2.3月中旬、裏
鬼畜と天然しか居ない家にて
「……先生。あたし、買い物行きたいんだけど」
東京に行ったら服屋と本屋をはしごしたいと思っていたら、シェル先生に、ローザライマ家に閉じ込められた。
飛行機から降りた瞬間に転移させられ、かれこれ三日ほど滞在している。
初日はアネモネさんに抱きしめられお子さんたちに見守られて過ごし、二日目にようやく先生と会えた。
彼はあたしを撫でて髪をすくのを繰り返している。
「先生?」
「……。すみません、動揺していました」
「先生でもそうなることあるのね」
離れた彼は、あたしに割り当てられた部屋の壁に、持ってきたプロジェクターを向けた。
投影された映像は、北海道から東京まで飛んできて出口に向かう飛行機内。
この視界は……翰川先生からのアングル?
彼女は時折振り向いて、後ろについてくるあたしたちを見ていた。確かこの時は、空港に慣れていないコウと紫織に、荷物受け取りの説明をしていたんだったかな。
「ひぞれに頼んで映像をもらいました」
「これがなに?」
「……あなたが空港内に降り立った瞬間です」
先頭の翰川先生は一足先に、飛行機の出口からつながった通路から、荷物の受け取り場所へと降り立つ。彼女は飛行機に酔っていた美織を、紫織と一緒に優しくなだめていた。
続いて、コウと京。その二人も心配そうに美織に飴をあげたり水分を渡したりと。
最後にあたしが降りる。
『ねえ、翰川先生――』
その瞬間、あたしの影から飛び出した銀色の稲妻が、あたしを掬い上げるように走る。
髪から虹を消したシェル先生だ。
「…………」
映像が停止して、少しだけ巻き戻る。
――あたしの足がぐにゃりと溶けて、消えそうになった瞬間に。
「……」
初日はいきなり連行されたから気づいてなかった。
風景が空港の景色から洋風で優美な内装に変わって、呆然としてしまったから。
「あたしの足、溶けてるんですけど……?」
「そうですね」
「ていうかよく見たら、先生、あたしの影にずっといたの?」
「あなたと背中合わせの体勢で。……何も起こらないだろうとは思いつつ、警戒していたのです。座敷童の引越しについてはほぼ何もわかっておりませんので」
「……」
先生はプロジェクターの電源を落とし、椅子に座る。
「先生?」
「いなくなると思った」
「……先生」
彼は、神さまと縁の深い人だ。
「消えたらどうしようかと」
「先生。あたし生きてるよ。いるよ。大丈夫だよ」
「……そうだな」
先生は、あたしの前だとたまに敬語が抜けるようになった。
「行動を制限してすまない。すぐに何とかする。お前が楽しみにしている買い物もできるように」
「心配してくれたんでしょ? ……説明不足は何とかして欲しいけど」
「善処しよう」
「先生が善処したところを一度も見たことがないわ」
「……」
あ、しょぼんしてる。
いつも無表情だけど、この人の感情がわかるようになってきた。
「これでも、頑張っているのだが……」
「知ってる。屋敷をセプトくんと歩き回ってたのも、あたしのための仕掛けでしょう?」
末っ子くんを抱っこしながら、あちこちにテープで魔法陣を作っていた。普段暮らす彼らに必要がなかったものなのだから、あたしのためにしてくれたことなのだとはすぐわかる。
「ありがとう」
「……どういたしまして。
「うん」
あたしは座敷童で、藍沢佳奈子で、
ローザライマ家の居心地は悪くない。広すぎてちょっと緊張しちゃうけどね。内装は派手でも華美でもなく、優美。
勝手に想像していた、壁紙が豪華で額縁があって……なんてふうじゃないけど、絨毯から家具から何まで、根っからの貧乏人のあたしでも『質が違う』とわかるようなものばかり。
「ふかふか……」
絨毯は踏むと足を柔らかな弾力で包んでくれる。ここで寝ころんだらどれだけ気持ちいいだろう。
「人んちじゃやれないけど……」
「やっていいよ?」
「……」
足元から声がしたと思ったら、ローザライマ家の末娘:パヴィちゃんが廊下のど真ん中に寝そべってあたしを見上げていた。
「何してるの、パヴィちゃん……?」
「めいそうしてるの」
めいそう? 迷走?
……瞑想か。
「誰か通ったら危ないよ。起き上がろう?」
「わたしたち家族に、生命の気配を感じ取れない人は、いない。……前にカノンお兄ちゃんの足を引っかけようとしたら『まだまだ甘いよ』って笑われて抱っこされた」
「……」
ここの家族、全員が鬼か竜かの二択だから、漫画やゲームのキャラクターみたいな戦闘能力を持っているらしい。
カノンさんと顔を合わせたことはあまりないけど、きっと強い人なんだろうな。
「お父さんも、落ち込むとたまに突っ伏していじけてる」
「暴露して大丈夫なの?」
「実は佳奈子を連れてきた日、お父さんはそうなってた。しばらく落ち込んでいじけて、見かねたお母さんに引っ張りあげられてた」
父親の恥ずかしいエピソードを躊躇なく……
「お父さんがあんなに落ち込むの、初めて。……だから、佳奈子も『うちの子』だもん。ごろごろしよう?」
「……。魅力的な誘いではあるけど、廊下でごろごろする気にはなれないの。ほかのお部屋にしましょ?」
廊下という概念を打ち壊されるような幅の廊下とはいえ……!
「智咲はたまに、ふしぎ」
「パヴィちゃんには言われたくないかな⁉」
「でもいいよ」
「――」
視界がブレる。
目を見開くと――見慣れない部屋。
「転移……?」
「お父さんに、直談判。家の中限定で、転移を使う許可が出た」
「……す、すごいこと……なのよね?」
「わたしにはわからない。周りの人みんな使えるから」
みんな使えるって……とんでもないことのような気がするんだけど……
「んぅ」
彼女はいそいそとあたしに寄り添い、顔をぐりぐり押し付けてくる。ちょうかわいい。
「……智咲さん」
「セプトくん? ……もしかして、ここ、二人のお部屋?」
「はい。あの、ぼくもそばで寝転がらせてもらっていいですか……?」
「もちろん」
「ありがとう」
セプトくんもいそいそと絨毯に寝転がった。パヴィちゃんと彼であたしを挟んでいる形だ。
いそいそする癖とかちょっと遠慮がちなところとか、パヴィちゃんとそっくりで、もう、もう……可愛くて……
(む、無害なシェル先生って、こんなに可愛い……!)
この双子が可愛がられている理由がよくわかる至福の時間だった。
完全に寝入ってしまった双子ちゃんの寝顔を順繰りに眺める。
「かわゆい」
「あら、お姉さんとお昼寝して幸せそうね」
「……ハノン、さん?」
気配もなくあたしの頭の上に足をつけたのは、赤い艶の銀髪を持つ美女。
「こんにちは、智咲。……末っ子が気になって探してたのだけれど、こんなに慣れてるなら心配いらなかったかしらね」
「は、う、うん……」
ハノンさんは長女さんで、ものすごい美人さんだから、緊張してしまう。
「私と同じような顔を毎日見ているのではなくて?」
「男性と女性は、また違うし……先生は天然だから……」
ハノンさんはしっかりした女性で、気品がまるごと剥き出しみたいな感じ。
「ふふふ。面白いこと言うのね」
彼女は末っ子ちゃんたちを抱き上げて、ベッドに寝かしてやっている。お姉さんだなあ。
「ね。しばらくここに居るのでしょう? 良ければ私たちとも遊んでくれないかしら。美味しいケーキもあるのよ」
「い、いいの?」
「ええ。お茶会は人が多い方が賑やかで楽しいわ」
あたしの手をハノンさんが取る。
立っている場所が瞬時にリビングに移り変わる。
「…………」
凄すぎて、あたしは混乱するばかり。
「まあ、姉様。智咲さん、お誘いできましたのね」
「おー。可愛い」
「ようこそ」
順に、6番のノクトさん、3番のマーチさん、5番のタウラさん。
キッチンではルピネさんとアネモネさんがお菓子を焼き上げている。
なんだこの上品空間は。気取って見せつけてるわけですらなく自然な気品が満ち満ちて、萎縮しそうになる。
「うあう……」
「緊張しないで、智咲」
「むむ、むり。むりですこんな……!」
「一枚外面を剥げば、中身全員、鬼畜か天然よ。あなた、うちの親玉に慣れてるでしょう?」
「あ、頑張れそうな気がしてきた」
我ながら現金だった。
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