5マス進む:決着

 ナイフを避けるのは簡単だった。

 ヒウナさんは4種類の軌道でしかナイフを振らないし、その動作も全く同じで、私が対応できるようにゆっくり。

 ――大振りだからこそ、懐に飛び込む隙もできる。

「お?」

「ふ――……」

 集中。

 自分の中のパターンが、掴んだ手を通して伝わっていくように。

「…………」

 彼は苦笑し、ナイフを虚空に消し去る。

「はい、降参」

「私の勝ち、です」

 驚かされたお礼に、額をぺちっと指で叩く。

 ヒウナさんは声を上げて大いに笑った。

「いやー、いつまでやればいいのかって思ったよ!」

「……割と楽しそうでしたけれど」

 今も彼は楽しそうだ。

 テーブルに戻った私と自分用に、うきうきと紅茶とデザートを用意してくれている。

「時計を止めたトリックはなんだったんですか?」

 私の腕時計も窓の外も、夕暮れの時間のまま止まっていた。……ように見えた。本当の現在時刻は18時。

 鬼ごっこの最中、そういうふうに見せた魔法は一体なんだったのだろうか。

「オレのアーカイブはブランク。アーカイブを消し去るアーカイブなんだけどまだまだ研究が足りない。ぶっちゃけ、オレの意思一つで縄張り内がかなり都合よくなるってことしかわからないんだ。時計は針の動きを止めてるだけだから、ピン入れれば動くぜ」

「理不尽な威力なんですね……」

 まるでパターンで身体能力を跳ね上げるリーネア先生のように理不尽。

「その代わり、縄張りから出たら無力だ。これでも一応、竜の端くれだから」

「ほんとですか?」

「実際、縄張りを持つ竜は自分の領域の内外で身体能力や魔力量にけっこうな差が出ることが知られている。疑われるのは心外だね」

 やれやれと肩をすくめて、ポットから紅茶を煮出す。

 ティーカップに注がれるや否や、花びらのような優しい香りが鼻をくすぐった。

「……不思議な紅茶……」

「なかなかの高級品質だから、楽しんでおくれ」

「はい」



「京の内側には、力強い防衛本能がある。気づいた?」

「ヒウナさんのおかげで自覚しました」

「めでたい」

 反射で攻撃しようとする私がいて、それは私の言うことをあまり聞いてくれないのはよくわかった。

「リナリアは訳の分からない予知をするから、キミが他人を殺すか半殺しにするかを垣間見て、焦って過保護にしてたんだろう。何はともあれクラスメートを半殺しにしたら、学校で過ごすことは難しくなるから」

「……」

「でも、あんまり過保護だったものだから、京は今の今まで自覚出来なかった」

「自覚した方が良かったんですか、これ……?」

 扱いに困る性質だ。

「……。すごく嫌な話をするとだね。東京きて一人暮らし始めただろ? 夜道を歩いている時、不埒な男に襲われかけたとする」

「はあ」

「キミはその男を惨殺できる。リナリアの動きも見て学習してるから、攻撃をパターンで再現するのもいけるだろ」

 それは、自覚してなかったら、まずいかもしれない……

「オレとしてはそんなクソ野郎、『いけいけぶっ殺せ』って応援したいところなんだけどー……ま、現実はそうじゃない訳だ。特に神秘持ちがそういうことになったら、様々な角度から口さがないカスどもに文句を言われたり、面白おかしくバッシングされたり……酷い仕打ちを受ける」

「…………」

 攻撃的になりやすいパターン持ちは、まさしくそれだ。

「いざとなればそいつらを血祭りにあげていくから、安心しておくれ」

「安心の範囲に収まりません……!」

「そうさせないために鬼ごっこしたんだ」

 彼は実に楽しそうに笑う。

「自覚したら向き合っていけるよ。京はオレと違う。殺人鬼じゃない」

「……地雷みたいなものだったんでしょうか」

「そうじゃない。たった一人にしか抜けない剣をキミが引き抜いただけのこと。人体の動きがわかる人は強いよー。人体をサポートするようなデバイスの開発、インストラクター、そのまま医療従事者だとか。そういう方面に就職したら役立つよ」

「それは、少し嬉しいです」

 私は物理と生物が好きだ。その方面にも活かせるかもしれない。

「オレは人を殺し続けたから、人体がどんな風に壊れるかとか、このラインを超えたら死ぬとかわかる。主な専門は救急の外科医」

 どうしようもない殺人鬼さんは、自らの才能をいかんなく発揮しているようだった。

「最低だろ? でも、これでも一応、交通事故の死亡率を引き下げた功労者なんだぜ? ……ま、そこまで仕立て上げたのはアリスお姉ちゃんのスパルタ教育なんだけどな」

「アリス先生ってすごい人なんですね」

 殺人鬼の弟を恐れず名医に仕上げるなんて、並みの胆力ではできない。

「うん。大好きなお姉ちゃんだよ」

 幸せそうに言った。

「なので是非、将来は医療の道も視野に入れてほしいな」

「えっ」

「キミのパターン、他人に安らぎを与えるだろ? 感情の尖った患者を落ち着かせるのに向いてると思うんだ」

 私は、私の両親は私に『医者になれでなければ看護師でもなんでもいいならなれ』と押し付けて……

「あ、これトラウマな感じ?」

「……そう、みたい、です」

 指摘されてやっと自覚した。

「あらら。……でも、選ぶのは京だからなー。トラウマを払拭したいなら、キミの両親ぶっ殺そうか?」

「さっくりと提案しないでください……」

 彼はやる人だ。

 殺すことをなんとも思っていなくとも、私がそうさせるわけにはいかない。……おこがましくも友人の一人として。

「…………」

 なぜかヒウナさんが、潤むウサギの目を見開いて、私の手を両手で握ってぶんぶん振る。

「ありがとう、すごく嬉しいよ! オレも京と友達がいい!」

「え、あの。ひ、ヒウナさん、心読める人なんですか!?」

「オレが見えるのは未来線。キミが口に出した言葉の架空の未来が見えて……なんだろ。やっぱりすごいんだな、京は。あのリナリアが溺愛する女の子だものそうだよな」

 大変に興奮した様子の彼をなんとか宥め、落ち着いてもらう。

「ありがとう、京。キミが困ってる時はいつでも頼っておくれ。虐殺から暗殺までなんでもやるよ!」

「選択範囲が広いようで狭い!」

 殺害のバリエーションでしかない。

「いいツッコミだ。……さっきのは冗談として、真面目に提案をしてあげよう」

「?」

「お姉ちゃんや父さんがオレにセーフティをかけたように、京のその防衛本能にも手綱をかけられるかもしれない。あくまでも過剰防衛にならないようにってくらいで留めるがね。ほんとに危ない目に遭っても抵抗できないんじゃ意味がない」

「…………」

 ヒウナさんのお父さん。電話越しにお話ししても、アリス先生に勝るとも劣らない凄まじさは伝わった。

「そのほか体や心、進路などなど……悩んだらオレかお姉ちゃんにメールか電話して。応援できるから」

「……はい。ありがとう、ヒウナさん」

「ん」

 鷹揚に頷き、紅茶に口をつける。

「ところで、さっきは誰と電話?」

「ヒウナさんのお父さんです」

「んぐふっっ!?」

 ヒウナさんがむせた。

「だっ、大丈夫ですか!?」

「……あの人、相変わらずえげつねー……」

「?」

 よくわからないが色々あるらしい。

「その人から、ヒントももらいました。……鬼ごっこに抜け道があることも」

「おや」

 鬼ごっこの始まりを思い出すと……

「『攻撃が一本通ったら』って、対象を限定してないですよね」

 攻撃をする方も、される方も指定がない。

 ならば私がヒウナさんに一撃を入れてもクリアで――私が私に一撃を入れてもクリアだった。

「そうだよ。ちなみに、リナリアと同じ競技をしたら、あの子は初手から自分の腕を拳銃で撃ち抜いた」

「…………」

 我が先生ながら、さすが。

「キミがそうじゃなくて良かったよ。自傷にためらいと恐怖が全くないって、人間性以前に生物として恐ろしいことだからさ」

 パターンシンドロームの究極は、自己と他者への完全な無関心。先生もこうだったのかもしれない。

「オレは殺人鬼だけど、今は医者の方が優先度高い。だから自分を粗末にするような真似したら説教になる。いいね?」

「はい」

「よろしい」

 私の額を指でつつく。

「オレはこれから救急待機の当番だから、準備をしてから上に戻るよ」

「お世話になりました」

「いえいえ。こちらこそご迷惑を」

 お互いに頭を下げ合う。

「サプライズだ。階段を上がるといい」

「?」

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