1マス進む:病院へ

 お昼をめがけて、近所の駅から電車で3駅。そこから徒歩8分ほど歩いて啓明病院に到着する。

 受付のお姉さんにアリス先生からの手紙を見せると、『アリス先生から聞いております』と対応してもらえた。

 見取り図を見て、《異種族対応科》のある棟を目指す。

「ここかな」

 ノックをしようとした瞬間、開いた扉の中に引きずり込まれた。

「!?」

 崩れそうになった体勢が腕一本でバランスを取らされる、魔法のような動き。

 たやすく実行した女性が、嬉しそうな笑顔で私を抱きしめた。

「すまない。待ちきれなかった」

 大人の女性のいい匂いがする……

「夏以来だな、京」

「……はい。お久しぶりです、アリス先生」

 髪と瞳に炎を宿すその人が笑った。

 背負ってきたリュックから、プラスチックのボックスを出して手渡す。

「これ、お約束のものです」

「楽しみにしていたよ。一緒にお昼ご飯だ」

「……私までここでお昼食べても大丈夫なんですか?」

「ここは私の縄張りだが、何か不満があるのか?」

「あ……いえ」

 これでアリス先生が咎められたりしないのなら、私はそれでいいと思っている。実際、会うのを楽しみにしていたから。

「いつもならほかに数人居るよ。……現在、異種族対応科に風邪ひき雪女が飛び込んできた後始末に駆り出されているから私一人だ」

「雪女さん?」

「彼女はひーちゃんの研究室に所属する院生。春が近づくと体調を崩しやすくなるのでここがかかりつけ……なのだが、私は炎で彼女は氷。なんとなく相性が悪いらしくてな。そばに行くと熱が上がって彼女が死にかけるから近寄れん」

「た、大変なんですね……」

「雪女は冬の清らかさ・儚さ・恐ろしさから生まれた妖怪。春の雪解けとは相性が悪いし、夏の炎ともいまいちだよ。難儀なことだ」

 ため息をつきつつ、ポットから紅茶を淹れてくれる。

「ミルクと砂糖は?」

「じゃあ、ミルクを一つ……ありがとうございます」

「サンドイッチのお礼だ」

 二人で手を合わせて、いただきます。

「ん。美味しい」

「良かった」



 ごちそうさまと片付けをしたところで、アリス先生が私に問う。

「本日の用件は、ともすれば心の傷に触れるようなことなのだが、貴様、いま心は元気か?」

 斬新な質問方法。

「……普通だと思います」

「ならばよい」

 静かに私を見つめている。

「リナリアに助け出されるまで、いまいちまともではない環境に居たと聞く。……いまが元気そうで本当に良かった」

「ありがとう、ございます……」

「これから話すのは、学術的な根拠もなく実験がなされたこともない、単なる推測。許しておくれ」

 アリス先生は私を炎の瞳で見据えながら、静かに口を開いた。

「パターン持ちは、自身の体内や精神などをひっくるめた内世界と、自身以外のすべてをひっくるめた外世界に深く関わりのあるアーカイブだ」

「……はい」

「前者の方に作用しやすいのが内向き型。後者は外向き型と呼ばれる。ここまでは、ちょっとかじった奴なら大体知っている情報」

 マグカップをゆらり揺らす。

「外向き型は外世界への作用など個人ではどうにもならないというのがわかるし、内向き型も、自分の内側さえ思い通りにならないことに気づかされるばかり。どちらにせよ、パターン持ちは『自分が知っていることに対して、それ以外の情報が多すぎる』と無意識ながらに幼少期から気付いているわけだな」

「……」

「つまり、パターンは持ち主に、知らないということが恐ろしく不安で心もとないのだと突きつける」

 覚えがあった。私はいつも知らないことが不安で勉強ばかりしていたから。

 両親に押し付けられていたのもあるけれど、それ以上に自分が無知であることが怖かった。

「あまりに恐ろしいから、外を警戒するし、自分を攻撃してきた相手の内世界……完全なる未知に攻撃する。何も知らない相手からはいきなり攻撃的になったように見えるわけだ」

「……」

「防衛本能に拍車がかかった状態だからであって、その子供は何も悪くないんだが……パターン持ちが日常に適合するにはハンデかもしれないな」

 彼女は『以上だ』と推測を締める。

「思い当たることは?」

「前に。先生に引き取られたばかりの時に……電話機を殴り割ったことがありました」

 忘れたと思い込んでいた記憶の一つ。

 電話を取ったら、何かまくしたてる母の声が聞こえて、その瞬間には電話を壊そうと衝動的に動いた。先生はプラスチック片で傷だらけになった私を手当てし、慰めてくれた。苦みと温かさが同時にこみあげてくる思い出だ。

「そうか。……お前は環境もあって拍車がかかっているのだろう。観察と防御が上手いとリナリアも言っていた」

「先生には、ご迷惑を……」

「何を言っている。子どもは世話と迷惑をかけるものだ。悪気があってしたことでないのなら、保護者が受け止めてやればいい。末っ子ポジションの多かったリナリアは、お前という存在に喜んでいたぞ」

 顔が熱くなって紅茶を飲み干す。

「……リーネア先生にはお世話になりっぱなしなので、本当に……ありがたいです。恩返ししてもしきれません」

「あの子のトラウマを払拭してくれたのはお前のパターンだよ。……『落ち着いて立ち止まって考えてほしい』という思いを信じ込んでいるから、人に作用している」

 それはたぶん、私が、怒鳴ったり殴ったりする両親を止められなかったから。

「……」

「大丈夫かな?」

「過ぎたことなので」

 過去は変えられない。兄を喪ったときから知っている。

「リナリアがお前の教導役で良かったし、京がリナリアの弟子で良かったと思うんだ。お前もリナリアも、出会えなかったら、バランスを欠いたままだったはずだから」

「……私もそう思います」

「お前のパターンの作用はリーネアと出会ったことによる副次効果。お前はリーネアに心を安定させてもらっただろうが……安定してからは、割と不安定なあの子に安らいでほしいと考えたんじゃないか?」

「は、はい……」

 私は先生に支えてもらってばかりだったけれど……

「心に余裕のないやつが人を落ち着かせるのは至難の業。お前がリラックスできるようになったから花開いた才能だよ。素晴らしいことだ。胸を張りなさい」

 恥ずかしくて口を開けないでいると、アリス先生が苦笑した。

「優しさも才能だろう?」

「……ありがとうございます……」

 心が温まる。……ここに来てよかった。

「さて、本題に入ろう」

「えっ?」

「お前をほめたたえたいだけだったら、内容を論文にしてレプラコーン共とリナリアの友人たちからの感謝状をかき集めてお前に送り付けるよ」

「そそそ、それも、なかなか……!」

 恥ずかしい。むしろ私が先生たちへのお礼状を書かなければならないほどお世話になっているのに。

「まあ、聞け」

「はい……」

「リナリアはお前の交友関係にフィルタをかけていたわけなのだが、なぜだと思う」

「フィルタ?」

 覚えがない。

「お前に興味本位で近づいてくるヤツをお前の視界から弾き飛ばしていた」

「うーん……?」

「……貴様に期待したのが悪かったな」

「す、すみません」

 リーネア先生に保護されたばかりの私はまともでなかったから、あまり周りを気にする余裕がなかった。

「実際、あいつはそういうことをしていたんだ。下心ありでお前に近づいた男子、お前の噂を聞いてちょっかいをかけようとした女子など……そういった奴らすべて、秘密裏に弾いてお前に近寄らないようにしていた」

「そうだったんですか! リーネア先生、凄いなあ」

 ドライに見えて人間関係を良く知っているのは、さすが先生。

「……聞いてその反応……これも理由の一つか」

「?」

「良い、気にするな鈍感娘」

「えっ」

 ど、鈍感娘……

「プレゼントを渡すと言った。約束を違えるつもりはない」

 傷心しつつ、手招きされた方へ近寄る。

 床に扉があって、開くと中には階段。地下へ続いているようだった。

「秘密基地みたいですね」

「実際そうだよ。日差しと暑さを嫌う患者が来ることもあるから、その関係でな」

 さっきのお話の、雪女さんのような方が利用するのかもしれない。

「雪女は朝にここに運び込まれて、少し前に元気に帰って行った。……まあ、ウチの医者の一人も日差しが得意でないから、そういう理由もある」

「教えてくださってありがとうございます」

 異種族対応科では様々な工夫がなされているらしい。

「アリス先生も一緒ですか?」

「お前ひとりだ」

「……わかりました」

 彼女に深く頭を下げてから、階段をおりる。

「お邪魔します」

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