宅配ボックスと少女とエビと
「走りすぎてしまった……」
あまりのテンションに、昼前に帰ってくる予定がもう夕方である。
走る途中で本屋に寄ったり昼飯を食べたりしたが、足はそれなりにガタガタだ。受験で運動をしなかった分、体の鈍りを感じる。
電子キーをマンション入り口にかざして入る。
「……忘れものないよな」
翰川夫妻から預かった買い物メモをもう一度確認する。レジ袋の中身との一致を見ていると、メモの端に『宅配ボックスが空か確かめてくれたらありがたい』と書かれているのに気付いた。
「おお」
裏返してみて良かった。俺が気付かなくてもあの二人は『目立つように書けばよかった。済まない』と言う人たちだから。
管理人さんの窓口に顔を出し、宅配ボックスの位置を問う。
「ポストの裏側にありますよ」
「ありがとうございます」
ポストの方へ向かうと、その手前で『宅配ボックス置き場』と書かれた扉を見つけた。
「こんなとこあったのか」
一昨日も今日の朝も通ったというのに、全く気付かなかった。
それだけ自分が浮かれていたということでもある。
「……お、あれがボックスかな」
ステンレスのラックに、部屋番号のついた箱が並べられていた。
9階のボックスを見つけ、取っ手の穴に手をかけたところで――部屋番号が9―1であると気付いて止める。
「……こっちリーネアさん家のか」
手ごたえが重たかったおかげで引っ張り出さずに済んだ。なかなかの重さの荷物が入っている。
「あっぶね、間違えるとこだ」
隣の9―2のボックスを引っ張る。
見るまでもなく空っぽの手ごたえと音ではあったが、一応目視で確認する。
不在表や封筒が入っていることもなし。
ボックスを戻す。
「帰ろ」
買った鶏肉をしまわなければ。
ごとり。
「…………。ん?」
立ち去ろうとしたところで、微かな物音が聞こえた気がした。
振り向いても何もない。
「……」
あるのは――大量の宅配ボックスだけ。
「…………」
ことっ……
――さっき引き出しかけた9―1のボックスが、微かに動いている。
背筋が粟立った。
数々の異種族や奇妙な現象と対峙してきた俺としても、尋常ならざる恐怖である。
「え。何……マジもんの心霊現象……?」
3月だというのに季節を間違えていやしないか。
「……」
いや待て。心霊とか疑う前に……あれは、中に入った何かが動いているから揺れているのでは?
きっとそうだ。左右にずれているだけ。中に入った生き物が動いたらああなると思う。
「犬か猫。犬か猫」
心無い人間が『拾ってください』みたいなノリで子猫か子犬を入れたのだろう。
決して。決して……こう。見てはいけないようなものが入っていることはないはずだ。
「…………」
こっそりと、ボックスの取っ手穴に耳を近づける。
「……なんか聞こえる……」
小さな生き物の寝息的なものが聞こえる。
幸いにも。……幸いにもって何だ。落ち着け俺。
寝息の音源は一つ分。しばらく耳を傾けていたが、重なった寝息が聞こえることはなかった。
やはり、中に何か入っている……?
「怒るかなー、あの人」
リーネアさんは他人が自分のスペースに侵入してくると過剰な攻撃性を見せる。
でも、放っておいて何かあっても嫌だしなあ……
「しょうがない、よな……これ」
命を見捨てる理由にはならない。
今生きていても、リーネアさんが確認するまでに命が失われている可能性も考えられる。
後味の悪い思いをするのはごめんだ。
まずは中身をきちんと確認しよう。もし本当に犬や猫だったら、翰川夫婦に頭を下げて保護してもらい、里親を探すことを考える。
……これで変なもの出てきたら嫌だな……
「いや、だめだ。開けよう」
取っ手に手をかけて自己暗示。
「呼吸してるってことは、中身は生きてる。大丈夫大丈夫大丈夫……」
自分自身にそう言い聞かせ、9―1のボックスを両手で引っ張り出す。
中身が見えた。
「……………………」
1分くらい固まっていたと思う。
中身の呼吸を遮らない程度に、羽織っていたジャンパーでボックスに目隠しする。
周囲をきょろきょろと見まわしながら、ボックスをエレベータの床にそっと置く。
ビニール袋をひっつかんでエレベータに飛び乗った。
――*――
「〜♪」
親戚に配れたし、紫織に渡せたし、シェルのとこ寄って佳奈子にも届けたし。たくさんお裾分けして喜んでもらえて嬉しい。
いまは家に帰って海鮮グラタンの仕込み中。
「先生、ご機嫌ですね」
「そうかもな」
ケイにはエビカツを作っている。大きなエビの身を叩きにしたからなかなか豪華だ。
「物件、不動産屋から電話きたか?」
「はい。1週間くらいで準備終わるそうで、その時点からお引越し開始です」
「そうか。引越しの時は手伝うよ」
「ありがとうございます。車買えたんですか?」
「うん」
東京に戻るにあたって適当な中古屋で買った。
小型車にしてもいいかと思ったけど、ひぞれとか父さんとか、病院に行く必要のある人が周りにいるから、前と似たような型のを買った。
「写真、これな」
「ブルーですか。……事故車じゃないですよね?」
「なんでそういうこと言うんだよ」
「前科ありでしょう、先生」
「今回のは普通の車だよ。幽霊がくっついてたりなんてしない、普通の車だ」
前のワンボックスは、買った時点では自分一人が乗るつもりで買ったからな。今回は誰かを乗せることになるのはわかってるから、そういうことはしていない。
「ほんとかなあ……」
疑り深いやつめ。
「……まあいいや。翰川家に届けに行くの、お前も来るか?」
お隣の翰川家には、ケイと同じように光太が下宿している。
「い、行きます」
「ん」
ついでに夕飯誘ってみようかな。
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