突きつけられる不可思議

「リーネアさん、リーネアさん!!」

 怒鳴るような勢いでお隣さんのインターホンを押す。

 すぐに相手が出た。

『なんだよ。光太か?』

「なんだよじゃないです、今すぐ開けてください!!」

『意味わからん……行くから待ってろ』

 俺は怒りに似た感情を押さえ込みながら、ドアが開くのを待っていた。

 リーネアさんが顔を出すと同時、押しのけるように家にお邪魔し、宅配ボックスを突きつける。

「この赤ちゃん、どう考えたってリーネアさんの子でしょ!?」

 夕焼け色の髪。雪色の肌。眠たげに薄開きの瞳こそピンクだが、顔だちはそっくりだ。

 生き写しとはこういうことを言うのだとわかる赤子が、毛布にくるまれてすやすや眠っている。

「…………」

 いつもの無表情のまま固まったリーネアさんが腹立たしい。

「自分の子ども放置するって何考えてんですか‼ 見つけたからいいものの、あんな暖房もないところに……!」

「……え、あ」

 リーネアさんの顔が青ざめていく。

「ひ、ひぞれ。ひぞれ。ひぞれ……‼」

 なんだ。翰川先生大好きか。

 おろおろして翰川先生に電話し始めた。そんな悠長なことしてる場合じゃないだろ……!

「ひぞれ!」

『…   た。……?』

 スピーカーモードでないために聞こえない。

「わかんない……わかんないけど、いますぐ来てくれ! なんか…………いやそれがわかんねえんだろうが‼」

 投げたスマホが廊下の壁に激突して四散した。軽くドン引きである。

 大音声に毛布の上の赤子が目を覚ます。

 しかし、泣くことはなく。

「んひゅ……きゅぁー!」

 リーネアさんに向かって可愛い声を出し始めた。

「っ……!」

 俺には視認できない動きで、一気に(スマホとは逆側の)壁際まで飛び退る。

 なんだあれ。

 破壊音と大声に驚いてか、エプロン姿の京が廊下の扉を開けて出てきた。

「なにはしゃいでるの、先生?」

 あれってはしゃいでるの? 俺がおかしいの?

 さておき、この瞬間、彼女の視界に映ったのは無残に破壊された壁際のスマホ。棚と壁の間で固まるリーネアさん。俺。

 そして――毛布にくるまれた赤子。

「…………………」

「あ……えっと。ケイ。これ……は、」

 リーネアさんが何か言う前に、京は顔を手で覆い、その大きなダークグレーの瞳に涙を溜めていった。

 生徒である自分を放って女性と付き合っていたとなれば、ショックを受けても仕方ない……のかもしれない。親が浮気しているような感覚――

「っ……お赤飯炊かなくちゃ! もち米買ってくる‼」

 ……そんなでもなかったようだ。

 京は一気に自室へと駆けていき、リュックを背負って一気に戻ってくる。

 俺の脇をすり抜けるや否や、靴箱から彼女自身のスニーカーを出して履く。

「光太。来てくれて嬉しいけど、またあとでね」

「あ、うん……ってあとで? あとでってなに?」

 フリーズしていたリーネアさんが立ち上がる。

「……待て。何の勘違いだアホ弟子!?」

「結婚相手が出来たんだよね!? もう、彼女さんいるなら紹介してくれればいいのに!」

「ちょ……聞け。明らかに時期が、」

「ごめん、光太。先生のことよろしくね!」

 玄関の扉を開けて、風の如く勢いよく飛び出していった。

「えええええ、京!? ちょっと待って……!」

 我に返った俺も慌てて扉を開けるが、京は足が速い。姿はもう見えなかった。とっくに曲がり角の階段に飛び込んでいるだろう。

 リーネアさんなら容易く追いつけるのかもしれないが、玄関の足元に赤子がいる状態では不可能だ。

「……っ」

 はっとする。

 京は器用に俺の側をすり抜けていったからいいものの、人の出入りのある玄関で直置きはまずい。いくら毛布があっても冷えるし。

 遅ればせながら赤子を抱え上げ……ようとしたが、加減がわからない。

 赤子の首が据わるだのなんだの……かつて読んだことのある、家族愛をテーマにした小説に登場したワードが蘇って不安になってくる。

(首は……大丈夫なのかな。ってか、赤ちゃんってどう抱っこするんだ……!?)

 育児本など読んだこともなければ、直に赤子に触れたこともない。

 赤ちゃんは未だにリーネアさんに向かって『抱っこして』のラブコール中。

「……リーネアさん、済みませんけど手伝って。ボックスの中戻して一旦運びましょう」

 ド素人が下手な抱っこをしてケガをさせては怖い。

 赤ちゃんには悪いが、毛布を上下で引っ張り上げて浮かせたところに腕を入れて支えれば、なんとか安定するはず。

 ボックスに戻してあげた方がまだましだ。

 リビングにでも運んで、ソファとかに下ろしてやれば。

「う、ぁえ?」

 彼は普段の冷酷さはどこへやら、混乱した様子で壁にひっついている。

「リーネアさんってば!」

「ぁうー」

「ひっ。ぅ」

 さらに離れる。

 壁に背を張り付けたまま、それでいて、玄関と室内のどちらの方向にも逃げられる姿勢を維持している。見た限り筋力がなければできない動きだ。

 戦争で培われた技能なのかどうかは知らないが、当事者に逃げられても困る。

 たぶん――この人に籠城されたら、素人には手出しができない。

 赤子が玄関に居るためか強引な突破まではしてこないが、彼が本気で逃走したら捕まえられない。俺の制止など紙一枚分の効力もないだろう。相手は本物の戦場を生き抜いた怪物だ。

 いや、別に助けてくれるのは彼でなくともいいのだ。

 ――自分とそっくりな赤子を見捨てようとしているのが、怒りを焚きつけるだけで。

「いまそれするときじゃないでしょう‼」

 自分が『小声で怒鳴る』という器用な真似が出来ることを知った。非常事態で人は成長する。

 幸いにも、彼の足は廊下扉の手前で止まる。

 京が扉を開け閉めする律儀な性格で良かった。開け放たれていたら彼は猛スピードで逃げ込んでいたに違いない。

 膠着状態が続くかと思われたその時、俺の背後で扉が開いた。

 京の帰還か。否、早すぎる。

 そう思って振り向くと、お隣さんである翰川先生がもこもこスウェット姿のゆるい格好で立っていた。

 リーネアさんが扉のノブに飛びつき――翰川先生を見てへたりこむ。

 先生は玄関周りの惨状を観察。ため息をついて赤子を毛布で包み直し、腕に抱き上げた。

 凄くほっとした。

「逃げなくていいよ、リーネア」

「っ」

「赤子が苦手なのは知っている。でもこの子は何もしない。僕も無理にキミに近づけたりしない。だから、逃げるな」

「…………」

「キミに籠城されたら僕では何もできない」

「……」

 リビングのドアノブにかけていた手を外して、ゆっくり頷く。

「光太。買い物、ありがとう」

「あ……はい……」

 そういえば、後ろに放置したままだ。中身に冷凍食品がないのが不幸中の幸いである。

「ごめんなさい……」

「まあ、この状況を見るからには、仕方ないよ。……ほら、リーネア。先に中に入れ。すれ違いたくないだろう」

 のろのろとした動きながらも扉を開けて入っていく。

「……」

 本気で苦手だったのか。

 あんなに怖がっているなら、赤子の存在も知らなかったのだろう。

「キミが罪悪感を覚える必要はないよ」

「え」

「状況からして、この子がリーネアの……言ってしまえば隠し子だと思うのは仕方ない」

 超そっくりだもんなあ……

 翰川先生の腕の中で『ぁー』と謎の声を発している。

「しかし、そこを抜きにしても、人としてこの事態への手助けを求める気持ちも当然だ。間違ってないさ」

「……悪いことしたかな、と」

「偶然が重なっただけだ。なんせ彼は妖精なんだから、運命を揺らしやすい。……気にするな」

 『でもまあ』と前置き。

「この子はリーネアに似過ぎている。……人手を呼ぼう。オウキとシェルに頼んでみる」

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