赤子

 お父さんと、その腕の中のひーちゃんが頭を下げる。

「今日から、お世話になります」

「なります!」

 あっ、やばい。あまりの可愛さに心臓が爆裂する。

 ミズリさんも胸を抑えて苦しんでいたが、咳払いして二人に応じる。

「ようこそ。自分の家だと思ってくつろいでほしいな」

「ミズリ、ありがとう!」

「どういたしまして」

 せっかく取り繕ったのに、一瞬でデレデレ。

「ボクからもありがとう」

「チッ! どういたしまして、義兄さん」

 態度が真逆……

「ミズリ、お父さんをいじめないで!」

「いじめてないよー。ちょっと喉が詰まっちゃって」

「風邪引いたの? だいじょうぶ?」

「心配してくれてありがとう」

 デレデレなミズリさんにひーちゃんを受け渡し、お父さんは荷造りをしていた俺のそばにやってくる。

「……キミが光太だね」

「はあ。そうですが……もしかして翰川先生から聞いてました?」

「うん。……ありがとう」

 彼は膝を床に着き、土下座せんばかりに頭を下げた。

「ひぞれがキミと出会えて良かった。時間をくれてありがとう……!」

「ちょ……! や、やめてくださいよそんな。俺は、何も出来てない……」

 翰川夫妻に恩返ししていきたいと思うのに、今日だって自分の謎のアーカイブで変なことになってしまった。

 なんとか起き上がってもらって、ミズリさんにアイコンタクトを送って、リビング隣室の和室に移動する。

「あの子は。……本当は甘えん坊だったんだ」

「……」

「魔法陣も見たよ。願望を映し出す鏡の術式。……ひぞれの願いをある程度叶えて満足したら、解けると思う。世話をかけてしまうけれど、しばらく居てもらっていいかな」

「大丈夫です」

 服を畳む手を止めて応じる。

「……って、引越しするって業者さんと予定合わせちゃってるんですが、どうしましょう!?」

 アリス先生からも、離れてくれるなと頼まれているのに。翰川家の居心地が良すぎて、騒動のどさくさに今日が最終日だというのを忘れていた。

「え? ……うーん。たぶん、ボクの息子が趣味でやってる不動産だから、連絡しといてあげようか?」

「……妖精さん、手広いんですね」

「あの子が多才なだけで、あとのは普通だよ……」

 苦笑しつつメールを打っている。

「……よし。事態が落ち着いてからまた連絡するって伝えたよ」

「すみません、助かりました……!」

「これくらいなんでもないさ。……今の今まで、娘がお世話になってるもの」

 また頭を下げられてしまった。

「コウタ、お父さん独り占めしちゃやだ!!」

「おや」

 走ってきたひーちゃんが、ぷんぷんしてお父さんに抱きつく。

「お父さんは僕のなんだぞ!」

「ごめん、ひーちゃん。実はお兄ちゃん、ひーちゃんのお父さんに助けてもらってたんだ」

「えっ」

 お父さんは無視して、ひーちゃんに謝る。

「頼りにしちゃってたね。ひーちゃんのお父さんだもんなあ。返すよ、ごめんね」

「そういうことなら構わない。お父さんは優しくて賢い。頼りになる人。コウタが頼りにしちゃうのも納得だ!」

「自慢のお父さんだね」

「うん!」

 うふふうふふとワンピースの裾を翻してはしゃぎ、和室を飛び出していく。

「ミズリが可愛いもの見せてくれるって言うから、来てね!」

 ひーちゃんが走っていく後ろ姿を見ると泣きたくなる。

 翰川先生は義足だから、あんな風に気持ちいいくらいの全力疾走なんて出来ない。

「究極可愛い……」

 鼻をかんでいると、お父さんも同意した。

「うん。ボクの娘は可愛い」

「……そういや、あなたのお名前はなんですか?」

「あ、言ってなかったね。ごめん」

 彼は苦笑ともに俺に会釈する。

「ボクはパフィオペディラム。長いからパフェでいいよ」

 不思議な名前に美味しそうな愛称の持ち主だった。



「……赤ちゃん」

「ぁー」

「! ……お父さん」

「ひぞれも昔はこうだったんだよ」

 可愛いものとはユーフォちゃんであった。

 ステラさんとリーネアさんが抱っこして連れてきた彼女は文句なしに可愛い。

「うー……撫でても大丈夫?」

「うん」

 ステラさんに頷かれ、ひーちゃんは、おそるおそるベビーマットの中のユーフォちゃんを撫でる。

 ミズリさんはカメラで連写していた。

「あったかい……」

「娘を。構ってくれる。くれて、ありがと」

「ん。僕も、触らせてくれて、ありがとうございます」

 頭を下げ合うひーちゃんとステラさん。

 リーネアさんは渋面を作ってパフェさんを睨む。

「……ひいじいちゃん、なんでひぞれあんな感じなんだ?」

 あ、そうだ。パフェさん、リーネアさんとも血が繋がってる。

「色々あるんだよ」

「…………。あとで説明しろよな」

「うん」

 不穏な会話をよそに、俺とミズリさん、ステラさんはひーちゃんとユーフォちゃんの戯れを見守る。

 ミズリさんなんてごついカメラでビデオ撮影していた。

(この人ふつうにやっべえな!)

「ぁう、ふぅぅ……」

「ミルク、の時間」

「ミルク。赤ちゃんのご飯?」

「うん。離乳食は朝、にあげた」

 ユーフォちゃんを軽く抱き上げてクッションのベッドに移し、お食事セットを用意し始める。

「手伝います」

「ありがと」

 折りたたみ式の台を組み立て、準備に必要な用品を並べる。義肢のステラさんのために持ちやすい形状のものばかりだ。

「お姉さん、はじめまして!」

「ぶふぉっ」

「っ……わ、笑うと悪いよ、ミズリくん」

「てめえら後で殺す」

 なにやら修羅場になりそうな気配だったが、流石のリーネアさんもそこまで大人げなくはない。

「俺は男だよ。リーネアっていうんだ。はじめまして」

 ひーちゃんの言葉を訂正しつつ挨拶を返す大人の対応である。ひーちゃんははっとして頭を下げる。

「お兄さんなのか……ごめんなさいっ」

「髪長いもん、間違えるよな。気にすんなよ」

「ありがとう」

 撫でられると嬉しそうだ。

 ステラさんにも向き直って自己紹介する。

「遅れてごめんなさい。僕はひぞれ。はじめまして!」

「はじめまして」

「ぁー!」

「ユーフォちゃんもはじめまして」

 可愛いと可愛いがたくさんで可愛い。



「魔法で縮んだ、ねえ。ふうん」

 興味なさげだ。

「……心配しないんですか?」

「ミズリは、ひぞれに降りかかる危機への嗅覚がキモいレベルまでいってる。戻そうとせずに自然に任せてるなら、心配なんかいらないよ。それに、いざとなればフルスペックポンコツ呼べば一発解決だし」

「フルスペ……?」

「シェル」

 あの人そんなあだ名ついてるの?

「ひぞれ、さん、可愛い」

 ステラさんはこくこく頷きながら、娘さんとひーちゃんを優しい眼差しで見守っている。

「……安らぎ。幸せ」

「ステラさんもお元気そうでよかったです」

 彼女が元気なのは、リーネアさんやユーフォちゃんのおかげなんだと思う。

「ありがと」

 彼女は自身の左耳を指差してくるんと回す。

「私、耳。異なる。……異なる……異能?」

「えっと……耳に異能があるってことですか?」

 こくり。

「ひぞれさん。内側に、だれか。……ひぞれさん。慈しむ」

 お母さんだ。

「……リナリア」

 お嫁さんの説明を旦那さんが引き取る。

「あの状態でも完全記憶だ。……正確に言えば、300年近い記憶も失ってない」

「!?」

「でも、今のあいつは意識のフロントにあるのが5歳くらいの記憶だ。《お母さん》はその記憶で意識を固定してるんだと」

 こくこく。

 以心伝心がすごいなこの夫婦。

「ひぞれさん可愛い」

「本当に頭ん中まで5歳に戻ってたら、そもそも日本語喋れないってよ」

「リナリア」

「呪いの解き方もひいじいちゃんはわかってるって言ってる」

 リーネアさんの読解力、宇宙レベルなのでは?

「誰が宇宙人だ!」

「そういうところがですかねー!!」

 ユーフォちゃんを撫でるパフェさんが、密かに笑っていた。

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