お前にかけてるところがある」

「……俺にそっち方面に……カウンセリングとかに進んでほしいってことですか?」

「そうなってくれれば喜ぶだろうが、ごり押しはしない。お前の将来はお前が選ぶ」

 将来について俺が不安をこぼすたび、翰川先生がよく言ってくれた言葉だ。

 胸を突くものがあった。

「ただ、お前の神秘を研究することは頼んでくると思う。報酬を紙面にして契約書を書いて……って」

「…………」

「それは断らないでほしい。私としても」

「断るわけないです。……大丈夫」

 かつてのドロシーちゃんのような悪竜さんや、京みたいなパターンシンドロームの子が正常な生活を送る一助になるのなら、断る理由などどこにもない。

「安心」

 ほっとしている主治医さん。

「ところで、あなたのお名前は……?」

「私はサラノア・レリアクレシバル。よろしく」

「うす。よろしくお願いします」

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