4マス進む:ヒントをもらう

 ようやく戻ってきた恐怖と混乱に苛まれながらも、私は開いていた部屋に飛び込み、扉を閉めて籠城していた。

「っ……」

 小刻みな足音が通り過ぎて行った。

 ここ、啓明病院の地下は細長く、端から端まで到達するのにかなりの距離がある。

 ヒウナさんは見失った私を探している。

「……先生」

 先生はどうして、この鬼ごっこを許したんだろう?

 ヒウナさんは話は通じるけれど、会話ができる人じゃない。私が逃げなければあのナイフは喉を掻き切っていた。そう予感させるほどの殺気をまとっている。

 死ぬことは怖くない。

 でも――心から死にたくないと思う。

「…………」

 みんなで目指した大学に合格して新生活が始まって。すごく楽しみにしていることがたくさんある。

 光太と会いたい。リーネア先生たちと話してユーフォちゃんの成長を見ていたい。友達と買い物にも出たいし、憧れの翰川先生とまたお話ししたい。

 足音が扉の前で立ち止まった。探索が早い。

 この部屋の出入り口は、私が入ってきた扉一つしかないから、袋小路に逃げ込んでいるだけ。

 これでおしまい? こんな終わりなんて嫌だ。

 いっそ。

 いっそのこと――

(たおす? 天井を壊して、にげる?)

 外向きのパターンででも――

「?」

 私の思考を遮るタイミングで電子音が鳴る。

 デフォルト設定の電話着信だ。

『初めまして』

「……う、わ……⁉」

 通話ボタンを押さないままで電話がつながる。

 スマホを放り出しかけてしまった。

『ヒウナが意地悪をしているようだったから、少し手を貸そう。この電話の間だけ、時間を緩やかにしてあげよう』

 後ろの扉からは、開く音もノックの音もない。

「……」

『さて、賢い子。この状況からわかることは?』

「ヒウナさんは嘘をついている」

 時間を停止させる原理は、コードもしくはスペルの二種類。でも、どちらの原理を使っていたとしても、唯一絶対の原則が存在する。

 時間を停止した空間の中でさらに時間を停止させることはできない。

 空間の外と内側とで時間の経過を極限までずらし、結果として停止させるのがその技術。外側が停止していたら内側はどうにもならないのだ。

『よろしい。……落ち着いたか?』

「……はい」

 恐怖は消えてしまったけれど、平静を取り戻せた。

 謎の男性は電話の向こうで困ったように呟く。

『ヒウナは俺の育ての息子でな。どうしようもない殺人鬼なんだ』

「それは……どういう、意味なんでしょう?」

『殺意に歯止めが一切ない。相手から攻撃されれば殺し、状況から「いま殺した方がいい」と判断した瞬間に殺す。しかも本人はそれ自体を悩むのではなく、「なんで殺しちゃうんだろうなあ」と深く悩めないことに悩みながら結局は歯止めゼロ。なので、どうしようもない殺人鬼』

 想像より遥かにとんでもない人だった。

『だが、今ではよほどのことがない限り殺せない。命令アーカイブをいくつも打ち込んでセーフティにしているからな』

「……」

 そのうちのいくつかは、このヒウナさんの養父さんがかけたものなのだろう。電話越しでもわかる威厳と鮮やかかつ強力な神秘だけでわかる。遠隔地の時空間を操るなんて尋常でない。

『必要があって許可が出されなければ、殺意をふるうことさえできない。今回はどうしてその必要があったんだと思う?』

「私に……」

『お前のためではある。今回、過保護極まりないリナリアにしては、身を投げうつような決断だったろうな』

「……」

 先生は確かに過保護だった。

 私が知らないうちに私の人間関係に介入していたり、不用心で鈍感な私を心配するあまりに手を引いて歩いてくれたり……

 ……嬉しかった。本当は、親に甘えてみたかったしお兄ちゃんに褒めてもらいたかった。

 その渇望で先生に甘え続けて、私はお兄ちゃんと先生を混同した。

『よく考えなさい』

「へ……?」

『自分のパターンがなんなのか、向き合ってみなさい。特に、どうして他人から攻撃されなければならないのかを』

「……」

 他人からの攻撃。

 昔、ショッピングモールの魔法のマジックショーで炎が怖いと思った時のように――

「ぁあああ……⁉」

『そちらは違うよ、京。戻りなさい。いまはそれを思い返す時ではない』

「ぐ、ぅ」

 私の頭に手綱がかかる。

 声が、あらぬ方向に行こうとする私の意識を留めてくれている。

「あなたは、誰、ですか?」

『それはお前がヒウナを倒したときに教えてあげよう』

「……倒す。え。倒していいんですか?」

『おや、なかなか自信家だな』

「いっ……いえいえそんなことじゃなくて! その……息子さんなのに、力づくで止めるような……」

 ヒウナさんと違って私は戦いの素人。加減などできない。

 この警棒はプラスチックのように見えて、中身は固くしなやかな芯材が入っており、本気で打てば打撃力もあると思われる。

『あれは力づくでなければ止まらんが、そこはまあいいか。……実はヒウナは答えを言っているよ』

「……」

『気づいてしまったら試合に勝って勝負に負けるような条件があった。……そうならなくて良かった』

「ありがとうございます」

『俺としてもうら若き女性を殺しにかかるようなバカ息子は後で締め上げる覚悟だが、とりあえず痛い目を見せてやりなさい』

「痛い目は、見せたくないですが……でも、ちょっと仕返しはしたいです」

 ヒウナさんのメンタルと私のパターンはきっと相性が悪いはずなのだ。

「ご助言、感謝いたします!」

『行ってらっしゃい』

 電話が切れた。

 ――その瞬間、開いた扉からナイフが突き出される。

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